001 最後と始まり
『死を前にしたとき、惨めな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、嫌な出来事や逃したチャンス、やり残した言葉ばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思うの』━━オードリー・ヘップバーン
最後くらい、ヒトを殺すのでなく生かして死にたい。殺人鬼の自己満足だと言われても構わないから。
アレクサンドル・ウリヤノフ━━通称サーシャが暴走車両に轢かれそうになっていた子どもを守ったのは、たったそれだけの理由だった。
(あぁ、死ぬってこういうものか。案外悪くねぇな……。それじゃ、アスタ・ラ・ビスタ・ベイビー!!)
脳に大量の麻薬みたいな物質が駆け巡る。その快感はどんなクスリを使っても得られないものだった。身体からすでに内蔵が飛び散っているというのに、脳髄がビチャっとこぼれ落ちているというのに。
*
サーシャは筋金入りの無神論者だ。神なんてものは、人間の創造物だと信じている。愚かで醜い人類に道徳的な法を築くために作られた、哀れな偶像だと。
そんなサーシャの頭上には、天使の輪がついている。鏡だらけの空間に送られて、わざとらしくその輪を見せつけられていた。
「……こうして見ると、くたびれた顔しているな」
いかんせん鏡張りの空間なので、嫌でも自分が老けた、いやくたびれているのが分かる。肌は荒れ、シワが増えて、だらしないヒゲが生えている。
「まっ、それだけ頑張ったってことだ。さて、おれは一生この空間で過ごすのかね」
サーシャは、あっけらかんとした態度だった。タバコ・酒・クスリ等ができないのは残念だとは思う。しかし同時に、あれだけ殺しておいて裁かれないほうがどうかしているとも思うだけだ。
「いえ? 貴方には異世界へ行ってもらいます」
サーシャの背後に、いつの間にか人影があった。女の声だ。しかもかなりハスキーな声でもある。サーシャは気だるそうに振り返る。
「異世界? なんだ、そりゃ」
「知らないのですか? 異なる世界ですよ」
「そんなことくらい分かっている。小学校中退だからって馬鹿にするな」
「馬鹿にはしていません」白い髪の女は虚ろそうな目つきだった。「正直、貴方のような殺人鬼を輪廻転生させるのは道徳的によろしくないのですが……、貴方は英雄的な死を遂げました。そのため、チャンスを与えなくてはならないのですよ」
「あぁ、そうかよ。素敵だね」サーシャは手を広げる。「今まで何万人殺したか分からねぇが、ガキ守って死んだら輪廻転生できるものなんだな」
「その子どもは、いつか貴方の祖国を救う存在になります。だから━━」
「ひとつ教えてやる。ヒトの命は平等だ」サーシャは彼女を睨みつける。「生まれは不平等かもしれねぇが、死は皆平等に訪れる。おれが守ったガキがおれの国を救う? だからなんだよ。ソイツだって結局、殺されるか死ぬのは確定しているだろうに」
白い髪の女は溜め息をつく。「貴方はロマンチストですね。命の価値が平等なわけがないでしょう。人間は総じて愚かですが、その中でも特段愚劣な者もいます。たとえば、貴方とか」
サーシャは首をゴキッと一瞬曲げる。「あぁ、そうかい。おれが愚劣だと。褒め言葉として受け取っておくよ。で? おれはどこへ行くんだ? 戦場・動乱・革命その他諸々……罪人にはお似合いな場所なんていくらでもあるが」
「そのどれでもないです。貴方は無神論者ですよね? なら、ちょうど良い場所があります」無数の鏡に映像が映し出される。「ここは、アンゲルス連邦共和国という国家です。市民は皆、アンゲル教という宗教を信仰しています。時代は貴方が生まれ死んだ21世紀です」
「なぁ、ひとつだけ質問良いか?」サーシャは彼女が頷く前に言ってしまう。「どのみちおれは殺しの道に行くぞ。それ以外にカネを稼ぐ方法を知らねぇからな。おれみてぇなのを転生させるのが道徳的によろしくないのなら、こんな平和そうな国に送っちゃいけねぇだろ」
白髮の女は即答した。「もちろん、相応の弱体化は与えます。貴方が今まで通り殺人で日銭を稼げないように」
サーシャは鼻で笑い、言う。
「そりゃ良い。だが、ひとつ言っておくぞ」
「なんですか?」
「ヒトはそう簡単に変われねぇ、とな」




