Scene 23. ご褒美と、その次。
自分の事をおっさんと呼んだヴァースに、ミィヤは吹き出して小さくくっくっと笑い出した。
「なんだよ。」
大体何故笑っているのかの予想はついたが、ヴァースは笑い出したミィヤを咎めるように聞く。自分も笑いながら。
「だって、おっさんって……似合わなくて。」
「だってそうだろう。俺の歳を考えたら。」
「多分、誰も先輩のことそんなふうに思っていませんよ。」
「そうなのか?それは光栄だ。」
ヴァースはシートに背を預けて、少し自嘲気味に笑った。そして思い出して言う。
「似合わないと言うなら……お前だって。」
「え?」
ミィヤはキョトンとしてヴァースを見つめた。ヴァースはそれを細めた目で見つめ返して言う。
「真面目な奴だと思っていたら、ご褒美にデートなんかねだるから仰天してたんだぞ俺は。」
ミィヤは両手で顔を覆って、腰を折って膝の上にうずくまってしまった。指の隙間から見える頬と耳が赤い。面白くなってしまって、ヴァースは半分笑いながら続ける。
「今度は積極的なのかと思ったら、その割にやたら恥ずかしがるし、何なんだ?お前は。」
「もうやめてください……」
ミィヤは消え入るような声で言う。観念したように起き上がったミィヤの目は、恥ずかしさから来ているのか潤んでいた。
「はは、恥ずかしがり屋の上に泣き虫か?」
「!」
ヴァースに追い打ちをかけられて言葉に詰まってしまったミィヤがとうとう反撃に出ようと、ヴァースの肩を拳で軽く叩く。が、ヴァースはそれを軽々と受け流した。逃れようとするミィヤの手首を掴んで、離さない。
不意に、2人の顔が近くなって、目が合った。
2人とも動きが止まる。
笑い声も、呼吸すら止まってしまったような間があった。
ヴァースは、ミィヤの手を掴んでいない方の腕を車のシートに乗せて、身を乗り出した。
ミィヤは動かなかった。
ふわりと、お互いの温もりを皮膚に感じて、
そして、
ピーっと言う機械音がして車が止まり、
滑らかな音声が流れた。
『目的地ニ、到着シマシタ。』
ヴァースの鼻が、ミィヤの鼻に触れる直前だった。
ヴァースは音声と同時にピタリと止まり、一瞬の間の後に崩れるようにコトン、と額をミィヤの肩に一瞬乗せ、
「俺が話し過ぎたな・・・」
と言ってから身を引いて、手を離し、自分の側のドアを開けて外に出た。バタンと、外からドアを閉じる。
残されたミィヤはまだ動けなかった。全身の血が逆流しているようだった。顔が熱い。
ヴァースは車の後ろを回って反対側に行くと、ミィヤのいた方のドアを開けた。身体を屈めて、ミィヤに手を差し出す。ミィヤは促されるままにその手を取って、車の外に出た。
その手を離すのは、2人とも名残惜しいようだった。外はいつのまにか真っ暗だ。家の中から漏れる光が、2人の輪郭を僅かに浮き上がらせていた。
ミィヤを車から離してからドアを閉めると、ヴァースは居心地悪げに腕を組んで下を向いた。
「その、これはご褒美のはずだったわけだが、」
そのことを、この瞬間まで忘れていたミィヤは、それを思い出して突然衝撃を受ける。そう……そうだ。そうだった。2人の距離が縮まった様な気がして、2人でいるのが当たり前のようにすら感じてしまっていた。だけどこれはあくまでご褒美で……
その先を考えるのが急に怖くなって、さっきまでの熱は何処かへ消えてしまう。ミィヤはただヴァースの次の言葉を待つ事しか出来なかった。
「ご褒美になったか?」
「はい……とても。」
尋ねるヴァースに、ミィヤは穏やかに微笑んで返事をした。本当に、数日前までは想像もできなかったような、夢のような時間だった。一緒にジェットに乗って、素晴らしい景色を見て、昼寝をして、一緒に帰って、プライベートな話をしてくれて。これ以上のご褒美なんてあるだろうか?
その伝えきれないくらいの感謝が伝わればいいと願いながらミィヤは微笑んだ。未来を期待してしまう自分への自戒と、これで終わりということに対する恐怖は隠して。
「そうか。なら良かった。」
ヴァースはまだ居心地悪そうだった。
「数日後にはとうとう着任だな。」
「はい。」
「俺もきっと、忙しくなる。」
「はい……」
准将としての、艦長の補佐としての仕事など、ミィヤにはとても想像出来ない。一体どれほどの労力がいるものなのだろう。そこに自分へ割り振られることの出来る余力があるとは、ミィヤには到底思えなかった。
さっきまであんなに近かったのに、またこの人は、手の届かないところに行ってしまう。いや、これまでなんかよりもっとずっと遠くに。ミィヤはだんだんと襲ってくる胸の張り裂りさけるような痛みに、足元を見てただ耐えることしか出来なかった。ヴァースは続ける。
「だから、」
ミィヤは、受け入れなければいけない痛みに耐えるために身体を硬くして、下を向いてぎゅうと目をつぶった。そんなことをしても、痛みはやすやすと心に届いてしまうことはわかってはいても。
「いつになるかは分からないが、」
「え?」
いつ?分からない?何が??ミィヤは、闇の中に浮き出すように照らされているヴァースの顔を見上げた。ヴァースはその目を見つめて言った。
「折りを見て今度は俺から誘う。」
「え?」
ミィヤはまた、聞き返してしまった。
「また会ってくれるか?」
暗闇に僅かに伺うことの出来るヴァースの表情は、少し不安げで緊張しているようだった。何が起こっているかよく分からない。しかしそんな様子のヴァースを見て、ミィヤは痛いほどに切なくなった。早く返事をしなければ。この人を、傷つけてしまわないように。
「はい。」
言ってしまってから、自分の声が囁きほどに小さいことに気がついて、ミィヤは言い直す。
「はい。待ちます。いくらでも。」
「はは……いくらでも?」
ヴァースは照れ隠しのように笑って言い返した。
「はい、いくらでも。」
本当ですよ、とでも言うように、ミィヤはにっこり笑ってまた言った。それを見たヴァースは、嬉しいような、泣きたいような顔をしていた。ミィヤの身体の中に、ついさっき車の中で感じた熱さが徐々に戻って来て、隅々までを満たしていく。
「わかった。」
ヴァースはまた下を向いてしまった。片手で頭をかき始める。
「あと一つ、念のため聞いておきたいんだが、」
「はい。」
「その、俺の前の妻は、幼馴染な上見合い結婚でな。」
「はい?」
ミィヤは今度こそ、本当にヴァースが何を言い出したのか分からなかった。何故話がそっちの方向に行くのか。いきなり何?幼馴染?前の妻?見合い結婚?それがなんだって???
「要するに、俺はこういうのはやった事がない。」
「……え?」
ちょっと先輩ほんとに何を言ってるの?
戸惑うミィヤを前に、ヴァースは手で口元を覆ったかと思えば腰に手をやったり、体重を乗せる方の足を変えたりと本当に決まり悪そうに、諦めの滲んだ、しかし聞かなきゃいけない事を聞くが故の決死の表情で、こう言った。
「キスは何回めのデートでしていいんだ。」
それを聞いた瞬間、
ミィヤは胸を何かに撃ち抜かれたような感覚を覚えて、
息ができず、どうしたらいいのか分からず、取り敢えず両手で顔を覆って俯いて、衝撃が収まるのを待った。身体と頭の中で何かが激しく暴れている。
「だって、仕方がないだろう。」
俯いて何かに耐えているミィヤの反応を見て、ヴァースはソワソワしながら言い訳の様に、いや、確実に言い訳である言葉を不満気に続ける。
「やった事がなかったんだこんな、きちんとしたデートなんて。それにこういうの、話し合うべきなんじゃないのかちゃんと。その、年も違うしだな、笑ってないで、頼むから答えてくれ。」
「笑ってません……。」
「笑ってるじゃないか。」
「笑ってませんっ。何か別の感情ですこれ。」
責める様なヴァースの口調に、ミィヤは顔を両手のひらに埋めたまま苦しそうに答える。
だってさっきなんか既にそんな流れになってた気がするのに色んな人と色々あったとか言ってたのに何今更聞いてるのよ先輩あなたどんだけ……
等々、ミィヤはまさか憧れの人にツッコミたくなる事があるなんて、と思いつつ言いたいことは色々あったが、
「さ……」
「さ?」
「3回目でお願いします……」
とだけ、消え入りそうな声で何とか答えた。
読んでくれてありがとう!
また明日♪
瀬道 一加




