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第一話 ロボと爺 ②


 扉を開くと同時に鈴の音が小さく鳴る。

 店内でイゴロクを迎えたのは煌々と天井から降り注ぐシャンデリアの輝きだった。

 淡いオレンジ色の焚き火を思わせる色合いが訪ねた者の心を安らかにさせる。

 下に敷かれた赤い絨毯の道が続き、挟んで右側には複数客用の椅子とテーブルが並び、左には壁で遮られているがカウンターの様な造りが微かに見える。

 その全て。壁に掛けられた富士の山の絵画やその他小物に至るまで行き届いた手入れは店主の人と成りを存分に露にしていると言っても過言では無い。


「いらっしゃい」

 奥から届く店員の声は大きくも小さくも無い。

 著しく低い声色ではあるがその波長には威圧の含みを感じないとイゴロクは結論付ける。

(人に与える為に人が創造した物。その前提ならば、所謂私という存在の先祖と見る事が出来る。……いや、そこまで拡大解釈するのなら世の中の殆どの物はそうであると言えますか)

 肩を組む男に引っ張られるまま更に進む。


 壁で隠れていた部分が徐々に顕になると左手側にはやはりカウンターがありその前に6席が用意されていた。

 主に一人客用の席と考えられるが、この様な煌びやかな店に一人で来るのも中々肝が据わっている。

 椅子の尻の当たるクッション部は絨毯の色と合わせているのか赤いビニール製で、艶やかにシャンデリアの灯りを反射していた。

 男はイゴロクの肩から手を離し、慣れた足取りでその椅子に腰掛ける。

「よっこいしょっと。……イゴロクも座れよ」

 まるで自分一人だけか使うのだと言わんばかりに真ん中の席を陣取った男であるが、その隣の椅子を軽く叩く姿には力がなかった。

 促されるままにイゴロクも席に着く。


 座ったは良いものの店主の姿は何処にもない。

「居られないようですね。先程声はしましたが」

「裏で何かやってんだろ。その内来る来る……お、待てねぇからこれ貰っちまおう」

 男はそう言ってカウンターの端にある焼酎瓶を手に取り蓋を開け直接喉に流し込んだ。

 まるで水でも流すかの様な姿にイゴロクは救護機能が起動しそうになるも、笑顔を浮かべ気分良く飲んでいるので(必要ないですね)と判断する。

「はぁっ!! 喉が焼けるぞこりゃあ!!」

 一息吐いた男は感想を述べた。


 イゴロクはカウンター奥の目立つ棚に目を向け、その取り揃えられた日本酒から洋酒の複数ラインナップを記録。商品の大まかな価格データを読み取るとその平均値を算出。

 その値から主に中〜低所得者に向けた価格設定の店であると結論付ける。

(仕入れている酒類は裏通りの大衆店にも下ろされている物が多い。モルトウイスキーに限り幾つか見合わないですが、これは店主の趣味という所でしょうか)

 所謂箔付けという物か、高価なウイスキーの3点が棚の右端にひっそりと固めてある。


「おい。何勝手に飲んでやがる」

 ふとくぐもった声が聞こえて、カウンター奥の扉が軋み上げる。

 扉を開けて現れたのは、やけに着古したスーツを身に纏う中肉中背の男だった。

 皺を直さず寄れているという訳ではない。ただ使い古した服の繊維が燻んでそう見えるのだ。

 長年に渡り手入れを欠かさず物持ちを良くして来た結果とも言える。


 整った顔付きには歳の波を隠せず、しかしその鋭い眼光は過去培われて来た物をありありと感じさせる。

 スーツの男はその視線を隣の飲んだくれに向けつつカウンターの前に立つ。

(隣の方は白髪のままですが、このマスターは恐らく黒染めをしていますね。そして七三分けの髪型。内装といい几帳面、神経質な性格が伺える)

 イゴロクはそう結論付けて飲んだくれに視線を戻すと、また水の如く酒を呷っていた。


「そうカッカすんなよ。こんな酒俺が一本空けたって誰も飲みゃしねーよ」

 男は飲み口を離し、また酔いが回って来たのか体を揺らしながら言葉にする。

 その様子にスーツの男はため息を溢す。

「此処は俺の店だぞ? マスターが出るまで待つのが客の礼儀だろう。何処の世界に勝手に飲み始める奴が居るんだよ」

「こ、こ」

 おちょくる様なその言葉は、スーツの男の額に青筋として浮かび上がった。

(心拍数呼吸音及び強張った体から怒りの感情を確認)

 イゴロクは淡々と分析をすると右手を高く挙げる。


「横から失礼致します」

 イゴロクに気付いたスーツの男は視線が移る。そして鳩が豆鉄砲を食らったかの様に表情を崩した。

「あん? 機械人形か? おいタキヤ、お前が拾って来たのか?」

「今日出会ったんだよ。こいつオイル探す為に居住区の方まで来てやがったんだ。おもしれぇだろ」

 タキヤと呼ばれたその男はまた一口流し込む。

「ったくお前は。人だけじゃ事足りないのか」

「おもしれぇ奴等は全員引っ張って来るぜ。てか表に貼り紙出してんじゃねぇか。驚く事かよ」

「あれはだな……色々事情があって……」

 スーツの男は言葉切れが悪く顔を悩ませる。

(会話の内容から推察するに私以外にも連れてこられた方が多数いるようですね)

 蚊帳の外に置かれ気味なイゴロクはそう思うのだった。


 スーツの男は眉間を押さえる。

「はぁ……あんたは精製オイルだな」

「ええ、その通りです。頂けますか?」

「ちょっと待ってな。……導入したばかりだからまだ慣れてねーんだ」

 渋々と言った具合に扉の方へ戻るのを見送ると、妙に静かな空気感に包まれる。

「あ!」

 ……その途端に壊すかの様なタキヤの声が響く。

「どうしましたか?」

「そういや名前教えてなかったなぁと思ってよ。俺ぁタキヤ・ニシホリ。純日本人の39歳だ」

 そして左手を差し出した。

 イゴロクも言われてみれば名前を知らなかったとその手を受け取って、個体識別番号タキヤ・ニシホリの名前と年齢を背丈、体重、顔の作りと共に蓄積データ内に保存。

 左手の指紋と手相の登録まで済ますとその手を離した。


「タキヤ・ニシホリ様。確かに記憶致しました」

 タキヤは態とらしく口角を上げる。

「イゴロクよ。お前、何かやりたい事でもあんのか?」

「と、申されますと?」

「いや、ずっと考えてはいたんだが不思議でよ。節約思考っちゅうのか? 俺達みたいに不自由な欲なんかねぇんだから尚更分からなくてよ」

 その言葉にイゴロクは(店前での話の続きですね)と納得する。

 前後関係があやふやなのは酔っ払いの常である。

「欲なら多分、私にも有ります」

 浮ついたタキヤの語調とは裏腹に確かな口調でそう答えると奥の扉が再度開いた。


「持って来たぞ自家製の精製オイル。正直作り慣れてないから確認してくれ」

 大ジョッキに並々と注がれたオイルは、マスターの動きに合わせ溢れそうに揺らめく。

 しかし垂らす事なくイゴロクの前にそれを置き、タキヤの前にも鼻息を漏らしつつ一つのグラスを置く。

 此方にも酒と思しき液体が既に注がれていた。

「おぉ、悪いね。話は置いて一旦乾杯するか」

「畏まりました。それでは……」

 ジョッキを手に取り中の成分を解析。

(“精製オイル”と呼ばれる基準までの純度を確認。申し分なくそれを名乗れる液体です)

 タキヤの方に向き直すとジョッキを空に持ち上げる。


「乾杯」

「乾杯……あっ」

 グラスとジョッキが音を立て、その拍子にオイルが跳ねた。

「申し訳ありません私の不手際です。マスターもう一杯作って貰えますか?」

「いいよいいよ、別に飲めるんだから。勿体無い」

 タキヤは何一つ気にせず、レゴリスグラスと刻印がされたそれを傾ける。

「人の身体に良い成分では無いと思われます」

「そんなん言い出したら酒なんて一滴も飲めねぇだろう。案外これはこれでうめぇんだ。……それに所詮娯楽なんだからよ、色々擦り減らしながら楽しむんだよ」

 タキヤの言った一時の快楽の為に自身の未来を差し出す不合理性。これもまたイゴロクの理解が及ばない範疇の概念であった。

 しかしある種の気付きも同時に得ていた。イゴロクが常々感じていた人という存在に対しての引っ掛かりをその言葉で纏められると。

(まるでパズルのピースが嵌まるかの様に綺麗に収まる)

 イゴロクは口を開くとジョッキを口に当て、精製オイルをその吸入口へ流し込む。

 味覚の機能は再現されていないので味は感じないが、それでも美味いと、えも言えぬ感覚はあった。


「ご馳走様でした」

 一度に飲み干した後ジョッキをマスターに手渡す。

「イゴロク……だったか? 気にしなくて良いぞ。コイツは馬鹿なんだ。馬鹿はそう簡単にくたばらん」

「馬鹿は簡単に亡くならない。確かに記録致しました」

「酔っ払い様のおな〜り〜」

 一瞬空気が冷え込んで、イゴロクは今の記録したデータを重要項目とし、本体とクラウド上の二重保存に値する物と判断する。

 マスターは吐き出す様に一つ嫌味な笑みを浮かべ指先をグラスに向けた。

「因みにその中身水だからな」

「はぁ!?」

「ばっはっは! マヌケが! 味の違いも分からない舌で語りやがってよ!」

 目を大きく見開いたタキヤであるが、未だ半分以上残るグラスを目線の高さまで持ち上げて懐疑的な視線を送る。


「嘘だろう……あまりにも酒なのに……。ちょいイゴロクよ、本当に水か調べてくれや」

「そこまでするかね。ただの水道水だよ」

 カウンターに置いたグラスをイゴロクは成分スキャン機能を用いて分析を開始する。

「カリウム、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、ケイ素、そして塩素成分。……オイルを除けばごく一般的な純然たる水道水であると確信します」

「ほらな。こりゃ断酒の時も近いね」

「……いや、俺ぁ酒を止めるつもりは無いぜ。尿意は止まらないからトイレ借りるがな」

 タキヤはふらつきながら立ち上がると、店の出入り口の反対へ歩いて行く。

「便座から漏らすなよ」

「狙った的は外さねぇよ。知ってんだろ?」

「さっさと行けよ」

 そうしてタキヤの姿が消えると暫くして扉を強く閉める音が響いた。


「おかわりいるか?」

「お願いします」

 マスターは「はいよ」と返し、彼もまた姿を消すのだった。

 2人が居なくなると辺りには妙な静けさだけが残る。

(ただ燃料の補充というだけなのに、随分と話が広がってしまいましたね)

 イゴロクはそう思いながらも不思議とこの出来事を失敗とは判断しなかった。

 閑古鳥の鳴き続ける店内に、遠くから勢い良く水の流れる音が耳に入る。

 そして足音が段々と迫る。恐らく用便が済んだのだろう。

「あ゛ー、スッキリした」

 枯れ気味の喉に濁声を孕んで戻ったタキヤは元の席に。

「お帰りなさい」

「よし、さっきの続きだ。イゴロクの欲とやらを聞かせて貰おうじゃねぇか」

 忘れていなかったのか酔いが覚めたから思い出したのか、また唐突に持ち掛ける。


「大仰に言いましたが実際の所、それが一般的な欲と解釈されるかは疑問です」

「まぁ話してみろって。そうじゃなきゃ判断なんてつかねぇんだからよ」

 タキヤの言葉が切れると同時に、ジョッキを携えたマスターが現れる。

「はい、お待ちどう」

「ありがとうございます」

 受け取って半分程を口にする。

「私は……地球へ行ってみたいのです。入り口に飾られている富士山の絵画の様な、そんな景色を直に目の当たりにしたい。その為にお金を貯めています」

 続けてそう言った。

 タキヤは吹き出す様にゲラゲラと大笑いすると、イゴロクからマスターの方へ視線を移した。

「な? 面白いだろ此奴」

 その言葉にマスターも一つ笑う。


「……そうだな。でも憧れてる内が花だ。今見れる物なんてたかが知れてるよ。日本古来のものだって殆ど焼けて残っちゃいない」

「まぁ富士山も噴火しちまったからな。山頂の雪化粧も禿げて風勢もクソもねぇや」

 2人の語る情報は勿論イゴロクの内部データに記録されている事柄である。

 災害や紛争の蔓延る地上に降り立つ危険性も重々と承知している。

 しかしそれでもと、イゴロクは残りのオイルを飲み干した。

「地球での不安定な情勢は私も知る所です。しかしその立ちはだかる障害が、取り止める程の効力を持つかは甚だ疑問です」

 自分がどうしてそこまで拘るのか、内心に理解が及ばない以上これを人の言う欲と定義するのは少々憚られるものがあった。

 その考えについて100%の解析が済んだ時、改めてこの何らかのバグに名称を与える事が出来る。

 何故かは分からないが根拠のない確信だけは存在した。


 マスターはふと遠くを見る様に目線を細めた。

「地球か……。昔は時々無性に帰りたくなったもんだが何時からかね、そんな事も思わなくなったが」

「気付いちまったからだろうなぁ。皆こっちの方が天国だって」

「確かに空の先だわ」

「ちげぇねぇや」

 2人はまた小さく笑う。

「俺達にゃ寿命の縛りがあるからよ、色々と人生諦めないと立ち行かねーんだ。でもイゴロクは機械の体で無理が出来る。それならやりたい時にやりたい事をってのが一番かね」

 タキヤはまだ余るグラスの水に焼酎を注いで一息に飲み干した。

「時間が開けば開く程、何故あんなに執着していたのかって冷めた目も向けるからな。そうなる前に手を付けるのを勧めるよ俺は」

 そして含蓄のあるマスターの言葉。

 2人に共通する少しの後悔を含めた声色は、イゴロクにはただ平坦に悲しみの感情として伝わるのだった。


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