表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第1章 目を覚ましたら、魔王の腕の中でした


 ふわりとした甘い香りで目が醒める。

 妙に柔らかい感触が背中を包んでいて、どこか現実味がない。


「……ん……? なんだ、これ」


 小さくつぶやいた自分の声は掠れている。どれだけ疲弊しているのか、腕に力が入らない。

 視界の端には暗い色の天蓋。見渡すかぎり、黒と深紅が支配する空間だ。分厚いカーテンや精巧な彫刻が施された柱、一角に設えられた燭台には青白い炎が揺れている。禍々しい雰囲気がすごい。

 しかしまず自分がなぜここにいるのかがわからない。


 ――というか、ここはいったいどこなんだ。そもそも、俺は何をしていた?


 必死に記憶を探ろうとする。が、頭の中を白いモヤが覆っているようで、よくわからない。

 そんな中でも微かな映像が脳裏をかすめる。

 暗い空、吹き荒れる風、地面に散らばる破片……そして、俺は剣を握っていた。

 切り裂くような閃光と強烈な衝撃。うっすら思い出せるのはそこまでだ。


「……たしか、俺は……いや……なんだっけ」


 不意に咳が出て、呼吸を整える。

 そこでようやく、俺は自分が横たわっている寝台の隣に、誰かがいることに気づいた。

 眠るように瞳を閉じている、彫刻のように美しい男の顔。……その広い肩も、胸も――裸。

 しかも俺はその腕の中に収まっている。あまりに自然に抱き込まれていて、気付かなかった。


「え、ちょ、誰?」


 思わず声が掠れる。焦って体を引こうとするが、その瞬間、彼がすうっと瞼を開いた。

 美しい蒼の瞳がこちらをとらえ、どうしようもないほどの威圧感が一気に押し寄せる。異様なほど整った容貌――白銀の長い髪がシーツを這い、まるで月光そのものが人の姿を取ったようだ。


「目覚めたか。もう少し眠るかと思っていた」


 低く落ち着いた声。腹の底まで響いてくる男の声に、俺の鼓膜が震える。温度を感じさせない、けれどどこか艶めいた響きだ。

 そもそも、この状況――俺はなぜこんな男に抱かれて眠ってたんだ? というか、こんなに近くで肌が触れあっているのに、なぜ俺は無傷なのか。いや、そんな心配しなくちゃいけないこの状況は一体何なんだ?


「……な、なんだよこの状況は」


 何とか腕を振りほどこうとするが、まるで力が出ない。むしろ俺が身じろぎするたびに、相手の腕がゆるやかに締まえい、慈しみに近い微笑をみせてくる。なんだその顔面偏差値の破壊力。


「ふむ……まだ混乱しているようだな。無理もない」

「混乱……ってかお前誰だよ」


 ようやく問いかけると、彼は少し顎を引いて瞳を細める。まるで、“俺を知らないわけがないだろう”と言わんばかりの、勝ち誇った眼差しだ。


「さあ、名乗る必要があるか? まぁいいだろう――俺はルシファ。この地に生きる者は皆、俺を“魔王”と呼ぶ」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾ける。

 魔王――そうだ、俺は魔王を倒しに……いや、倒したはずなんだ。

 激しい戦闘で、俺は命を賭けて剣を振り下ろした。魔王の胸を一突きにしたあの感覚が、今でも手のひらにこびりついているような気がする。

 なのに、どうしてこいつが俺を抱いている? しかもこんなに元気そうな顔で? 胸に目をやれば、まるで何事も無かったかのように無傷のようだ。


「ちょっと待て……お前は、あの魔王なのか? 俺、たしか、お前を……」

「ああ、たしかにお前は俺の心臓を穿ったな。鮮烈だった。久しくあれほどの剣圧を味わっていなかった」


 妖艶な声とともに、ルシファがほんのわずか笑う。まるで懐かしいものに再会したときのような、奇妙にうれしそうな気配だ。

 相手は魔王――俺の敵であるはずなのに、どうにも勝手が違う。


「じゃあ、なぜ……俺は生きてるんだ? しかも、お前まで……」

「理由がいるのか? お前を死なせるわけにはいかなかった。それだけだ」

「はぁ? 意味がわからん……。この……離せって!」


 もう一度振りほどこうとするけれど、体がまるで言うことをきかない。どころか、いつの間にか俺の腕に奇妙な紋様が浮かんでいて、そこから仄かな熱が伝わってくる。


「……何だよ、これ」

「封印、あるいは契約――どちらと呼んでも構わない。お前の体を保つために、俺が施した魔術だ。今のお前は、俺の魔力を供給源として生かされている。だから、まだ自由に動けないんだ」

「……俺は人間だ。魔王の魔力なんか、受けつけるわけ……」

「そう思うか? だが、現にお前はこうして生きている。そして今、お前の中には俺の力が流れ込んでいる。それが事実だ。認めるしかあるまい?」


 嘲るようでいて、どこか優しい響き。

 俺の心臓が鼓動を速めると同時に肌が粟立つ。

 普通なら恐怖を感じるところだろう。でも、なぜか妙な甘さが背筋をかすめていく。こんな相手に感じるはずのない感覚だ。どうにかしなきゃと思うのに、体が勝手に熱を帯びているような気がする。


「……くそ、なんだこれ。やめろ。変に触るな」

「触ってなどいないさ。ただ、こうして腕を回しているだけだ」

「腕を回すのを触るって言うんだよ、バカ!」


 わずかな抵抗の言葉を吐き出すと、彼はまた笑う。これほど不愉快で、なのに魅了されそうになる笑みがあるのか。俺は苛立ちと戸惑いで頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。


「口が悪いな。まあ、そんなところも悪くない。ここまで俺を恐れず言い返す人間は初めてだ。……いや、初めてではないか」

「は……?」

「いや、独り言だ。ともかく、お前は俺が預かった。お前には生きてもらわないと困る」

「ふざけるな……! 誰がお前に従うか。俺は勇者として――」


 そこまで言いかけたとき、頭に閃光が走る。視界に焼きつくような白い光、そして黒い大地……。

 勇者? 俺が? そうだ、俺はこの世界に呼ばれて……魔王を倒すために……。

 でも、それなら、どうして今は魔王に抱きしめられてるんだ?


「……思い出すのはゆっくりでいい。ここでしばらく休むんだ。体力が戻れば、もう少し話ができるだろう。話したいことは山ほどある」

「誰がお前と――あっ……!」


 言い終わる前に、ルシファは俺の頬に手を当てる。そのまま、額をそっと合わせてきた。

 冷たいようでいて、どこか熱を含んだ皮膚の感触。まるで氷と炎が同時に押し寄せてくるみたいで、俺は呼吸が乱れるのを抑えられない。


「や、やめろ。俺は、そういうのは……!」

「知ってる。お前は極端に他者の接触を拒む性質だ。最初にお前の体に手を触れたとき、その反応でわかったよ」

「っ……わかってんなら、触るなよ……!」


 苛立ちまぎれに叫ぶと、彼は一瞬ふっと目を伏せる。その目元が妙に哀しげに見えたのは気のせいだろうか。だが次の瞬間には、また冷徹な笑みを浮かべている。わけがわからない。


「お前が拒む限り、無理に奪うつもりはない。だが嘘はやめろ。お前の体は俺を拒んでいない」

「え……?」


 思わず言葉を詰まらせる。確かに、こうやって顔を近づけられると、体の奥から震えみたいなものが湧き上がるのは事実だ。だけどそれは恐怖かもしれないし、別の感情かも……。いや、ちょっと俺自身にもよくわからなくなってくる。

 ただひとつだけ言えるのは、こんな状況でドキドキしてる場合じゃないということだ。


「……知らねえよ。俺はお前なんか……」

「いいさ、ゆっくり確かめればいい。ここは俺の城だ。お前はしばらく、ここで眠りながら、自分が何をしてきたのか、何を得て、何を失ったのかを考えろ」


 ルシファがそう囁くと、俺の意識が急に遠のきかける。まるで眠りへ誘う魔術をかけられたみたいに、まぶたが重くなっていく。必死に抗おうとするものの、無力感が身を包む。


「ま……て。説明しろ……っ……」

「焦るな。すぐにわかる。お前はもう、ただの“人間”じゃない。それだけは先に言っておく」


 そんなバカな。俺は確かに人間だ。異世界に呼ばれたのだって、勇者として選ばれた――

 ――そのはずなのに。


 いつの間にか再び意識が沈む。瞼の裏で、断片的なイメージが点滅する。かつての自分が、遠い景色の中で剣を構えている。正確には思い出せないが、きっとこれは俺の記憶だ。

 でも、映像に混じって、まったく別の存在の声が聞こえる気がする。白銀の髪をたなびかせて俺に笑いかける誰か――


「くっそ……わけわかんねぇ……」


 呟いた声が自分のものなのかすら曖昧になり、ゆっくりと意識の底へ引きずり込まれる。




 次に目を開けたときは、さっきよりだいぶ頭がはっきりしていた。どうやらそれなりに時間が経ったらしい。相変わらず豪奢な黒い寝台の上にいるが、隣には誰もいない。シーツの上を探るとまだ生温かいような気もするが、気のせいかもしれない。


 起き上がろうとすると、以前ほどの抵抗はない。少しずつ動けるようになっている。

 腕を見れば、あの光る封印の紋様も薄れているようだ。触れると軽く熱をもっている。勝手にこんなものを刻むなんて、どうかしてる。


「さて……出口はどこだ? とにかくこの城から出ないと」


 寝台から足を下ろす。若干ふらつくけれど立てないほどじゃない。部屋の外に続く扉がひとつだけ見える。そっと開けると、長い廊下が伸びていた。真紅の絨毯に漆黒の壁、やけに高い天井……どう見ても、人間用の城ではない。どちらを向いても似たような装飾の廊下が続いていて、ちょっと迷いそうだ。


「ちっ……どっちだよ。こっちは……」


 進んでいくうちに、どこからか足音が聞こえる。反射的に身を固くするが、現れたのは黒レザーの戦闘服を纏った女性だ。切れ長の紅い瞳に、鋭い雰囲気を漂わせている。彼女は俺を認めると、軽く一礼した。


「目覚めましたか」

「え……お前、誰だ?」

「セリナと呼ばれています。今はここで、陛下――ルシファ様に仕えている者です」


 きっちりとした声音にとまどっていると、彼女はまじまじと俺の顔を見つめる。まるで何かを確かめるように。やがて、小さく頷くようにしてから口を開いた。


「動けるようになったのですね。封印の効果が薄れた証拠です。でも、まだ無茶はしないほうがいい。あなたの体は陛下の魔力を受け入れたばかりなのですから」

「魔力を受け入れた、ね。勝手なことしやがって……。悪いが、俺はここから出たいんだ。出口はどっちだ?」

「外へ出ると仰るのですか?」

「当たり前だ。こんな所にずっといる気はない。俺はもともと魔王を倒すために――」


 そう言いかけて、なんだか頭が少し痛む。思い出そうとしていることと、目の前の状況がかみ合わなくて、息苦しさがこみ上げる。


「……いや、とにかく帰るんだ。仲間が待ってるかもしれないし、俺を心配してる人だっているはずだ」

「そうですか。でも、あなたはもう……」


 セリナは言葉を濁しながら、すっと視線をそらす。その表情にどこか憐れみのような色が浮かんでいて、俺は妙な不安に駆られた。彼女が抱えている秘密があるんだろうか。あるいはルシファの命令で言えないことでもあるのか。


「陛下が、あなたを呼んでいます。歩けますよね。案内します」

「呼んでる……? 好き勝手しやがって……」


 舌打ちしつつも、セリナに従うしかないと判断して後ろをついて歩く。何しろこの城の構造はわからないし、下手に逃げ回っても魔族の本拠地じゃ不利だ。今は状況を把握するのが先だろう。それに、どのみち奴に会わないことには、ここから出る手立てもつかめない。


 廊下を渡りきり、重厚な扉を開くと、そこは広々とした空間だった。窓はない。天井に垂れ下がる巨大なシャンデリアが、青い光を放っているのが印象的だ。

 中央には黒い玉座。その脇に立つ白銀の男を見て、俺は不覚にも息をのむ。ルシファ――あの魔王が、悠然とこちらを見つめている。


「来たか。体の具合はどうだ?」

「おかげさまで最悪だよ。お前のせいでわけがわからない」


 そう言い放つと、ルシファは薄く笑うだけで、あまり気にも留めていない様子だ。セリナが玉座のそばで静かに控えるのを見て、俺は背筋に小さな寒気を覚える。いくら味方っぽく振る舞っても、所詮は魔王軍の副官、だろう。警戒すべき相手には違いない。


「で、話があるんだろ? さっさと言え。俺はさっきも言ったけど、ここから出たい。お前に付き合う気はない」

「ふふ……そう急ぐな。まずはお前の“状態”を確かめさせてもらう」

「確かめる?」

「ああ。お前が自分でどう思おうと、今は俺の魔力なしでは生きられない。その証拠に、俺の傍を離れてしばらくすれば、きっと体が思うように動かなくなるはずだ」

「……脅しかよ」

「事実だ。試してみるか?」


 突き放すような調子なのに、まるで試してほしそうな目をしてやがる。

 いったいこいつは何が目的なんだ。魔王なら普通、勇者を憎むなり処刑するなりするもんじゃないのか?


「俺をどうしたいんだ? 心臓を刺した腹いせにオモチャにするとでも?」


 するとルシファはゆっくり首を振る。冷徹なはずの瞳が、なぜか寂しそうに揺れているように見えた。気のせいかもしれないが、その表情に一瞬目を奪われる。


「そんな下らないことはしない。お前は“特別”だからな。俺にとっても、この世界にとっても」

「特別……?」

「そのうち理解できる。お前に眠っている力を俺は把握しているつもりだ。そしてお前は俺にとって――そう、絶対に手放せない存在なんだ」

「や、やめろよ。その気色悪い言い方」

「気色悪いか。なら、もっと正確に言う。お前は俺のものだ。俺の中にいる力が、お前を呼び寄せている。お前も気づいているだろう、拒絶する一方で、どこか惹かれている自分に」

「惹かれてなんか……っ」


 うまく否定できない。確かに、奴と視線が絡むたび、体の奥がじわじわ熱くなる感じがある。

 そんなの単なる魔族の力に当てられているだけだと思いたいが、なぜか心のどこかがそれを肯定しようとしている。やばい。なんだこれ怖い。これが俺の本心だってのか。


「お前、何を企んで……」


 言いかけたとき、不意に封印の紋様が強く光った。まるで心臓とシンクロするように、ズキンと痛む。反射的に腕を押さえる俺を見て、ルシファがゆったりと歩み寄る。


「痛むのか?」

「近寄るな……!」

「お前が本当に嫌がっているのか、それとも俺を拒んではいないのか――知りたいところだな」


 ルシファが手を伸ばしてくる。逃げたいのに足が動かない。やがて、彼の指がそっと俺の封印の紋様に触れた。すると、激痛が薄れていくかわりに、そこからじわりと熱が広がる。


「な……なんだ、これ……」

「俺の魔力が、お前の痛みを抑えているんだ。封印と契約は表裏一体。俺とお前は今、魔力を共有している。嫌なら、ほどけ……と言いたいところだが、お前の命に関わる」

「くっ……!」


 言い返そうとしても、頭の奥がしびれるみたいで口がうまく動かない。視界が白っぽく揺れる。その向こうで、ルシファの顔がまるで慈悲深い恋人のように穏やかに微笑んでいる。


「恐れるな。お前の意思を奪いはしない。ただ……拒まないでくれ。お前まで俺を拒めば、俺は再び孤独になる」

「孤独……? 魔王のお前が、何を偉そうに……」

「ふふ、そうだな。偉そうだろうな」


 小さく息をつくように笑う彼の表情を見ていると、なぜか胸が苦しくなる。魔王相手に同情なんかしている場合じゃないってわかっているのに。


「……もういい。とにかく俺は、ここから出る手段を探す。お前の言うことなんか、信じない」


 やっとそう言い捨てると、ルシファは肩をすくめて小さく笑うだけだ。絶対に俺を逃がさないという自信があるんだろう。ムカつくけど、どうしようもない。魔力に体を支配されている以上、下手に逆らえば痛みで潰れそうだ。


「好きにすればいい。だが、逃げられない。お前も、薄々わかっているはずだ。ここには、これまで信じてきた“正義”とは別の真実がある。それに触れれば、もう二度と戻れなくなるかもしれないぞ」

「脅しか……それとも忠告のつもりか」

「お前の受け取り方次第だ。俺はただ、お前を必要としている。それがすべてだ」


 俺はどう応じればいいのかもわからない。必要だなんて言葉で、胸の奥が奇妙に震える気がした。

 俺はこれまで、自分の価値など誰からも求められたことがなかった気がする。もしかしたら、そのせいでこんなふうに心が揺れているのかもしれない。


 ――だが、これはあくまで敵同士の歪んだ関係だ。俺が勇者ならば、魔王は倒すべき相手。……だけど、本当にそれだけだったのか?


「俺は……」


 言葉が詰まる。ルシファの手が俺の肩を撫でようと近づいてきたところで、急に頭がぐらりと揺れた。さっき無理に動いたせいか、全身が熱っぽく、意識が遠のきそうになる。


「大丈夫か?」

「く……触るなって、言ってるだろ……」


 そう反射的に突き放そうとするが、彼の手はスッと俺の背を支える。倒れ込みそうになったところを抱き留められ、甘い香りにくらりとする。近い。体温が溶け合いそうな距離だ。


「くそ……いいから離れろ……は、恥ずかしいだろ……」

「恥ずかしいなら、そう言えばいい。その頬の赤さは、まんざら嫌がっているわけでもなさそうに見えるが」

「調子に乗るなよ……」


 顔が熱い。視線を合わせるのが恥ずかしくなって、俺はぎゅっと目を閉じる。だけど、その暗闇の奥に、さっき見た謎の記憶がまたちらつく。俺は剣を握っていた。魔王の胸を貫いた。

 絶対に死闘だったはずなのに……何がどうなって、こうして抱きとめられているんだ?


 ――わからない。だが、一つだけはっきりしていることがある。

 俺の体は、こいつに“抱かれて”いる。

 この苦いような甘いような体温の感触に、心がざわつく。


「お前……本当に魔王なのか?」

「そうだ。疑うなら、いくらでも思い知らされることになる」


 薄く笑いながら囁くルシファの声が、耳朶に絡みつく。まるで誘惑の囁きだ。

 俺はぎゅっと唇を噛む。何なんだ、これ。本当に、いったいどうして俺は――。


「……くそ。ちょっと、休ませてくれ。頭が割れそうだ」

「いいだろう。ここで少し休むといい。お前が拒まないのなら、俺はいつでも傍にいる」


 俺の頭を抱えるように手を回しながら、ルシファはそのまま俺を再び抱き寄せる。さっきの嫌悪感はどこへやら、抵抗が弱まっている自分が情けない。けれど、どうしようもない。

 体の熱と、脳裏を乱す記憶のフラッシュバックが、まともに立っていることすら許してくれない。


「はぁ……勝手にしやがって……」


 弱々しい抵抗の言葉を吐きながらも、気づけば俺の指が、奴の黒い衣の裾を掴んでいた。そんな自分に驚きつつも、意識が朦朧としてきて、考える余裕がない。

 浅い呼吸を繰り返しながら、抱き留められたまま、視界が薄闇に溶けていく。

 耳元で、ルシファの声が遠く響く。


「眠れ。今はまだ、目覚めるときじゃない」


 何を恐れているのか、何が“まだ”なのか。

 意識がほとんど途切れるその瞬間、彼の腕の温もりがやけに優しく感じられてしまう自分が、本当に嫌だ。けれど、その感情は言葉にできないほど淡く脆くて、眠りの波に飲まれていく。


 ――俺は誰なんだ。何をしたかった?


 自問は答えを得ないまま、黒いシーツに沈む。意識の最後に、どこか懐かしい声がする。耳の奥で、誰かが笑っている。柔らかく、愛おしげに。けれど、その正体はわからない。


 「お前は俺のものだ」




面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、

ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価をお願いします!

ブックマーク、感想なども頂けると、とても嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ