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00 土色の終わり

 僕は小さい頃からキラキラしたものが好きだった。


 最初は、姉が好きだった少女アニメに出てくる魔法少女のキラキラした杖の形をした子供用のオモチャだった。次は、妹が友達と交換するために集めた色とりどりのぷっくりしたシールだった。


 僕、佐藤真太郎は日本の田舎で生まれた平凡な男だ。農家の父とそれを手伝う母を両親に持ち、年が2つ離れた姉と1つ離れた妹に挟まれて育った。姉と妹と遊んでいくうちに僕はキラキラ光るものがとても好きだということがわかった。そして、それは姉も妹もそうであった。だから、僕は自分が普通だと思っていた。


 幼少期の記憶なんて大人になったら覚えているものの方が少ない。でも、幼少期に誰かに言われた何気ない言葉をずっと忘れずにいる大人は意外と多いかもしれない。僕もそうだ。


 僕が小学生の頃に、僕が好きなものは「男らしくない」と周りに否定された。

 当時、僕の筆箱には姉がくれたラメが塗られたピンクの鉛筆に妹と交換して手に入れた大粒の立体シールが入っていた。それらが、同じクラスの男の子が見て言った一言が僕の心を傷つけ、それから何年も僕を悩ますこととなった。


「キラキラしたものばかりで女の子みたい」


 その子がそう言った瞬間、周りにいた子達も同意し初め、クスクス笑う声も聞こえた。僕はその日、家に帰り手も洗わずに自室に駆け込んで筆箱からキラキラした鉛筆とシールを取り出し、勉強机の上に捨て投げた。あの日から僕にとってキラキラしたものは手を伸ばしてはいけないものになってしまった。


 そこから、僕は「男の子らしく」なろうと必死になった。思春期も重なったこともあり、随分と恥ずかしい真似を沢山したと思う。野球を始めてみたり、男友達とエロ本を覗き合ってみたり、本当はスイーツが好きなのに甘いものが嫌いなふりをしてみたりと。でも、やっぱり僕はキラキラしたものが好きで、諦めきれなかった。


 高校2年生になり、進路を真剣に考える時期になった。僕の姉は海外に憧れ、英文学部が有名な関西の大学に進学をした。妹は美容師になりたいらしい。そして、僕はジュエリーデザイナーになりたかった。でも、僕の親は子供に農業を継いでほしいとずっと考えており、男の僕が生まれたことで僕に家業を任せられるから安心をしていたらしい。そんなことで進路に悩みに悩み、担任の先生に心配をされながら、3学期にはずっと白紙のまま提出をしていた進路希望の紙を埋めることができた。

 第1希望は東京のファッションデザイン専門学校。第2希望と第3希望は地元のそこそこ良い大学の異なる学部。


 僕の親は最初は良い顔をしなかった。進路について反対は言われなかったが、完全に賛成でもないとわかる態度だった。


 そもそも何故僕はジュエリーデザイナーになりたいと思ったかだが、キラキラしたものが好きだということは大前提であり、それに加えてテレビやSNSでキラキラしたものを身に纏った男性が東京に普通に存在していることを知りショックを受けたからだ。僕がずっと住んでいた田舎では、皆面白みもない地味な格好をしている人が多い。こんなところで、男が1人キラキラと輝くピアスひとつでも身に付けてみたら周りから冷やかされることが目に浮かぶ。でも、東京では違う。どれだけ派手で目立つ格好をしていても許される世界があるのだ。女の子らしいキラキラしたジュエリーを身につけていても、ファッションとして理解される。そんな理想的な社会で僕はずっと生きてみたかったんだ。


 それから僕はファッションの勉強を少しして、無事第1希望の学校に合格をした。高校を卒業してからすぐに東京に行き、少ない荷物を押し入れた段ボールを小さい1LDKの部屋で開けたその時、僕はやっと自由になれたんだ。


 東京での暮らしは僕にとっての楽園にも等しかったと思う。ファッションデザインの勉強は難しく、専門学校は競争が目立つ社会組織だったが、それもまた楽しかった。僕の「好き」が性別によって否定されるのではなく、僕が僕のままでも許される理想の楽園。あの2年は僕が未だに夢の中で縋りつき、目覚めるたびに現実にため息が出る原因だ。


 でもそんな甘い夢は1本の電話により唐突に終わりを告げる。


「落ち着いて聞いて、真太郎。お父さんがね、倒れたの。」


「え?」


「今入院してて…お医者さんが言うには、あまり長くないかもしれないって…」


「…すぐ行く。から、病院の名前は?」


 病院の名前を聞き、新幹線のチケットを握り締めたまま、ハッとした瞬間に僕は新幹線の窓から外を眺めていたことに気づいた。高速で変わっていく外の景色はもう高層ビルなど並んでなく、大型スーパーの赤い屋根に目が一瞬止まった。その赤色に釣られて、僕の体内の血管がドクドクと走り回っている音が聞こえるようになった気がしたんだ。何も知りたくなく、考えたくなく、僕は目を瞑った。


 館内の1階で受付の人と少し喋り、病室番号を教えられ、1人で乗ったエレベーター内の沈黙が苦しかった。ドアを開けた僕に気づいた母はひどい顔をしていた。妹は意識のない父の手を握っていた。医師から聞いた話によると、父は脳梗塞で倒れたものの、命には別状がないと。そこで家族3人ほっとしたのに。父が目を覚まし、4人で笑いながら話していたのに。このまま父は退院できると思っていたのに。


 実家に泊まり初め3日目の土曜日、そろそろ東京に戻ろうかと考え始めた僕は甘かった。朝ごはんを食べている最中に病院から母に電話がかかってきた。母の声は次第に困惑、無機質、最後には啜り泣きながら病院に向かうと告げていた。


 精密検査の結果、父は胃がんステージ4。余命は約3ヶ月。


 僕は東京に戻り、平日は学校で授業を受け、週末は地元に戻り、病院に顔を出していた。


 余命宣告から1ヶ月半、海外で仕事をしていた姉が長期休暇を取り、帰国してきた。


 父は抗がん剤の影響で日に日に弱っていった。そして、遂に起き上がることもできなくなった。


 手こずりながら、柔らかいストローを父の口元に当て、水を飲んでもらおうとしていた僕に父は掠れた声で母を呼んできて欲しいと言った。母と二人っきりで話し終えた父に今度は僕が呼ばれ、心配する僕にこう言った。


 『真太郎に家業を継いで欲しい』


 僕を見つめる瞳は本当に真剣なのに、僕は父の目元はこんなにもしわしわだっただろうかと場違いのことばかり考えていた。僕の手を握る父の手はいつの間にか皮膚が薄くなっていて、骨も細かった。


 僕は頷くしかなかった。


 父は満足そうに笑い、久しぶりに館内を散歩したいと言ったので、母と共に3人でゆっくりと白が目立つ廊下を歩いた。


 そして、次の日、父は眠るように亡くなった。


 僕は卒業間際だったのに、学校を退学した。もう意味がなくなったのだ。葬式が終わり、広い実家の縁側に1人立ち、中庭を眺めていたら、涙が流れていることに気づいた。僕の人生の新たな章は誰にも相談できずに流れた涙で始まった。


 あの頷いた日を度々思い返すことがある。


 もしも、僕が男でなければ、僕の運命は違ったのだろうか?


 僕はあの日、キラキラした服や宝石を捨てて、爪の間を土で埋めることを選択したのだ。

 僕は長男だから。


 僕はそれから何年も変わらないものの、忙しい日々を過ごした。母の手伝いもあり、順調に経営ができていたと思う。でも、東京の専門学校にいた頃みたいに胸が弾けそうなほどドキドキすることはなくなった。そのことを自覚しては、心が絞れていった。そして変わらぬ毎日を繰り返し過ごすだけ。僕と僕の畑だけの小さな世界の中で。




 今日は、朝から大雨が降っていた。前日に、大雨対策をしていたため、後は雨が過ぎるのをじっと待つだけだった。僕はいつもと変わらず、家でご飯を食べているところ、バキバキと外から音が鳴った。そして、ゴオーゴゴというような音と共に、一瞬で頭上の天井が降ってきた。


 木の板や土に押し潰され、暗闇の中、周りが見えず、ただただ体が痛くて。しかし、頭の冷静な部分では土砂崩れに飲まれたのだと理解した。


 段々と息ができなくなってきた。痛みで、目がチカチカする。

 僕はもう死ぬ。


 ああ、くそ。僕の人生は最後まで土色だった。




初めての作品です。

よろしくお願いいたします!

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