とうもろこし畑の簪くん
『とうもろこし畑の簪くん』
所要時間: 約14分
♂: 1人 ♀: 1人 不問: 2人 計4人
【人物紹介】
ソノ子・認知症に冒された96歳のおばあちゃん 16歳の時のセリフのみ ♀
男の子・15歳 強気な男の子 母親はいない ♂
介護士・施設を明るく照らすリーダー感溢れる人 頼りがいがある (♂♀どちらでも可)
ナレーター・セリフ以外の箇所を読む (♂♀どちらでも可)
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『老人ホーム夕焼け空』にまた笑い声が広がった。
介護士「ソノ子さんったら歯がないのに!…取ってあげますから貸してくださいな」
頑なにとうもろこしを食べようとするソノ子の焦れったさに、スタッフたちは頬を緩めていた。
介護士「わざわざガッツかなくても、こうやってフォークで取ってからスプーンで口に運べば、ほら食べやすい!」
プラスチックでできた安物の皿にとうもろこしがバラバラと重なっていくのを、ソノ子は黙って見ていた。一粒一粒をやけに器用に落っことす介護士を見上げ、再びとうもろこしに目を落とす。
介護士「そんなに好きなのね、ソノ子さん。ちょっと待ってねぇ………うん!これで綺麗に取れた!」
ソノ子の目の前に皿に盛られたとうもろこしが置かれた。
介護士「はいソノ子さんスプーン」
ソノ子の手にスプーンが握らされた。
介護士「どうしたのソノ子さん、食べない?」
ソノ子は目の前に盛られたとうもろこしには目もくれず、隣でそのままガッツいてる初老の男性をじっと見ていた。
介護士「食べたい時でいいですからね」
この『老人ホーム夕焼け空』にソノ子が来てからというもの、歓迎会が開かれても、誕生日を祝われても、ソノ子が口を開いたことはなかった。実際、認知症の進行速度はそれだけ凄まじいものであった。
介護士「あら、慶次さんよく食べるのね!甘いでしょう!」
表情一つ動かさず、ただただじっととうもろこしを食べるのを見つめているソノ子が何を思っているのか、到底スタッフたちは知る由もなかった。
皺で細くなった目の裏に、未だに忘れられない思い出が張り付いてることなど…何も。
一一80年前。
男の子「動くな!泥棒!」
ソノ子「………っ!」
男の子「今うちの畑で何やっとった!?後ろに隠しとん出してみい!」
ソノ子「…何も…取ってないわ」
男の子「嘘つけい!俺、ちゃーんと見とったで!俺の目が確かなら3本あるはずや」
ソノ子「だから…盗ってな……あ、」
盗ったとうもろこしが地面に落ちた。
男の子「…今から親父んとこ行くから、一緒に来い(きい)」
ソノ子「きょ、兄妹がお腹空かせて待ってるから……どうか…お見過ごしを…」
男の子「兄妹?何人?」
ソノ子「私含めて4人…」
男の子「親父とオカンは?」
ソノ子「どっか行っちゃったから…」
男の子「……」
男の子「…なんで3本なん」
ソノ子「…3本で足りる、から」
遠くの方で怒れた男の声が聞こえた。
男の子「やべっ、親父が来てやがる。おいお前、もう行け、それ盗んだの親父にバレるなよ」
ソノ子「ちょっ…」
少年はそう言い残すと、足早に駆けて行った。
戦争が始まり、食糧の需要が飛躍的に高まった時代、ソノ子のように畑を狙う無法者が増えていた。
少年とその父親が抱えるこのとうもろこし畑も例外ではなかった。背丈が伸びたとうもろこしは、隠れやすさも相まってよく狙いの的にされていた。
男の子「親父、俺はいつまで見張ってなきゃいけねーんだよ!休みぐらいくれぇ!……痛ってぇ!ぶつこたねーだろ!」
度重なる盗難で少年は見張り番をあてがわれていた。
翌日。
男の子「なしてまた来た」
ソノ子「お礼言いに来たん」
男の子「礼とかいらねぇ。親父に女子と会ってんの見られたらまずいんだわ、帰った帰った」
ソノ子「弟たち、喜んでた。」
男の子「そりゃ、うめぇから当たり前だ」
ソノ子「でも盗んだもの。だから償いに…」
男の子「兄妹たちはどうした」
ソノ子「二番目の弟が…面倒を…」
男の子「あ、そう。あの角に折れたとうもろこし見える?あの下に4つあるから持っていき」
ソノ子「どういうこと…?」
男の子「商品にならねぇんだ。飢えてるこの時代でも売れねえ残り物さ」
ソノ子「そ、そういうつもりで来たわけじゃない!」
男の子「盗ってけなんて言ってねえよ。あるから、ってそれだけ」
ソノ子「なんでそんな……だ、だったらこの簪を受け取ってください…」
男の子「いやいやいらねぇって!受け取る義理もねえし!」
ソノ子「一方的な恩恵は受けません…!」
そう言うと、ソノ子は強引に簪を渡して折れたとうもろこしの方へ走って行った。
男の子「…受け取れねえよ」
時世に似合わぬ赤く漆が施された簪を手に、ソノ子の身形からは考えられない品だな、なんて思いながら、少年はソノ子が4つとうもろこしを持って行ったことを確認した。
とうもろこし畑の緑がかった成と空の青さが何とも対照的な夏だった。
介護士「…ソノ子さん…ソノ子さん…!よかった…ビックリしちゃった(笑)
お皿、手付けてないけど下げちゃって大丈夫?」
やはり、ソノ子は答えなかった。眉のひとつも動かさないままであった。
介護士「じゃ、下げちゃうね。てかソノ子さんもオシャレさんだよね。いっつもその簪しちゃって!」
「似合ってるよ」と隣のじいさんに話しかけられるも、ソノ子に届いているのかはわからなかった。
施設から見える空は、どんよりとした雲に覆われている。
男の子「親父!金くれよ!どんだけタダ働きさせるんだ!」
「うちがどんだけ厳しいのかわかってんのか!」と、親父に怒鳴られても少年はめげなかった。
男の子「いいだろ少しぐらい!俺も十と五つも歳とったんだ!買いたいものぐれーある!」
そして呆れたように放たれた「じゃあ腐ったとうもろこしでも売ってこい」という父親の声を最後に、少年は街へ出掛けた。
男の子「ひぇぇ…ひぃ、ふぅ、みぃ……げぇ!親父ぃ、三十銭はぼったくりだって!……いやわかってるさ、ちっと安くしてくれりゃ……ぎゃぁ堪忍してくれ!」
ソノ子「…あれ?何してるの?」
男の子「うわ、偶然だな……いや少し買い物に…」
ソノ子「いいじゃない。何か買えた?」
男の子「やっぱ買わないことにした…はは」
ソノ子「そうなの。……それと、この前は本当にありがとう。売れ残りって…あれ嘘でしょ?」
男の子「いいや本当だい」
ソノ子「だって虫食いもなければ新鮮で、採れたてにしか思えなかったもの」
実はあの日、ソノ子が来たのを確認するや否やとうもろこしを4つちぎって隠していたなんて、少年には恥ずかしくて言えなかったのだ。
男の子「とにかく!四日後の朝方、畑の裏に来い!」
ソノ子「な、なにするの!?」
男の子「いいから来い!」
強引に言い捨てて少年は走り去った。
翌日の朝から少年はとうもろこしを売っていた。
男の子「…これだけ売っても二銭かよ……こりゃ骨折れる…」
少年は三日三晩とうもろこしを売った。
男の子「三銭………四銭……五銭……」
男の子「十五……十六……」
男の子「……三十銭ッ!!」
介護士「もう本当に心配した……声掛けても起きないんだもの……こんな天気だもんね…寝る以外やることないか…」
もう夕方だった。
窓についた雨粒に夕焼けが当たって、施設を丸くきらきらと包み込んだ。
ソノ子「いや……これどうした…の?」
男の子「あの簪……返す訳にもいかねぇからさ……よかったら受け取ってくれよ」
ソノ子「あれはお返しにだから…」
男の子「割が合わないからさ。もう、はい。貰ったからには返すのはダメ」
ソノ子「え…その……ありがとう」
男の子「ううん。てかそれだけだから、呼び出しておいてあれだけど……なんならこっそり持ってく?とうもろこし」
ソノ子「そんなそんな!貰えないよ!」
男の子「いいからさ!ほら、親父が来ちまうから早く持ってって」
ソノ子「いやだって…」
男の子「親父ぃ!あそこに畑泥棒がいる!……ほら、早く」
ソノ子「あ、ありがとう!」
男の子「こっちだ親父ぃ…!」
ソノ子はソソクサと裏道から抜け出していった。4本のとうもろこしと、黄色い飾り玉が光る、それは見事な簪を携えて。
介護士はギョッとした。表情一つ変えたことがないソノ子の顔が、一気に怒りの表情に覆われていったことに。
介護士「ご、ごめんなさい…そんなに怒るとは思ってもみなかったから……ほら、寝てて頭に刺さったりでもしたら…怖いから」
ソノ子の頭から簪を抜いてしまったのだった。
介護士「大事なものなのね……綺麗な簪ね…ソノ子さん」
黄色い丸飾りが光る簪が夕日と似合う。
少し欠けた玉が、ソノ子が歩んできた歴史を重く語っている。
ソノ子は、忘れてはなかった。
男の子「1943年、あの少年に赤紙が届いた。
1945年、あの少年は太平洋戦争により死亡。」
ソノ子「名前……聞いてなかった…」
あの夏の朝、朝露に濡れたとうもろこし畑で落ち合ったあの日以来、二人が会うことはなかった。
ソノ子「とうもろこし畑の、簪くん」