Scene 71. 禁じ手と、慮り。
「はぁっ!!」
マイクはいなされた攻撃の手を素早く引き寄せながら後ろの足を踏ん張り、全体重をかけて両の手のひらを押し出すように突き出した。ガードの上からでも当たって、相手がよろめけば儲けもの。しかしヴァースは自分の重心を前方に寄せて、それを腕でガードした全身で受け止めた。体重差も手伝って、ヴァース身体は揺らぎもしないでその衝撃を打ち消すことに成功する。
その顔面に向けて、マイクは手刀を放った。
瞬間、ヴァースの両目が見開かれる。その片方に、マイクの指先は明らかに向かっていた。
目や喉、金的への攻撃はスポーツでは禁じ手だ。HAPCOの対戦であっても、その時点で失格。しかしそもそもマイクは当たると思って放ってはいなかった。
ヴァースの力量を見れば、避けられるか防がれるに決まっている。ヴァースが命のやり取りに匹敵する戦いをくぐり抜けてきたことは、マイクにはこの時点で既に疑いの余地が無かった。こんな攻撃が決まるわけが無いのだ。これは単に隙を誘う一手だ。
まさか慕われていると思っていた教え子に、当てるつもりは無くても禁じ手を使われるとは思っていなかっただろう。これで動揺を引き出して、ダメージに繋がる一撃に繋がればいい。
---少しは思い知ればいい。
誰もがみんな、貴方を妄信的に崇めているわけじゃ無いって。
禁じ手を利用するに至らしめたそんな仄暗い思惑を、マイク自身はこの時しっかりと自覚していたわけではなかった。
おそらく暫く前から嫉妬に近い思いは抱いていたのだろう。しかしそれはマイクの理性の奥底で微かに揺らめくだけで、決して表に出て来ることは無かったはずだった。それが、ルールがあって擬似的とは言っても、お互いを攻撃し合う闘いの場で昂ぶった感情に揺さぶられ、ポロリとこぼれ出てしまった。そんな感じだったのだ。
マイクが思った通り、ヴァースの目を狙って放たれた手刀は顔を横に引いて避けられた。
が、それだけでは終わらなかった。
ヴァースの片手がマイクの手首を掴んだかと思うと、マイクがそれに反応するより早く、あらぬ方向に腕が捻り上げられた。
---折られる!!
本能がそう察して、痛みにも似た危険の信号が身体中を走り抜け身体がこわばり、それから逃れるためだけに、身体は脳には相談はせずに反応しようとする。しかし同時に、ヴァースの視線が視界に入った。
それに射抜かれた時、マイクは自分が取り返しの付かない間違いを犯したことをはっきりと自覚した。少し高い位置にある鮮やかな色彩の瞳から突き刺さって来たのは……
それまで自分の身体で感じたことのないそれが、殺気と呼ばれるものであると、マイクは後から自覚した。
この瞬間はただ、それに晒されて全身のあらゆる器官がその機能を止めてしまったかのように凍りついたからだった。
気付くと、マイクの身体は宙を舞っていた。
「!?」
続いて、全身が叩きつけられる感覚を覚える。同時に耳元でガシャンという大きな音がした。その後、大きなブザー音も聞こえて来た。
「……う……」
ゆっくりと瞳を開けて、自分が横たわっていることを知る。
身体を動かそうとして、腕が折れていないことにも気がついた。受けた衝撃によって感覚が混乱しているのがわかるが、なんとか上半身を腕で押し上げて身を起こす。霞みがかったような思考を振り払うように、頭を振った。
「……すまん。」
声が聞こえて見上げると、ヴァースが側へしゃがみこんで来たところだった。マイクの顔を覗き込んでいる瞳には、先程の様な身の凍る様な鋭さはかけらも無く、代わりに滲んでいたのは悔恨だった。
「いえ……。」
ヴァースが手を差し出して来たので、マイクはそれを素直に取って、立ち上がる。全身に衝撃を受けたが、特に何処かを痛めたわけでは無さそうだ。
自分は多分、腕を取られて投げられ、金網側に落ちたのだろう。
しかし、手首を取られた瞬間の感覚はこれ以上ないほどマイクの中では確信めいたものだった。
あの時、ヴァースが本気なら、自分は投げられるのでは無く腕を折られていたはずだ。そして、それは自分の禁じ手にヴァースが反射的に反応したから。それは、死線をくぐり抜けて来た人間なら当たり前の反応なのだろう。
そして、そのまま腕を折られなかったのは、ヴァースが辛うじて、己の反撃にブレーキをかけたからだ。しかし抑えきれず、マイクを投げ飛ばすという結果になった。
「謝るのは僕の方です。すみません……軽率でした。」
吹っ飛ばされて衝撃を受け、さっきまでののぼせた頭が一気に冷えていたマイクは、ヴァースの実力に甘んじて禁じ手を放った自分を素直に恥じた。本来なら、例え実際に腕を折られていたとしても責められるべきなのは自分なのだ。
「いや、俺が悪かった。お前が余りにも思い切りがいいものだから、つい、な。」
ヴァースは言いながら眉を顰めて、ため息をついた。心底、決まりが悪そうだ。
つい、か……。
マイクは苦笑する。多分この人は、マイク相手に一瞬でも本気で反応して殺気を向けたことを恥じているのだろう。全くもって、レベルが違いすぎるのだ。
そんな人に、一瞬でもその本性を垣間見させたのなら、凄い事かもしれないなと、マイクは何故だか清々しい気分で前向きな考えを浮かべたのだった。もちろん、二度とやらない様にしようと心には誓って。




