6、目的
ランの過去に入り込んだかのように、ホテルの一室で圭子は聞き入っていた。
話を終えたその場では、突然時間が動き出す。
「……それが、あなたと兄の接点?」
「ああ。その後、あっちはその場にいた暴力団を一斉検挙。俺も無事に仕事を終えた。その後、まさかこんな形で、こいつと再会するとは思わなかったけどな」
直人の手紙をペラペラと揺らしながら、ランが言う。
「兄はどんどん危険な任務につかされてた。三年前、兄が検挙した男は、麻薬の常習犯で、ためらいもせずナイフで警官を刺すような男だった……」
ぽつりぽつりと、圭子が秘めた想いを語り始める。
「だけどその検挙は、なぜか無効なものとして処理され、麻薬ルートも何もかもが消し去られ、兄も殺されてしまった……」
「そして、おまえも単独で調べ出した」
ランが口を出す。圭子はその言葉に、静かに頷いた。
「データは消し去られていたけど、それでも必死になって真実を探ろうとした。そしてつながった……検挙出来なかった男は、前総理大臣、間宮卓の息子。そして麻薬を横流ししていたのは、漆黒龍会……漆黒龍会は、すでに日本一の規模を誇る暴力団になっていて、更に中国マフィアと結託し、今では日本をはじめ、アジアを股にかけてる組織になってる……」
圭子は思い余って、拳を固く握りしめる。
「だけど一番悪いのは、前総理の間宮よ。自分の地位を画一させるために、あらゆる手を使って息子を守り、そのために漆黒龍会ともつながり、悪事を黙って見過ごしてる……兄は殺されたのよ。間宮に! 刑務所内で死んだ兄を殺した犯人も、きっと間宮の指示で殺されたんだと思う……」
圭子の言葉を聞きながら、ランは煙草に火をつけた。
「……それで、ご注文は?」
「……え?」
「俺は一応、おまえの兄貴との契約がある。そいつがおまえを守れと依頼して死んだ以上、俺はおまえの兄を殺したやつから守らなきゃいけない。だけど、俺は人を守る仕事じゃない。おまえを守るには、相手を殺すほかない」
ゾクッと、圭子の背筋を悪寒が通った。何を自分は平然と、殺し屋と会話しているのか。何が正義で何が悪なのかも、忘れてしまいそうだ。
ゆっくりと深呼吸すると、圭子は静かに口を開く。
「わ、私には出来ないわ。自分のせいで人が死ぬなんて……」
「残念だけど、それは違う。おまえのせいでもそうでなくても、俺は人を殺しに来たんだ」
圭子は目を見開いた。生唾が喉を伝ってゆく。そんな圭子に目もくれず、ランは話を続けた。
「言っておくが、俺は殺し屋だ。義理人情なんて知らないし、依頼じゃなく気まぐれで人を殺すこともある。俺のターゲットは決まってる。漆黒龍会と前総理大臣、間宮卓だ」
「……どうして。おかしいじゃない。私がもっとも憎んでいるのよ? いなくなればいいって……こんなにも自分が黒い心を持ってるなんて知らなかったほど、やつらが憎い!」
圭子の言葉に、ランはにやりと笑った。
「理由なんかない。気に食わないって言えばそれまでだろ。俺のターゲットは決まったんだ……その理由が、おまえの兄との契約でも、義理でも、おまえを守るためでも、そんなことはどうでもいい。たまたま、おまえと利害関係が一致しただけだ。おまえが気にすることはない」
「でも……」
「もう一つ言っておくが、俺を止めることは出来ないし、俺は誰の指図も受けない。ただ、俺がおまえに会ったのは、そんなに深いことじゃない。見てみたかっただけだ。正義感の塊である男の妹をな……すぐにおまえの前に現れなかったのは、そう簡単におまえは殺されないと思ったからだが……そろそろ無理だろうと思ってね」
「……どうして?」
不安げな顔を見せて、圭子はランを見つめる。
「おまえの兄が殺され、それを殺したやつが謎の死……その上おまえまでが死んだら、さすがに警察も動くだろう。だが三年が経って、そろそろあちらも動き時のはずだが、その間にこちらも下準備は出来てる」
「……」
「この三年間で、おまえが要注意人物かどうかは、あちらも探っている最中だろうが、おまえが未だ単独でも兄の事件を調べていると悟られれば、もう猶予はないだろう。その前に、こちらはすぐに行動するつもりだ……おまえは、もう帰れ。そして今日のことも忘れろ」
「……私、自分がどうしていいのかわからないわ」
圭子は戸惑いながらそう言った。ただ、体が動かない。思考回路も反応しない。
「一応……大きな仕事になる。おまえは関わるな。かえってややこしくなる」
ランはそう言うと、圭子を押しやるように部屋の隅へと連れていく。そしてドアノブに手をかけると、圭子を見つめ、口を開いた。
「さようなら」
その一言で我に返ったように、圭子は改めてランを見つめる。
「……もしも私の憎むべき人が死んでも、私はあなたに礼なんか言わないわ」
「上出来だ」
不敵に微笑むランの顔は、冷やかなままだ。
「さようなら」
圭子はそう言うと、ホテルから出て行った。
まるでその日のことは夢だったかのように、現実味を帯びないまま暮れていった。
だが、その次の日。二人の漆黒龍会幹部が殺されたことで、圭子は嫌でも現実に引き戻されることになる。
殺された二人は、ポスト組長と呼ばれるトップクラスの幹部で、麻薬取り引きの一切を取り仕切っていたといわれている。
死因は、ナイフによる刺殺。たった一突き、首の動脈を切られての、実に鮮やかな手口だった。二人ともが、漆黒龍会本部から出てきたところを狙われている。
警察は、暴力団同士の勢力争いと見ているが、圭子だけがその真実を知っていた。
また信じられないことだが、FBIによって拘束されているというランの顔写真が日本警察にも公開されたが、紛れもなく別人物であった。だがそれを、他の刑事が気付く暇もなかった。
「奇妙な事件が続きましたね。暴力団同士の争い……犯人はいったい、誰なんでしょう」
警視庁の廊下を歩きながら、後輩の藤木が独り言のようにそう言った。
「さあ……」
圭子はそう言って立ち止まった。窓の外には、土砂降りの雨が降っている。
「すごい雨ですね。こりゃあ、駅まで行くにもずぶ濡れだ」
藤木の言葉に、圭子は苦笑した。
「駅までなら、送ってあげる」
「本当ですか? 助かります」
二人はそのまま、警視庁から出て行った。大事件に未だ落ち着きを見せない警視庁は、こんな雨の日も騒然としている。それに反して、車の中は静けさだけで、藤木もいつもと様子が違う。
「あの……先輩」
その時、藤木が重い口を開いた。圭子は運転をしながら、藤木に耳を傾ける。
「先輩。俺の気持ち、気付いてますよね? 俺、ずっと先輩が好きでした」
何の前触れもない、突然の藤木の告白だった。
「藤木君……」
圭子は戸惑いながらも、その告白の続きに耳を傾ける。藤木の気持ちには、随分前から気付いていた。だが、こうして告白を受けるのは初めてだ。
「俺はまだまだ新米ですけど、先輩と同じ部署に配属されて、嬉しかったんですよ。いつか告白しようって思ってました。後輩という立場が変わることはありませんけど、よかったら俺とつき合っていただけませんか?」
丁寧な愛の告白だった。だが今の圭子の心には、それを受け入れられるだけの余裕がない。
「……ごめんなさい。藤木君の気持ちには、気付いてたよ。でも今はまだ、この関係を壊したくないの……」
圭子の言葉に、藤木は笑って目を伏せた。
「そう、ですか」
「……でも、どうしてこんな時に?」
藤木はそれを聞いて、静かに微笑む。
「僕にとっては、特別な日なんです……今日は初めて、先輩と俺が出会った日です」
「え?」
「覚えていないのは当たり前です。もう何年も前ですから。でも、警察学校に用事があって来た先輩に、当時学校に通っていた俺が一目惚れした日です。あれから先輩の背中を追ってきました。一人前になったら告白しようと思ってたけど、もう我慢出来なくて……」
藤木の言葉に、圭子は苦笑した。
「ありがとう……」
「先輩、恋人はいるんですか?」
「あはは、いないわよ。こういう車、買えるのよ?」
外車のスポーツカーであるハンドルを叩いて、圭子が言う。実際問題、圭子に恋人はいなかった。それは、兄の事件が解決するまでは、落ちつけないという心があったからであろう。
「車を買ってくれる恋人かもしれないじゃないですか。先輩には、そういう人が釣り合うのかもな……」
「なに言ってるの。ほら、駅よ。気をつけて帰ってね」
「あ、はい。ありがとうございます……」
藤木はそう言うと、ドアに手をかけた。しかし、すぐに振り向く。
「突然、こんな話をしてすみませんでした。でも俺、これからも先輩のことが好きですから。おやすみなさい」
そう言って、藤木は車を降りていった。圭子は静かに微笑むと、そのままランの滞在するホテルへと向かっていった。