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公式企画 夏のホラー

二つの海

作者: 日向 葵

「っはー、今日もあっちィなー。どこのどいつだァ今年は冷夏になるって言った大噓吐きはー」

「冷夏冷夏って言って結局酷暑になるの、もうやめてほしいよなぁ」

「長老の観天望気もとんと当たンなくなっちまった」

「ありゃー迷信の類だろー、当たるも八卦、当たらぬも八卦ってよー」

 真っ黒に日焼けした男達が涼を求めて浜辺に連なる松の影に入ってまず話題に挙げたのが、今年も避けられなかった暑さについてだった。

 まだ汗の引かない全員の顔には色濃く疲れが残っている。暑さのせいでもあるが、本日の収入がゼロである精神的な部分が一番の理由だろう。

 この尋常ならざる暑さのせいで何人もの漁師が暑気あたりで倒れ、今松影に憩うのは人員不足で今朝の出港を見送った船の者達だ。

「あっちィなー」

「ンなー」

 普段はきびきびと言葉を発すいかつい仕事人らの語尾がこの暑さで溶けて間延びしている。

「いよっし、こんなに暑いんだ。怖い話でもして暑気払いといこうや」

 一番年嵩で一番暑いと口にしていた男がそう提案した。

「じゃあ、景気づけにオレから……」

 意外にも先鋒を引き受けたのは、影に腰を落ち着けてからも口数少なく最も年若い郷介だった。




 その日、母親にきつく叱られムシャクシャしたオレは家を飛び出すや否や一目散に海の方へ駆けてった。舟に乗って一人になれば煩わしさから逃れられると期待したからだ。

 その時のオレは当然まだほんの子供だったが、知ってのとおり父親の漁を手伝っていたので一人でちっぽけな舟に乗るなど造作もなかった。

 沖へ漕ぎ出し浜から充分な距離を取れたところで櫂から手を離す。これくらい進めば母親の甲高い声も父親の拳骨も決して届かない。オレは舟底に寝転がってその解放感に浸った。風は水平線の方から訪れるので波に逆らわずとも遠くへ流される心配がさほどなく丁度良い塩梅だった。

 空をぼんやり眺めつかの間の贅沢を堪能し、さてそろそろと身を起こした時だった。それが見えたのは。

 水平線の方に何か平たいものが浮かんでいる。距離が遠くとも横幅が随分ある大きさと分かる。これが噂に聞く鯨の背だろうか――――。大人達の会話を頭上に聞き巨大な海の主に憧れを抱いていたオレは身を乗り出し海面を観察した。しかし、黒い塊は潜ることも浮かぶことも一向にせず平らに長く漂うばかり。

 あれは一体何だろう。よくよく見れば不揃いにぼこぼこしていて、結び目のある縄のようである。これなら鯨ではないだろうと正体を見極めるべく目を離さずにいれば、ようやく動きがあった。黒く太い線の中央部が盛り上がったのだ。固唾を吞んでオレが見つめると、小山のようだった盛り上がりが縦に伸び人の形を成して立つ。黒々とした細っこい小人だった。黒い塊の一部が人だと判明したことで、芋づる式で正体不明の土台が死体の山だと悟った。そうしてその悍ましい足場に立つ真っ黒な小人が――――オレに向かって手を振った。

 呼ばれている。人ならざるものに。

 そう直感したオレは慌てて櫂を手に取り、その後はもう一心不乱に舟を漕ぎ(おか)へと戻った。




「以上が、オレの経験した怖い話です」

 自分に向けられる真剣な目に緊張することなく郷介は実体験を語り終えた。ぶっつけ本番だったわりに、過不足なく滑らかに話せたと内心自画自賛する。

 大人たちはどれだけ驚いたり怖がったりしてくれるだろうか。さあと反応を楽しみにしていると。

「あー、そりゃ口減らしかなー」

「オマエがまだガキだった頃の話だろ? あン年は餓死風が吹いて冷害が酷かったからな。農業で食ってる隣なんかはさぞかし間引いたろうが、それでも足りんかったか」

「あの頃は長老の日和見も百発百中だったよな。冷害も当ててた」

 思ってもいない単語が飛び交った。口減らし? 餓死風?

「いやいや、国逃れじゃねぇかぁ? 本当だって分かったのは最近だがよぉ、噂は大分昔からあったじゃねぇか。筏にこれでもかって人が乗って漂流してる、中には明らかに死んでるのもいるって」

「確かにあン頃は海向こうで戦争もあったしそれも有り得るな」

 正体不明の恐ろしいものを披露したはずなのに、聞いた方は現実的な単語を繰り返し怪異を解き明かそうとしている。

 話の輪には加われないがそれが分かると、郷介は血の気が一気に引いた。

「じゃあ、オレに手を振ってたのはまだ生きていた子供……?」

 最後まで言い切れたのが不思議なくらい唇が震えている。今初めて閃いた可能性の確からしさに、当時以上の恐怖心が湧いた。

 もし彼らの言う通りなら、あの時手を振ったのは死にそうになりながらも必死で助けを求めてのことだったのでは……。

 恐ろしい過去の答え合わせに二の句が継げない郷介から心配事を取り除くように暑気払いを提案した男が明るく断言する。

「なーに、そうだとしても気にするこたぁ無え。子供なんてあとからいつでも好きなだけ作れっからな、稲と違って!」

多分この後郷介は「そっか、そうだよな!」と納得する。


二つの海=生死のある苦しい現世

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