第8話
準備、と一口に言ってもこの世界の住人ではない康大には何をすれば良いのか分からない。
その上何が用意できるのかさえも分からない。
たとえば夜の行動であることや探索場所が廃墟であることを考えると、懐中電灯や安全靴、ヘルメットといった物は必須だ。だがそれらは絶対にこの世界にあるとは思えなかった。
それらの代用になる物があるかもしれないが、ではそれは何か、こちらもさっぱり見当もつかない。
そこで結果的に準備はフォックスバードやハイアサースと相談することになり、その過程でフォックスバードから質問されることも多くなった。
「なるほど、君達の世界では誰でも明かりが作れる道具があるのか。こちらの世界では明かりは魔術師にしか作れない物だ。ただその魔力を込めた鉱石を君の言う"かいちゅうでんとう"替わりに使うことは出来る。まあ予算的に魔術師を雇った方が安上がりだろうがね」
「なるほど」
フォックスバードから聞く話は、康大にしてもこの世界を知る勉強材料になった。今まで読んできた漫画やライトノベルから連想できる世界に近いとはいえ、完全にその通りというわけでもない。細部では想像と大分違っていたりした。
たとえばスライムが雑魚ではなく、見かけたらまず逃げなければならないほどの凶悪なモンスターだったり。
貨幣経済がほとんど浸透しておらず、物々交換が基本だったり。
別にモンスターを倒したからと言ってゴールドを落とさなかったり――。
細かいことをいちいち上げていたら切りが無い。
しかし、自分が知らないのは当然にしても、ハイアサースまで感心したようにフォックスバードの話を聞いていたのは、いかがなものかと康大は思った。
ただ、フォックスバードの話の中には納得できない点もあり、その際は遠慮なく質問をした。
「ところで、俺みたいな異邦人が来ている割には、あまり俺の世界の文化が浸透していませんね。たとえ瀕死と即死が多いにしても、毎年一等前後賞レベルの人間が来てたらそれなりに影響しそうな気ましますが……」
「その"いっとうぜんごしょう"の意味は分からないけれど、確かにある程度の影響は出ているよ。今日の料理はその最たる物だ。けれどほとんど全ての異邦人は、影響を与える前に死んでしまうんだ。聞いた話によると、異邦人のほとんどが君のような年代の男子で特に才能もやる気もあるわけではなく、何故か斜に構えて妄想癖のある人間ばかりらしい。残念ながらこの世界では長生きできないタイプだ」
「あー、何か耳が痛いです……」
確実にその内の1人と自覚している康大は、まるでその代表者として責任をとらされているような気持ちになった
「まあそんな人間ばかりだから、たいていモンスターに一撃で殺されたり、運良く勝てたとしても瀕死になる。加えて彼らは貧弱ですぐに病気にかかり、結局長生きは出来ない。彼らは死の間際揃って"ちーと"がどうたらこうたら言っていたらしいけど、君は知ってるかい?」
「そこは現実世界でもただの妄想なので無視してもいいです。なにか大航海時代に現地の病気感染されてぽっくり死んだ船乗りを連想しました。まあ俺らはあの100分の1も屈強じゃないですけど。というかひょっとして異世界転生って、無作為に選ぶんじゃなくて、神隠しに遭ってもたいして問題ない人間が選ばれるのかも……」
「相変わらず君の話は複雑怪奇で、理解しがたいな。ま、結局誰も影響を与えるまでもたなかったわけだよ。ただある料理人だけはこの世界でも滅多に見ないほどの強靱な肉体と精神を持ち、あらゆる危機を乗り越え方々で料理の技術を伝えたらしい。確か名前はケ――」
「戻ったっス!」
話の途中で扉が勢いよく開かれ、ダイランドが帰宅してきた。
話の腰を折られて気分を害したのか、登場と同時にダイランドの身体が天井に叩き付けられる。
その拍子に彼が狩った獲物が床に落ちた。
1つは大きな猪。目が異常に赤く、動物と言うよりモンスターの範疇に入りそうな凶悪な牙を要している。ちなみに、朝の食卓に並んだ加工前の食材でもあった。
そしてもう1つはモンスターというか。
「……人間?」
食料ですらなかった。
まだ息はあるものの、猿ぐつわをされ背中に深々と突き刺さった手斧から、もう長くないことは明らかだった。これが善良な市民なら康大も助けるようフォックスバードに頼んだかもしれないが、ひげ面筋骨隆々で人間の生首のような物をアクセサリーにしている完全無骨の蛮族では、あまり同情する気にはなれなかった。顔もダイランド以上に凶悪で、自分の年齢以上の人間を殺していそうな雰囲気だった。ギリギリ人間の範疇で、実質ほぼモンスターだ。人は見た目では分からないと言うが、それは本当にごく一部で、だいたいは外見通りの中身をしている。
「なんだい、君はとうとう食人を始めたのか?」
「違うっス! 師匠のシマで挨拶もなく仕事してたんで、ちょっとお仕置きしたんスよ。まあこういうゴミは群で仕事してるに決まってるんで、これから仲間の場所を吐かせるところっス」
「そう言うことは外でしろ。部屋が汚れる」
「申し訳ないっス。ただいちおう報告しておこうと思って。すぐに外に出て捌……じゃなくて話を聞くっス」
「蛮族だなあ」
康大はつくづく思った。
感想はそれだけで止める気はない。もしゾンビ騒動が起こる前なら、目の前で行われる拷問殺人に多少の抵抗は見せたかもしれない。
だが、ただ生きていくことの難しさを既に理解していた康大は、そのための手段が如何に非人道的だったしても、口を挟む気にはなれなかった。もしそんなことを言えば、助かるためにどんなに助けを求められても家の扉を開けなかった過去の自分まで否定することになってしまう。あれは最善の選択だったと、最近ようやく折り合いがついたというのに。
一方、聖職者者のハイアサースは当然反対した。
「その、あまりひどいことはすべきではないと思うぞ」
「別に大したことはしないっスよ。まあ痛みもその内引くっス」
「ならばよし!」
その変わり頭は大分お花畑だったので、言いくるめるのは簡単だった。
「ただ怪我は先に癒しておこう。私はこう見えて回復魔法は得意なんだ」
ハイアサースが男に手をかざすと、背中の致命傷と思われていた傷から血が止まり、徐々に傷が塞がり初める。ゾンビになろうが回復魔法には影響がないらしい。
ただ。
「!!!!!!!!!!!!!!!」
手斧は刺さったままだったので、皮膚に刃が食い込み、せっかく朦朧とした意識で誤魔化していた痛みも完全に復活する。男は猿ぐつわを噛み切らんばかりの、声にならない絶叫を上げた。
「マジスか姐さん。良くここまで外道な拷問思いつきましたね。いや、ちょっと俺もひきましたわ……」
「ちが、そんなつもりじゃ――」
「まあ刺さった手斧を抜けば出血多量で死ぬし、刺さったまま回復すれば地獄の痛みが待ってるし。いずれにしろ人生詰んでたからなこのオッサン」
「無邪気と無知は時に最大の邪悪になる危険性を孕んでいるものだねえ」
「・・・・・・」
3人のかほども嬉しくはない賞賛に、ハイアサースは俯きながらぷるぷると震えていた。
「それじゃあ行ってくるっス。処分はいつも通りでいいっスね?」
「なるべく離れたところでするように。あまり近いとハイアサース君の教育にもよろしくないだろうからね」
「了解っス」
ダイランドは男の後頭部を思い切り殴りつけて黙らせ、家を出て行った。
「さて、話が逸れたね。それじゃあ改めて採取に必要な物の相談をしようか」
何事もなかったかのように話を再開するフォックスバード。
「君は見たところ手ぶらのようだが何か武器は必要かね?」
「いりません。昔剣道……剣術を1年やってたんですけど、初めて1日の後輩にボコボコにされて分を弁えました。それに、いざというとき平然と人が殺せるとも思えませんし……」
今回のミッションはモンスターだけでなく、盗賊も相手にする可能性が高い。そんなとき、たとえ剣どころか拳銃があったとしても、康大は面と向かって引き金を引ける自信が無かった。康大が冷徹になれるのは、あくまで自分が関与しない生殺与奪だけである。
「ふっ、いい男がなかなかの腰抜けぶりだな」
「否定はしないよ。俺を殺そうとした人間の言葉ならなおさらだしな」
「その点に関しては本当に申し訳ありませんでした……」
あの出来事は完全にハイアサースの弱みになっていた。
「それじゃあハイアサース君が変わりに剣で戦う――」
「無理です」
本人ではなく、康大が言い終わる前に否定する。
「ぶっちゃけこいつよりは俺の方が剣の腕はまだマシで、斬られたのは完全に事故みたいなもの。戦力として計算したら、その時点で計画失敗確定です」
「そ、そこまで言うこともないだろう!」
「・・・・・・」
康大は無言でダイランドが持ち忘れていった手斧をハイアサースの前に突き出す。
鎧は着ていないもののいちおう剣は帯びてはいたが、ハイアサースは反応するどころか驚きのあまり後頭部からひっくり返りそうになった。
「ど、どでんしたぁ!?」
「まあこんな感じです」
「なるほど、2人とも戦力としては計算できないと。ただ僕はそうとも思えないんだけどね。以前も言ったけど君らは君らが考えている以上に特別な存在だよ」
「買いかぶりすぎです。まあハイアサースは回復魔法が使えるだけ俺よりマシですけど」
「ふふふ、では今はそういうことにしておこう」
それからは現実の世界でもするように、必要な物を箇条書きでまとめていく。予定では日帰りで野営のための装備はなく、そこまで多くの荷物はなかった。
ただ、言葉は通じても文字までは日本語と同じではなかったようで、フォックスバードが書いた文字を康大が理解することも、康大が書いた文字をフォックスバードが理解することもなかった。
そうしている間に時は過ぎ、お仕置きを終えたダイランドが戻ってくる。
上着を血まみれにして。
「その返り血は……」
「ああ、これは獣の血っスよ。肉を裁いてたっス」
おずおずと聞いたハイアサースの言葉にダイランドはこともなげに答えた。
「そ、そうか。ならばいいんだ」
ハイアサースは常識的に獣という言葉をを先ほどの猪とだけ捕らえ、昼も近いし食事の準備をしていたのだと解釈した。その一方で、康大やフォックスバードは獣と呼ばれるような人間がいる事実を良く理解していた。
「あと、アイツが言ってたんスけど、どうも師匠の言った通り、例の廃墟に盗賊の集団がたむろしてるてるみたいっス。根城としてじゃなくていくつある隠し砦の1つとして使ってるみたいで、間の悪いことに今の時期と偶然かぶっちまったみたいっスよ」
「規模は?」
「盛ってるかもしれないっスけど100人ぐらいみたいっス。盗賊団としては結構大きめっス。まあ上があの豚野郎ですから、質は豚小屋がいいとこっすけど」
フォックスバードの問いかけにため息混じりに答える。
話を聞いたフォックスバードもあまり興味がなさそうだった。
けれど実際に現場に行く康大とハイアサースはそう言うわけにはいかない。
「ちょ――100人ってとんでもない数じゃないか! それに頭とは知り合いなのか!?」
「知り合いというか知ってるってだけっス。掠った女の手足をぶった切って豚みたいに悲鳴を上げさせながら犯す事が趣味の、見た目も完全な豚野郎っス。あれが頭じゃ統制なんて取れてるわけねえっスから、まるでアジトは豚小屋っスね。息をするように殺して犯して奪う豚のだけの群っス」
「そんなさらっと重い話されても……」
康大は自分があらゆる意味で異邦人であることを認識させられる。
おそらくハイアサースも同じように動揺しているだろう。彼女は平和主義の聖職者だ。
――康大はそう思っていた。
「それは神をも恐れぬ貪狼の群だな。皆殺しにしよう」
「ええ!?」
予想だにしなかった生臭い結論に、康大は今まで飲んでいた水を吐き出しそうになった。
「それ聖職者的に良いの!?」
「聖職者的には駄目だろう。だが私はかつて何百もの無頼の首を狩った伝説の女騎士の子孫。悪を見て見逃すような真似はできない!」
「いや、さっきお前あの蛮族が拷問されそうになったの止めようとしたじゃん」
「あれはあの男が外見だけで悪人かどうか判断できなかったからだ。悪人なら処刑もやむなし」
(そういえばへっぴり腰とはいえ、いきなり斬りかかられたんだよな……)
康大はあの時の恐怖を改めて思い出した。
どうもこの世界の倫理観において、人の生死はそこまで重要なファクターではないらしい。
尤も彼女の場合それを実行できる力までは無いので、その点は安心ではあるが。
「まあでもさすがに皆殺しは難しいっスね。ああいうのは不利と分かれば逃げるっスから、絶対に何匹か取り逃すと思うっス」
「僕ならそんな無様なマネはしないけどね」
「師匠はあらゆる意味で特別っスから……」
「とりあえず俺としては穏便に済ませて欲しい」
康大は場の空気を抑えるように言った。
しかしこの時の康大はまだ知らなかった。
未来の自分が最も陰惨な手段で、皆殺しの選択を選ぶということに。
それからダイランドが男から聞き出した砦の情報をまとめて、改めて作戦を練る。こういう場合、同じ穴の狢でダイランドの意見は非情に参考になった。しかし、そのせいで昼食の準備が遅れ、フォックスバードに折檻を受けたのは理不尽以外の何物でも無い。
そして朝食以上に昼食を食べたハイアサースを何とも言えない表情で康大が見たり、味付けが薄いとダイランドがフォックスバードにどつかれたりしながらも、概ね何事もなく進み、いよいよ出発の時間となった……。