12、救出劇
一瞬、風が完全に止んだ。ランは少し離れたところに揺れながらも近づこうとしている梯子目掛け、飛び立った。
ランの手がかろうじて梯子を捉えたと同時に、別の段に小さな手が梯子を掴んでいる。ランの背中で意識を取り戻した龍王が、梯子を掴んでいるのだ。生きようとする気持ちの表れなのかもしれない。
「……おまえだけは、中国へ帰す」
ランの言葉に龍王は頷くと、そのままランに体を委ねた。
「ラン!」
梯子を登りきり、ヘリコプターの中へと到着したランに、圭子がすぐに声をかけた。
「無事のようだな」
ランはそう言いながら扉を閉め、背負った龍王の縄を解き、海上を見下ろした。ヘリコプターに照らされた光には、もうほとんど沈んでしまった船が見える。
「……悪いが、おまえの父親とその仲間は死んだ。最期を見ておけ」
中国語で、ランは龍王に言った。龍王は無言のまま頷くと、窓越しに船を見つめ、涙を流す。
「暗闇と強風の中、よくやってくれたよ」
ランの言葉に、トムが照れ笑いする。
「危なかったけど、ナイスコントロールだっただろ? このまま中国に飛べばいいね?」
「ああ」
ヘリコプターは、沈みゆく船を尻目に、そのまま暗い上空を飛んでいった。
時間と安堵感を取り戻したヘリコプター内で、圭子は泣いている龍王の肩を抱き、宥めていた。言葉もわからず、父親や知人を一気に亡くしてしまった八歳の子供に、何がしてやれるというのだろう。
そんな圭子の手を、ランが振りほどかせる。
「やめろ。ガキはガキでもクソガキだ。仮にもマフィアのボスになるはずだった人間。噛まれてもしらないぞ」
「そんな。こんなに泣いているのはただの子供よ。一気に父親まで亡くしたんだから……私は兄を殺されて、やつらを憎んでた。でも私も、同じような思いをこの子にさせてしまったんだわ……」
後悔に肩を落とす圭子に、ランは不敵に微笑み、龍王に語りかける。
「やつらが死んで、せいせいしたか?」
その言葉に、龍王はやがて笑みを浮かべた。
「うん……全員死んでくれるなんて、夢みたいだ」
笑いを堪えながら、龍王が答える。
「やっぱりな。何かあると思っていた」
「最初はびっくりしたけど嬉しいよ。あいつら、俺の親でもなんでもないんだ。少しは心が痛んで泣いてみたけど、やっぱり嬉しいのが一番だ」
突然、笑い出した龍王に、圭子は驚きを隠せない。運転席のトムは、鼻で笑って呟く。
「クソガキが」
圭子はランを見つめる。
「……どういうこと?」
「こいつも連中から逃げ出したかったってことさ。悲しみもあるが、それだけこいつへの扱いが酷かったってことだ」
「扱いって……」
「よくある話だ。マフィアのボスになるための英才教育。こいつには五人の護衛がいたが、常につきまとって自由もなかったんだろう。勉強も武術も、生まれた頃から仕込まれているはずだ。ようするに、こいつは人格無視で育てられて、心まで腐らされてるってことだよ」
「……信じられない」
「だが現実だ。まだ八歳だから、やり直せる可能性は十分にある。家族は他にいないようだし、専門の孤児院に預けて更生させるしかない」
圭子は晴れないままの心を抱えていた。無言になった内部で、一同は中国を目指した。
中国に着いた一同は、ヘリコプターから降りる。
「ミス・圭子、僕はここでお別れだ。眠ってしまった龍王を孤児院に連れていったら、そのまま直でアメリカに帰るよ」
突然のトムの言葉に、圭子は目を伏せた。
「そう……なんだかいろいろ、ありがとう」
「いいよ。今度は仕事抜きで、デートでもしてくれる?」
圭子は笑った。
「その時は、警察も一緒だわ。今度あなたを見たら、きっと逮捕する。私、今回のことで正義が何かもわからなくなってしまったけど、自分を信じて進むことにするわ。やっぱり人殺しはよくないもの」
今度はトムが笑う。
「じゃあ、もう一生会えないみたいだね。僕も久々に楽しんだよ。じゃあね」
トムはそう言うと、ランへと近づいていく。
「ラン、いろいろありがとう。これで君への貸しはチャラだね?」
「ああ。助かったよ」
「僕もだ。でもいつか、君の首をもらいたいな」
「望むところだ」
「アハハ。じゃあ、このクソガキを送り届けたら任務終了だ。またいつか、組むこともあるかな……その時はよろしく。じゃあね」
トムはそう言うと、眠ったままの龍王を連れ、去っていった。
「俺たちも帰るか」
ランはそう言うと、ヘリコプターへと乗り込む。
「え、もう?」
「うろうろしてると捕まるぞ。おまえ、パスポートも持ってないだろ」
「あっ!」
圭子は慌てて、ヘリコプターへと飛び乗る。
「ご苦労さん……あとは帰るだけだ。おまえに手伝わせたのは悪いと思うけど、無事でよかった」
「……うん」
ランの言葉に圭子は頷くと、そのままヘリコプターは日本へと飛び立っていった。
ヘリコプターは、関西のとあるヘリポートに停まった。ランは乗り捨てるように、その場から歩いていく。
「ヘリはどうするの?」
「トムがチャーターしたヘリだ。トムの仲間が後で片付ける」
ランはそう言うと、近くの駐車場で行きに乗って来た車を見つけた。それは手筈通りのことで、トムの計らいで運ばれたものだ。ランは軽く車の周りを調べた後、中へと乗り込んだ。圭子はもはや何も言わず、助手席へと乗り込む。
車は東京方面へと猛スピードで戻っていった。互いに無言で、圭子はあまりにたくさん起きた出来事にうとうとしながらも、流れる景色を見つめていた。
数時間後、車が止まった先は、圭子のマンション前であった。圭子はハッとして、ランを見つめる。すでに朝が明けており、眩しいくらいの日光が、ランから尋常ではない美しさを引き出す。
「……あまり気にするなよ。俺はおまえを加担させたくはなかった」
何も言えない圭子に、ランがそう言った。圭子は静かに首を振る。
「ううん。いろいろなことがありすぎて、夢か現実化の区別もついてないわ。でも……ますますあなたのことが知りたくなってしまった……」
圭子の言葉に、ランは軽く笑う。
「殺し屋にでもなるつもりか? 俺は仕事が残ってる。これから先は、おまえに手伝ってもらうような仕事じゃない。おまえの兄貴の依頼は必ず遂行する。だからおまえは、もう俺に関わろうとするな。これが最後だ、降りろ」
「……」
圭子は押し黙ると、そのまま車を降りた。ランは何の合図もしないまま、その場を素早く去っていった。
「ラン……」
いつの間に、圭子の心はランで埋め尽くされているだのった。