二十三夜参りの呪い 2
一度たりともこんな人種は見たことがない……と口をパクパクさせているとミランダは不敵に笑った。
「わかった。あなたホライゾン家のネズミちゃんね?」
ニマリと嗤うと形の良い唇からプカ〜っと煙を吐き出した。
「だとしたらなんだって言うんだ」
「あの藁人形の呪いの相手は差しづめ傲慢な兄貴を懲らしめたくてってところかしら?」
灰皿代わりのビーカーに灰を弾き入れ細い肩を震わせて笑う姿がルーランドの頭に血を上らせる。
「だからどうした!?
あ……貴女のせいで僕の呪いはまた最初からやり直しじゃないか!」
ルーランドは睨みつけたがそんな視線をこそばゆいかのようにミランダは首をすくめる。
「ごめんね、悪気はなかったの。つい可愛らしくて揶揄っただけ。邪魔してしまってごめんなさいね」
そう言うとミランダは舌をちろりと出してペコリと頭を下げた。
憮然とした態度のままルーランドはミランダをジロリと睨みつけるも華奢な少女の姿はあまりに見窄らしく滑稽で何だか力が抜けてしまう。
ゲロまみれになった服を平気で脱ぎ捨て、下着姿から男物のズボンを身につけたその少女はよく見れば抜けるように色が白く、大きな瞳はマンダリンガーネットのように美しく思わず引き寄せられた。
「……ふぅ、もういいよ。どうせ僕にはこんなことは向いていないんだ。わかってるんだよ。僕は出来損ないだからさ」
ルーランドは溜息を吐くとこの間抜けな格好の少女に苦笑いをこぼした。酒も煙草もやっている不良少女に何を取り繕う必要があるものか、と開き直ったのだ。こんな顔を滅多に見ない学生でもルーランドの『ハツカネズミ』という渾名を知っているのだ。自分はどれだけこの貴族学園の学生たちにバカにされているのかと知って仕舞えば諦めもつく。
所詮ハツカネズミな自分が大虎のような兄に刃向かおうとしても力じゃ敵わず、こんなバカみたいな作戦しか思いつかない。そのことがルーランドを余計に惨めにさせる。言葉にすると情けなくてマンダリンガーネットの瞳から視線を逸らしたくなった。
「飲む?」
ミランダは無骨な平民が使う陶器のコップを木棚から取り出すとワインのボトルをルーランドに見せた。
「いや、お酒は飲んだことないから」
ルーランドが断るがミランダは『ジュースみたいなやつだから』と注いできた。じゃあ聞かなくていいじゃないかと腰掛けながら椅子を引けばミランダは立ったままグラスにもう口を付けていた。
厳格な父が食事に手をつけるまで、大人しい母は決して先ばしって飲み物ひとつ手を出さない。ルーランドはまたもや呆気に取られる。
「え?私が随分ハシタナク見える?」笑いながらミランダはルーランドの隣にヨッコイショと腰掛けた。あまりの距離感に驚いて口をパクパクさせればミランダは『まあ飲んでみてよ』とルーランドのグラスを押し上げた。
「美味しい」
そうでしょう、そうでしょうとミランダはニカっと笑った。
◆◆◆
「へぇ〜それでお兄さんが許せなくってルーランドは二十三夜参りを決行したわけね」
ミランダは煙草に再び火をつけるとルーランドのグラスにワインをナミナミと注ぐ。ルーランドは頬を赤く染めながらコクコクと頷いた。
「僕だって後妻の子供だっていう自覚はあるんだ。だけど母様が蔑ろにされるのは本当に我慢できないんだよ。猩々猿みたいな婆さんが虐めるのは仕方ないとしてケント兄さんまで母さまを馬鹿にするのは意味がわかんない。父様だって誕生日のお祝いひとつ買ってあげていないんだよ」
ピリナッツという柔らかめなナッツを酒のつまみにルーランドはだらしなく胡座をかいて愚痴をこぼした。ミランダはルーランドに何度も同意して『それでそれで!』と話を促してくるのでつい口の重たいルーランドも色々喋ってしまう。自分の体格が騎士に見合わないことも残念に思っているし、母親デイジーが自分よりケントを優先するのも本当は悔しくて堪らない。そんなことをツラツラと喋っていると幾分気持ちが軽くなってきた。
「なんかごめんね。こんな聞き苦しい話をずっと聞いてもらって…兄貴に対していっつも劣等感ばかり抱えているから」
一気に沢山のことを吐き出すとルーランドは恥ずかしそうにボリボリと頭を掻いた。普段はしないだらしない行動もこの少女の前だと平気で出来る。ルーランドはそれほど小一時間でミランダに心を許していた。
ミランダは興味深げに相槌を打つのですっかり饒舌になった自覚はある。ケントに対して怒っていた感情も何だか子供の癇癪のようだとだんだん恥ずかしくなった。
「ルーランドって話してみると随分印象が違うのね。みんなから聞いていた話より思ったより男っぽい?かな?」
ミランダはフムフムと頷く。
「え?僕の噂ってどんなのだよ。どうせ碌でもないんでしょう?」
ルーランドはプウと頬を膨らませる。するとミランダはその頬をケラケラ笑いながら人差し指でつついた。
「知らぬは本人ばかりよねぇ。ルーランドは周囲の評価を正しく知ったらビックリするかも」と言いながら『桃香会報誌』と書いてある新聞を取り出した。
「それは何?」
「女生徒たちの夢の詰まった一冊」そういうと一箇所を指差した。
「私の王子様ランキング?」
赤い太文字で書かれた文字を読み上げるとルーランドは怪訝な顔をした。こんな新聞見たことがない。指で順位を追っていると七番目に『ルーランド・ホライゾン』の文字が記されている。
「え?何これ?僕は王子様になんてなったことないけど?」
「王子様っていうのは女子達からの憧れの対象って意味よ。ルーランドは女生徒の間で凄く人気があるのよ?所謂『憧れの君』ってやつね」
ミランダはワインを口に運びながらルーランドの方に鏡を差し出した。
「顔立ちは可愛らしいお母様譲り、威圧感のない柔らかな雰囲気に、ホライゾン家で鍛えられた細マッチョの体型。まあ貴族のお嬢様たちがキャーキャー言うのも頷けるってものよ」
真っ直ぐな褒め言葉をぶつけられるとルーランドは真っ赤に頬を染める。
「いや!でも!誰も僕のことを褒めたりしたことないし!寧ろ兄からは馬鹿にされていつも『ハツカネズミ』って馬鹿にされたり貶されたり…」
「貴方のお兄さんのケント様は『ゴリラ』って呼ばれているわよ?しかも沢山の女生徒に。顔も厳しいし、女性にモテない僻みで言ってるだけじゃない。いつもルーランドが嫌味を言われている壁一つ向こうでは女の子たちが『馬鹿ゴリラ!ルーランド君を虐めるなんて酷い!!』って大騒ぎよ」
ルーランドは知らなかった事実に狼狽えながら、え?でも?を繰り返してアワアワと口元を震わせる。
「まあ、男同士ですものね。そんなに騒ぐことでもないけれど学園の皆から見るとホライゾン家の姿は『可愛い王子様を貶めようとするゴリラの住まう館』ってところかしら」
ミランダの勝手な物言いに唖然としたがルーランドの評価がいじめられっ子でないという事実が心を少し熱くする。
「僕は情けない次男坊で、力も期待もされていないミソッカスだと自分を考えていたよ。ミランダの言葉に僕は救われた気がする」
「そう?唯の噂だけどホライゾン家の次男坊は守ってあげたくなる可愛い王子様って認識は女生徒たちはみんな持っているわよ。だから女生徒向けの新聞記事にこうやって取り上げられているんじゃない。食堂で視線を感じたこととか本当にない?」
ルーランドはワインを煽るとハンカチで軽く口元を拭った。
確かに女生徒たちから笑顔を向けられたり、指を指されたりすることが入学してから幾度となくあった。だがそれは、ケントから派生する馬鹿にされている負の視線であり、決して良いものだとは思ったこともない。ミランダに聞かされただけではきっと全否定して居ただろうが、学生新聞のその一行がミランダの言葉を肯定する。
「確かに兄は猩々猿だな」
「ええ、間違い無いわよ。それにルーランドは小柄な方だけれど男性は今からが身長が伸びると言うわ。190センチ越えの大男になってね、とは思わないけど、もう一息身長が伸びれば社交界にデビューする時はきっと大騒ぎになるわね。婿入りを望んでいる家は沢山あるのだから。今は王子がまだ婚約者を定めていないせいでこの学年の女生徒は婚約者不在が多いけれどデビューの歳になる頃には貴方に降るように縁談が舞い込むわよ」
「そうかな?」
「当たり前よ。優しくて頭が良くて、お母さんを大事にするような美男子は引く手数多だわ」
ミランダはニッと笑うとルーランドの肩を叩いた。
「呪いをかけようとしていたことは黙ってあげる。その上今日の相談料はタダね」
「お金取る気だったのかよ!僕が介抱してあげたんだぞ」
目を見開きルーランドが抗議するとミランダは心底可笑しそうに声を上げた。
「気持ちはわかるけど何にしてもお呪いなんて魔法じゃないんだからそんなに簡単に効かないわ。そもそもこのお呪いがなんで二十三日間も毎日行われるのか考えたことある?」
お呪いが効くわけないと真っ向から否定されてルーランドは悔しそうに顔を歪める。
「そんなの効果が神様に届くように一生懸命するから…にきまっている」
心から信じているわけではないが、ボソボソとそれらしいことを口にしてみた。馬鹿げた妄想の上に成り立っていると思いながら自分のしたことをこの可愛らしい見た目の少女に否定されたことが恥ずかしくて居た堪れない。
「やっぱりルーランドは可愛らしいわ。これはその人気も頷けるわね。
あのね、二十三夜参りは恋愛のお呪いと違って負の感情でしょう?だから、二十三回もの回数を本人に繰り返させることによって『本当に貴方はその人がきらいなの?』と己に問いかけさせているのよ」
ルーランドは思わず小首を傾げる。
「人を憎んだり、殺したいほど嫌うって凄くパワーを使うことでしょう。瞬間的に『嫌!』と思ってもその感情を継続することってとても難しいわ。しかも条件が『相手の持ち物を一つずつ盗んでくる』とか嫌った相手を近くに置いておかなければ不可能じゃない。毎日お兄さんと少しでも顔を合わせていて本当に殺したくて仕方なかった?」
その難しい質問をする瞬間ミランダはとても優しい顔をした。
確かに兄は少しだけルーランドと話したそうにしていた。
毎日態と無視を繰り返し、溜飲を多少なりと下げていたルーランドにとってこの質問はグッと胸にくる。
「あのお呪いは死なないんだろう?」
「そうとは限らないわよ?」
「でも効果はないって…」
「二十三日間も人の目に触れないようにして何かを成し遂げるのは難しいわ。だから達成した人は一握りなんじゃない?」
「君が邪魔しなかったらもう少しで達成だった」
「でも結果はポシャっているわよ」
「……………」
本当のことをズケズケと話すミランダに怒りたくとも怒れず、文句の一つも言いたいが言い淀んでいるとミランダが『羨ましいことね』と小声で呟いた。
「私は兄も姉も居るけれど歳が離れていて殆ど話したこともないわ。幼い頃の思い出もないのよ。一緒に住んだこともなければ食事だって同じ席で食べたことないから。
優しくして欲しいと思ったことはないけれど喧嘩もしたことのない関係性なのに血だけは繋がっているってとても厄介」
ミランダの噂はルーランドほど疎い人間であっても多少なりと知っている。
王弟の落とし胤に違いないと社交界では有名だし、凛々しい王弟の絵姿は祖母の代では人気の品である。猩々猿と罵った祖母でさえコッソリ美麗な王弟の小さな絵姿を隠し持っているくらいだ。
その絵姿と同じ髪の色と瞳が、体格も性別も全く違うのに、フッと城に住まう彼の方を思い起こさせる。
ルーランドが言葉を選ぼうと視線を彷徨わせているとミランダは破顔する。
「お母様はきっとチョコレートを買ってくれた貴方の気持ちを喜ぶわ。お礼を言われたのではなくって?」
「ああ、母様は『ありがとう』って言ってくれたけどもうチョコレートを買うお金がないから……結局いつもの年と変わらなかったし変われなかったよ。よろこばせたかったな」
「デイジー様って本当によく気がつく方ですものね。貴方の心情も痛いほど理解しておられると思うわよ。
だからデイジー様のお誕生日が祝われない理由は私分かったかもしれない」
ミランダは確信を持っているのだろう、深く頷きながら窓辺に向かう。
「レリーナ広場にある馬車の銅像を知っているでしょう?」ミランダの視線の先は王都の中央に向かう一本道だ。
勿論だ。この王都に住まう人間なら誰もが待ち合わせで使う場所であり、目印だ。四頭立ての馬車の銅像には花が添えられており小さいながらとても目立つ。
ルーランドが頷くとミランダは目を細めた。
「あれはね、極悪非道な馬車強盗を成敗した記念に被害者の遺族達が作ったものなのよ。移民が賊化した国の状態を詰る意味合いもあるのでしょう。『十月の悲劇』が銅像の本当の名前なのよ。皆『花輪の馬』って呼んでいるけれど」
そう聞くとはたとルーランドの頭にケントの母親の顔が浮かび上がった。
ケントの母親である夫人の肖像画は、宝物庫に向かう渡り廊下に今もひっそりと飾られている。決して大きくないその絵の人物はケントに似た眼差しで、ルーランドを穏やかに見つめている。女性にしては大柄だと伝え聞くが、事実衣装部屋のドレスはデイジーにはどれもブカブカだったらしい。
「馬車強盗って…十月に起こったのか?」
ケントの母親が馬車強盗に殺されたというのは知っていた。彼らは切れ味の悪い農具で貴族の馬車を襲っては金品を巻き上げた。
神出鬼没で時間も場所もバラバラ。一言も発することなくその場に居合わせた人間は皆殺しにあったそうだ。被害にあった家は八家族。爵位もバラバラで男女も年齢も問わずに惨殺されていた。犯人が捕まり蓋を開けてみれば彼らは移民で言葉もわからず、生きるために手を汚していたそうだ。
その被害者のうちの一人がケントの母親である。友人と観劇の帰りに馬車が襲われたのだ。
「『十月の悲劇』は父達はよく知っている事件なんだけど、私たちの代では『花輪の馬』の待ち合わせ場所くらいな認識よね。けれど十月は被害に遭われたご家族にとっては特別な月になるのではないかしら?
ホライゾン男爵の心情を理解した上でデイジー様は自分のお誕生日を祝うことを控えているんじゃなくって?」
母親デイジーの誕生日が前妻の命日と近いだなんて考えたこともなかった。寧ろルーランドは墓石に一度も花を手向けた記憶がない。幼い頃は家族で墓地に行った話もしていた気がするがなにぶん幼い記憶である。
そしてケントと父親が偶に馬で出掛けるのはもしかしたら墓石に参る為だったのかもしれないと思い至る。
「私はいつも何かを考える時に『もしその人だったら』と仮定をするの。デイジー夫人と同じ立場であったなら…そうね。悲劇の前夫人の後にホライゾン家へ入ったなら、自分の誕生日より一年に一度は喪に服すことを優先するかもしれないわ。煩い姑が居なかったとしても」
ルーランドはふとケントの心情を改めて考える。
後妻に入った女性は自分の実の母親では無いから思いっきり甘えることが出来ない。甘えたい盛りの年から自分という弟が居て、夫婦の子供で可愛がられているのをずっと目の当たりにしていたら心が弱ってしまうかも知れない……
体が大きく力で威張り散らす兄が本当は少し寂しがり屋だと分かっていた。
デイジーに母親としての役割を態と多く言いつけ、何かにつけては文句を垂れる。それは『構って欲しい』の裏返しなのではと考えた日もあった。
「ケント様は実直で不器用で思春期真っ只中。きっと女子に人気で母親から愛し愛されている弟君を素直に可愛がれなかっただけかもしれないわ。見方を変えればそんな風にも見えるけど…家の中なんて分からないものね」
ミランダはほんの僅かだが切なそうに視線を落とした。
「僕の中ではケントは傲慢で不遜で、憧れの対象でもあるんだ」
「そうじゃなきゃ、意地悪されても耐えられないし、憎むことも出来ないわ。人間は複雑な生き物ですもの」
ミランダは窓辺に腰掛けると再びタバコを手に取った。
「案外無骨に見えるお父上がデイジー様のお誕生日を密かに二人の寝室でお祝いしている可能性だってあるかもよ?」
ミランダの言葉にルーランドは虚をつかれたような顔をする。正にそれはルーランドが思いついたことであったからだ。
「母様はこの時期いつも用事を言い渡されて東の端のワイン蔵にワインを買いに行くんだ。遠くまでお使いを頼まれているのを聞いて不愉快に思っていたけど……それってもしかして」
「東の端のワイン蔵の手前に高級レストランがあるわ。まあ、そこで二人で落ち合って夫婦の時間を楽しんでいる可能性もあるわね」火をつけたマッチをビーカーに捨てるとミランダはタバコを気怠げに摘んで口を窄めて煙を吐き出す。
「大人って沢山の柵があるから可哀想よ。でもデイジー様はきっとホライゾン男爵のこと好きなんだと思うわ。お互いを思い遣っているからこそ、家族同士の摩擦を避けようと行動してることもあると思うの。ホライゾン男爵は実はルーランドが可愛くて仕方ないかもだけど、ケント様の手前控えていたり、逆にデイジー様はケント様を大切に思うが故に我儘を増長させてしまったり……大人が気をつかうことでかえって子供に疎まれることもあるわ」
ミランダの言葉には何となく重みがあった。
複雑な生い立ちがそうしているのか、本来なら父達の立場に立って物事なんか考えようとは思わないルーランドも返す言葉が見当たらない。
「本当は父のことも兄のことも嫌いじゃない」
「分かってるわ。家族みんな知ってるわよ。貴方を尊重したいのに上手くできないの。家族の気持ちは自分が考えているよりずっとわからないことだらけ。
だから言葉が必要なの」
ルーランドは家族の事情を知っているようで知っていなかったのだと今更ながら恥じいる。
「多分とか、きっとそうとか、男の子の兄弟は想像で話してばかり。ちゃんと向き合ってたまには話す時間も必要だと思う」
一本のタバコがもう指を焦がしそうなくらい短くなっていた。
「そっか…ちゃんと話し合わないとダメなのかな?」
「話せる相手なんだから話しなさいな。きっとホライゾン家は…上手くいくわ」
(ウチと違ってね)ミランダの口元は声にならない言葉を紡いだがそれはルーランドの耳には届かない。
ルーランドは立ち上がると片付けを始める。
「ありがとう。兄さんと話してみるよ。明日は夕餉の席につくことにする」
明るい笑顔を残してルーランドは理科棟をあとにした。
ミランダは窓辺から小走りで去っていく青年の背中を見つめながら『可愛いわね』と呟く。
そして窓を閉めると洗面台に向かい、淡い赤髪を襟足から掬い上げ片側に寄せる。
ザックリと羽織っているシャツを大きくはだけさせると背中側を鏡で覗き込んだ。
真っ白な肌にポツリと蚊に刺されたような膨らみが出来ており、その色は紫色の内出血に近かった。
「酒場でぶつかったとき毒針に刺されたんだわ」
思ったよりも低い声が出た。
暗い表情のまま顔を洗いもう一度鏡を覗き込めばそこには青白い普通の女が疲れた顔を僅かにサッパリとさせ意思が強そうに小鼻を膨らませた。
ポケットから解毒剤が入っていた黄色の油紙を取り出しゴミ箱に放り込むと、しゃがみ込みそうになる足を叩き部屋に戻った。




