六話
今から、およそ二千年ほど昔のこと、とあるところに小さな村があった。
この村に住む青年タツキは、早くに両親を流行病で亡くし、独り者であったが、先祖から受け継ぐ山や農地があり、数人の小作人を抱える地主である。
だから、領主に年貢を治めつつ、妻子を養うだけの甲斐性も持っていた。
そんなある日のこと、美しい旅の女が、タツキの家へ一夜の宿を求めやってきた。
女は、旅の途中で大事なものを失くし、故郷へ帰れなくなり難儀しているという。
野盗にでも襲われたか、手荷物は少なく、女の身なりは上品で、どこかしら気品もあり、疑う余地はどこも見当たらない。
後ほど謝礼はするので、見つけるまでの間、世話になりたいと女は言った。
だが、やがて二人は互いを思い合うようになり、旅の女オトはタツキと夫婦になったのである。
仲睦まじいタツキとオトとの間に、生まれたのがイオリという娘で、今年三歳になる可愛い盛りだ。
二人は一人娘を、それはそれは大事に育てていたので、娘はスクスクと育っていたが、ただ一つ、どういうわけか生まれつき持病があった。
普段は全く元気なのだが、時々熱を出して発作を起こしては寝込む。
寝込むと数日は床に臥せるため、起き上がる頃には、少しばかり瘦せてしまう。
原因はわからず、医者に薬を処方してもらうが、病は少しもよくならない。
そんな日々を送っていたタツキにとって、心配事は一人娘の病だけだったのである。
この村は、春から秋にかけてが農繁期で、村の周辺には森と湖があり、一年中動植物に恵まれた土地だった。
冬の農閑期になると、村人は手作業を生業とするため、収穫を終えると人々は森へと足を運ぶ。
タツキもまた冬の間の手仕事で、竹で編んだカゴや木材を削って食器を作るため、納屋にはたくさんの道具や材料が置いてあった。
中には貴重な道具や鋭い刃物などもあるため、妻のオトや娘のイオリには、納屋の中へ入らぬように言いつけてある。
そして、いつものように雪が降る前に、タツキは材料集めに森へ行っていた。
そんなある日のこと、表で遊んでいたイオリは、いつもは閉まっている納屋の戸が、なぜか開いていることに気付く。
「入ってはいけない」と、父のタツキから言付けられていたが、好奇心旺盛な年頃であるイオリは、その納屋へと入ってしまった。
納屋の中は、みるものすべてが物珍しく、イオリの好奇心をくすぐる。
そして納屋の奥で、古びた長持を見つけた。
中を見てみたいイオリは、長持の蓋に手をかける。
だが、幼子の非力な腕では、その長持の蓋は開けられなかった。
ちょうど同じころ、母屋にいたオトは、娘のイオリの姿が見えないことに気付く。
「イオリちゃん、イオリー、どこにいるの⁉」
娘の名を呼びながら、戸外を探す。
オトは、母屋の近くを探したが、見当たらないので、まさかと思いつつ、納屋の方へと足を向けた。
納屋へ向かうと、いつも閉まっている納屋の戸が、なぜか開いているではないか。
〈ガタッ、ガタン〉
納屋の中で物音がする。
「誰かいるのですか⁉」
戸口に立って、納屋の中へ声をかける。
すると、納屋の奥から娘が「母さま。」と返事をした。
「何をしているの。ここへは入ってはいけないと、父様に言われているでしょう」と、オトは娘に声をかける。
だが、イオリは出て来ようとしない。
一瞬、逡巡したが、オトは娘を連れだすため、納屋の中へ入っていった。
初めて入る納屋の中を、辺りを見回しながら、ゆっくりと奥へと進む。
オトは、もう一度娘の名を呼んだ。
「イオリ、どこにいるのですか⁉ 母にお返事してください」
すると、納屋の一番奥の壁際から、「母様、こっちです」という娘の声がする。
「イオリ、何をしているのですか⁉」と娘に問うと、「母さま、この箱は何ですか⁉」と聞かれた。
イオリが指さす方へ足を進めると、物陰に隠すように置いてある長持が目に入った。
『こんなところに長持があるなんて…何が入っているのかしら⁉』
不思議に思ったオトは、その長持に手を駆けようとしたら、その時、ちょうどタツキが山から帰ってきたのだった。
「おーい、帰ったぞ。誰かいないのか⁉」
外でタツキの声がして、オトは慌ててイオリを抱えて納屋から出た。
タツキは井戸で水を汲み、手と顔を洗っていた。
「おかえりなさい」
オトがイオリを抱えて出迎えると、タツキは嬉しそうに笑う。
お土産だといい、タツキは木の実やキノコ類を手渡した。
とりあえず、納屋に入ったことはばれずに済んだ様子に、オトはホッとすると、三人揃って母屋へと入っていった。
翌日、タツキはまた山へと出かけたので、オトは昨日の納屋で見つけた古い長持が気になり、そっと納屋の奥へ入っていく。
ゆっくりと納屋の奥へ進み、昨日見つけた物陰辺りを探したが、なぜか長持が消えている。
付近を探してみたが、やはり見あたらない。
『あの人が、長持をどこかへ片付けたのかしら⁉』
オトは、不思議に思いながらも納屋を出た。
でも、納屋に入ったことがばれるので、長持のことはタツキには聞けない。
しばらくして、雪が降り始めると、タツキは納屋にこもって手作業に励み始める。
春まで、オトは納屋に近づくことはできないので、あの古い長持を探すことはできなかった。
冬の間、雪が降ると一日のほとんどを母屋で過ごす。
今日も朝から雪が降っていた。
タツキは、囲炉裏の前で竹籠を編みながら、娘に昔話を話して聞かせる。
この村の山や湖には、大昔から龍神様が住んでいるという。
その龍神様に守られて、この村は栄えていた。
ある日のこと、龍宮が淵に住む龍王は、退屈しのぎに人の姿に化け、人里へと降りてみた。
人々はみな穏やかに暮らし、争いもなく平和で、彼らのその波動が龍王を活かしている。
というのも、龍王とは自然そのものであり、村人の心が荒めば龍王も悪神へと変わり、毒を吐き、田畑や山、湖を荒らす。
龍王が善神であるか、または悪神であるかは、その土地に住まう人々の心根次第であった。
それから幾年が過ぎ、再び龍王は人の姿になり、人里を訪れた。
春になり、人里は花の盛りを迎えていた。
人の姿になり、龍王はその景色を楽しむと、引き寄せられるように湖の畔へと向かった。
湖岸には、山桜の木が群生し、花弁を散らして湖面を彩る。
その光景は、まるで天界の庭を思わせた。
美しさに目を奪われていると、三人の天女が舞い降りてきた。
彼女たちの舞を目にすると、人間は魂を奪われ、生気を失うといわれている。
だが、龍王は人ではなく妖の類である。
ゆえに天女に近づき、その中の一人を引き寄せた。
「お前を我妻に迎えよう」
そう龍王は言うと、天女を湖の中ほどにある小島へと連れていく。
そこに祠とお社を建て、天女を迎え入れた。
その日から、天女は龍神の番となって、この湖の番人となったという。
ここまでが、この村に伝わる伝説だった。