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第一話 ロボと爺 ③


 それから何時間過ぎただろうか。

 未だに店内にはイゴロクとタキヤの2名を除き、客の1人たりともこのthe moon shotに立ち入る者はいなかった。

 この異常とも取れる事態にイゴロクはマスターへ直接訊くべきかと考えたが、しかし態々それを口にするも無粋であると改める。

 方や燃料タンク一杯までオイルを呷り、方や濾過器の様に上から下へ垂れ流す。

 その合間に会話を挟みつつ、ただそれだけの悠々とした営みは競争を是とする社会から隔絶されたものに他ならない。


「私からも一つお尋ねしたい事があります」

 そしてまた一つイゴロクは話を切り出した。

「おお、何でもいいぜ。言ってみろよ」

 タキヤは人当たりの良さを感じる口調でそう返す。

「兼ねてから頭の片隅に引っかかりを覚えていたのですが、人はどうして不合理な行動をするのでしょうか」

「ちょい意味が広ぇや。もう少し分かりやすくしてくれ」

「……業務上のデータは全ての機械人形を通して共通化されるのに何故態々口を通して報告を行うのか。何故人によって受け取り方の変わる絵をトンネル内壁に描くのか。他にも山程有りますが、概ね気になったのはこの二例です」

 仕事終わりと帰りの際に起きたその二つが妙にイゴロクの脳内にしこりとしてあった。

 タキヤは何度も頷きながら、小皿に盛られたピーナッツを一つ齧る。

「言いたい事は何となーく伝わった。一言で表すなら俺達ゃイゴロクみたいに深く考えてねぇからだな。ま、それじゃ始末に悪ぃからもう少し考えるか」

 口に残るそれに呂律を惑わせながら、マスターの向けている不快な視線を掻い潜りそう言った。


「安心感を求めているからこそ、なんてのはどうだ?」

 マスターは腕を組みつつ言った。

「掠ってるんじゃねぇか? あーなんて言ったっけ……あのクルクル回るやつ」

「ルーティーンですか?」

「そうそう! それから外れるのが不安なんだろうよ。無駄と分かっていても繰り返しの中にいる方が安心。ってのはどうだ?」

 歯車でいる事は時としてそれ自体を救いに見る事が出来る。

 拙いイゴロクの感性にはまだ安心という心を落ち着ける概念に想いが寄らない。

(繰り返し……。私達機械人形もその中に含まれていますが、所謂特別な感情をその行いに持った事はない。ただ遂行する事にも人間は意味を見出すのですね)


「……境遇、身の上。そのどれもが一人一人違うが共通しているものは同じだ。ストレスさ。不安=ストレスだな」

 何か思い耽る様な考え込む様な、憐れみに似た表情をマスターは見せる。

 人の機微による感情の動きを機械的に捉えるイゴロクは確りと見て取れた。

 その矛先はタキヤに向けられているのだが、当の本人は知ってか知らずか判断は付かない。

「家で寝てるだけでも頭抱えるからなぁ。慣れた作業は考えずに時間を消費出来るってのもあるか」

 タキヤはそう自分の事の様に語った。

 日々を無価値に消費するのは無駄の極みだと断じても、それが逃れる為の術だとなれば金色に輝き価値を帯びる。

 無駄という主観は酷く曖昧である。


「一見不合理に見えるものでも、それは個人の精神的負荷を軽減する行いである。結論はこういう事でしょうか」

 イゴロクは会話の内容を統括し、その答えを一文でもって口にする。

「十人十色って諺もあるからこれと言った一つに集約は出来ない。でもまぁ、意図しようとしなかろうと大体はそうだろうよ」

「俺はこんだけしか出来ねぇ。と思い込んでいる奴ほど繰り返しに執着するきらいがあるのが味噌だなぁ」

 そうしてまたピーナッツを齧り「味噌汁が飲みてぇや」と小さく独り言を呟くのだった。

「お前の酒への拘りもそれだよ」

「こっちは趣味だ趣味。一緒にすんじゃねぇよ」

 2本のカラ瓶が立ち並び、同じ銘柄の3本目を飲むタキヤは態とらしく笑みを浮かべた。


「……なら、その負荷を失くせば人は合理的な行いをするようになるのでしょうか?」

 イゴロクの言葉に否定を示す様に手を横に振る。

「そりゃ無理だ。一つ捨てれば必ず一つ拾ってくる。“ストレスが無い事”をストレスとする面倒臭い生き物なんだからよ」

 その酷く自罰的な意味合いを孕む言葉にイゴロクは返すべき言葉は無い。

「思考に悩まされたまま無意味に死ね。これが自然の枠組みから外れた者達への罰さ」

「気取るなよ。サブイボ立つわ」

「うるせぇ。こちとらマスターなんだよマスター」

 突っ込まれたマスターは少しだけ恥ずかしさを覚えたのか焦りを見せていた。


 継続の中に安心感は存在し、そこから変えていく事は不安感。要するにストレスへと繋がって行く。

 であるなら仕事の責任者である彼は業務を人が行なっていた時の名残りを繰り返しているのか、絵を描く者は筆を取り続ける事で考えたくない何かがあるのか。

 バックボーンはあらゆる想像で上塗りが出来る。

 しかしそこから踏み込む権利を持たない以上、彼等について語れるのは此処までなのである。

「言語化するには難儀を重ねます」

 イゴロクは結局そう結論付けた。

 理解出来ている様で理解していない。理解していない様で理解出来ている。

 その不確かな感覚はどうにも抑え難がったが。

「自分だけ知っていれば良い答えもある。言葉で共有しなければ安心出来ないのは俺達だけの特権さ」

 マスターはそう落ちを付けた。


「もうそろそろ日を跨ぐな……。流石に帰って寝るか」

 話が途切れたタイミングでタキヤはそう切り出した。

 タキヤの目線の方向を追うと壁掛け時計が吊り下がっており、時刻は確かに真夜中に位置していた。

「タンクは充分か?」

「問題ありません。これで来週分も持ちます」

 マスターの気遣いへそう返す。

 内部のオイル充填率は98.3%。この満タンとなったエネルギー源を燃やし次週の活力とする。

 最大の目的を果たせた事は喜ばしいとイゴロクは考える。

「コスパの良い体してんなー」

「ジジ臭ぇな。その死語使うなっての」

「爺じゃねーかよお互い」

「俺はまだ若い」

「まだと思い始めたらもう終わりだってーの」

 2人の小芝居を最後に堪能し、イゴロクとタキヤ両名は会計を済ませる。

 そして扉の前まで戻り外へ開くと変わり映えのない星空が広がっていた。


「毎度あり。イゴロクは暗いから気を付けて帰れよ。タキヤは轢かれちまいな」

 見送りに来たマスターはそう言葉を放つ。

「ご馳走様でした」

「轢けるもんなら轢いてもらいてぇよ。あばよ」

 簡素に別れを告げてthe moon shotをイゴロクとタキヤは後にするのだった。

 階段を降りタイルを進んで店前まで来るとイゴロクはタキヤの方へ向いた。

「タキヤさん家までお送り致しましょうか?」

「いや問題ねぇよ。一人で帰れらぁ」

 かなりの深酒をした筈なのだが、醒めるのが早いのか最初に会った時よりも足取りは揃っている。

(ならば危険は無いと判断いたしましょう)

 システム上のマニュアルと違う答えに一抹の不安は拭えないが、それでもイゴロクは反対を位置する決定に判を押す。


「畏まりました。それでは失礼致します」

 イゴロクは頭を下げる。

「おう。来週も此処にいるからよ、良かったらまた話そうや」

「そうですね。オイルも安いのでまた訪ねます」

「待ってるわ。……じゃあな」

「はい。さようなら」

 惜しむかの様に寂しげなタキヤとその場で別れ、イゴロクは自分の足跡を逆に辿る。

 途中ふと何とはなく振り返るが、その後ろにはもうタキヤの姿は無い。

 来週も此処にいる。その言葉を反芻しながら薄明かりの中を突き進むのだった。


 住区域を抜け人の気配が少なくなった中心区域の大通りをひた走り、段々と店の詰まる様相から変わって建物の少ない広々とした区域へ出る。

 遠くからでも目に入る一つの施設を除いてだが。

 イゴロクはその目的地である機械人形の保管とメンテナンスを兼ねた家屋に到着すると、電子ロックの掛かる扉の前に立った。

 その上部に備え付けられた薄黒いカバーに覆われる電子機器が一つ光り、真っ赤な電光がイゴロクの全身をくまなく探る。

 そして間も無くロックの解除音が響き渡る。

 イゴロクは今日起きた出来事を重要項目とし纏め、何故か脳裏に残るマスターとタキヤの映像データに目を奪われていた。

 



—————————




 月曜日の出勤の日にちとなり、イゴロクはまた数多の機械人形の中の1人となりつつ職場へ向けて歩を進めていた。

 朝も昼も無いこのスペース内では街灯の色を変える事で朝の時刻であると示している。

 淡いブルーライトの空間は心を落ち着けると共に人々の足りない日照時間を補う物だ。

 良く聴き慣れたラジオ体操に勤しむ集団や個人でランニングを行う者。

 運動の類とは無縁に酒や飲食物を摂取する者と夜に比べ変わっている様な変わっていない様なそんな色模様が広がっていた。


 一瞥もしない機械人形に混じるイゴロクはその様子が気になるのか1人右に左と顔を動かしている。

(これも安心感の内なのでしょうか)

 そう思いながら流れるままに中心区域と外の区域を繋ぐトンネル内に入る。

 暫く進んでつい2日前に見慣れたハダカデバネズミの落書きの前を通り過ぎようとした時、イゴロクはその前で足を止めた。

 そして後続の機械人形がつっかえる。

『申し訳ございません。道を開けて下さい』

 無機質な音声にイゴロクも謝りつつ流れから外れて絵の前に移った。


 近くで見ると丁度絵の左付近に塗られていない箇所がある。

(誰かに見てもらう為の絵ではなく、自分の為にやらざるを得ない絵。かもしれない)

 イゴロクは一つ納得してその為に持って来た油性のマーカーペンを取り出すと空いた辺りに文字を刻む。


 私好みの絵です


 本当に好みと言えるのか、そしてこの文字に意味があるのだろうか。

 その疑問はあったが書かずにいられなかった。

 添えた一言に(他の適した言葉は無かっただろうか)等と熟考しつつ、イゴロクは元の機械人形の波の中へ戻って行く。

 

(この絵が大好きです。良い絵ですね。お上手な絵です。……どれもしっくり来ませんね)

 何度と考えている内に気付けば職場施設の扉の前まで来ていた。

 機械人形の列に並んで番を待ち、その合間に施設外の警告版が掛けられた柵へ顔を向ける。

 その奥のドーム壁の外側である無重力宙域には既に何十機と列を作っているのが垣間見え、今か今かとその時を待っているようだ。

(月の資源を地球へ送る為の機体。私もいつかはあの様な物に乗って地上に降り立つのでしょうか)

 地球へ帰る事は安心感を孕むのか、不安感を募らせるのか。

 そのどちらに転ぶのかイゴロクにはまだ分からない。


 淡々とスキャン装置を経由して室内に入り、倉庫場所へ向かった。

 重い金属製の扉を開いて、相も変わらず広々としたこの一帯。

 端にある見慣れた仮設事務所前へ機械人形達はゾロゾロと決まった位置へ整列し、イゴロクもその規則的な中の一部と化す。

 元気に満ち溢れた様子の太ったツナギの男は、既にその並んだ位置の前へ立っている。

 その後ろには白いボード版があり、書かれた内容は出荷数や破損の物品の報告を主としていた。

 

「えー皆さんおはようございます。今週は忙しい週となりますので、体調等に気を付けながら——」

 男の挨拶と共に既に送られ合致している業務情報をボード版を介しつつ羅列する。

 その語り口調には安心感から来ているのか、確かに落ち着きを得て言葉を紡いでいる様に見えた。

(視点が変わる……とでも言ったら良いのでしょうか。やはりあのお店で気付かされた事柄は大きい)

 タキヤとマスターのやり取りを思い出すと、無性に彼等と会いたいと思うイゴロクである。


「——という所で、再度ですが怪我や体調に注意しつつ取り組みましょう。怪我で毛が無くなるってね」

 長い話の後にうだつの上がらないギャグを残し、配慮を重ねた機械人形達の笑い声に見送られながら、ツナギの男は事務所の中へ戻って行くのだった。

 一気に辺りには作業音や機械の駆動音だけとなり人の気配を無にする。

 イゴロクは瞳を閉じる。


——物流作業用二次的広範囲展開システム A.N.T ログイン——


 目前に浮かび上がるその表記を見つつ意識が遠くなるのを感じる。

(今週の終わりは必ずあの場所へ……)

 the moon shotで起きた一連を回想し、まるで眠りに着くかの様にイゴロクの思考は作業に特化した物へと置き換わる。

 最後に脳裏に浮かんだのは、焼酎を呷るタキヤとそれをバカにする様に笑うマスターの姿であった。


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