Scene 20. 女と、涙。
え、教えた?女を教えたって、どういう事?いや、だから色々あったって事でしょう?色々、色んな人と……え、先輩が?いや別に良くない?昔のこと……え、だって奥さんは?
と、ミィヤの思考は急激に忙しくなった。
唐突にヴァースと他の女性が楽しそうにしているところをリアルに想像してしまって、もうお馴染みになり掛けている、血の気が引いていく感覚を再度ミィヤは体感する。それと同時に、身体の中に渦巻き始めた、滲んでいくようなイヤな感じ。
嫉妬だ。
ミィヤは固まったまま、半分くらいに減ったココアのカップを見つめる。
「ミカエルソン、」
ミィヤのその様子を察したのか、ヴァースは一旦離れて、ミィヤと正面から向き合うように座り直した。
「その、誤解しないで欲しいんだが、」
観念したように一度目を瞑ってから、片手をミィヤの肩に置いて、ミィヤと視線を合わせる。
「俺は、お前を適当に扱っているつもりは無いからな。」
ヴァースの瞳は光の加減で茶色にも青色にも見える、暗い緑色だった。ミィヤはそれをまじまじと見る事ができるほどの距離にいる。その必死さの滲み出る視線に、ミィヤは息を飲む。
「そこだけは、わかっていてくれ。頼むから。」
ヴァースはそう言うと、また正面を向いて座り直す。それを止めるかように、ミィヤは声をかけた。
「あの、」
考えずに出た言葉だった。
なんだか色々聞きたいことはあるんですけど。適当に扱うつもりは無いって。それって、同じ気持ちだって自惚れて良いのかって事とか。この先を、期待して良いって事なのかとか。でもその前に……
さっきの言葉が、ヴァースの真摯な言葉だと言うことを感じ取って、ミィヤもつられたのかもしれない。ミィヤは自分が今一番聞きたかった話題を、とうとう口にした。
「奥様は……」
「奥様?」
一瞬眉をひそめたヴァースは、直後に目を丸くして、ミィヤの肩に置いていた手に力を込めた。
「待て、お前もしかして、今俺が結婚していると思っているのか?」
ミィヤは視線を返すだけで、何も言うことが出来なかった。
ヴァースは再三の大きなため息をついて、足を投げ出してずり落ちるように、背もたれに身体を預けた。摘むように片手を眉間に寄せる。
「そこからか……」
「わからなかったんです。どちらなのか。以前ご結婚していたのは後から知って、でも今どうなのか調べても出てこなくて。でも指輪もしていなかったし、そんな事は無いだろうって。でもはっきりとは分からなかったから……」
呆れたようなヴァースの様子にミィヤは慌ててしまって、つい早口になってしまった。今までの不安が一気に溢れてくる。涙がこみ上げてきた。
喋りながら喉を詰まらせるミィヤを見て、ヴァースはギョッとして起き上がった。
「ミィヤ!?」
「信じたかったんです。そんな事ないって、でももしかしたらって考えたら怖くて……聞けなかったんです。ごめんなさい。」
ヴァースが思わずファースト・ネームで呼んでしまった事にも気付かず、ミィヤは続けた。失礼な事を聞いてしまったのかもしれないと湧いてきた後悔の念も加わって、押し込めていた不安がポロポロと涙になって溢れる。
「ばか、何をお前が誤っているんだ?お前が謝る必要なんてないだろう。」
ミィヤの肩を掴んで語りかけていたヴァースだったが、ミィヤが泣き出したのを見て、慌ててミィヤを抱き寄せた。
「すまん、俺が悪かった。俺のせいだ。不安にさせた。頼むから泣かないでくれ。頼む。」
必死に頭を撫でてまた顔を覗き込むが、ミィヤは泣き顔のままだ。ヴァースはミィヤの手からココアのカップを取り上げて車のドアについているホルダーに収めると、改めてぎゅうとミィヤを抱き寄せた。その背中を手のひらでポンポンとたたきながら、またため息をつく。
「すまない。ちゃんと言っていなかった俺のせいだ。俺の方は訓練員名簿を見て知っているから、それで……。ごめんな、公平じゃなかった。」
ヴァースのあやすような口調と暖かい抱擁に、ミィヤは泣き止むどころか、今まで押し込めていた色々な感情が溢れてきてしまって、逆に更にしゃくりあげてしまうのだった。
空挺軍の訓練校への入学の際に、志望者には厳しいバックグラウンドチェックが行われていた。そしてその情報は、必要に応じて上官に開示される。だからこそ、ヴァースはミィヤの家族の話を聞いた時に、両親の話が出てこないことに疑問を持たなかったのだ。ミィヤは養子だった。
ヴァースは幼い子供のように泣き続けるミィヤを抱きしめて背中を撫でながら、囁き声で謝り続けた。
「本当にすまない。元艦長の家族構成なんて、公にされてみんな知っているとタカを括っていたんだ。俺が悪かった。」
その言葉に滲む自責の念を感じ取って、ミィヤはヴァースの肩口でしきりに首を横に振った。ひとしきり湧き上がってきた感情を吐き出し切ったミィヤは何とか落ち着きを取り戻そうと努力していた。このまま泣いていてはダメだ。そもそも先輩は悪くない。
ミィヤは精一杯の労力を費やして涙を堪え、濡れた頰を拭いながら事の経緯を説明する。もちろん、まだまとまった思考が出来るまでには感情の高ぶりは治まっておらず、言葉は辿々しいものだったが。
「……調べては見たんです。わたしご結婚されていたのも知らなくて、ビーに言われて気がついて。でも退任されてからの事はほとんど出てこなくて。離婚されていたなんて何処にも……」
「離婚?」
ヴァースは疑問の声を上げて、ミィヤを抱き寄せていた腕を解くと、怪訝そうな表情でその顔を覗き込んだ。
「え?」
ミィヤは目をパチパチと瞬いてその視線を見返し、何事かと聞き返した。唐突な事に、しゃくりあげていたのは止まってしまう。私は何かおかしい事を言っただろうか?ヴァースは視線を外して、眉を寄せた。何かを考えているようだった。
「先輩?」
ヴァースはミィヤの呼びかけには答えずに、口元に手を当ててまだ考えている。
暫くしてからヴァースはミィヤに向き直って、力の抜けたような微笑みを浮かべて言った。
「少し聞いてくれるか?」
ミィヤはまだ涙に潤んだままの目でヴァースを見つめ返す。ヴァースは続けた。
「昔話をさせてくれ。」




