二十三夜参りの呪い 3
犯人は分かっている。そう断言したいのに肝心なところでその尻尾を掴み損なってしまう。決定的な証拠を掴まねば相手と共倒れさえ許されない巨大な権力であることは知っているのだ。ミランダの敵は父の足元にいる誰かであり、唯一の味方は悔しいが父であるバイデロン公であることもミランダの心を重くしている。
バイデロン公爵は三人の子供の父親だ。
長兄シュレック、長女ニコラ、そして次女が母親が違うミランダ。
公爵家は王家に次ぐ実力があり、金を生み出す才にも恵まれていた。ミランダには幼い頃から謎の預貯金がたんまりとあったのだ。
だが、金を産む家には必ず権力争いがあり、ミランダもその中に巻き込まれている。
長女のニコラは三十四歳。隣国の公爵家に嫁いだが年上の夫が去年情婦の上で腹上死した為、怒り狂って子連れで帰国したばかり。
自分の命を狙うのは兄であるシュレックだと思っていたが、このようなタイミングで暗殺の手が伸びてくると『ニコラの可能性もあるのかな?』と迷いが生まれる。
生まれてこのかた、一度だってバイデロン公爵家の名前を名乗りたいと考えたことはないが公爵家の潤沢な資産を狙っているとシュレック達の周辺はいつも考えているらしい。
今日は偶々万能の解毒薬を持っていたから助かった。マグナの葉から抽出したエキスでミルヒが作ったオリジナル解毒薬の効果は抜群であったのだ。
自分はいつ死んでも構わない!と悪態をついていたのは三年前。実際に初めて殺されかかった時、ミランダは死に物狂いで敵から逃れた。
『本当にバイデロン公と同じ髪の色だ』誘拐犯の男達は十五歳のミランダをずだ袋の中に放り込んだあとそう話していた。
『ご主人様達もこの少女の見た目じゃ心配で落ち落ち寝られんだろうからなあ。もしかしたらバイデロン公に一番似ているんじゃないか?』
そう話した小柄な男はポルトゥナート領地にある沼地にミランダを沈めるつもりであったに違いない。
大量に錘用の石が積まれた幌馬車には、黒い布と防水の敷布が準備されていた。
恐ろしくて悲鳴が漏れそうになりながらミランダは祖父から持たされていた護身用のナイフを下着の中から取り出し、麻のゴワついた袋を切り裂くと逃げ出した。相手の誘拐犯達もまさか深窓のご令嬢がナイフを隠し持っているとは思っていなかったらしく速度が落ちる登り道でスルリと移動馬車から逃れることができた。
ポルトゥナート伯爵と夫人は擦り傷だらけで帰ってきたミランダを見て涙を浮かべたが、ミランダは自分の考えが甘かったと痛切に感じた。
(どんなに田舎に隠れようとも彼らは追ってくるのだ。ならば戦うしかない)
人間死んでいいと口にする人ほど生に固執しているのだ。
ポルトゥナート伯爵は頑健で、幼少期より生き延びる術をミランダに教えてくれたが、それは非力な彼女のほんの僅かな支えにしかなっていない。
『殺されてたまるか』そう思って生きているから自然と身についたものの大きさに比べてみれば………
今日は酒場から出て自宅に帰ろうとしたところで変な眩暈に襲われ、慌てたミランダは咄嗟にミルヒから貰っていた解毒薬を飲み下した。それは一瞬の判断。
今回はギリギリのところでことなきを経た。
理科研究棟にミルヒが居るかもしれないとフラフラと這うように戻ってみれば、猛烈な吐き気に襲われ胃の中のものを全てひっくり返した。ルーランドがその後介抱してくれたが15分ほど記憶が曖昧である。
毒に慣らしたミランダにこれほどの症状を引き起こすのならそれは間違いなく致死量の毒だったのだろう。
(私はまた生き延びた。必ずいつか自由を手に入れるの)
ミランダは理科棟で意識を取り戻した後改めて心に誓った。
ルーランドの家族の話はミランダの心に少しだけ温もりを残した。
ホライゾン男爵家は中流の家で質素倹約。騎士爵位から陞爵された家であるためミランダの小遣いより家政の帳簿は節約しているかもしれない。
だが、そこには愛があると思えた。
チョコレートを買おうとアルバイトをしたルーランドの話をミランダはとても素敵だと思った。そしてデイジー夫人が見せる気遣いにも心打たれた。
女だから分かる。
本当は腹を痛めて産んだルーランドが一番大切かもしれない。だが彼女は微塵もそれを家族に気取らせないのだ。正に母親の鑑。夫ともきっとよく話し合っているのではないかと推測される。
長兄のケントは体格がゴツくて女ウケが悪い。兎にも角にも悪い。しかも脳味噌にも筋肉が詰まっている。だからコッソリとした見合いの結果が三連敗でちょっとルーランドに当たり散らしてしまっただけではなかろうか。耳聡いミランダは女生徒の見合い話の相談は頻繁に受けており、ケントの結果も勿論知っていた。
ホライゾン男爵も恋愛ごとに疎そうである。
世の女性はルーランドのような王子様に夢を抱くのだ。だから、ケントの見合い相手は『筋肉大好き♡』といった令嬢を宛てがうべきである。
割れ鍋が好きだという綴蓋は一定数いる。
ミランダはデイジー夫人にその手の趣味がある令嬢を紹介しようかと算段をつけながら部屋の明かりを消していく。
「家族って何?あいつら死んじゃえ!と思ってると家族の素敵な話を聞いちゃうんだから…本当にこれもタイミングよね」
ミランダは自分と繋がっている家族に期待したことはないが、他家(ホライゾン家)の話には夢を見てしまう。自分の甘さを歯噛みしつつ何処か憧れを捨てることが出来ないのだ。
ミルヒは聞いたら呆れるだろうか?そんなことを考えながらミランダはミルヒの仮眠室に向かった。
◆◆◆
ルーランド・ホライゾンは眉目秀麗な成績の良い、優しい男子である。柔らかな物腰に控えめな雰囲気が堪らない。フランシェ・レストレイ子爵令嬢は彼が入学した時から大ファンで密かに思いを募らせている。
兄のケント・ホライゾンはクラスメイトであるが、いつもルーランドに意地悪ばかりするのでついつい腹が立つ。
フランシェはルーランドの前では優しいお姉さんだと思ってもらいたいからいつも彼の後ろ姿が遠くなってからケントに苦言を呈してしまう。いや、はっきりと怒鳴りつける。
「あなたね!弟が可愛くって人気者だからってむさ苦しい友人達といじめようったってそうはいかないわよ!やることがダサい!」
そう言い放つとケントははっきりと傷ついた顔をした。
「だって……いや、男たるもの女相手に言い訳なんかしない」
「ハァァ?あのねぇ、既にガタイの良い男三人が華奢な王子様に向かって暴言吐いてる段階でカッコ悪すぎるの。わかってる?自覚ある?一番カッコ悪い姿とか女子達の前で晒してるんじゃないわよ。何が言い訳よ。弱きを虐め強きに従うって感じよ。わかってる?まさかだけど生い立ちが不幸で……とかヌルいこと言うつもりだったらそれもダサいからね。貴族学園は母親、父親が違う人間は溢れかえってるからね」
図星だったようだ。彼の額にピクピクと痙攣が起こった。
「私たちのルーランド王子をこれ以上虐めたらタダじゃおかないから」
フランシェは啖呵をきるとケントをひと睨みして颯爽とクラスを出た。
(思っていたことを遂に言ってやったわ)
そんな風に爽快にさえ感じていた。
それから暫くは我が君ルーランドが危険な目に会うことはない様子であった。だが、二ヵ月後ケントが随分と顔色を悪くして登校してきたので声を掛ける。
「何だか元気がないじゃない?どうしたの?」
そういうとケントは熊のような体を縮こませて最近あった夕餉の席での珍事件を話して聞かせた。フランシェは思う。(コイツ相談できる友達いないのかしら?)
珍事件とはケントの勘違いから始まったことであった。
その日、騎士団へ合格の挨拶に向かう朝、ケントは弟の部屋を何の気なしに覗き込んだ。するとそこにはリボンをかけられたチョコレートの箱が置かれてあった。『どうぞ私を使ってください』と言わんばかりに。
(成る程成る程。俺にこのチョコレートを使って上司に好印象を残してきてくれという弟からの気遣いだな!いや待て、自分が三年後に入団テストを受けるときに名を売っておきたいのだな)
そうと考えたケントは迷わずチョコレートの箱を自分の鞄に入れ意気揚々と騎士団に向かった。
晩になり、祝いの晩餐席でケントはチョコレートについてルーランドに話す。まさかその贈り物が母親デイジーへの誕生日プレゼントだとは露ほども思っていなかったそうだ。
「馬鹿なのね。馬鹿だわ。どうしたらそんな風に考えが飛躍するのかサッパリ分からないけど。どこから正せば良いのかも分からないくらい最初から脱線しているけど」
フランシェが呆れて天を仰げばケントは『辛辣だ』とボソリと呟いた。
「そもそもいつの話をしてるの?戦時中?確かに騎士団のお仕事ってカッコいいけどそんなに男子が憧れるというのは間違いだからね?
ルーランド王子なら成績も上位だし王宮事務官の道もあれば大手の商家の跡取りって道もあるんだから何もうだつの上がらない騎士団の一人にならなくたって良いじゃないの」
「ち!父上を愚弄する気か⁈」
「いやいや、ケント君の勘違いを正そうと思ってるだけよ。憧れの職業が騎士団とかお祖母様達の世代で終わってるわ。今は王宮官吏とか貴族も商売したり、農業で拓地開発したりする時代よ?なんでルーランド様がむさ苦しい騎士団に入団したがってるって思っちゃうわけ?」
「お、俺は今まで一生懸命目指してきた道だぞ」
「貴方はね?お父様に似て体格もいいし選んだ道が悪いとは思わないけど。
それにしても勝手にチョコレートを取り上げるなんて、ルーランド様にも可哀想だしデイジー夫人もお気の毒だわ。一体どこのパティスリーのチョコレートを盗んだの?」
「っ!人聞きの悪い!俺は代わりを務めようと」
「だからどこのよ?買って返しなさいよ」
「…………よく分からんが緑のリボンがかかっていたような…………」
「だったらメロリーナでしょうね。仕方ないわ。ひと肌脱いであげるから金貨二枚寄越しなさい」
「は?金貨?二枚?」
「高級店のチョコレートの相場を知らないの?金貨二枚は当たり前よ!」
そう言うとケントは愕然とした表情を浮かべた。
「そんなに高かったのか」
「知らないって怖いわね。ホライゾン家の大奥様は締まり屋さんだし滅多にチョコレートなんて買わないでしょうけど、貴族のご婦人は結構自分にご褒美で小さな宝石のような感覚でチョコレートを買うのよ。だからルーランド様は頑張ってアルバイトをしてお金を貯めたんじゃない?」
暫く俯くとケントは何かを考え込んでいた。
「やっぱり謝ろう!」
フランシェは盛大にズッコケる。
「当たり前よ!良い加減にしなさい!この脳筋!」
威勢の良い子爵令嬢フランシェは、クラスメイトが居ないことを幸いにノートで思い切りケントの頭を引っ叩いた。
その後兄ケントからの謝罪を受けルーランドは少しずつ打ち解けていった。
デイジーに贈る予定であったチョコレートは兄が金貨一枚ルーランドが金貨一枚を出し合い二人で購入した。ケントは『メロリーナ』で値段の高さに動揺していたがルーランドはその頃には『兄にも可愛いところがあるんだな』と微笑ましく思えた。
ホライゾン男爵に母デイジーへプレゼントを二人で選んだと告げると、頭をポリポリと掻きながら『良かったら来年は家族で高級レストランで食事をしないか?お祖母様には秘密でな』と言われた。
ミランダが予想していた通り父親はちゃんと母親の誕生日を祝ってくれていたのだ。夫婦の時間に兄弟で邪魔して良いのかとおずおずと尋ねれば『気にするな。家族なんだから』と微笑んでくれた。
父親はルーランドのことが嫌いではないらしい。少し拗れてしまったが父親は不器用にルーランドの頭を撫でた。
ケント曰く、祖母の性格としては嫁に一生優しくできないのは元の性格が捻くれているからだ。諦めろと言われた。
嫁姑問題はどの世代にも存在し、全人類が解決できない問題なのだとケントの友人のフランシェも語った。
ルーランドの狭い世界は冬を迎える前に少しだけ広がりつつある。
自分は可愛がられない哀れな子だと信じて疑わなかったが、不器用な父親は兄弟を平等に扱おうと必死になっていただけで、愛情の量は変わらなかった。
祝われなかった母親の誕生日は父親と母の大切な一年に一度のデートの日。その話にフランシェは『素敵!夢があるわ!』と手を叩いて喜んだ。
ケントは『女心はわからん?』と首を傾げたがルーランドは母デイジーの優しさを引き継いでいかなければと思っている。
墓石に参る日も近いであろうことは間違いないがルーランドは小さな花輪を持って冬晴れの日に広場に向かった。
そして『十月の悲劇』の銅像の前に立った。
「ホライゾン夫人ごめんなさい。来るのが遅くなってしまって……」
そう言いながら膝を折り祈りを捧げる。
廊下の片隅に飾られている前ホライゾン夫人の顔を思い出そうにもその表情は決して柔らかくは無く姑との諍いは逃れられなかったのではと思ってしまう。
亡くなった人への一番の弔いは忘れないことであるように思うの……と母はニッコリと微笑んでいた。
今思えばルーランドに皆が気を遣っていたのだ。ケントはルーランドが馬に乗れるようになった頃から本当は『墓参りに一緒に行こう』と誘いたかったらしい。しかし遊びに行くわけでもないので声を掛け辛かった、と悪びれない様子で話した。
墓参りはケントにとっては顔の殆ど分からない母親の墓石に花を手向けながら手を合わすだけの『作業』に近いのだと話す。『おいおい生みの親に対してそれは失礼じゃないか』と思わなくもなかったがケントらしい意見でもあると思えた。
ホライゾン夫人の巻き込まれた事件は悲劇であり、忘れてはいけない事柄なのだ。けれど多くの人間は日常に向かい、日々を過ごす家族を優先していく。
ホライゾン男爵はきっとケントの母親を思う日もあるだろう。だが、デイジーにそれを悟られないように夫として心を隠すのだ。それが家族に対する愛情だから。
ミランダはルーランドが花を手向けに『花輪の馬』へ向かったことをどう思うだろうか?
ふとそんな他愛もないことを考える。
「へぇ、少しは大人になったんじゃないの?」と笑うだろうか。
「おーーい!フランシェが待ってる!急げ!」
ケントが広場の入り口から大声をあげた。相変わらず貴族の青年らしくない大雑把さである。
最近ケントとフランシェは仲がよく、もしかしたら交際が始まるのではないかとルーランドは睨んでいるが、それを口にするとフランシェがメチャクチャ怒り出すので口出しできない。
ルーランドと今は毎日付き合わせる顔も、ケントが騎士団に入団して仕舞えば偶の帰省時だけになるだろう。だがもう不安はない。
離れても兄弟としての絆は今はハッキリと感じられる。
拗れた関係が修復できた喜びでルーランドは最近素直に笑うようになったと言われた。
『陰がないルー王子もまた良い』そう喜ぶファンの女生徒がいることを彼はまだ知らない。
これにてルーランド編は終了致します。
ミランダが命を、狙われてます!的な部分をチラリと匂わせましたがこの話はまた先に。