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第2章 魔王の寝室で暮らすなんて、聞いてない

 

 目を覚ますと、俺は相変わらず黒いシーツの上に転がっている。

 寝台の周囲には漆黒のカーテン。部屋全体は悪趣味なほどゴシック調な内装だ。


「ふあ……よく寝た……わけがないか」


 伸びをしようとすると、肩に軽く痛みが走る。思い出したくもないが、どうやら体はまだ完調ではないらしい。確か、魔王ルシファの魔力を受けて生かされている……とかなんとか言われた気がする。すぐにでもそんな状態は解いてほしいが、どうやって? 自分で対処できる術なんて思い浮かばない。


 それにしても、ここは本当に“魔王の城”なのか。壁という壁は黒い石材でできていて、どれもやたらと荘厳な彫刻が施されている。天井は高く、照明は青白い光の水晶。窓の代わりに魔力で作られたかのような紋様がかすかに浮かび、部屋全体に不思議な光彩を落としている。

 こんな場所に住んでいるなんて、悪趣味というか、あまりにも俺の感覚からかけ離れている。


「はあ……早く出たい」


 思わずため息をついたそのとき、扉の向こうから控えめなノックが聞こえる。


「失礼します。目は覚めていますか?」


 低く澄んだ声はセリナだ。あのクールな女戦士の姿を思い出す。昨日というか、前に目を覚ましたときに案内してくれた魔王の部下。必要以上に表情を出さないが悪い印象はない。俺が返事をする前に扉がすっと開き、彼女が入ってくる。


「少し顔色がいいですね。いかがですか、まだ痛みは?」

「そこそこ痛い。けど……動けなくはない。というか、ここがどこなのかを教えてほしい。てか、もういい加減に帰らせてくれ」

「陛下のお部屋の一角ですよ。あなた専用の“特別室”だそうです」

「特別室って……俺、囚われの身ってことか?」


 セリナは微妙に目をそらす。どう考えても、城の一室に閉じ込められている状況だ。俺がムッとして睨むと、彼女はため息めいた息を吐く。


「監禁、という言い方はしたくありませんが……陛下はあなたの安全を優先しているんです。封印もまだ不安定だそうで、一度外へ出ると大変だと」

「安全ね……。俺からすれば、こんな場所の方がよっぽど危険だが」


 グチグチ言いながらとりあえず体を起こす。立ち上がると足元がふらついたが、セリナがさっと腕を貸してくれる。少し情けないが今は恥を忍ぶしかない。ぐっと力を込めてまっすぐ立つと、彼女は満足そうに頷いた。


「よかった。朝食を別の部屋で用意しています。歩けそうですか?」

「朝食……? 俺がいつ寝て、いつ起きてるのかもわからないのに……」


 首をひねりつつ、案内されるまま廊下へ出る。確かに、窓らしきものが見当たらないから昼夜の区別もいまいちつかない。時間帯がどうであれ、腹が減っているのは事実だ。

 今まで戦闘やら何やらで動き回っていたから、「食事をする」という行為自体が新鮮に思える。

 絢爛な廊下を歩きながら、ふと素朴な疑問がこぼれる。


「なあ、セリナ。魔王はいつもこんな感じで暮らしてるのか?」

「どういう意味です?」

「いや、ほら……豪華というか、暗いというか。いかにも魔界って雰囲気の内装で、あんま健康的な感じがしないというか。実際、お前らはどうやって日常を過ごしてるのかと思って」


 セリナは意外そうに瞬きをする。


「私たち魔族の生活には、人間から見ると変わった部分が多いかもしれません。でも、闇の色合いが落ち着くとか、魔力の流れが安定する作りになっているとか、そういう理由があるんです」

「魔力の流れか……全然ピンとこないな」

「あなただって今はその魔力の恩恵を受けているでしょう?」


 うっ、と言葉に詰まる。そう、俺はルシファの魔力を経由しないと生きていけないとかいう面倒なことになっている。それを考えると、ここに閉じ込められているのも納得というか、いまいち反論できない自分がもどかしい。こんなふうに“守られている”みたいに扱われるなんて、不本意極まりない。


 やがて案内された部屋は、やはり黒と深紅が基調だが、テーブルセットがきちんと配置されていて、重厚な椅子が並んでいる。中心には白銀の長髪が目を引く男――ルシファがすでに座っていて、俺のほうを静かに見つめていた。


「……座れ。体の調子はどうだ?」


 変わらぬ低い声。鋭い美貌。

 思わず視線をそらしたくなるのを必死で抑え、俺はテーブルの対面の席に腰を下ろす。すぐそばにはセリナが控えて、落ち着かなさに拍車がかかる。


「無理はしてないか?」

「大丈夫だ。ってか、何でお前がそんなに気を遣ってんだよ。魔王だろ?」

「魔王が気を遣ってはいけないのか?」

「別にいけなくはないけど……全然イメージと違う。普通はもっと、捕虜を脅すとか拷問するとか……そういう怖い感じじゃねえのか」


 正直、初めて会ったときは恐怖しかなかったけど、今は戸惑いしかない。

 ルシファは俺の言葉にほんの少し笑みを深める。


「それがお前の考える魔王像か。まあ、そういう認識をされていたのも事実だろう。だが俺は今、お前をいたぶる理由を持たない」

「理由ね……」


 だから“お前は俺のものだ”とか言うのは正当かよ、と心の中で毒づくものの、口には出さない。

 どうせ突っかかっても勝ち目がないのはわかりきっているし、今は空腹のほうが強い。だが、そう思うそばから俺の視線はテーブルの上を探る。並んでいるのは銀の食器やら何やらで、内容は意外にも人間界に近い……スープやパンらしきものもある。


「食え。遠慮するな。お前が好きそうなものを用意した」

「お前が……? まさか、ルシファが作ったわけじゃ……」

「俺が直接作ったわけではないが、味見はしている。お前の口に合うはずだ」

「はあ……」


 魔王に味見された料理ってどんな気分で食べればいいんだろう。とにかく腹は減っているし、疑り深くスープを一口すすると、これが思いのほかうまい。野菜の甘みとスパイスがほどよく効いていて、落ち着く味だ。思わず心がほっと緩みそうになり、慌てて気を張り直す。

 こんなときまで簡単に心を許すのはバカだろ、俺。


「どうだ?」

「……嫌いじゃない。まあまあうまい」

「よかった。人間の嗜好は難しいが、材料にこだわれば意外と通じるらしい」


 ルシファは満足そうに頷く。真剣に俺の食の好みをリサーチしてくれたのかと思うと、妙に落ち着かなくなる。敵同士なのに、なんでこんな気配りをされてるんだ?


 セリナが紅茶のような香りの飲み物を注いでくれる。こうして見ると、本当に普通の食事シーンなんだよな……雰囲気以外は。青い炎がゆらめく中、まるで貴族のサロンみたいな空間で、俺と魔王が向かい合ってる。うん、やっぱり変な図だ。息苦しさを覚えながら、なんとかパンをかじる。


「で、朝から優雅に食事してる俺も俺だけど……お前は普段からこんな感じなのか?」


 ふと尋ねると、ルシファはあまりにも自然に頷く。


「ここでの暮らし方は人間の城とそう変わらない。時に会議をし、時に客を迎え、時に書庫で資料を読む。違うとすれば、魔族ならではの魔力行使や、領地の守護に必要な儀式くらいか」

「儀式、ね。たとえば、生贄を捧げる、とか」


 俺が探るように言うと、彼は目を伏せて小さく首を振る。


「そのようなやり方は、ずいぶん昔に途絶えた。今となっては形だけの儀式が残る程度だ。……お前たち人間は、いつまでも“魔王=破滅を望む怪物”と思い込みたがるようだがな」


 言葉が刺さる。確かに俺たち勇者一行は、魔王とその眷属を絶対的な悪だと教えられてきた。事実、魔界から人間の国へ襲撃があったのも事実だったし、被害に遭った人たちもいた。

 けれど、こうして実際に城へ来てみると、話がまるで噛み合わないんだよな……。ルシファの目に宿る光は、敵意というよりは、どこか厭世的な諦観にも見える。


「何でもかんでも、ひとくくりに悪にされるのはお前も嫌か?」

「ふっ、そりゃあな。……だが今はそれより、お前がここで生き延びるための方法を考えるのが先だ。まずは、体が回復しないとどこへも行けんだろう?」

「う……まあ、そうだが」


 つい本音を漏らしてしまい、少し恥ずかしくなる。今の俺は実際、逃げ出したくても魔力依存のせいでろくに動けない。昨夜も(本当に夜かは知らないが)、部屋をうろついて出口を探そうとしたが、すぐに胸が苦しくなって倒れ込みそうになった。だから仕方なく寝台に戻ったわけだが、あれは本当に魔力が原因なのか、それともただの体力不足なのか……。


「お前には気の毒だが、封印が安定するまでは城の外に出せない。城の内部を散策するなら、セリナを伴うことだ。彼女も協力的で助かるだろう」


 ルシファの穏やかな口調が苛立ちを呼び覚ます。


「監視役ってことだろ。それに、元はと言えばお前が勝手に封印なんてしたから……」

「それを言えば、お前だって勝手に俺を討ちに来たではないか」

「……そ、それは勇者として当然――」


 言いかけて、ハッとする。勇者として魔王を討つ。それが俺の使命だった。

 だけど、いつの間にかその“使命”という言葉が空虚に響いてしまう自分がいる。思い出そうとするほど、頭が痛くなる。俺は何のために剣を振りかざしたんだ? 誰かに命じられたから? 自分の意思だったはずなのに、今はその意思が手探りみたいに頼りない。


「……そうだ、俺は勇者のはずなのに」


 呟きながら、食べかけのパンを置く。食欲が一気にしぼんだ。こんなところで呑気に過ごしていいわけがないのに、体が思うようについてこない。

 すると、ルシファが低い声で囁く。


「お前が何を守ろうとしたか、その答えを思い出すまで、ここで休むんだ。……無理に思い出さなくてもいい。傷が癒えれば、自然と記憶もはっきりするだろう」

「慰めてるつもりかよ。笑える……本当、何なんだお前」

「先にも言ったろう、俺はお前を――」

「わかった、それ以上言うな。わかったから」


 慌てて止める。あの“俺のものだ”みたいな台詞を聞くたび、嫌悪じゃない意味で背筋がぞくりとするんだからやばい。ルシファはふっと唇を綻ばせる。俺はその笑顔に、なぜかいたたまれなくなってしまう。


「食べないのなら、部屋に戻るといい。あまり無理をするな」

「ああ……わかった」


 セリナがさっと俺の椅子を引いてくれる。頭を下げて礼を言い、部屋を出る。振り返ると、ルシファは何か言いたげな顔をしながらも黙っている。結局、彼の真意は見えないままだ。



 部屋に戻る途中、ちょっと意地になってセリナに尋ねてみる。


「……実際、ここから逃げることは不可能なのか?」

「今の状態のあなたなら難しいでしょうね。封印の魔力が抜けて安定すれば、また事情は変わるかもしれませんが」

「そうか……」


 彼女は何の迷いもなく答える。裏を返せば、“将来的にはわからない”とも取れるけれど、今のままでは脱出不可能だということだ。はあ、と大きく息を吐き出すと、セリナは少し困ったように眉を下げる。


「申し訳ありません。私も、あなたを不当に閉じ込めておくのは本意ではないんです。ただ、陛下がどういうつもりなのかを推し量るのも難しくて……」

「お前ほど有能そうな副官でも、わからないのか?」

「ええ。でも、陛下が真剣に誰かを気遣う姿は初めて見ました。あなたに興味を持っていることは確かですね」

「興味でこんな面倒なことされちゃたまらない……」


 苦笑して、扉に手をかける。するとセリナが少し声を落として言う。


「あなたもまた、陛下にとっては“特別”なのだと思います。……もし辛いことがあったら、遠慮なく言ってください。私で力になれることがあれば、協力します」

「……ありがとう。まさか魔族にそんなふうに言われる日が来るとは思わなかったな」


 思わず素直に返してしまう。セリナは何も言わず、無表情のまま一礼する。それでもその目がわずかに柔らかく見えたのは、きっと気のせいじゃないだろう。ドアを閉めると、部屋には重苦しい静寂が戻ってくる。特別室……なんて呼ばれても、やっぱり監禁には変わりない。



 その日の夜――と言っていいのか、どのくらい時間が経ったのかも曖昧なまま、俺はベッドに横になっている。体の疲れが抜けきらないせいで、動く気力がわかない。ぼんやり天蓋を見つめていると、またあの“夢”がうっすらと頭をかすめる。何度も見る、名前のない記憶の断片。


 暗い闇の中で剣を握る誰か。いや、それは確かに俺自身のはずだ。

 視界の端には、幼い銀髪の少年の姿。泣きそうな顔で、助けを求めるように腕を伸ばしてくる。でも、その少年的なシルエットがルシファの面影と重なるようで……胸が締めつけられる。


「……思い出したくても、思い出せない。何なんだよ」


 ごろりと寝返りを打ち、シーツを握りしめる。眠ったほうがいいのはわかるが、なぜか落ち着かない。こうして一人でいると、嫌でも頭の中がうるさくなる。

 自分は本当に勇者なのか? 仲間たちは? 俺が魔王を討ったはずじゃなかったのか?


 トントンとノックが響く。今度は誰だろう。部屋の扉が開いて、ルシファが一人で入ってきた。前と同じように落ち着いた表情で、けれど夜の空気に染まったその美貌はどこか妖艶に見える。


「少し顔を見ようと思ってな。眠れそうにないのか?」

「お前……勝手に入ってくるなよ」

「ここは俺の部屋だぞ?」


 言われてみればそうなんだろうが、俺の監禁部屋でもあるわけで。反論を飲み込んでいると、ルシファは俺の枕元に近づき、まるで子供をあやすような仕草でそっと手を伸ばす。


「熱はないか?」

「……触るな」


 拒絶の言葉とは裏腹に、手を払う気力がわかない。さっきまでの不安や疑問が胸を渦巻いて、思考が雑音でいっぱいだ。そんな俺の目をじっと覗き込むルシファの瞳に、微かな憂いが宿っているのがわかる。


「苦しそうな顔をしていた。夢でも見たのか?」

「……ああ、よくわかんねえ夢。剣を握って、誰かを助けようとしてるような……そんな感じ」

「誰か……な。お前の過去か、それとも転生前の記憶か……興味深い」

「興味本位で言うなよ。こっちは真剣に参ってるんだ」


 ぽつりと吐き捨てると、ルシファは手を止める。唇がわずかに動いて、吐息めいた声音が落ちてくる。


「悪かった。ただ、お前のことは知りたい。お前が誰を救おうとして、なぜ俺を……討ったのか」

「俺だって知りたいさ。なにも思い出せなくて、こんな状況で……」


 言いかけて、声が詰まる。なにも思い出せず、なにも決められず、ただ魔王の力に依存している自分が情けない。首を振ると、ルシファの指先がそっと俺の髪を梳く。思わぬ優しい仕草に、心臓が跳ねる。


「何だってんだよ……本当に」

「お前が落ち着くまで、こうしてやろうか?」


 そう言われると逆に落ち着かない。正直、ルシファに触れられると、体の奥から熱が湧くようだ。だけど、ひどく不思議な安心感もあるから、自分でもどうすればいいのかわからない。頬がじわりと火照っていくのが自覚できて、じりじりと恥ずかしさが襲う。


「……勘弁しろ。俺はそんな馴れ合いを望んでるわけじゃない」

「ふむ、そうか。なら、おやすみ。……もし怖い夢を見たら、呼べ」

「呼ぶかよ、バカ」


 静かに微笑んで背を向けるルシファを、俺は複雑な気持ちで見送る。ドアが閉まり、部屋が再び闇の静寂に沈む。息をついてベッドに潜り込む。胸の鼓動はまだ早い。何なんだ、このこそばゆい感じ。

 魔王がただ優しく微笑んだだけで、ここまで翻弄される自分が正直信じられない。


 ぐっと目を閉じる。早く寝て、早く体を回復させて、外に出て、本来の目的を思い出すんだ。そう自分に言い聞かせる。

 けれど瞼の裏に焼きつくのは、ルシファの蒼い瞳。


 ――誰も聞いてないと言いたいが、たぶんこの城のどこかで見張られているんだろう。逃げ場所なんて、今はない。でも、この状況に慣れてしまうのだけは、なんだかすごく嫌だ。明日こそ何か手を打たないと。


 そう思いながら浅い眠りに落ちていく。



 夜――と呼んでいい時間がどれだけ過ぎたのか定かではない。夢の中で誰かが俺の手を握ってくる。切ないほどの熱が伝わってきて、耳元で優しげな声が聞こえる。


「目を覚ませば、俺が隣にいる」


 ――そんな言葉が、妙に胸を打つ。やめてくれ。これ以上、思考と感情を振り回さないでくれ。

 けれどその声はどこまでも優しく、俺を深い闇の奥へと誘う。


 微かな焦燥と安堵が入り混じったまま、俺は魔王の寝室で眠り続ける。まるで囚われの鳥のように、逃げ道を見つけられないまま――。

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