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第5章 俺が信じた正義は、こんなに醜かったのか


 俺がルシファの城で暮らすようになって、どれほど経っただろう。相変わらず時間の感覚はあやふやで、窓さえ少ない城内にいると夜と昼の区別もあまりつかない。

 けれど、封印の魔力が安定してきたのか、体調は以前よりずいぶん良くなっている。いまだに夢の中では断片的な記憶を見たり、謎の少年の姿に心を乱されたりするけど、痛みで動けないような事態は減った。


「……顔色がいいな。そろそろ外に出ても問題なさそうだ」


 ルシファがそう言いながら、俺に黒い外套を渡す。彼の青い瞳は以前よりどこか落ち着いた色を帯びている。もっとも、魔王の城に連れてこられた当初からは想像できないくらい、今では俺もリラックスして過ごせているのは事実だ。慣れって怖いものだよな……。

 でも、そのおかげで忘れかけていた“目的”を思い出す。


「外って、また交渉か? 人間側がこっちに来るのか?」

「いや、今回は俺たちが先に動く。ミュリエル司教一派が、境界付近で“聖堂の巡礼”を行うらしい。前に取り決めた和平協定の状況確認を名目に、向こうもこちらも出向いて、話し合いをするそうだ。セリナが情報をまとめてくれている」


 ミュリエル司教。あの柔和な顔で、何を考えているか分からない男だ。

 以前の交渉の場でも、人間側の“正義”をやたらと振りかざしてきて、俺を“神の花嫁”とか、わけのわからない表現で呼びたがっていた。あの狂信的な目線が蘇って、背筋が少し嫌な汗をかく。


「また会うってわけか、司教様に……。正直、気が重いな」

「俺にとっても歓迎すべき客ではない。だが、人間界と魔族領を行き来する条約がある以上、こちらも姿を見せざるを得ない。……お前はどうする? 部屋で待っていてもいいんだぞ」


 ルシファが少しこちらを覗き込むように言う。

 いや、ここで逃げ回っていても何も変わらない。リュドや、ほかの勇者候補たちとも、きちんと話すべきことがあるはずだ。俺が逃げると、ますます彼らに“裏切り者”扱いされるだけだろうし。


「……行く。俺だって、はっきりさせたいことがある」


 強い口調で答えると、ルシファがわずかに微笑む。その横で控えていたセリナもこくりと頷いた。


「では、準備ができ次第、馬車で境界付近まで向かいましょう。あちらは聖騎士団を引き連れて来るでしょうから、魔王軍の兵も若干数出す予定です。ナユタはくれぐれも自分の身を大切にしてください」

「ああ、わかってる」


 セリナの気遣いはありがたい。けれど、自分の身を守るだけの力が、今の俺にあるのかは疑問だ。

 とにかく現場へ行こう。それが今の俺の答えだ。



 しばらくして馬車に乗り、魔族領の北部境界へ向かう。風は冷たいが空気は澄んでいて、道中は意外にも静かだ。ルシファが同乗してくれているせいか、車内には変な緊張感はない。彼は書類に目を通しながら俺にちらっと視線をやる程度。軽口を叩くでもなく、ただ淡々と本をめくっている。


「……なあ、ルシファ」


 俺は思わず口を開く。彼はページを閉じ、静かに視線をこちらに向ける。


「何だ?」

「人間界と魔族の間って、いつからこんなふうに対立してたんだ? なんか、ずっと昔にお前と俺が“番”として契約していたなら、本来ここまで憎しみ合う構図にはならなかったんじゃないか?」


 昔の自分たちの記憶を追うほどに、今の“対立”が不自然にも思える。もちろん、人間が魔族を恐れる気持ちはわからないでもない。けれど、だからといってここまで互いに相容れない雰囲気になるものだろうか。ルシファはわずかに眼差しを落とす。


「いろいろ複雑なんだ。人間は繁栄を求め、数を増やす。その過程で“異形”を排除する論理を作るのは自然な流れかもしれない。俺たち魔族も、全員が人間を友好的に見ているわけではないしな」

「そうか……まあ、納得はできなくてもわからなくはない」


 過去の“俺たち”がどうだったのかは、まだ断片しか思い出せない。けれど、何か大きな衝突や別離があったからこそ、現在の勇者と魔王の構図が成立しているのかもしれない。

 少なくとも、これまで俺が“勇者”として信じてきた正義は、かなり偏ったものだったのかも――そんな予感が拭えない。



 北部の境界地帯は荒涼とした風景だ。岩肌がむき出しの大地が広がり、ところどころに背の低い黒い木々が生えている。空気が肌を刺すほど冷たく、魔族領特有の暗い空が広がっている。

 遠くには人間側の砦なのか、白い塔のような建造物が見える。

 

 馬車を降りると、早速目についたのは聖騎士の装束を身にまとった人間たちだ。金属製の鎧が光り、その中央には十字を象ったような紋章が刻まれている。あの紋章は、たしか聖堂が崇める神を象徴するものだったはず。俺がかつて一緒に活動していた仲間も、それを身にまとうことを誇りにしていた。


 その騎士団の先頭に立つのは、やっぱりリュドだ。金髪碧眼の完璧主義者で、昔は勇者の“仲間”と呼ばれたはずの男。今は憎々しげな視線をこちらに投げつけている。

 さらに、その隣には白金の髪を持つミュリエル司教が穏やかそうな微笑みを浮かべているのが見える。腹の底がぞわつく。


「やあ、魔王陛下。そして――ナユタ。お元気そうでなによりです」


 ミュリエル司教は馴れ馴れしい声音で言いながら一歩踏み出す。周囲を取り囲むように、聖騎士たちの視線が俺やルシファに注がれる。威圧感のあるその空気に、思わず胸が重くなる。


「今回は敬虔なる巡礼の途中ということで、わざわざお越しいただき感謝します、司教殿」


 ルシファが静かな口調で応じる。魔王ながら礼儀を欠かさないあたり、逆に冷ややかな威圧を感じる。隣に並んでいる俺を見て、リュドが舌打ちをした。


「また、お前か……まだ魔王のそばにいるなんて。本当に恥を知れ、ナユタ」

「リュド……そんな言い方しなくても」


 咄嗟に言い返そうとするが、彼の表情には怒りと苛立ちしかない。俺だって、好きで魔王のもとにいるわけじゃない――と言いかけたところで、自分が何もわかっていないことに気づく。

 確かに、自分で選んだ覚えはないが、完全に嫌だと言い切る気持ちも今はない。矛盾していて、どうしようもなく口ごもる。


「結局、魔王の囚われ人だと世間では噂されているが、まさか本当に飼いならされているとはな。……お前は聖堂の期待を裏切ったんだぞ」

「裏切ったって……最初から期待なんてされてなかっただろ」


 思わず噛みつくように返すと、リュドの表情が一瞬歪む。リュドは昔から俺を見下していたフシがある。転生者で、しかも大したスキルを持たない“落ちこぼれ勇者”と決めつけていた。

 だから今こうして攻撃的な態度を取られるのは、ある意味慣れているのだが……胸が痛むのも事実だ。


「お前の愚行を許してくれていたのは、せいぜい聖堂と王宮の慈悲だったんだぞ。それを踏みにじったのは誰だ? 魔王とよろしくやって、汚れた身体になって――」

「おい、待てよ、言いすぎだろ」


 思わず声が上ずる。目の端に映るミュリエル司教は、微笑したまま微動だにせずこちらの様子を見つめている。底知れない不気味さを覚え、息が詰まる。すると彼が静かに言葉を挟んでくる。


「ナユタ、あなたは特別な存在だったのですよ。神の導きを受けてこの世界に召喚され、勇者として輝くはずだった。ところが、いまは魔王の番となった――それは神への裏切りに等しい。あなた自身はどう考えているのです?」


 柔らかい口調だが、断罪を匂わせる響き。周囲の聖騎士たちの視線が鋭く刺さってきて、居たたまれない。けれど、黙っていては話にならない。


「どう考えてるか、って……俺は自分の意志でこうなったわけじゃない。でも、魔王……ルシファに助けられたのも事実だし、無理やり封印を解かれたわけでもない」


 そこまで言ってから、しまったと思う。ごちゃごちゃした感情をどう整頓すればいいかわからないまま、口を滑らせている。俺の曖昧な態度にリュドは苛立ち、司教は怪しげに微笑む。


「やはり魔族の呪力で穢されたのですね。……ならば、私が清めてあげましょう」


 ミュリエル司教がやわらかな声で言う。だが、その瞳には正気を疑うような狂気が覗くように感じる。俺を“神の花嫁”と呼び、魔族との交わりを「穢れ」と断じる――そんな考えに俺は共感できない。

 とはいえ、彼の言葉には何かすさまじい圧力がある。微かに背筋が震え、封印の紋章がちりりと痛んだ。


「清める、って……」

「あなたの穢れを祓い、再び神の祝福を取り戻す儀式です。神殿へ戻れば、私が責任をもって執り行いましょう。そうすればあなたも本来の勇者の姿に戻れる。……さあ、私たちと来なさい」


 言いながら、司教は手を差し出す。まるで誘うような優美な所作。だけど、その指先がぞっとするほど冷たく感じられる。まるで檻の中に引きずり込まれるような、嫌な予感がこみ上げてくる。


「行かせない。彼は俺の番だ」


 ルシファが低く言い放つ。いつの間にか、彼の周囲に魔力の波が生じているような気配がして、聖騎士の何人かが思わず身構える。リュドが苦々しげに魔法剣を握りしめているのが見える。


「番? ふざけるな。ナユタは人間だ。魔王の所有物ではない」

「お前たちがどう思おうが、今の彼は俺の魔力を取り込んで生きている。人間側の“清め”なんて名目で、危険な目に遭わせるわけにはいかない」


 魔王の威圧感に周囲が息をのむ。けれど、司教の笑みは微動だにしない。むしろ嬉しそうな雰囲気さえある。それがたまらなく不気味だ。彼は視線だけでルシファと睨み合いながら、呟くように言う。


「あなた方の“愛”がどんなものかは知りませんが、神が望まない交わりなど穢れ以外の何物でもありません。……ナユタ、あなたはまだ間に合う。正義の道を捨てずに済む」


 言い切った司教の一言に、俺の胸がひどくざわつく。

 そんな“正義”こそが、俺を苦しめたこともあるんじゃないか――そう思うと、頭がぐらつくほど腹が立つ。自分で選ぶことも許されず、ただ神や聖堂に従わなければ“裏切り者”扱いされる。それが本当に正しいのか?


「間に合うとか、捨てるとか……勝手なこと言うなよ」


 思わず声が震える。言葉にできない苛立ちと悲しみが混ざり合って、呼吸が浅くなる。

 ルシファがそっと腕で俺を支えてくれるのを感じる。

 聖騎士たちの視線がさらに厳しくなるが、今の俺にはどこか吹っ切れた気持ちがある。


「俺はもう、お前たちが言う“正義”なんか信じてない。神に捧げるとか清めるとか、それで誰が救われるっていうんだ」


 言い切った瞬間、リュドが苦々しく顔を歪める。


「ナユタ……お前、ほんとうに魔王に洗脳されたんだな。そんなふうに言うなんて……」

「洗脳? 笑わせるな。どっちが洗脳されてんだよ。俺は自分で考えて、自分で動いてる。魔王と契約してるのは事実だけど、だからといって“穢れ”とか言われたくない」


 腹の底から怒りが込み上げる。確かに、俺は迷いだらけで、いまだによくわからないことも多い。けど、魔王の番として生きる自分を“汚れてる”だなんて決めつけられる覚えはない。あの孤独を抱えた少年の面影と共に、俺はルシファの優しさを感じている。そこに穢れなんて言葉は似合わない。


「ならば、仕方ありませんね。……残念です」


 ミュリエル司教はそう言うと、やはり微笑んだまま首をかしげる。薄気味悪いほど穏やかだが、その目の奥は“諦め”などではなく、むしろさらなる狂信の光で彩られているように見える。

 俺の背筋が凍りつきそうになる。ルシファが小さく唸るようにして言葉を発する。


「これ以上くだらない押し付けをするなら、こちらも黙ってはいない。和平協定を破棄しても構わないのか?」


 鋭い威圧感に、周囲の魔族兵や聖騎士たちが一斉に警戒を高める。下手をすれば衝突が起きるかもしれない。空気が張りつめたその瞬間、司教は「もちろん、そんなつもりはありませんよ」と取り繕うように笑みを広げる。だが、その目は笑っていない。


「私たちも争いを望んでいるわけではない。ただ、人間の“正義”を侵す者には、それなりの罰が下るというだけです。……ナユタ、いつかあなたが“穢れ”を清めようと決意したときは、歓迎しますよ」


 最後の言葉は、呪いのように耳に残る。司教はそれきり何も言わず、リュドを含む聖騎士団を率いて、くるりと背を向けていく。彼らの足音が遠ざかるまでの間、俺は一歩も動けない。まるで足元に嵐の残滓が渦巻いているかのようだ。


「ナユタ、大丈夫か?」


 ルシファが気遣う声をかける。振り返ってみると、彼の顔には不機嫌な影が差している。セリナや魔族の兵たちも、険しい表情で事態を見守っている。俺は唇を噛みしめて、うなずいた。


「ああ……少し、頭に血がのぼった。悪い」

「怒るのは当然だ。あいつらは自分たちの都合で“穢れ”だの何だのと決めつけている。それが“神の正義”なら、ずいぶん醜い話だ」


 ルシファは静かに吐き捨てる。俺が今まで信じていた“正義”は、本当にこんなにも醜かったのか。

 もちろん、すべての人間が司教のような思考ではないだろうけれど、リュドの態度を見る限り、俺に対する拒絶感は相当なものだ。


(こんな現状で、どうやって戦いを止められる? どうすれば皆が納得できる形で理解し合える?)


 頭を抱えたくなる。でも、例え“裏切り者”と罵られようが、俺は自分で見たものを信じたい。

 ルシファの孤独や、セリナの静かな優しさ――そして、俺が夢で見た少年の涙。どんな理不尽な呪縛よりも、それらを大切にしたいと思う。


「行こう。ここで立ち止まってても仕方ない。話し合いは決裂に近いが、協定を維持する建前は続いている。あいつらが何を企んでいるか、警戒しておく必要がある」


 ルシファが俺の肩に手を置き、そう言う。視線を交わすと、彼の瞳には微かな怒りと憂いが混ざっている。きっと彼も、かつての“正義”に踏みにじられた傷を抱えているに違いない。そう思うと、胸が締めつけられるようだ。


「わかった。……司教が何か変なことをしようとしてるのは間違いない。あの笑みはどう見ても正気じゃないよ」

「同感だ。セリナ、兵たちに警戒を厳にするよう伝えてくれ。人間側の動き次第では、こちらも早急に対処が必要になるかもしれない」

「かしこまりました。すでに偵察を強化しています。ナユタもどうかお気をつけを」


 セリナの冷静な返事に、俺はうなずく。形だけの交渉イベントだと思っていたが、司教のあの様子を見るに、単に“巡礼”という言葉で正義を押し付けているだけじゃなさそうだ。

 大規模な陰謀が動いている嫌な気配を覚える。


 ルシファが俺の背中を軽く押す。まだ胸がざわついているが、ここで立ちすくんでも始まらない。とりあえず、城へ戻って状況を整理するしかないだろう。

 人間側との関係は、おそらく今後さらに険悪化するに違いない。そう思うと、心が重く沈む。


(だけど、俺はもう逃げない。何が“正義”で、何が“悪”なのか、ちゃんと見極めたい。あの司教みたいな連中に振り回されて、誰かが犠牲になるなんてごめんだから)


 自分の中でそう決意を固める。馬車に乗り込む前、ちらりと遠ざかる聖騎士の背中を見つめる。リュドの小さく揺れる肩に、ほんの少し躊躇いが見えた――ような気がするけれど、今の俺に確かめるすべはない。


「……行こう」


 小声でつぶやき、ルシファたちとともに馬車へ向かう。冷たい風がごうっと吹き、髪を乱していく。


 ――正義とか、穢れとか、何なんだよ。

 少なくとも、俺が見つけた“救い”は、神の祝福なんかじゃない。

 今の俺は、魔王の隣にいる。それを「醜い」と蔑まれるなら、それこそが“人間の醜さ”じゃないのか――。


 もやもやした疑問を抱えたまま、俺は馬車のステップを踏みしめる。いつかこの歪んだ構図を塗り替えるために、やれることをやるしかない。

 ふと、ルシファが俺の手を取って握り込んできた。振りほどく理由はない。そのぬくもりを感じて胸が少し軽くなる。


(こんな醜い正義なら、もう信じなくていい。俺自身が確かめてやる――何が本当の悪で、何が本当の愛なのかを)


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