Scene 51. 嗜好と、事象。
かちゃり、と、陶器のカップがソーサーに収められる。中に入っている液体が、琥珀がそのまま溶けたような艶で揺らめいた。
「あぁ、マークが淹れてくれるお茶は本当に美味しいわね。」
ソーサーを持ったまま椅子の背に寄りかかり、満足そうにラピーテンは言って、デューモのカップに同じものを注ぎ終わったマークに微笑んだ。
「恐れ入ります。」
ポットを片手に持ったまま、燕尾服姿のマークはラピーテンに向かって深々と頭を下げた。
「全く、何がこんなに違いを生むのかしら。こんなに美味しいお茶を淹れられる人には会ったことがないわ。」
ラピーテンの隣にいたヴァースは、同じかそれ以上の味に淹れられる人間を一人知ってはいたが、何も言わずに茶を啜っていた。向かいにいるフラーが、焼き菓子を頬張りながら不機嫌そうに言う。
「そんなに褒めてもあんたの船にはやらんからな。」
「やだわ、そんなつもりで言ってないわよ。」
ラピーテンは明るく笑いながら言い返す。
「それに、こんな美味しいお茶を淹れてもらってしまっては、毎日甘いものが止まらなくなりそうだわ。これは何という銘柄なの?」
艦長になってから確実に更にウエストラインの大きくなったフラーに気を使う様子もなくラピーテンは言って、マークに声をかける。マークが丁寧に受け答える横で、フラーはそれをフンと鼻で笑い飛ばした。
着任式の後、フラー艦長、三衛星、そしてヴァースの五人は、正装軍服のまま艦長の執務室の裏にある温室の庭で茶会を開いていた。教え子を激励し終わった後、急ぎ足で遅れを取り戻したヴァースは、丁度執事のマークがテーブルセットを手際よく準備し終わった頃に合流を済ませている。辺りにはそれぞれの手元で、陶器のソーサーとカップ、そして金属のスプーンがぶつかる音が、密やかで快く、音楽のように聞こえている。
「俺は遠慮する。」
既に用意されていたカップに茶を注ごうとしたマークを制して、ラッザリーニが言った。それを聞いて自分を見つめた一同を見返して、ラッザリーニは黒髪の隙間から見える片目でニヤリと笑う。
「この後の酒を楽しみにしてるんでな。数ヶ月ぶりの地上の酒を味わうまで、何も口に入れるつもりはない。」
「お前さん、この前の帰艦で山ほど買ったんじゃなかったか?」
「はん、あの程度、数日と持ちませんよ。私物の搬入の制限を変えてくれませんかね?」
「そんなわけ行くかい。お前さん、星外密輸と間違えられるくらい持って行きそうじゃからの。」
ラッザリーニの無理な相談を一蹴して、フラーは視線を逸らす。ラッザリーニが酒豪なのは誰もが知ってはいた。
「一等区画の店を取ってありますよ。どうですかこの後。」
ニヤニヤしながら、ラッザリーニはフラーに言う。他の三衛星の二人を全く意に介さずに艦長だけを誘う辺り全くラッザリーニらしいと、他の人員達は息の合った考えをしていた。
「……年寄り相手に飲んでも楽しく無いじゃろ?まぁ、一人で飲むのも侘しいじゃろが。」
髭を撫でながら言って、フラーはヴァースの方を見た。
「どうかね准将。付き合ってやったら。」
孫にでも語りかけるような穏やかな言い方。ヴァースは間を空けずに答えた。
「ええ、構いませんよ。」
それを聞いて、三衛星は揃って驚いたようにヴァースの方を見る。フラーも、片眉をぴくりと上げてヴァースを見たままだ。ヴァースはその視線を受けて、にっこりと笑いながら言い直した。
「いいえ、喜んでご一緒させていただきます。」
艦長を務めていた時まで、ヴァースを知る誰もが、このお堅い軍人が酒を一滴も飲まない事を知っていた。それが、無類の酒好きの同行をすんなり受けるだと?
ラッザリーニは、膝を叩いて豪快に笑い始めた。
「はぁーっはっはっは!!そうか、酒を覚えたか!!地上に降りたのも無駄では無かったようだな!はーっはっは!!」
「嗜み程度ですよ。貴殿が楽しみにするほど美味いものなら楽しみだ。」
「はっはっ!!覚悟しとけよ。腰を抜かすぞお前。はーっはっは!!」
すっかり上機嫌になったラッザリーニは、身体を仰け反って笑い続けた。
「ご愁傷様。」
隣のラピーテンが、茶をすする合間にボソリと言った。ヴァースは少し笑って囁き返す。
「心配に及びませんよ。」
空のカップを掲げてマークに追加を頼む。こちとら遊びのプロの手解きを受けたんだから、と、ヴァースは地上の友人を思い出し、謎の自信に溢れていた。
丁度その時、グレーの軍服を着た男が執務室の扉から姿を現し、庭に足を踏み入れた。大股で近づき一度テーブルの手前で立ち止まると、敬礼をしてから回り込んでフラーのすぐ横に行く。何事か、フラーの耳元で囁く。
「うむ。」
フラーはそれだけしか言わず。一歩下がったグレーの制服の男は、もう一度敬礼をしてから去って行った。フラーは何も言わない。
「何か問題でも?」
黙って穏やかに茶を啜っていたデューモが、視線は合わせず単刀直入に聞いた。
「なぁに、大した事じゃ無い。」
そう言って、フラーはもう一つの焼き菓子に手を伸ばす。大きな腹に阻まれて、椅子の背から身体を起こすのも苦しそうである。随分と労力を使い果たした様子で、やっとこさ掴んだ菓子を片手に座り直すと、少し息を切らした様子で言う。
「バグが出たそうじゃ。」
一同の間に緊張が走った。
誰もが、フラーの様子を伺うように見つめて動かなかった。
「少しな。」
フラーは気にも止めない様子でそう言って、菓子を頬張り続けていた。
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今日も読んでくれてありがとう!
続きはまた明日♪
瀬道 一加
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