表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

僕たちは今日も、寄り道をする

作者: 神永 玲

「おばあちゃーん、これください」


膝の上に猫を乗せながら舟を漕ぐ駄菓子屋の店主は、今日も返事を返してくれない。代わりに猫は気配に気づいてピクリと耳を立てる。


「毎日これじゃ、万引きし放題だよな」


(うみ)(さと)くんはそう言いながらも、いつもきちんとジュース代をレジの横に置く。僕も同じようにアイス代を置いた。

おばあちゃんの膝の上で大人しくしているこの店の看板猫(と海郷くんは言っている)をひょいと持ち上げると、海郷くんは優しくその背を撫でて話しかける。


「でもいざというときは、お前が番猫するんだぞ~。ちゃんと戦える猫だもんな」


ばんねこ。あぁ、番犬の猫バージョンってことね。


「だってほら、俺には大人しいけど……」


海郷くんが猫を僕に近づける。すると途端に、猫は僕に向かって威嚇を始める。


「お前にはいつもこうだもんな。万引きしたことあんの?」


万引きはおろか、嫌われることをした覚えもないんだけどなぁ……。

僕だって、愛してあげたいんだけど。

猫は僕を見るのも嫌なのか、腕の中からぴょんと飛び出していった。


「上、行くか」


海郷くんが人差し指を真上に向ける。僕が頷くと、一緒に店を出た。





外に出ると、一斉に蝉の声で出迎えられる。空は青々とした快晴だ。僕たちを溶かそうとさんさんと照っている太陽が眩しい。駄菓子屋のすぐそばにある長い石段を登ると、神社が見えてくる。僕らの寄り道スポットだ。

鳥居の前に立ち、二人そろって礼をする。神社に入る前の礼儀だと、昔海郷くんが教えてくれた。僕らは日陰を目指して奥へと進み、いつもの特等席である石でできたベンチに座った。

片手に持ったままの棒アイスを袋から取り出すと、少し溶けていた。


「お前、いつもそれだな」


そういう海郷くんも、いつも同じ炭酸ジュースで飽きないね。

僕は白いバニラのアイスを口に含む。冷たい触感と甘い香りが広がる。最高だ。真夏の空の下、この瞬間が一番夏らしさを感じる。

もうすぐ、夏休みだね。


「あー、まだなんも決めてねぇわ、予定」


プシュ、と音がして海郷くんはお気に入りの炭酸ジュースをごくごく飲む。よくできるなと毎回思う。僕は炭酸のぴりぴりする感じが苦手であんまり飲まない。

どこか行きたいけど、こんな田舎じゃあ学生が遊びに行くのも一苦労だもんね。


「お前が原付の免許取ってくれたら、どこにでも行けんのに。免許取れよ」


またそれか。夏になる少し前から、海郷くんは僕にどうしても原付の免許を取ってもらいたいらしく、こうして免許の取得を進めてくる。

できないよ。


「なんでだよ。金ねぇの? 俺んとこのバイト先、紹介してやろうか?」


ないわけじゃないけど……無理。


「ははぁ。さてはお前、びびってんな? 心配すんな。あんなのチャリンコと同じだから」


同じじゃないよ。海郷くんはスピード出しすぎなんだよ。都会だったら捕まってる。


「あんなんで捕まるわけねぇよ」


熱気で蒸されたぬるい風が、汗で張り付いた僕らの髪を揺らす。

僕らの会話は途切れて、ぼんやりと夏の空を眺める。

海郷くんは小学校の頃からの幼馴染みだ。

クールを装ってるけど実はお化けが苦手で、林間学校のときの肝試しでは学年で一番びびり散らかしていた。でも見栄っ張りだから、女子の前でカッコつけたいがために、自分から列の先頭に立って自爆したんだよね。後ろの方にいた女子が、半泣きの海郷くんを見て笑ってたのはいい思い出。

あれから何年経っただろう。もうずいぶん昔のことみたいだ。

僕は小さく息を吸って今日こそは、と一歩を踏み出そうとするけど、吸い込んだ空気は声を響かせずに消えていく。


今日も言えそうにない。


「あ、アイス溶けてんぞ」


海郷くんの声にはっと手元を見ると、アイスは溶けて地面にぽたぽたと流れ落ちていた。慌てて残りを口の中に突っ込む。

いつもと変わらない味。

海郷くんと話してると、いつもアイスが溶ける。


「今年も夏祭りあんのかなぁ」


あるんじゃない? またあの射的の屋台出るかな。当たらないことで有名な。


「あれ絶対インチキだろ。棚の景品、当たった試しがねぇし」


隣りのクラスの増田くん、プラモ当てたって言ってたけど。


「嘘だぁ! 中身カラだったんじゃね?」


他愛もない話。海郷くんといるとどんな話も毎回楽しい。


「今年はさぁ、いろんなことして遊びてぇな」


海郷くんは頭の中でもうその計画を広げているようで、楽しそうに口元を綻ばせる。

そんな横顔を、僕はいつも眺めている。

しばらくくだらないことを話したあと、海郷くんはバイトの時間だと言って立ち上がった。僕も一緒に帰ることにする。

来たときと同じように鳥居に礼をして、一緒に石段を下る。

石段を降りきったとき、僕はとっさに声をかけていた。

ねぇ。


「ん?」


…………。


「なんだよ」


…………。


「佐倉? どうした」


……いや、なんでもない。また明日ね。


「なんだそりゃ。変なやつ。またな」


海郷くんは、僕に背を向けて去っていく。

今日も言えなかった。

今日も僕は、海郷くんの背中が見えなくなるまで立ち尽くす。

いつになったら言えるんだろう。


君と僕は、もう死んでるんだよって。


六十八年前の今日、君はこのあとバイトに行く途中で事故に遭う。

車に轢かれそうになったあの看板猫を助けようとしたんだよね。

あの猫、僕を嫌ってたんじゃなくて、君に助けられたから懐いてるんだよ。

君が体を張って助けたあとも長生きしたけど、結局おばあちゃんと君以外、誰にも懐かなかった。

僕はずっと後悔してた。

最後に会ったあの日、もっと長く君と話してたら。寄り道しなければ。なにかが変わってたんじゃないかって。

考えてもどうしようもないのにね。


海郷くん。君が死んだとき、みんな泣いてたよ。


おばけが苦手でクラスで一番のびびりだった君が、一番におばけになっちゃったね。

あの駄菓子屋も、今はもうない。君が死んで数年後、店主のおばあちゃんが亡くなって閉めちゃった。君のお気に入りのジュース、もう買えないんだ。

街のお祭りも、いつの間にかやらなくなった。

君との思い出がどんどん消えていくのを見ていたくなくて、僕は高校卒業とともにこの街を出て都会で暮らし始めた。君のことを忘れようなんて思ったことはない。でも、思い出すのが辛かったんだ。

大学生になって、就職して、結婚して、子どもができて、孫にも恵まれた。

ごく普通の人生だったけど、それなりに楽しかったよ。

だけど、死んだあとに目が覚めたらこの場所に立ってたんだ。

懐かしい制服姿を見たとき、君はずっと、あの日の中で生き続けていたんだと知った。

君はきっと、自分が死んだことに気づいてないんだね。


地面に伸びる影を見つめる。

顎先から汗がぽたりと落ちる。ここは死後の世界なのに、生きているような感覚。

振り向いたら、またあの日が繰り返される。

このまま振り向かずに君を追いかけたら、君との夏は終わってしまうのだろうか。


いつもと同じ蝉の声。

いつもと同じ夏の空。

いつもと同じ僕。

別れの一歩が踏み出せない、僕。

振り向くと、海郷くんが立っていた。

すぐ横の店に親指をさす。


「なぁ、駄菓子屋寄ってかね?」


僕は頷く。

にっ、と笑顔を見せて、いつもの調子で狭い店内に入ると、迷わずお気に入りのジュースを手に取って言った。


「おばあちゃーん、これください」



僕たちは今日も、寄り道をする。


僕ら二人、あの夏に取り残されたままだね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ