3
++フェリシアの独白++
私には歳の離れた異母姉がいる。
ラビリア王国のフォレス侯爵家に嫁いだ絶世の美女と社交界で謳われた姉プリシラ。
プラチナブロンドに透けるような白い肌。色素の薄いエメラルドのような瞳はラビリア王国のフォレス侯爵様のお心を掴んで離さなかったらしい。二人はラビリア王国の夜会で知り合って恋に落ちた。
母は子爵家の後妻で姉のことをそれなりに尊重していたが何せ歳の差が8歳しかない。
夫から娘だと紹介されたと言っても戸惑ってしまった、と私に話して聞かせた。
『どちらかと言うと姉妹みたいな感覚ね』そう言って笑う母は、多分義姉の美しさは何れ高位貴族の目に留まることを予想はしていたのだろう。
子爵家から隣国の大貴族フォレス侯爵家に嫁ぐと決まればそれはそれは大騒ぎであった。
姉が嫁いだ時私は6歳。
姉は生みの親の伯爵家に養子入りして侯爵家に嫁いで行ったそうだ。
交流が復活したのは12歳の誕生日プレゼントがプリシラから届いてから。
私も手紙をキチンと書ける年になったし、姉と文通が始まった。
姉は夫から骨の髄まで愛されているらしく非常に穏やかに暮らしていた。
だけどたった一つだけ心配なことが。
『跡継ぎが産まれない』ことである。
侯爵家に嫁いだからには何が何でも後継者は作らねばならない。
なのに姉に妊娠の兆候は一切なく夫婦は悩み切っていた。姉の年齢も25歳。結婚して8年目。
姑はまだ良い。問題は舅らしく、
『世継ぎが産めないなら早く愛人を囲え!』と夫に事ある毎に言うそうだ。
ラビリア王国は後継者を作ることに異常に執着するそうで侯爵家の当主として夫がどんなに父親を諌めても言うことを聞いてくれないらしい。
いつかは会いたい…と思いを募らせていた私は、ニコラスがラビリア王国に留学中、遂に姉に会う機会を得られた。
侯爵様が私とニコラスを家に招待してくれたのだ。
異母妹の私を姉はとても可愛がってくれ、ニコラスは姉の美貌に鼻血を垂らした。
(連れて行かなきゃよかったと勿論後悔した)
侯爵様は『僕のことはお兄さんって呼んでくれ』と気さくに話し、姉はそんな旦那様を心から慈しんでいる姿を私たちに見せた。
ニコラスは医学を学んでいた為、姉の不妊に思うところがあったようで後日私に連絡を寄越した。
『侯爵様に検査を受けるように勧めてくれ』と。
聞けば侯爵様は子供の頃に流行病で恐ろしい程の高熱を出し生死を彷徨った経験があるとか。
そのような病気に罹った男は子種が極端に減ってしまうことが有るらしい。
そして検査の結果、侯爵様には殆ど子種が残っていない事が判明した。
姉もフォレス侯爵様も大変なお困り様で舅にはとても伝えられない…と頭を抱えた。
後継を作れないと判れば舅は平気で弟夫婦を当主に切り替えてしまうだろう。
放蕩三昧の弟夫婦であっても子供が作れるのならそちらの方が当主に相応しいと考えるのがラビリア王国流らしい。
姉の手紙の内容に心配した父が子爵領地に二人を招待したのが2ヶ月前。私はそこで全ての事情を聴きどうしても姉を助けたいと願った。
++++++++++
『裏生徒会長が居るって聞いたことある?』
それを話してくれたのは同じ音楽教師に習っている侯爵家の次女だった。
私は彼女とは子供の頃からの付き合いで、ダーナも知り合いだ。
私はフルートを専攻しているが侯爵令嬢は主に声楽。
ダーナはピアノである。
侯爵令嬢とは異母姉をお互いに持つ身であったので意気投合し、二人でカフェなどにも行く仲だ。爵位は高い令嬢ではあるが私は彼女は信頼に足る人間だと思っている。
そんな友人が本当に困ったことがある時だけ叩いて良い扉がこの学園には在ると言うのだ。
「あら?それって学園の怪談話ではないですの?」私がその冗談に笑っていると侯爵令嬢は真面目な顔でこう話した。
「今日のことは誰にも話さないで。私が貴女を本気で助けたいと思うから伝える話よ。
先ず紳士物のハンカチをテーラー『オコス』で買うこと。買ったハンカチにMのイニシャルを入れて下さいとお店の人に伝えるの。
『どのような方に差し上げるのでしょうか?』と聞かれるから『研究棟に住んでいる妖精に差し上げるのよ』と答えなさい。
そのハンカチのラッピングを取りに行くときに日にちと時間をお店の人が伝言してくるわ。
フェリシアは言われた通りの時間にその場所に向かってそこにいらっしゃる方に正直に全てをお話しするの。
そうすればきっと道は開けるわ」
侯爵令嬢の余りの真剣さに私は気圧されたけれど、これだけ真剣に話してくれるのだ。絶対に解決の糸口があると確信した。
解散したカフェからそのままテーラー『オコス』に向かい私はハンカチを選んだ。
「Mのイニシャルを入れて下さいませ」そう言うと店員は和かにどんな人に渡すのですか?と聞いてきた。
「研究棟に住んでいる妖精にプレゼントしたいの」
++++++++++
それから1週間後に私はミランダ・ポルトゥナート伯爵令嬢に会った。
淡い赤髪がフワリと揺れていて、マンダリンガーネットのような瞳は日中の庭園で見ると魂が吸い取られそうだった。
ものすごい美人という訳ではないのに品があって、美しい。
特にきめ細やかな肌と小さな顔には思わず口付けたくなる程だ。
人気のないその庭園で私はミランダ様と味のわからないお茶を飲む。
噂に聞いていたよりもずっと優しい雰囲気の人間だったけど、話している間中煙草を吸っていたので正直驚いた。
「ふぅん。異母姉なのにフェリシアは助けたいんだ。虐められたりしたことはないの?」
気軽な言葉でミランダ様は話しかけてくる。
だけど生まれ持った品格というのだろうか?彼女は王女の風格が何処となくあるのだ。そんなミランダ様に気軽に言葉を掛けられるのは逆に名誉なことだとすら思えてしまう。
「母も私も彼女の事は好きなんです。優しい人間だし、フォレス侯爵家の兄は隣国からでも父を何度も助けてくれました。私はそんな彼らに報いたい」
マンダリンガーネットの瞳を確り見据えてフェリシアは頼み込む。
「ミランダ様…お願いします。何か案はありますか?」
そう言うとミランダはうーーーーんと腕組みをしたまま椅子の背もたれに体を預けた。正直、淑女としては良い格好とは言えないがミランダが気怠そうにそういう動きをすると何だか色っぽくて私は思わず赤面してしまった。
「ある。何となく見当はついてる。
赤ちゃんの目星?はあるのよね。
でもフェリシアが思った結末にはならないかもしれないし、ちょっと辛い結果も想定できる。上手くいけば多分あなたのお姉さまは赤ちゃんを一年以内に腕に抱けるだろうし、侯爵様が墓場迄秘密を守れるんならきっと色々解決出来るかも」
そしてミランダ様はフワリと笑った。
「私の計画通りに事が運べば良いけど、期待しないで待てるかしら?」
だが、その笑顔は何か確信めいたものを持っていると私は感じた。
「あの!!お金を払います!!」
そう言って私は退室前に慌てて財布を開こうとした。
だけどミランダ様は笑ってそれを押しとどめる。
「お金なんて要らないわ、だけどフォレス侯爵様と私が文通できるように取り計らって頂戴。私が欲しいのはそういうお金じゃ買えないものが欲しいの」
「そんな事で良いんですか?フォレス侯爵は今こちらに来てますから直接会えますが?」
私はミランダ様の真意がわからなくて動揺しながらも義兄侯爵を交えた食事会を開くことを提案した。
それから暫くして私の大切な友人。ダーナ・モンカード男爵令嬢が婚約を無惨にも解消させられた。悲しみに暮れる親友の姿にフェリシアは胸を掻きむしりたくなるほどローランドを憎んだ。
後日。
フェリシアはミランダの指示通り、ダーナに『オコス』のハンカチを買うように勧めたのであった。
+++++++++++++
ダーナはフェリシアが泊まりに来るからと自室を整え、夜に飲めるハーブティーを準備した。
『お客様を一人連れていくからそのつもりでいてね』と言付けが昼間に届きダーナには予感めいたものが生まれた。
(きっとミランダ様とフェリシアは来るわ)
そして、馬車の中から茶色の髪の鬘を被ったミランダを見つけたときは(やっぱり!)と鼓動が早くなる。
執事たちを押し退け自ら自室に案内したダーナはミランダとフェリシアに手ずから紅茶を淹れた。
「久しぶりね?どう。体調は?」
ミランダは荷物を下ろすと自分の鬘をポイッとベッドに放り投げる。
そしてベランダ側に足を運び、見た事のない袋を取り出した。
「ごめんね?一服させて?これ赤ちゃんには影響の無い草で出来たタバコだから」そう言うとマッチを擦り甘い香りが漂う煙草に火をつける。
フェリシアは幾分緊張しているようで、その顔色は決して良くない。
ダーナはフェリシアの隣に腰掛けると自分はハーブティーを一口含んだ。
「私の計画が決まったわ。ダーナがこの意見に賛成するなら話を進めるんだけど、自分の意見をキチンと整理してから返事は頂戴ね」
ミランダはゆったりと煙草を楽しんでいるようであった。
大事な話を今からするのだ……
腹を括る時間を態々作っているのだと二人は理解した。
ミランダは夜風を受けながらタバコの吸い殻を袋に仕舞うと3人掛けのソファの真ん中にストンと座った。
こう言う自然な仕草が彼女を女王のように見せるのだろう。
「ダーナ、隣国で赤ちゃんを産まない?」
ミランダは真っ直ぐにダーナを見つめた。
「まだ両親に妊娠のことは言えてないのよね?
私の案に乗ってくれればそのまま親に知られずダーナは表向きは音楽留学をすることになる。期間は1年半くらいかしら。そして赤ちゃんはフェリシアの異母姉プリシラの手によって育てられるわ」
ダーナは驚いて隣のフェリシアを見つめる。姉がいるなんて聞いたことが無かったからだ。
「フェリシアには歳の離れたお姉さんが居るんだけど、二人の間には子供が出来なくて早急に跡取りの赤ちゃんが必要なの。
爵位は侯爵位。ラビリアで赤ちゃんの成長を見守りたいのなら、貴女は乳母としてフォレス侯爵が雇ってくれるわ。でも顔が似てきたら困るから滞在期間は恐らく2歳まで。この約束が守れるなら貴女は音楽を学びながら乳母として仕事をこなし、ラビリア王国に滞在を許される。当然お金も支払われるわよ。
給与プラスご実家に対する援助と王国での宝石の販路。
ラビリアの王太后がサファイアを着けて大騒ぎをした話は貴女は知っているわよね?バイデロン公爵夫人が指輪を譲らなかった件も。
これにはフォレス侯爵が協力してくださったのよ?」
そう言われると全ての辻褄が急にピタリと嵌まった気がした。
モンカード家に急に訪れた幸運。だが、そんなこと普通なら起こるはずがない。
全て、ミランダが何かしら画策したのだ。
「あのね…姉には赤ちゃんが望めないの。フォレス侯爵には体に問題があって。でもこのままだとフォレス侯爵は当主の座を追われてしまうのよ。
姉、プリシラは絶対に赤ちゃんを大切に育てると約束するわ。勿論私も沢山会いに行く。
絶対に不幸な育ち方をするようにはならないようにするから!お願い!姉を助けて!」
フェリシアは椅子から床に滑り降りると土下座した。
「どうか……どうか、ミランダ様のお話を受けて頂戴」
フェリシアは必死に床に頭を擦り付ける。
子爵領の作物が大量の虫で不作になった年、助けてくれたのは姉夫婦であった。
学院を辞めなくてはいけない程の借金も融資してくれた年もある。
自分に出来るのは只管頭を下げることだ。
そして、まだ見ぬ赤ちゃんの将来を少しでも明るくすること………
「顔を上げてよ、フェリシア。
私ね……ミランダ様に子殺しの薬をお願いしたの………その時点でもう母親失格ね」
ダーナはミランダに依頼した内容を最近はずっと後悔していた。
我が身可愛さに、新しい命を流してしまおうとした自分を責めて悔やんだ。
「でもね、最近少しだけ膨らんだお腹を愛おしい、この命を散らさないで済む方法は無いかと悩んでいたわ」
口にするとその気持ちは素直にダーナの中にストンと落ちた。
「でも……どう考えても私は無力な16歳。働いた事もなければ、職を手にするためにまだまだ勉強しないとお金は手にできそうに無いの。
赤ちゃんを産んだところで、育てられず、男爵家の醜聞にしかならない。それにヒルズ伯爵たちから命を狙われる可能性だってある」
そう言うとポロリと涙が頬を伝った。
「ご名答よ、ダーナ。クソ男のローランドだけど伯爵家の男だし、あの家系はまだ男子は生まれてないからね?もしお腹の赤ちゃんが男子だったらヒルズ伯爵やメイフラワー伯爵はこの赤ちゃんを奪ったり継承の問題で殺そうとするかもしれない。
その時に貴女の家の力じゃちょっと弱すぎるわ」
ミランダは紅茶に手を伸ばすと静かに喉に流し込んだ。
(この人はなんでも見通してるのかしら?)
ダーナは不思議な感覚に襲われる。
ミランダの言う未来が脳裏にどんどん浮かぶのだ。
それはいい未来も悪い未来も。
赤ちゃんを殺さなくて済む……
それは自分達母子には過ぎた幸せのように感じられた。
「男子が生まれれば順当に当主の座に就けるでしょうし、女子でも侯爵家だから入婿で良い夫を得られるはずよ。そして、何より彼らにはとても大きな資産がある。子供を育てるにはもってこいの家ね」
ミランダは少しだけ微笑むとクッキーに手を伸ばし齧り付いた。
「姉と相談したの。年に一度音楽会を開きましょうって。
ダーナさえ良ければなんだけど、その時ピアノの演奏に私と一緒に行かない?
そうすれば子供には年に一度は会えるわ。私はフルート奏者、貴女はピアノ奏者として」
フェリシアはダーナの手を握る。
その手は震えており必死さが伝わった。
ダーナは決心した。
制服のジャケットはもうすぐお腹の膨らみに押し上げられるようになるだろう。
ミランダの案に乗れば子供の命は助かり、自分は音楽を学び続けることが出来る。こんなチャンスはきっともう訪れない。
「ミランダ様。我が家の窮地をお救い頂いた上、子供の命まで救って下さり有難うございます。
仰る通りに致しますのでどうぞご指示を」
そう言うと立ち上がってカーテシーをミランダに向けてするダーナ。
その姿勢はとても美しく神々しいものさえ感じた。
静かな時間が流れた。
ダーナはカーテシーからゆったりと顔を上げる。
その強い眼差しはすっかり腹を括った女の顔であった。
ミランダは肘掛けに体を預けると満足そうに微笑んだ。
「良い未来が訪れるように私はこの秘密を一生大切にする。
貴女たちも他言は無用よ。私たちはまだ若い。未来はとても希望に溢れているのだから絶対に幸せを諦めないと約束して」
そう言うと持ってきた鞄の中から葡萄酒の瓶を取り出した。
「残念ながらこれはジュース。だけど美味しいからこれで乾杯しましょう?」
その葡萄ジュースはワインの醸造蔵で作られる商品らしい。
3人はグラスをカチンと合わせる。
「私たちの輝かしい未来に!」
++++++++++
ダーナはそれから2週間後両親に別れを告げてラビリア王国に音楽留学に出立することになる。
急な展開にモンカード男爵と夫人は驚いたが、王太后が経営している音楽サロンの教師が書状を持参し『このような特例は今までにない幸運なのです』と言われれば頷くしかなかった。
確かにダーナのピアノの腕前はかなりのものであったし、ローランド・ヒルズの醜聞が届かない隣国であれば新たな相手も見つかるのではないかと期待したからだ。
モンカード宝飾店の売上は9月以降盛り返す。
「矢張り老舗の宝石はカットが違う。ジュエル『メイフラワー』は普段使いには良いんだが、将来的に残しておきたいデザインはどうしても王家も重宝がる『モンカード』に限るよ」
そう言ったのは誰だったのか。
社交界でバイデロン公爵夫人の指輪は多くの人々が褒め称え、その色合いはモンカードのシンボルとなった。
産地不明のそのサファイアの輝きは隣国ラビリア王国でも騒がれた。
ダーナは一人のピアノ講師と一緒に立派な屋敷で出産まで穏やかに過ごした。
屋敷はフォレス侯爵が治める領地にあり、治安も良く、温暖な気候に気持ちも弾んだ。
周囲には『夫』と名乗って過ごしたその男の名はベイカー。
戦地で片足を失ったピアニストであった。
少々卑屈な28歳のベイカーとは偶に喧嘩もしたが二人はピアノという共通点でどんどん仲を深めていく。
出産までの不安はニコラスとその上司が側について診察を繰り返してくれたので幾分和らいだ。
妊娠7ヶ月目に入ると隣の家にプリシラが越してきた。
プリシラの腹は重たい綿の詰まった装置で膨らませており、どこから見ても妊婦そのものである。
笑うとフェリシアの屈託のない口元に似た妖精のような女性。
ダーナは彼女のことが大好きになった。
隣り合った隣人として二人は交流をはかり始め、遂には一緒に刺繍やお茶会を開く間柄になる。
二人で赤ちゃん用の毛糸の靴下を編んだり、肌着を縫ったりする日々。
ある日、プリシラが刺繍を二人でしている時に声をかけた。
「赤ちゃんの名前は貴女が決めていいのよ?」
ダーナは驚いて鋏を取り落とす。
プリシラは優しく微笑みながらこう言った。
「私ね、ずっと赤ちゃんを産むのは難しいって分かっていたの。夫の事情を抜きにしても、私って食べても太れない体質で多分赤ちゃんを産むのに向いていない体なんだと思う……
それでもフォレス侯爵家の後継を残すことは使命だと思っていたから本当に辛かった。万が一妊娠しても出産時に私の体力じゃ死ぬかもしれないって言われたこともあるのよ?」
確かにプリシラは妖精のように儚く、ウエストは男の片手を目一杯広げた幅しかない。
美しさと引き換えに……とは言わないが、ダーナの目から見ても彼女は出産に耐えられそうになかった。
「私たちは二人で母よ。絶対に大切に子供を育てると約束するわ。
どうか名付けてあげて」
ダーナはプリシラの優しさに涙した。
そして考えに考えた名前は女の子なら『ステラ』。男の子なら『ルクス』。
星を意味するその言葉はダーナが夜空を見上げればいつでも会える。穏やかに光り続ける自分の希望を子供に託した。
そして月が満ちて、ダーナは男の子を出産した。
_______________
フォレス侯爵家では、領地で妻が月を待たずして出産したが子供は命に別状は無いと判断された。
しかし妻のプリシラは出産により体調を崩し1年間の休養を余儀なくされた。
領地を暫く離れられないと連絡すると、姑は非常にプリシラを心配したが、舅は孫の存在の方が嬉しいらしく『でかした!良くやった!良くやった!』と王都の屋敷でプリシラを褒め称えた。
一年後。
王都の屋敷に戻ったプリシラの腕に抱かれた孫を見た時、二人は跳び上がらんばかりに喜んだ。
その男子はプリシラそっくりのプラチナブロンドにフォレス侯爵と同じ碧眼でとても美しい赤ん坊であったという。
ダーナとベイカーはその後侯爵家で乳母と使用人として1年間勤め上げ隣国に戻って行った。
ダーナという乳母はピアノが上手で毎日、侯爵家のサロンで夫人のプリシラと赤子に歌を披露したらしい。
ラビリア王国の音楽学校を優秀な成績で卒業したダーナはその後ベイカーと入籍を決める。
ベイカーも数年後にピアノコンクールで優勝し片足のピアニストとして世界に名を馳せることになるのだがそれはまた別のお話。
ベイカーの傍らには常に愛妻のダーナが寄り添っており、二人は筆頭後援者であるフォレス侯爵家の音楽祭には毎年必ず出演した。
人生終盤のベイカーの手記には妻の献身が熱く書き込まれているがダーナはそれを読むことなく儚くなった。
しかしその人生はとても輝いていたと二人の息子は語った。
<<<<<<<<<<<<<<<<
ミランダは理科の実験棟の窓を開けると椅子を引きずって窓辺に腰掛けた。
足は勿論椅子の上に投げ出しており行儀悪いことこの上ない。
煙草を取り出すと平皿を灰皿に一服始める。
これが彼女の放課後のスタイルであった。
「貴女が予想した通りダーナ・モンカードは妊娠してたね。全く……すごい観察眼だよ。吐いてるのを見たのは一度きりだろう?」
生物教師のミルヒはビーカーにコーヒーを注ぎながらミランダの側の椅子に座ると自分にも一本寄越せと指を立てた。
「2年前にうちのメイドが同じように吐き戻していたのを何度か見たのよ。ランチが終わってからとか、匂いのキツイものを嗅いだ後とかにね?そしたら妊娠してて。
まあ、ダーナの場合は精神的な色々もあるかな?って思ったけどヤリチンのローランドが手を出さない訳ないって思ってたから、総合して確信してたかな?」
夏に比べて陽が落ちるのが早くなったことをミランダは少し寂しく思いながらミルヒに煙草を渡す。
「ローランドはこれからどうするんだい?ダーナたちのことを考えたら一泡吹かせたいとか思ってるんじゃないの?」ミルヒはタバコに火をつけると深く深く吸い込む。
美味いな!これ!と言いながらミランダの赤髪を眺めた。
「そっちは多分何もしなくても弱っていくと思うの。
モンカード家を助けた段階でメイフラワー家の宝飾部門は恐らく大打撃よ。今までみたいに可愛いアクセサリーを売ってたら良かったのに老舗の地位なんか狙うから多分大惨事」
そう言うとミランダは肩を竦める。
「どういうこと?」
「モンカード家は元々貴族用に品質の良い石を扱っていたの。メイフラワー家はお抱え職人も居ないのに無謀にもその顧客を奪ったのよ?良いサービス、良い品物を知っている彼らが三流の品物と接客で満足する訳無いじゃない。半年もしないうちにクレームだらけになる筈だわ」
「でも、貿易で良いところの商品バンバン仕入れてるんじゃ?」
「だからダメなのよ。高級なアクセサリーはその分細工も細やかで繊細でしょう。一回ずつ壊れた商品の修理の為に船を出すの?そんなこと繰り返していたら運搬料金だけで大赤字になるわよ。それにメイフラワーの店に行ってみたけど接客も酷いものね。
石の意味も解っていなければ、カットの名称も知らなかった。あれじゃあ、上位貴族を相手には出来ないわ」
そう嗤うとミランダは二本目の煙草に火を着ける。
「それにしてもローランドは何でダーナを孤立させたんだ?愛してるって何度も囁いたってダーナは言ってたけど俺は信じられなかったなぁ。ティナ・メイフラワーを好いていたんだろ?なのに夜這いはするし、一体何なんだ?」
あの日、ミルヒはダーナの話をカーテンの陰でずっと聴いていた。
ダーナは飛び上がるほどの美人ではないが小柄で清楚で可愛らしい雰囲気の女生徒であった。だがローランドが惚れ込むとも思えなかったし、ティナの方が派手で男好きする雰囲気がある。
「そうね……
私も少しそこはハッキリしないんだけど、多分ローランドはそれなりにダーナを好きになったんじゃないかと思うの。それが私の結論」
「へぇ!!あんな派手な美人が側にいるのに?」ミルヒは驚いた!と言わんばかりに目を見開いた。
「単純に愛を囁いて、惚れさせて、金庫の番号を聞き出せば良かったのにローランドは結構執着してるような感じだったよね?友達を遠ざけたのも陰口とかから遠ざけるだけの作戦かと思ってたんだけど……
でも私が男だったらティナよりダーナみたいな女の子と結婚したいな」
あ………!!
ミルヒもそれを考えるとハッとなる。
ティナのように派手で気の強い女は将来的に鬱陶しい。しかし家にあのように穏やかで可愛らしい女が待っていてくれたら……そう思うと確かにダーナは優良物件だと思えた。
ミルヒのハッとなった顔を見ながらミランダは笑う。
「男って、か弱かったり、守ってあげたい擦れてない女の子に最終的に惹かれるものなのよ。
地位とかそんなこと全部取っ払って仕舞えば、純潔で自分しか知らない可愛らしい存在は貴重じゃない?だからローランドは普通に『汚れた世間からダーナを守る』ってスタンスをいつの間にか取ってたのよ」
ミルヒは納得がいったとばかりに頷いた。
「まあ、ここからは想像だけど、計画はメイフラワー家が立てたものなんでしょうね。だから片棒を担がされたローランドにはどうすることも出来なかった。その証拠に彼ったらダーナには一度しか手を出していないの。それに花や手紙を贈って機嫌を取ろうとしていたわ。性欲処理にダーナを抱くには余りに丁寧過ぎるように感じちゃう。
ぶっちゃけ、直ぐに脅して番号聞き出せば良かったのに彼は随分時間をかけてたわ。
金庫を破った後に学校に来なかったのは両家から監禁されて説得されたってところじゃないかしら?
まあ、貴族の男子たるもの柵はあるだろうけど自分で道は切り開かなきゃね?」
ミランダは思う。
ローランドはダーナの妊娠に少し気がついていたのではないかと。
しかし、彼女をどうすることも出来ない哀れな男は彼女が他の男の手に渡らないように『嫌な噂』を流した。婚約が解消された彼女が他の男の手を取る姿を彼は見たくなかった……そんな気がしてならない。
結果として危うく親子ほど歳の離れた男に嫁ぐことになりそうであったが、浅慮で目先のことばかりに囚われているローランドにはそれを先見する力はない。
恐らくこれから一生メイフラワー家に飼い殺されるのだ。
「私に依頼された話は今回二件。
二人の令嬢は満足したと言ってくれたし、私はいずれ大きなサファイアを買う権利を得られた」
「それにラビリア王国のフォレス侯爵家の秘密も握った。満足?」
ミルヒはニヤリと笑う。
最初はダーナが悪阻の兆候を見せたのが始まりであったが、フェリシアの相談はまさに天啓であったとミランダは思う。
良い結果であった……とは思わない。
しかし、お腹の中に宿った命を救う手助けにはなったのではないかと思ってはいる。
「ええ、幸せに向かって前を向いた人間が一人でもいるのなら私は満足よ。
さ、もう一本吸ったら帰りましょう?」
そう言ってミランダはミルヒにも煙草を渡した。
>>>>>>>>>>>>>>>>
ティナとローランドは卒業後に結婚。
しかし、二年後にティナは褐色の肌の男子を産んでメイフラワー家は大騒ぎとなる。
宝飾店部門の拡大を狙っていたメイフラワー家は三年でその部門の拡張を諦めることになるが理由はミランダが予測した通りであった。
ローランドは以前のように夜会や遊技場で女性漁りをすることは無くなったが音楽会には足繁く通う姿が何度も目撃されている。
噂好きの貴族たちはこう話した。
『逃した魚の大きさに今頃気がついたらしいよ?』と。
これにて宝飾店ダーナ編は完結です。
ざまぁも無ければ緩い感じですが、ミランダのお話はまた考えていきたいと思います。