勇者と水浴び
グランデールを出てから5日。
サマラまであと半分といったところまで来た。
勇者がレベルアップすることはほとんどなくなったが、代わりに勇者の動きが少し良くなった。
最初は俺がモンスターを殴って弱らせていても危なっかしく仕留めていたが、今では反撃されてもこん棒で防げるようになってきた。
夕方になるとベスペーロバットというコウモリ型のモンスターが時折襲ってきたが、それも今では難なく仕留められるようになった。
こうして旅は順調に進んでいたのだが、勇者は目の前にかかる小さな橋の前で立ち止まった。
モンスターにでもやられたのか、橋は壊れて渡れなくなっている。
普段なら穏やかな流れの川だが、先日降った雨で水位が上がって流れも速くなっているようだ。
川幅自体はそんなに広くないので、これくらいなら泳いで渡れるだろう。
「……勇者?」
俺は川を確認して準備運動しながら振り返ると、勇者の顔が青ざめていた。
「まさか泳げないのか……?」
俺はもう一度川を見た。
足を着いて渡れるギリギリの深さに見える。
勇者もそれに気付いたのか、深呼吸して恐る恐る川に入っていった。
ところどころに深い場所があるな。
チラチラと後ろを振り返りながら勇者の前を歩いて足元を確認して進む。
俺が渡り終えて川から上がって後ろを振り返った瞬間、勇者が足を滑らせて川の流れに飲まれてしまった。
勇者は驚いてパニックを起こしている。
「落ち着け!大丈夫だ!!」
勇者は水面を叩くようにもがき、どんどん流されていく。
俺は川辺を走って追いかけ、周囲に目を走らせる。
「よし、あれだ!」
俺は走る速度を上げて下流に向かう。
腰に下げている剣を抜き、川岸にある細めの木を切って川の上に倒した。
「その木に掴まれ!!」
勇者は川に流されながら、倒れた木に気付いてしがみ付いた。
「よし、いいぞ!
そのままその木に捕まりながら歩けば大丈夫だ」
勇者は木にしがみ付き、ゆっくり足元を確かめながら川岸まで上がってむせ込んだ。
「大丈夫か?」
大きく肩で息をしながらその場でへたり込んだので、俺はモンスターが襲ってこないか周囲の警戒をすることにした。
この辺りは木もまばらで平坦なため、モンスターが近くにいれば気付きやすい。
大丈夫そうだと思って勇者のもとに戻ると、勇者は荷物を入れている皮袋の中身を広げていた。
流された時に中に水が入ってしまったようだ。
「早く乾かさないと……」
勇者は焦って薪を拾いに行った。
魔物の素材や土産が濡れてしまうと痛んでしまうからな。
しかし俺は素材や土産より、小さな布袋に入った粉末の方が気になった。
アルボを入れている袋だ。
水に濡れてもモンスター除けの効果はあるのだろうか……?
全く無くなるわけではないだろうが、もし効果が薄れるようなことがあれば安心して眠れない。
今日はこれ以上進むのは難しそうだし、アルボの効果が不明な以上、片側が川になっているここで野宿する方が安心だ。
さすがに木がまばらなこの辺りでは薪にできそうな枝が少なく、俺は橋の残骸を手ごろな大きさに斬って持ってきた。
流石に普通の枝と木材では違いが大きすぎるからか、勇者が不審な顔をして辺りを見回していた。
「ホム」
まだ若干納得がいっていない様子の勇者が魔法で薪に火を燃え移らせる。
「……あれ? 火の威力が上がってないか?」
勇者は気にする素振りも見せていないが、最初に見た時の威力と比べて若干火の勢いが強い気がする。
3センチくらいの火が弱々しく揺らめいているような魔法だったのが、今は8センチくらいのしっかりとした火に見える。
レベルアップの効果だろうか。
そういえばさっきも、水流の中で木に咄嗟にしがみ付いたら衝撃を受けそうなものだが、勇者はその衝撃をかなり受け流していたようだった。
体感なので正確ではないが、毎日進む距離も少しずつ伸びてきている気がする。
確か勇者が今までに光ったのは7回か8回。
この調子でいけばサマラの街に着くまでにあと2回ほどレベルアップするんじゃないだろうか。
「うん、この調子で強くなるならそんなに心配しなくても良さそうだ」
俺が1人で頷いていると、あることに気付いてしまった。
勇者の布のワンピースの裾が破れてしまっている。
ワンピースの破れた隙間から勇者の白い足が覗いている。
俺はすぐに目を反らし、鼻から流れ落ちる赤い液体を拭った。
「落ち着け、あれはモルトだ。
あそこに座っているのはおふくろだ……」
俺はもう一度勇者を見る。
かなり無理があるが、顔を見ないように意識すればギリギリ耐えられそうだ。
噴き出すような出血でなければきっと大丈夫だ。
焚火の側に荷物を広げて乾燥させようとしているが、勇者の心配は土産に集中しているようだ。
妹に買ったのだと思われる扇子を開いて破れていないか念入りに確認している。
破れが無いことに安心して、ようやくアルボを焚火に入れようと考えたようだったけど、湿気を帯びてモロモロと塊になってしまっている。
勇者は少し眉を顰めて考えていたが、塊を分解した一部を火に投げ込んだ。
「……案外大雑把なところもあるんだな。
まぁ他にどうしようもないけど」
火の中に投げ込まれたアルボの塊がチリチリと音を立てているが、その独特の香りはいつもよりも薄く感じる。
その晩、勇者が寝た後も俺は寝ることができなかった。
モンスターが近くにくるとある程度は気付けるのだが、流石に夜遅くに勇者を起こしてトドメをさしてもらうわけにもいかない。
……というか、一度起こそうとしてみたが気付かれなかった。
仕方がないのでこちらに気付いて殺気を向けてくるモンスターには遠慮なく死んでもらったが、気付いていないモンスターは放置した。
……だって眠いんだもん。
その日以来、俺の寝不足は辛さを増していった。
昼間は勇者とともにサマラの街に向かって歩きながらモンスターを倒し、夜はモンスターの襲撃から勇者を守る。
何度か勇者が起きそうになってビクビクしてしまった。
別にコッソリ始末しなくてもいいと思うのだが、俺はあの寝顔を守りたい。
そのために睡眠不足になろうが本望だ!
なんてことを考えていたのだが、昼間歩いている時に草陰から飛び出すモンスターに隙を突かれた。
俺があくびをしている最中に襲うなんて卑怯な角うさぎだ。
しかし咄嗟に勇者を庇ったことで俺の左腕に角が刺さった。
そりゃもうガッツリと。
右腕は無傷なので戦闘には支障はないが、地味に痛い。
……すまない、見栄を張った。
「めっちゃ痛い……。
それ以上に寝たい……」
痛い、眠い、寝顔可愛い、痛い、眠い、隙間から見える足がけしからん……。
俺の旅は困難を極めていた。
『おい、勇者に置いていかれてるぞ』
「あぁん?」
俺が頭に響く声に返事をしながら目を開けて勇者を探す。
歩きながら寝てしまっていたようだ。
10メートルほど先に勇者がいる。
『早く行け。呪いが解けなくていいのか?』
「……呪い?
なんのことだ?」
『お前……阿呆なのか?』
「うるせぇ! 眠くて頭回らねぇんだよ!!」
『魔王を倒せばお前の呪いが解ける』
「だから呪いってなんだよ!?」
『誰にも認識されなくなる呪いだ』
「おう、そうか」
……待て。
認識されなくなる呪いだと!?
俺の今の状況は呪いをかけられていたのか!?
あぁダメだ、なんか色々と考えたいけど全く頭が動かない。
腕がズキズキして、サマラの街の幻覚まで見えるようになっちまったぜ。
……あれ、幻覚じゃなくね?
うおぉぉぉ!!!街だ!!!
「街に着いたぞーーーーー!!!!!」