第7話
康大は身体を揺すられる。
最初は優しく、そしてすぐに激しく。
それでも彼は目を覚まさなかった。ようやく手に入れた安眠を、身体は易々と手放そうとはしなかったのだ。
しかし起こす立場の人間からすれば、知ったことではない。
「いい加減起きろ!」
怒声と共に康大はベッドから引きずり落とされる。
「ほげっ!?」
そのまま強かに康大は後頭部を床にぶつけた。
「痛て……」
「お前がそうやっていつまでも起きないから悪いんだぞ」
起こした人間――ハイアサースも多少やりすぎたと思ったのか視線を逸らし、言い訳するように言った。
「起きないって今何時だよ……うわっ!?」
康大はハイアサースと視線を合わせ、再びその場で尻餅をついた。
昨日は健康的な肌色に回復していたハイアサースの肌が、たった一日で元の土気色に戻っていたのだ。それは康大が散々向こうの世界で見てきたゾンビの肌そのものだった。
まだ判然としない寝起きの頭では、そんなハイアサースを見て冷静ではいられない。
「ひ、ひぃ!」
「失礼だなお前は! 誰のせいでこうなったと思ってるんだ」
ハイアサースが康大に詰め寄る。
康大はそれに抵抗するかのように大きく手を振った。
その拍子に、彼女の身体で一番前に突き出た部分に康大の手が当たった。
「きゃっ!」
「あ、ごめん」
再び掌に感じたハイアサースの胸の感触で、康大は一気に冷静になる。
(おっぱいの力は偉大だ……)
触るどころか思う存分揉みしだきながら、康大は心底そう思った。
「いつまで触ってるんだベこのたふらんけ!」
「あう」
ハイアサースにポカポカと頭を叩かれる。
非力とはいえさすがに何発も叩かれると頭が痛くなる。
康大は名残惜しそうに手を離し、「おはよう」と今更な挨拶をした。
「……まったく、お前は本当にとんでもないスケベだな」
「否定はしない。ただ健全な男子として出来ればそのおっぱいを目立たない状態にして欲しい」
「そんなこと出来たらとっくにしている! 私だって肩は凝るしスケベな視線で見られるしいいことないんだぞ」
「どこの世界でも巨乳は同じように大変みたいだな。まあそこは同情する。こっちの世界じゃブラもないみたいだし、余計大変だろう。でも世の中にはそのおっぱいを見ているだけで幸せになれる男子が大勢いると言うことも、覚えておいて欲しい」
「だからもうおっぱいの話はいい! そんんなことより、今は私の身体の方が問題だ。フォックスバード殿の言った通り、一晩でまたゾンビに逆戻りだよ」
「そうみたいだな。ちなみに俺はどうなってる? この部屋は鏡がないから分からないんだ」
「私が見た限りでは昨日と同じだ。良くも悪くもゾンビのままだ」
「そっか……」
康大は症状が悪化していないことに、とりあえず安堵した。現状良くなる要素が無いので、小康状態以上に良い便りはない。
「あまり遅すぎるのもフォックスバード殿に悪い。とっとと部屋を出るぞ」
「そうだな」
2人は揃って部屋を出、昨日話し合った大広間へ向かう。この世界では旅の間に暢気に着替えをする習慣もないので、お互い身だしなみなど全く整えず(ハイアサースはいちおう洗顔や髪を梳かすぐらいはしたが)そのまま向かった。
大広間のテーブルには既にいくつかの料理が置かれ、フォックスバードは悠然と本を読みながら椅子に座っていた。ダイランドが忙しそうに動き回り、テーブルに次々と料理を載せている。
蛮族の割に料理が出来るようで康大の目から見ても、かなりおいしそうだった。ただ4人分にしては、少し多すぎるのではと思われた。
「適当な席に座てくれたまえ。この料理は君のような異邦人の知識を参考にしていてね、僕が言うのもなんだがかなりの自信作なんだ」
「師匠に作り方を教わって、俺が気合い入れて作ったっス! もし料理が出来なかったら自分今頃墓の中だったっス……」
「本当にギリギリで生き残ったんだな……」
ダイランドに同情しながら康大は椅子に座った。
「さて、それでは朝食を始めよう。食べながら僕の話を聞いて欲しい」
「はい」
「・・・・・・」
康大はナイフにもフォークにも手をつけずフォックスバードの話を聞いていたが、ハイアサースは問答無用でパンを鷲掴みにする。昨日のことでよっぽど腹が減ったのか、その立派すぎる胸を維持するのに元から相応の栄養が必要なのか朝からよく食べた。
「……あえて言うまでもないが、薬草採取の件についてだ」
そんなハイアサースを微笑ましそうに見ながら、フォックスバードは言った。
「問題のゴーレムはこの近くにある廃墟に年に1回、明日の夜だけ現れる。君達にはその時間に合わせて現地に向かってもらい、薬草を手に入れて欲しい。ただしいくつか問題がある」
「でしょうね」
康大も薄味のコンソメらしきスープをすすりながら答えた。ハイアサースと違って朝は食べない習慣が生まれた時から続いているので、どんなにおいしそうでも食指は伸びない。
「まず第一に場所について。廃墟に行くまではそれほど大変ではない。子供でも日が沈むまでに行って帰れるぐらいさ。ただ噂によると最近廃墟には盗賊の集団がたむろし、またアンデットも出るらしい」
「モンスターはなんとか誤魔化せるかもしれませんけど、生きている人間は厳しいですね……」
「そこはこのダイランドを上手い具合に使ってくれ。蛇の道は蛇でそういう手合いの扱いには長けている。そして第二にゴーレムだ。実を言うと例の力の問題から、僕は直接見たことがない。人伝に聞いた噂だけで、どのように薬草が生えているどころかその姿形も習性さえよく分からないんだよ。薬草自体はどんな形状をしているか分かるんだけどね。だからひょっとしたらゴーレムと戦うこともあるかもしれない」
「やっぱ楽な任務じゃないんですね」
「ああ。だからこそダイランドだけでは不安だったんだ。必要な物は出発まで可能な限り用意する。君達の健闘を期待するよ」
「あの、こっちからも1つ質問良いですか」
「なんだい?」
「その、なんでそこまで俺達に手を貸してくれるんですか? フォックスバードさんにはなんらメリットが無いように思えるんですけど」
相手の無償の厚意を自分の都合の良いように信じるほど、康大の脳みそは平和ではない。
人は追い詰められたら、生きるためにどんなに汚いことでもする。
それをあの地獄のような数日間で、嫌というほど学んだ。自分が助かるためなら相手を陥れても構わないという人間の醜さを、うんざりするほど見てきた。
「なるほど、善意だけでは信じれないという訳か。でははっきりと言おう、君らが必要な薬草は僕も必要としているものなんだよ。医療的な目的ではなく、ね。もちろん君達が必要な分はちゃんと進呈するつもりだ。それと昔から僕には快楽主義者的なところがあって、君達のような異邦人の行く末に興味があるんだ。瀕死か死んでしまった以外の異邦人に会うのも随分と久しぶりだしね」
「そういう理由があるんでしたら、素直に協力を感謝します」
目に見える下心はつまり契約と同じだ。
康大は改めて頭を下げる。
口いっぱいにソーセージと芋のサラダを含みながら、とりあえず康大に習ってハイアサースも頭を上下した。
「ならばこれで契約成立ということで。期待しているよ」
「はい」
「うわっ!?」
不意にダイランドが叫び声を上げる。
何かあったのかと康大がそちらを向けば、あの世紀末男が青白い顔で呆然としていた。
「どうしたんだ!?」
「4人分と思って多めに作ったら、もう俺の分がほとんど無いっス……」
「あ、それは本当に申し訳ない……」
明らかに犯人であるハイアサースが素直に頭を下げる。ただ、干し肉を囓りながらではいまいち誠意に欠けていた。
「まあこのデカブツは1、2食抜いたぐらいで丁度良いさ。何なら断食させてもいい」
「師匠それはあんまりっス! 最近食事だけを楽しみに生きてるんスから!」
「それはまたなんとも……」
康大は心の底からダイランドに同情した。
「俺朝飯食ったらちょっと狩りに行ってくるっス。今ある蓄えじゃ昼が足りなそうっスから」
そう言うと素晴らし勢いで料理をかっ込み、部屋の奥から何本かの手斧を取り出して、持てる限り体中に装着する。その姿は本当に蛮族以外の何物でも無かった。文明もしくは知能レベル的に弓が使えないのでは? と思わせるほの狂戦士ぶりである。
狩りと言うよりは人さらいに出かけたようなダイランドを見送りながら、康大は食事を続けた。
結局ハイアサースとダイランドの被害を免れたスープとパン一囓りしか食べられなかったが、それでも人心地はついた。何よりこうして食卓を囲い、自分以外の人間と食べられたのが嬉しかった。
ゾンビになっても普通に食事を――。
(ってゾンビなのに生前と同じように食べてるな、俺もハイアサースも)
今更その事実に気付いた。
ハイアサースに関してはその食欲を見た限り、ゾンビどころか風邪をひいているようにさえ見えない。
まだまだこのゾンビ化には色々ありそうだ。
そう思う康大だった――。




