2、空港にて
空港。大型ビジョンでは、大統領暗殺のニュースが延々と続けられている。空港にいる人々は、皆かじりつくようにその画面を見つめていた。
そんな人々をよそに、青年は個室のトイレに入ると、アタッシュケースを開けた。すると中には、二丁の拳銃が入っている。
そのまま青年はスーツのネクタイを緩めると、アタッシュケースのポケットに入った、一枚の紙を手にした。紙は便箋のようで、日本語で書かれている。青年は軽く目を通すと、それをスーツの内ポケットに入れ、アタッシュケースを閉めて立ち上がった。
個室から出て、青年は手洗い場の前に立った。目の前の大きな鏡に、左右違う色をした瞳が映る。青年はその目に、手早く黒色のカラーコンタクトレンズをはめると、何事もなかったかのようにトイレから出ていった。
それから十数時間後、日本。成田空港では、普段と一味違う緊張感が漂っていた。だがそんなことを知るよしもなく、各国からの航空機が到着する。
「本日は、テロ対策および安全確認向上のため、厳重チェックをさせていただいております。こちらへお並びください」
帰国したてで飛行機から下ろされたばかりの乗客たちが、次々に金属探知機の前に並ばされる。その中に、青年の姿もあった。他の乗客たちに混じり、チェックの列に並ぶ。
やがて、青年の番になった。手に握られているアタッシュケースには、二丁の拳銃が入っているはずである。だが青年は、気に留めた様子もなくそのケースを預け、自ら金属探知機の下を通り、OKサインの出たアタッシュケースを再び手にする。
そして青年が何事もないように歩き出した瞬間、数人の男が、後ろから青年を囲んだ。そして静かな口調で、英語で語りかける。
「恐れ入りますが、少々お聞きしたいことがあります。別室へお越しください」
それを聞いて、青年の口元がわずかに笑みを浮かべた。そしてそのまま、男たちと別室へ向かってゆく。
特別ルートのドアの向こうへ入った瞬間、待ち構えていた数人の男が、一瞬にして青年の身を剥ぐように、アタッシュケースやサングラスを外し、両手を取った。
青年は無抵抗のまま、別室へと連れて行かれた。
「どうして連れて来られたかわかりますか……? Do you understand why to have been brought here?」
青年は数人の男たちの前に座らされ、尋問されるように語りかけられる。
「No.」
「我々は日本の警察だ。私は新設された、国際犯罪機密処理班の総司令官。アメリカ大統領暗殺事件の重要参考人として、数人の人物が浮かび上がった」
青年の様子を見ていた恰幅のいい男が言った。その司令官の言葉を、通訳と思しき男が英語で訳す。
「……それが俺とでも?」
青年が、流暢な日本語でそう返した。何も動じず、青年は目の前にいる総司令官を見据える。
警官たちは、青年が日本語を使ったので驚きつつも、気を取り直して青年を見つめる。
「それはまだわからない。だが、我々の手元にあるリストアップされたデータの中に、あなたとよく似た人相の人間がいてね」
その時、ノック音と同時にドアが開いた。
「アタッシュケースの解析終わりました。二丁の拳銃が入っていました」
そう言って入って来たのは、若い女性である。男だらけのこの部屋には似合わないくらい、まだ新米といった感じの雰囲気だが、女性は毅然とした態度で、青年の持っていたアタッシュケースを開けたままテーブルに置いた。中には二丁の拳銃が横たわっている。
「キングコブラに、44マグナム……間違いないな。ヤツの愛銃だ」
司令官がそう言いながら、アタッシュケースに手をかけた。
「触るな!」
突然、青年が叫んだので、全員が驚いた。
だが、すぐに司令官がアタッシュケースを叩く。
「そんなことを言える立場か! これは明らかに銃だよな?」
「それが何だ」
「……名前は? 国籍は?」
「パスポートに書いてあるだろ」
挑発するような青年の言葉に乗るまいと、司令官は押収品の籠からパスポートを取り出した。
「ジョン・スミス……よくある名前だ。これが君の名とでも言うのかね?」
「司令官。こちらに……」
司令官の言葉を遮るように、アタッシュケースを持ってきた女性が、ケースのポケットから数冊のパスポートを取り出して見せる。司令官はそれを受け取ると、照合するようにすべてのパスポートを見つめた。そこには、すべて名前の違う人物が書かれているものの、写真だけは青年そのものだ。
「よくもまあ、これだけのパスポートを堂々と持っていられるな。いいか? 我々は国際犯罪者を追っているんだ。特に今は、大統領暗殺の犯人を追っている。インターポールから寄せられた犯人のリストアップがここにある。この中の誰かと君が一致したら、銃刀法違反の罪だけでなく、重要参考人として逮捕する」
司令官の言葉に、唯一の女性が数枚の紙を司令官に渡した。司令官は、その紙を読み上げ始める。
「ここにあるのは、国際指名手配中の凶悪犯ばかりだ。大統領を殺しそうなね。トム・エヴァンシー、オズモ・テリー、ハミルトン・ジョンソン……」
一人ひとりの国際的凶悪犯の名を言いながら、その都度青年の顔を確認する。少しでも反応しないか見ているのだ。
そんな取り調べを退屈そうに、青年は小さくあくびをしたかと思うと、目の前に立っている唯一の女性を見つめた。女性はそれに気付くと、すぐに青年から目を反らす。
「おい、ちゃんと聞いているのか!」
その時、司令官の声が響いた。青年は女性を見つめたまま、口を開いた。
「君の名前は?」
青年の言葉に、女性は驚いた。周りにいた一同もどよめく。
女性は司令官を見つめると、小さく頷いて、青年を見つめた。
「……あなたに関係ないはずよ」
「俺の本当の名を知りたいんだろう? 先にそっちが名乗るのがフェアってものだ。男には興味がない。あんたの名前だけで十分だ」
女性は司令官の顔を見たかと思うと、意を決して青年を見つめた。
「……石井圭子」
「圭子……か。じゃあ、俺へのネゴシエーターは君にしてくれ。先に言っておく。他のやつからの交渉は受けつけない」
きつい口調ながらも、青年が笑顔を見せて言った。整った顔が余計に美しく見え、自らの名を名乗った女性も、その魅力に一瞬のうちに取りつかれそうだった。
だが圭子は、それを打ち消して青年を見つめる。
「なに言ってるの? どうして私が」
「君は警官だろう? しかも国際犯罪者専門の。俺が誰だか知りたくないの?」
青年の言葉に、警官たちは押し黙った。そして司令官が、圭子の肩を叩く。
「とりあえず、ここはおまえに任せるしかなさそうだな。頼むぞ」
「司令官……」
圭子は仕方なく、青年の目の前に座り直した。
「じゃあ、質問に答えて下さい。日本に来た目的は?」
「Sightseeing」
「観光だあ? ふざけるな」
青年の答えに、警官たちが野次を飛ばす。
「……あなたの名前は?」
「だから、パスポートに書いてあるだろ」
「あなたの口から聞きたいの」
「悪いけど、自分の本名を言うと吐き気がする性質でね。その質問だけは答えたくないな」
「……では質問を変えます。あなたの通り名は、コードネーム・ランじゃないの?」
圭子の質問に、青年は不敵に笑った。
「だったらどうだというんだ?」
「認めるんですね? あなたが本当にコードネーム・ランなら、我々はあなたを拘束します。世界中から指名手配されている人物よ。アメリカ大統領暗殺事件の容疑もかかっている一人です。あなたは本当に、コードネーム・ランなのね?」
「……世間はそう呼ぶね」
青年の言葉に、一同は騒然とした。
「動くな。確保!」
「おいおい。無抵抗の人間に、それはないだろ」
司令官の言葉に、警官たちが一斉に青年に群がり、手錠をかけようとした。
その時突然、ドアが開き、一同は一斉にドアの方を振り返る。するとそこには、警視総監が立っている。
「総監! なぜこちらへ……」
「……ご苦労だな。だが、今すぐ彼の拘束を解きなさい」
警視総監の言葉に、一同はどよめいた。
「な、なぜですか!」
「……残念だが、我々が拘束することは出来ない」
「総監! こいつは今、自分がコードネーム・ランだと自供したんです」
「いいから解け。これは命令だ」
そう言っている警視総監も、悔しそうな顔をしている。そんな総監に、司令官が近づいた。
「総監。理由は……」
「インターポールが、コードネーム・ランの国際指名手配を解いた。しかも別途、アメリカからの通達だ。大統領暗殺の犯人は捕まったそうだ……死体でな」
総監の言葉に、青年の口元がわずかに笑みを零したのを、圭子は見逃さなかった。
「総監! 彼は犯罪者です。国際手配が解かれても、我々日本警察が拘束しているのは、紛れもなく危険人物です。現に銃も所持していますし、パスポートも偽造です。いくらでも……」
「君!」
そんな圭子に、警視総監が怒鳴るように言った。ビリビリと壁が震えるような、大きな低い声であった。
「……決まったことだ。こうして私が直々に来ている意味を考えてくれ。それに彼には、迎えが来ている」
警視総監の言葉とともに、一人の男が入って来た。そして徐に、手帳を見せる。
「FBI捜査官のレングです。彼を別件で追っていまして、引き渡していただきます。すぐにアメリカへ連れて行きますので」
そう言い終わらないうちに、レングと名乗った男は、青年に手錠をはめた。廊下では、FBIと思われる数人の男が控えているのがわかる。
レングに連れられ、立ち上がった青年は、圭子の横で立ち止まった。
「See you」
青年は圭子にそう言うと、レングに連れられ去っていった。
「諸君。ご苦労だった」
残された一同に、警視総監がそう言った。
「……腑に落ちません。結局、彼は誰だったんですか? インターポールだのFBIだの、それは確かな情報ですか?」
圭子が言った。警視総監も司令官も、険しい顔をしたままだ。
「情報は確かだ。なんなら自分で調べればいい。だが、日本警察はここまでだ。これ以上のことは調べられない」
「どういうことですか?」
他の警官たちも、口々にそう言う。警視総監は、重い口を開いた。
「……仕方がないんだ。今回は状況が悪過ぎる。日本警察、しかもまだ新設されたばかりの機関では、他国の信頼もない。それに……」
「それに……?」
「大統領暗殺で、世界中が騒然としている時期だ。まして犯人とされる男が見つかって、死んだともなれば、アメリカ周辺はナーバスになっている。一触即発、疑心暗鬼だ。大きく言えば、戦争でも起きかねない。それだけ、大統領も犯人も、大きい人物だということ……あのインターポールまでもが、一時でも手配を解いたくらいだ。我々、日本警察が単独で動けはしないほど、我々はまだ未熟だ」
警視総監の言葉に、圭子は悔しそうに拳を握る。理解出来てしまう未熟さが情けないものの、圭子にはどうしようもなかった。
「……でも、日本にいる間は、尾行は続けますよね? あのままあの男を野放しにはしませんよね?」
圭子が切実な目で、警視総監を見つめる。圭子の言葉に、一同は頷く。
「もちろんだ。警視庁の人間がすでに尾行を始めている。まあ、ここは空港。すぐにアメリカ行きの便に乗っただろうがね」
「私も合流します。日本から無事に出るのを、見届けるまで」
「ああ。許可する」
警視総監の言葉に、圭子は取り調べ室を飛び出していった。
だがその後、圭子が青年を尾行していた警官たちに合流しても、青年はすでにアメリカ行きの飛行機に乗せられており、青年の最後を見ることもないまま、飛行機は日本を飛び立っていった。




