第4話
「……うん」
あれから数分後、ようやく泣き止んだハイアサースは康大の申し出にゆっくりと首を縦に振った。
康大はほっと胸をなで下ろす。
役に立つ立たない以前に、とにかく泣き止んでくれたことが嬉しかった。
「おうちに帰りたい……」
「だからそれは置いておいて、とにかく何かこういう病気を治せる当てはないか?」
「病気? 呪いじゃないのか?」
「そこは正直俺もどう扱っていいのか……」
この世界にゾンビウイルスのパンデミックが存在するようには思えない。だから呪いといった方が分かりやすいだろうと思ったのだが、思わず出てしまった病気という表現の方が確かに適切だ。
さらに、ハイアサースにとってもこの無意識な言い換えは重要だったのか、顎に手を当て考え始める。――いや何か、思い出そうとしていた。
簡単な頭脳労働なら、ハイアサースも外見通りの有能な女騎士に見える。
やがて、
「病気というのなら思い当たることがある」
ハイアサースはゆっくりと言った。
「マジか!?」
「ああ。呪いなら高位の聖職者の力が必要で、ゾンビになった時点でそもそも会うことも不可能だし、聖水が効かなかった以上意味があるとも思えない。だが、これが病気なら治し方を知っている知恵者に頼れば解決の糸口が見つかるかも……」
「なるほど、それで、その知恵者に心当たりは」
「ある」
「すごいな! 実は今まで心の中で「こいつ仲間にするぐらいならレベルが1から上がらないスライムを仲間にした方がマシだったのでは……?」と思ってたこと謝るわ! 後腐れ無いよう今言っとく、ごめんな!」
「意味がさっぱり分からないが馬鹿にしてたことだけは伝わったぞ!」
ハイアサースが一度納めた腰の剣に再び手をかける。
尤も彼女の場合、それが全く脅しにはならなかったが。
康大はまあまあと肩に手を置きながら宥め、先を促した。
「それで、その知恵者はどこにいるんだ?」
「ここに来る前に噂で聞いたのだが、都合の良いことにここからそう遠くない村にいるらしい。本来なら城にいるような人らしいが、隠遁してこんな田舎の村に籠もっているそうだ。ただそういう変わり者だから面識もないゾンビの私達に素直に会ってくれるか……」
「そこは賭だな。まあ行ってから考えても遅くはないはずだ」
「そうだな」
こうして2人の方針は決まった。
それからあえて人に会わないよう、道を逸れ森の中をかき分けるように目的の村へと向かう。現代人の康大だけだったら絶対に迷っていたかもしれないが、「ここよりもっと田舎に住んでたから」と言うハイアサースのおかげで、ほぼ迷うことなく道無き道を進むことが出来た。
移動中、初めは2人とも黙々と歩いていたが、やがてどちらからともなくぽつりぽつりと話し始め、それぞれの身の上も話すようになっていった。
ハイアサースは100人にも満たない小さな村でただ1人の聖職者で、やはり剣術の練習など今も昔もしたことがなかった。それでどうやって今まで旅が続けられたというと、彼女と一緒に旅をしていた老人が凄腕の剣士で、ほぼその老人1人の活躍でここまで来られたとのこと。しかし、少し前にモンスターに襲われた際、(本人は認めていないが)恐慌状態に陥ってしまった彼女は知らぬ間にはぐれてしまい、今に至るとのことだった。
さらに康大が聞きもしないのに、鎧の来歴まで話し始める。
ハイアサースの着ている鎧は彼女の祖先で、かつて大陸中にその名を轟かした由緒正しき女騎士の物で、同じく子孫である親戚の村で行われる祭りに必要なため、届けることになったそうだ。予定では見た目だけは絵画に残っているその女騎士にそっくりなハイアサースが、鎧を着たままその騎士役で祭りに参加するはずだった。
「それがまあかゾンビになって祭りどころじゃなくなるなんて……。とほほ……」
「その件に関しては本当に悪かったとしか。ところで会った時から気になってたんだけど、なんで無理矢理尊大な言葉遣いで方言を隠そうとしてるんだ。俺は別に気にしないし、むしろボロが出た時余計に恥ずかしい思いをするぞ」
「この話し方は村の人にそうするよう頼まれ、村を出てからずっと続けているのだ。伝説の女騎士が方言丸出しで旅をしていては、あまりに恥ずかしいからな。ただ私も村では修道女というよりほぼ司祭で説教もしていたから、こういう芝居がかった口調は苦手ではない」
「なるほど。――と、あれかな」
そんなことを話しているうちに、康大の視界に村らしき物が見えてくる。周囲を木の柵と畑に囲まれた本当に小さな寒村で、住んでいる人間もせいぜい200人程度だろう。その半分しかいないハイアサースの村は本当にどうしようもないド田舎だ。
村の入口には槍を持った屈強……とは言い難い中年の男がいた。平和そうで、実戦経験が限りなく0に近いことは一目瞭然だ。
とはいえ、へっぽこ女騎士のハイアサースと運動音痴ゾンビの自分では、強引な突破はできそうもない。
とりあえず2人は木に隠れ、遠巻きに様子を窺うことにする。
「……そういえば私も気になっていることがあるんだが」
「いきなりなんだ。向こうの世界の話は言うだけ無駄と分かったから話したくはないぞ」
康大も日本のことはほぼ包み隠さず話したが、ハイアサースが難しい表情で居眠りをしているのを見てそれ以上話すのを止めた。彼女の牧歌的すぎる脳みそでは、康大の現代社会の話はあまりに難解すぎた。
「いやそうではなく、ここに来るまでの間、モンスターに全く襲われなかったなと」
「言われてみればそうだな」
今まで遠目に歩くモンスター達を康大も何回か見てきた。ほとんどが現実世界でも存在する野獣のような姿をしていたが、中にはゴブリンやオークといったファンタジーの世界でしか見られない怪物もいた。ハイアサースは見かける度に、分かりやすすぎるほど分かりやすく怯えていた。
けれどモンスター達がこちらに近づいてくることはなかった。それどころか、明らかに目が合ったゴブリンが、そのまま何事もなかったかのように無視して去って行ったことさえあった。
こうなると康大としても一つの結論に至らざるをえない。
「もうモンスターには仲間だと思われてるんじゃないか?」
「聖職者なのに……」
ハイアサースは大きく肩を落とす。
そんな彼女に構わず、康大は建設的な話をする。
「見張りのあの様子だと夜になったら休みそうだからその時に入るかな」
「……うむ」
2人ともなるべく安全に入るという結論で一致し、そのまま隠れて日が落ちるのを待つことにした。
この世界ではモンスターが至るところで徘徊し、安全な場所などほとんど無い。この村の木の柵程度では、防衛力もたかがしれている。ただ強力なモンスターが徘徊する場所は人口密集地に限られ、ここのような寒村ならその程度でもなんとかなった。
――といったような役立つ話もハイアサースから聞いていたのだが、そうと分かっていても日が暮れるにつれて多くなるモンスターには恐怖感を覚える。
戦士としてのレベルで言えば2人合わせて2あるかないか程度の康大とハイアサースは身を寄せ合って、とにかく一秒でも早く見張りがどこかへ行ってくれることを祈りながら様子を見守っていた。
「ひえっ!?」
「いちいち反応しないように……」
もう日はとっぷり暮れ、さらに周囲のモンスターの数も増えてくる。
目と鼻の先にコボルトが通り過ぎることさえあった。
それにも拘わらず見張りはどこかへ行くどころか、増員までしている。
「ってまあ考えれば当たりまえすぎる話だよな……」
夜になって警戒心を強めるのも当然だ。むしろ周囲がよく見えない夜にこそ注意しなければならない。
これは徹夜しなければならないか。
康大がそう判断しかけた頃、村の入口が少しざわつき始める。
「誰か出てきたみたいだ」
田舎育ちで康大よりはるかに視力が良いハイアサースが、そう説明した。
ただ何をやっているかまではハイアサースにも分からないので、2人で相談し、とりあえず物陰に隠れながらなるべく近くまで移動することにした。
そんな2人の行動がまるで分かっていたかのように、
「そこに隠れている2人、出てきたらどうです」
入口にいた何者かが、明らかに2人に向かって声をかけてきた。
康大は反射的に立ち止まる。ここから動くべきかどうか、未だ判断がつかなかった。
一方のハイアサースは「どうすんだべ……」と完全に目が泳ぎ、狼狽していた。
(こんな役立たずのなんちゃって女騎士と役立たずの男子高校生じゃあ逃げるだけ無駄か)
結論は出た。
康大は自分から村人達の前に姿を見せる。
入口にたむろしている村人達から「化け物!」、「食われる!」といった避難というより恐怖の声が聞こえてきた。暗くても康大ぐらい身体が崩れていると、はっきりと分かるようだ。
そんな村人達をかき分け、ローブのような物を纏った1人の子供が現れる。
ただの子供がこんな時間にあんな所にいるとも思えない。
おそらく何らかの特権階級の子息なのだろう。
そう思いながら、康大は子供の一挙手一投足を見守った。
やがてその子供は康大が手を伸ばせば届く距離まで近づいて来た。周りの村人達はそれを必死で止めようとしたが、子供が一瞥すると皆その口をつぐむ。
康大は改めて子供を見た。
そしてすぐに自分の間違いに気付かされる。
確かに体格はせいぜい5,6歳程度だが、その顔年齢は自分と同じぐらいで自分以上の知性が感じられ、何より人間としてのディテールが些か異なっていた。たとえば耳が長かったり、手の指が随分ずんぐりむっくりだったり……。
今更康大はこの世界が現実世界でないことを痛感させられる。
「えっと……」
「初めまして、僕はフォックスバード、色々面倒だから今はこれが僕の名前だ。君は異邦人だね、名前までは知らないが」
「異世界転生した人間をそう言うならそうなんじゃないですかね」
その雰囲気からとても年下には思えないので、康大もそれなりの態度を取る。もっとも、疲労困憊のため第三者的にはかなり捨て鉢に映ったが。
「後ろにいる君もそろそろ出てきたらどうだい。僕はおそらく君達が用があったホビットなのだがね」
「・・・・・・」
文字通り、おそるおそるといった様子でハイアサースが姿を見せる。
相変わらずその外見に似合わない、へっぽこぶりだ。その鎧を残したご先祖様も泣いているだろう。
後頭部をかきながら曖昧な笑顔で参上という超日本人的な態度を取るハイアサースを見ながら、康大はため息混じりに思った。
「さて、こんな所で立ち話もなんだ。まずはこの村から少し離れたところにある我があばら屋にご招待しよう」
そう言ってフォックスバードは歩き出し、結局2人もそのあとに続いた……。