Scene 69. 対峙と、疑念。
「いいや、不要だ。始めるか。」
目を細めて楽しそうにヴァースは返して、早速金網のドアに向かって踵を返し、リングに向かった。マイクはその後に続きながら、一旦立ち止まってミィヤにこっそりと耳打ちした。
「せいぜい時間稼ぎしてくるよ。」
ついでにベッドギアの奥からウインクを一つ。
ば、バレてる……。
どうしてもヴァースと対戦したくないミィヤの心境は、聡いマイクには筒抜けだったようだ。空気になりたいと願ってまともに会話もせず、ひたすらやりたくありませんオーラを出していたから当たり前なのかもしれないが。ミィヤは、見透かされていたことに対する羞恥と共に湧いてくる、親友の気遣いに対する感謝の気持ちで胸が苦しくなるのだった。超ありがとうマイク!!と、こっそり拝んだ。
「頼むぜマイク!!」
「善処するよ。」
まだ起き上がれないらしいロブソンは、床に横になったまま親指を立てた拳を掲げて声を張り上げた。マイクはそれに、対して力まずに言葉だけ返す。ガシャン、と音がして、マイクの後ろで金網の扉が閉まった。
「他の競技に比べて判定ルールがバラバラみたいだな。」
「流派の中でも、大会によって違ったり、そもそも大会無かったりしますからね。」
判定システムをカンフーのものに設定し直そうと腕のバンドを弄っていたヴァースの言葉に、マイクは片足ずつ屈伸しながら答える。
「どの流派だ?」
「多分インストールされていません。マイナーなんで。HAPCOのルールに寄せて構いませんよ。」
「成る程……頭、胴体への有効打判定で、ダメージをポイント換算だな。」
「ガード上からでも、一定以上の負荷を想定したものはポイントつきますよね?」
「ああ、そうなっている。」
「それで行きましょう。」
ヴァースと和やかに設定内容を確認しながら、マイクはストレッチを続けた。血は十分に巡って、呼吸が少し早くなり、酸素が身体の隅々まで行き渡る。これで激しい運動をしても、身体は悲鳴を上げないはずだ。
準備が整って、マイクはバンドからの設定を終えたヴァースを正面から仰ぎ見た。歳を重ねて凄味が増したに違いない、彫りが深く非の打ち所の無い顔には、相変わらず薄い笑みの浮かぶ余裕綽々の表情。しかしそれは年齢のお陰か、嫌味には見えず穏やかな印象を与える。まるで、小さな子供を見る親のような。
その複雑な色彩の目を真っ直ぐ見据えて、マイクは腰を落として大きく息を吸った。大袈裟なほどゆっくりと吐きながら、きゅ、と片手の拳を上にして腰元に引き、もう片手の掌を前方に掲げて構えを取った。そして言う。
「僕が一本取っても、奢ってもらえるんですか?」
「勿論だ。」
「三人とも?」
「……そうだな、仲間外れは可愛そうだろう?」
「優しいですよね、先輩。」
「そうでもないさ。」
そう返して、ヴァースも構えを取る。片手を握って腰元に添える。もう片手は開いて前方へ。
その様子を見て、マイクはピクリと眉根を寄せた。
「……これも『似たようなもの』のご経験が?」
「……まぁ、そんなもんだ。」
そんなもん、ね……
マイクはかろうじて、フン、と鼻を鳴らすのを耐えて前へと踏み込んだ。
頭部と胴体への突きの連打は、目的に着く前に横方向への負荷を与えられていなされる。いくつかは弾かれ、いくつかは避けられ、いくつかはその場で受け止められた。間合いを近く保ったまま、フェイントを含んだコンビネーションの最後に狙った鳩尾への突きは、防御した腕に阻まれ、斜め下へと勢いを逃がされる。
ガッチリと押し合ったままの腕が、ヴァースとマイクの間に固定された。お互いその腕に一定の負荷はかけたまま、接触するその一点から相手の全身の動きを読み取っている。じり、とマイクが右足に重心を寄せれば、ヴァースはそれを真似る様に逆方向に動く。二人が位置を移動しても、腕にかかる圧は変わらない。
ぱ、とその腕が弾かれる様に離れれば、今度は蹴りも加えての再びのコンビネーションの応酬。攻めているのはマイクだ。だがヴァースは一歩も後方に引いていなかった。
「いつも思うけど、なんか地味なんだよなー。」
こんな息もつけない様な素晴らしいやり合いを見てなんてこと言うんだろう……と、ミィヤはやっと上半身を起こして、後ろ手を床についてリングを見上げて言ったロブソンに、正直本気で引いていた。が、視線はリング場の二人から離さなかった。むしろ離せない。
バカよロブソン。これのどこが地味だって言うの。って言うかそのマイクにいつもHAPCOで痛い目見せられてるどの口が言ってるの?
非難めいた思考はそれだけで、ミィヤはその後は、ついさっきまでの自分の感情を忘れて魅入っていた。
相手に考える間を与えず、そして隙を誘う様に攻撃を次々と繰り出すマイクの動作はいつもながら鮮やかだ。そしてそれを全く的確に捉え、次の一手を阻止する様に返していくヴァースの手腕は見惚れるほどだ。そしてまだまだその動きには余裕が見られる。
確かに弾む様なフットワークで動き回るボクシングや、全力で文字通りぶつかり合うレスリングに比べたら、見た目の派手さは控えめなのかもしれないが、これを地味とは見当違いもいいところだ、とミィヤは思う。
ロブソン、頭打たれてものがわからなくなったのかしら?
と、頭の片隅で思い、そう言えばボクシング競技者であった彼の経歴と、たんこぶをこさえた数日前の出来事も重なって、常々どこか抜けていると思っていた彼の性格はもしかして、と、ミィヤはほんの少し前とは違う焦りを感じたのだった。




