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オーロラはミランダ達から見ても至極落ち着いている。
(渦中の人…であるのにも関わらず、泣きも喚きもしないわ)
今までの相談者達の決死の覚悟で登場する様とは明らかに違い、オーロラは冷静さを失わない。
ミルヒに至っては一回り以上年下の女生徒の風格に完全に呑まれていた。
「そして、今回のテーマは芸術品鑑賞です。
家の財政状況もございますし、曖昧な括りでしたので皆様が思い思いに持ち込まれた色んなお品物を並べ鑑賞する、といった趣向でした」
ある者は刺繍の立派な作品を持参し、ある者はデコラティブなケーキをパティシエを帯同して作らせた。
そしてオーロラは自宅にある名画『100枚の鏡』という巨匠『セフェリノ・サリ』の油彩画を運ばせた。
「我が家は歴史だけは古いですから、古い人間の遺したものは結構ございますの」
レミントン家の宝物倉庫の中身はとんでも無いのだな!とミランダは驚いたがオーロラはそのことはどうでも良いと言わんばかりで話を続ける。
そしてウェブスター侯爵家の芸術品としてララは『壺』を持ち込んだ。
「近年世界的に有名になりました<ノア・コッポラ>の作品ですわ。皆様ご覧になるのは初めてではございませんこと?」
ララは顎をツンと上向け、得意気に話し始めたそうだ。
ノア・コッポラは近年亡くなった陶芸家である。
繊細な絵付けと、ダイナミックな造形。
一躍有名になったのは連合国の首長と皇帝が買い上げたと言う茶器のセットだ。
その作品はあまりの素晴らしさに幾人もの絵師が美術館に足を運び絵画として残している。
残念なことに我が王国にはかの巨匠作品はあまり持ち込まれていない。
コッポラの出身国が遠いことや、茶器や壺などの陶器は海上運搬が困難な為、持ち込まれることが稀なのである。
しかし芸術の国と呼ばれるスーペリア国で認められた芸術家の作品はどの国も大変に重宝がる。船便が僅かだが安定して来た近年、投資として購入する貴族も見られる様にはなった。
茶会に参加した令嬢達の持ち込んだ品物の中では当然ウェブスター家の壺と、レミントン家の絵画が話題となる。
どちらも世界的に有名な巨匠の作品であるが故にその場の令嬢達も非常に興奮気味だ。
『博物館からも展示を頼まれましたのよ。』
とオーロラが言えば、ウェブスター一派はレミントンのテーブルを睨みつける。
そして勿論ウェブスター一派の期待を受けてララも口撃を開始する。
しかし……………
『我が家はあの壺がとても素敵だからスーペンス国から態々大きなお船で運んだのです』
大海を二か月かけて渡る船旅をした壺よ!凄いでしょう!と言いたいらしい。
話し方の幼さと意図が読めず周囲はララの言葉に微妙な空気となる。
[だから何?]
と、いう突っ込みは入らない。腐ってもララは侯爵令嬢だからだ。
ララは貴族の言い回しが不得意でこの様な場で立ち回る時、うまく行ったことがない。
皆がララの言葉に『???』となっているのをオーロラは微妙な気持ちで受け止める。
(本当に、締まらない子だわ)
敵対勢力のララを一応叩かねばならない悪役令嬢は形だけでもと少しだけ揶揄った。
『まぁ、素晴らしいですわね。
あちらの壺はお幾らで買いましたの?』
(成金ね。またお金の力で威張る気?)と。
流石のララもそれを嫌味だと理解したらしい。
顔を真っ赤にした。
しかし口から飛び出た言葉は
『父が金貨100枚と申してましたわ!』
と馬鹿正直なものだった。
(カリア様に比べて……いえ、人と比べるのはよく無いけれど同じ教育を受けたはずなのに何故こんなお馬鹿な返答をするのかしら?)
誘導してしまったとは言えオーロラはララに対して頭を抱えたくなった。
+++++++++++++
「ララ様ってそんなにば…口下手なの?」
ミランダは言い直したが『馬鹿』と言おうとしたことは間違いなく、呆れたように目を見開いた。
「ええ、万事がこの調子です。
だから侯爵家なのに王子の婚約者に確定されないのだけれど。
なんて言ったら良いかしら?ウェブスター家の姉君を私も存じているけれど本当に出来た方なのです。
人格者だし、頭の回転も早いし。
それに比べるとララ様は甘やかされて育った印象ですわ。
貴族の子女ならお金の話なんて具体的に言っては恥ずかしい事なのにそういう事が彼女は分からないみたいでして…
私も揶揄うように誘導したので悪かったのですけれど、そこは『頂き物ですのよ、巨匠がまだ芽が出ていない時に我が家が後援者でしたの』がスマートで正解なのに『金貨100枚』って、私も思わず絶句してしまって」
そう言うと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
オーロラの本心を語るなら、このような言い合いは馬鹿げていると思っていた。
ララはオーロラから見れば素直で可愛い同級生だし、親が絡んでいなければ普通に接したいと願っている一生徒だからだ。
ライバルと捉えるにはララは余りに可愛らしすぎる…と言ったところらしい。
このように口論になった時は大概流れが決まっている。
どちらかの派閥が嫌味を言えば、反対勢力も一言二言返す。
引っ込みがつかなくなる前に『あらあら』と中立派閥の誰かが間に入り『お二方とも立派なことに変わりはございませんわ』と仲を取り持って終わるのだ。
いつものように『宴もたけなわではございますが…』とサリンジャー家が言い出すのを待っていたのに、その日に限ってホストであるメイベルは口を閉ざしたままだ。
テーブルで席を隔てているとはいえ、各々の令嬢のやり返しが熱くなってきた。
するとウェブスター派閥の一人が場の空気を戻そうと発言した。
「この様な素敵な作品を間近で見ることも、今後中々ございませんわ。皆様最後にゆっくり鑑賞してお片付けをお願いいたしません事?」
オーロラが中立派閥のテーブルを見ると皆一様に表情が強張り黙りを決め込んでいた。
今日の中立派の生徒たちは皆地位も低く、性格も控えめな人間ばかり。
その上メイベル・サリンジャーは主催者としての役割をその日は気もそぞろで上手く果たせていない雰囲気である。
(具合でも悪いのかしら?)
互いのテーブルの聡い令嬢たちはメイベル達が動かないことに違和感を感じつつも素早くその場を収めることを望んでいることは明白。オーロラとララを立てて場を締めようと発言した。
ライバルのテーブルとは言え上手く会を終演に近づけようとしてくれたことにオーロラは内心胸を撫で下ろし、
『普段は宝物庫から出さないものですの。どうぞ間近でご覧になって』と誘導を始めた。
どう動いて良いかわからなかったララもオーロラたちの動きに倣い
『ノア・コッポラの作品は絵付けが素晴らしいの。是非お近くで細部まで見ていただきたいわ』と立ち上がる。
集団はテラスのテーブル席から室内の作品が飾られたテーブルの前へと移動した。
一番広い壁にはレミントン家の絵画が。
ノア・コッポラの壺は部屋の中央、一本脚のラウンドテーブルに置かれていた。
少女たちの腰まであるような大きな壺がラウンドテーブルで目線の高さで見るとさらに迫力がある。
壺の絵付けが美しいとララが話していただけあって、絵画のようなその模様は多色に彩られ素晴らしい。神話に基づく雄々しい騎士がドラゴンの討伐をしている様が描かれていた。
壺の持ち手は金箔仕上げ。
その持ち手も翼を象った複雑なラインが魅力的である。
そしてその持ち手のそばには全裸の神が男女含め数人描かれている。
彼らは地上を見守る様に描かれており、細部の美しさにどの少女も立ち止まった。
「本当に壺は見事な絵付けで私も一瞬見惚れたのです。
だけど…違和感も感じました。
立派な作品であることには違いないのですが、何かが『違う』。
言いようの無い気持ち悪さをその壺は訴えている。
そう思えました。
それで、思わず呟いてしまったのです。
『これは本物のノアの作品かしら?』と」
その囁きを運悪くララは聞いてしまいその場で逆上した。
オーロラも我に返り謝罪したがララは激しく怒り出したそうだ。
それに応えるように派閥の令嬢同士で激しい罵り合いが始まりその場は大騒ぎ。
サリンジャー家の家令と各々の家の護衛が部屋に慌てて入る程令嬢たちは声が大きくなっていた。
最後には侍女や護衛が、我が家のお嬢様に怪我があってはならない!と部屋から連れ出す始末。
「私は慌てて失礼な言葉を詫びたのですがララ様は聞く耳を持たず、私を壺の前まで手を引いて連れて行ったのです。
『どこが偽物なのよ!』と怒鳴りながら。
私も彼女の剣幕に驚き思わず手を力一杯振り解きました。
そして悲劇が起こったのです」
「ララ様がテーブルにぶつかって壺が落ちたのね」
「はい。
勿論、態とではありません。ですがララ様は壺を偽物と言われて大層腹を立てられ、凄い力で私に掴みかかったのですよ。
それで思わず手を振り解いたらテーブルから壺が落ちて」
オーロラは空で手のひらをパッと広げた。
「バリンですわ」
「ブッ!!」
金貨100枚の壺を割ったにしては随分とあっさり話すものだから思わずミルヒは吹き出した。
「でも、それならテーブルにぶつかったララ様も同罪なのではなくて?
オーロラ様お一人の責任というより、争ったお2人で…と、なるんじゃございませんか?」
「ところがサリンジャー家の侍女とメイベル・サリンジャー様が、私がララ様をテーブルの方に態と突き飛ばしたと証言したのです。
私は手を振り解いただけだと申しましたが、今度はそれを証明してくれる友が側に居ない状況でした。あの瞬間は丁度他の令嬢たちは部屋から護衛や侍女たちに連れ出され、貴族令嬢は殆ど残っていなかったのです。
殆どの者たちがドアに向かう所で、中立派の令嬢たちが壁際に避難している…そんな中で起こった事なので私に味方はいませんでした。
まぁ、日頃から私は悪評が付き纏っていますしね」そう言うとオーロラは肩を竦める。
その姿は自分の状況を自ら嘲笑うようにも見え、ほんの少し痛々しい。
「で、オーロラ様はそのお金を払いたくない?ってことかしら?」
ミランダはオーロラの様子をさして気にも止めず話を促した。
「ここは間違えて欲しくないのです。
【ノア・コッポラ】の作品なら私は自分の私財を掻き集めてでもそれを支払いましょう。嵌められるような状況を作り出したのは私の落ち度ですし、貴族として弁済を渋るなんて矜持が許しませんもの。
けれど万が一にもそれが偽物ならば私はそのお金を払いたくはありません。
私は偽物の壺で人生を狂わされるほど安い人間ではないし、なぜそのような状況に追い込まれたのか知りたいと思います。
そして私を貶め、嵌めた人間を許さない」
オーロラの瞳は先ほどののんびりとした雰囲気とは打って変わり瞳の奥に強い力を宿した。
ミルヒはミランダと同じ強烈な『力』を彼女から感じる。
その背後から立ち昇るオーラのような見えない圧は生まれながらにしか持てない何かだ。
ミランダは「そう………」と言うと腕を組み暫し考え込んだ。
「貴女が一瞬でその壺を偽物だと思った根拠は?」
「それが判れば苦労しないのだけど、単純に『違和感』といった何かですわ。
大きなパズルのピースがあと数個と言う時に『これはこの絵のピースと違う!』と気がつくような気持ちの悪さがございました。
明確に判ればもう少し手が打てそうなんだけど…ごめんなさい」
「ポイントはオーロラ様の話を聞いた限りじゃ『嘘の証言をした』と言う人間がいることが問題ね。
メイベル・サリンジャー子爵令嬢との関係は本当に良かったわけ?意地悪をしたこともないのにどうして嘘の証言をされたの?」
ミランダは聞きにくい内容もズバリと直接告げる。
すると背後に控えていたマイロ・ポールソンが初めて口を開いた。
「オーロラ様は誰にも嫌がらせをしていません。
全てが誤解なのです。私はオーロラ様の後ろで常に控えておりますが、主人が人に対して何かしたことは一度もございません。
この一年、特に悪評が流れておりますが全て事実無根。私共も調査中なのですが出所が分からないのです」
表情の変わらないマイロがほんの僅かに悔しさを口角に滲ませている。
敬愛するオーロラが貶められるのが余程悔しいのだろう。
ミランダはそんな二人を交互に眺めてニマリと笑った。
「素晴らしいパートナーを得ていらっしゃるのね」
「はい。私には何者にも代えられない唯一の信頼です」
オーロラは紅茶で喉を潤しながらマイロには優しく微笑んだ。
「解決してくれたら壺の弁償代とまではいかなくても、それなりの額をお支払い致します。
どうでしょう?私を助けることは出来そうですか?」
オーロラはマイロに鞄を開けさせると大きな宝石のついたブローチを取り出した。
「これがその代金として…………」
彫金の上に輝くのは見たこともないほど大きなルビー。
ミルヒは思わず身を乗り出した。
しかしミランダは手を顔の前で大袈裟に振る。
「やめてやめて!要らないわ!
それよりも私はみんなが知らない、貴女だけが知ってる話が聞きたいわ。
上手くいったらご褒美は、それが一番なのよ。どう?侯爵令嬢の貴女はそんな面白いネタはお持ちかしら?
私が話を受ける時はこれが条件なのよ」
オーロラはそんなミランダの言葉に瞠目する。
目の前の赤毛の女が話す言葉の意味が中々飲み込めないのだろう。
だが暫くすると目を閉じて長考を始めた。
ミランダはそんなオーロラを尻目にタバコを取り出し、火をつける。
「なんでも良いわ。学園の秘密でも、王家の秘密でも、お宅の醜聞でも。
貴女から聞いたということは漏らさない。
嘘はつかないでね?
ちゃんと調べるから。
私もこの見た目でしょう?
生まれが不安定なものだから、自分の立場を守れる様に情報を大切にしているのよ。
お金はあるの。だけど命を脅かされない様に情報を沢山知っておくことが大事だって思ってるから…」
そう一息に話すと再び煙草を深く吸い込み、薄くなった煙を吐き出した。
「私の父は力はあるけど私を守ってくれる保証はないわ。
だから知識が要るのよね。
縦糸と横糸を紡ぐ色んな話があるけれど、どんな布が出来上がるのか多くの貴族は知ろうとしない。縦糸の話だけで想像するのも楽しいけれど、横糸の内容も把握すれば見方が変わる。私は仕上がった布の柄を知っておきたいタイプの人間なのよ」
ね?貴女なら分かるでしょ?
ミランダは小さな顔を傾けるとそんな風に同意を求め、オーロラを見つめた。
「貴女は…俯瞰で物事を見られる人間みたいね。益々お願いしたくなったわ。
私が持っている情報は二つです。
我が家の今から起こる醜聞と、王太子の秘密。
私は殿下の婚約者になりたがっていると思われていますが嘘です。私が将来の伴侶に選びたいのはここに居るマイロただ一人」
そう言うとマイロの手を握った。
マイロは瞬時に顔を赤らめたが、愛おしげにオーロラを見つめた。
「そして王太子の秘密は…」
話しても良いかしら?と言うふうにマイロにオーロラが視線を送ると彼は意を決した様に力強く頷いた。
その姿一つで彼らが思い合っていることがミルヒにも伝わる。
オーロラはマイロの視線に励まされたのだろう。
気持ちを決めたとばかりにミランダに向き直った。
「王太子は…多分何度かスーペリア語の試験はカンニングしてるわ。
成績が、どれほどかは分からないけど、多分生徒会の誰かが絡んでいると思う」
「はぁ!?」
思わずミルヒは大声を上げた。
教師であるミルヒからすればそれはとんでもないスキャンダルであるし見逃せない。
いや、逆か。
王太子であるが故に揉み消さねばならないのか?!
「王太子の席はいつも窓際なのを前からおかしいとは思ってました。
隣の席に必ず生徒会の誰かが座っているんですがそれって故意的な感じがしますでしょう。
そんなことを思っていた矢先、生徒会の誰かがテスト時に必ず小声で王太子に答えを口頭で伝えていました。
殿下が何故そんなことをするのか分からないけど、確実に答えを教えて貰っているのです。
まさかと思っていましたが前回のテストで確信しました。
理数系は問題無いみたいですけれど、スーペリア語学のテストは何かがおかしいって。
語学は選択制の授業の一つだから受講者が少ないでしょう?だから殆どの生徒は気がついていないと思います。
私もマイロも授業を受けていますが、この科目は王族や上位貴族だけが選んでることが多いのです。
使い道がそれ程ある言語でもありませんから」
オーロラの発言にミルヒは黙り込んだ。
王家の醜聞にしてはあまりにも危険な話だが、事実なら大きな情報では有る。
証明するのはとても難しい案件だ。しかし、答えを横流ししている子の答案と、王太子の答案を教師のミルヒが見比べるチャンスは無いこともない。
職員室の金庫は共用のもので有るし、スーペリア語のテストプリントはきっと枚数も少ない為タイミングが合えば可能だ。
「カンニング…それって王太子がしちゃダメだろ?でも彼はそれなりに優秀なのになんで文法もこの国の言語と同じスーペリア語学で引っかかってるんだ?!」
ミルヒはふと悩む。
スーペリア語学は王家の学ばねばならない語学の中でも比較的易しい言葉だ。
それなのに、他の難解な科目をカンニングしないのに何故???と疑問が湧く。
「まぁ、それに関しては本題からは逸れるので後で考えましょう。
壺の真贋は難しい事だけど…どうしたものかしら。でも良いわ…………。こんな大きな情報滅多に聞けない!引き受けます」
ミランダは気持ちが固まったのかオーロラにニコリと微笑んだ。
「嫌かもしれないけれど、オーロラ様は壺のお金を集めるのに奔走していると周囲に話してね。
父親の手は借りないと決めているとも言って頂戴」
「ハナからアテにしてないわ。でもそれを口にして歩くのは何だか悔しいわね」
「相手が油断するのは貴女が弱っている時だから、そこは飲み込んで頂戴。
でも私も話を聞いた限り勘だけど壺は偽物の様な気がするわ」
淡い赤髪を掻き上げるとミランダは微笑む。
「証明するのって難しいから時間が欲しいわ。
3週間ってところかしら。支払いはどれくらい引き伸ばせそう?」
ミランダが『支払を3週間は引き伸ばすんだぞ!』とオーロラにプレッシャーを、与えているのは明白であった。