第2話
「誰だ!?」
――そう声をかけたのは、康大ではなく突然現れた誰かの方だった。
康大が振り向くと、そこには白銀色の鎧を纏った長い金髪の、それこそ女騎士としか形容できない女がいた。
年齢を超越したような美貌を持つミーレと違い、歳は康大より少し上くらい。ただこの世界の人間の肉体年齢がどれほどか、それ以前に(いちおう耳は尖っていないものの)人間なのかも分からないので正確に判断することは不可能だ。
口を一文字に引き結び、真剣な表情で自分を見つめるその顔は美人と言って差し支えない。真剣さがある分、今はミーレより美しく見えた。
ただ、そんな美醜よりこの時の康大にとって重要なのは、彼女が剣を持っているという事実である。
ミーレは不死身と言っていたがそれはあくまでゾンビとしての不死身、斬られれば確実に痛いし、多分首が落ちれば死ぬ。彼女の敵意むき出しの態度から察するに、この場に居続ければ近い将来それが現実になるだろう。
「何故貴様のようなゾンビがここにいる! もっとも、そう言ったところで話など通じるわけもないがな!」
「いや、そういうわけでもないですよ」
「ゾンビがしゃべった!?」
女騎士は康大の反応に驚愕し、思わず持っていた剣を落とす。
慌ててそれを拾ったものの、彼女がかなりのヘタレであることを察するにはそれで充分だった。
それと同時にこの世界の住人とは言葉が通じると言うことも理解する。下手すると外国人より意思疎通は容易いかもしれない。
「まあこんななりですけどここは冷静に話――」
「来んなあ!!!!!」
女騎士は出たら目に剣を振る。
白銀に輝く鎧も刃渡りだけで1メートルを超える剣もその白人的な容姿も立派だが、その腕前は素人も良いところだった。とんでもないへっぴり腰で明らかに剣に振り回され、見ている康大が心配になるほどふらふらしている。
とはいえ、素人で運動音痴の康大ではそんな相手でも力で押さえつけることなどできない。
ならばと「とりあえず落ち着いて」と声をかけても、落ち着くどころか余計取り乱す。しまいには「おがーじゃーん!」とか「たずげでげろー」と口調も色々おかしくなってきた。
(異世界の美女はボロを出すのが早すぎる!)
康大は心の底からそう思った。
そんな呆れが康大に隙を作ってしまった。
もっとも、最初から隙だらけでただ気が逸れただけなのだが。
「あっ!?」
「あ?」
それまで女騎士は一定の距離を保って剣を盲滅法に振っていたのだ。しかし、何かに躓いたのか突然急接近し、康大にむかって剣を大上段に振り下ろしてきたのだ。
油断していた康大は咄嗟に対応できず、彼女の適当な一刀を思い切りその身体に受けてしまった。
「痛え!!!!!!!」
「あ、ごめ――」
康大の絶叫に思わず謝る女騎士。
それと同時に、彼女は思いきり康大の返り血を浴びた。
女騎士は慌てて泉に飛び込み、「ぺっぺっ」と口に入った血を吐き出しながら汚れを落とす。
一方の康大は「どこが不死身だよ……」と毒づきながら、とにかく女騎士から逃げようとした。彼女を倒す理由がない以上、これ以上構っていてもマイナスしかない。
必死で身体を洗う女騎士を尻目に、泉から離れる康大。
ゾンビ状態に身体が慣れていないのか、走ることさえうまくできない。
それでも女騎士は康大を無視してくれたおかげで、なんとか彼女から距離を取ることが出来た。向こうもあそこまで怖がっていたのだから、自分を追いかけてはこないだろう。
康大はそう思っていた。
「それにしても斬られたなあ……いてて……」
康大は改めて斬られた箇所を観察する。昔から自分の能力も顧みずよく怪我をしていたので、傷を見るのには慣れている。
とはいっても、ここまでの傷はもちろんしたことがない。普通の人間なら完全に致命傷の一撃だ、負った時点で死んでいる。
それでもこうして遠くまで逃げる体力が残っているあたり、やはり不死身なのだろう。
しかし、その不死身は康大が望んでいたものと大分違っていた。
「グロ」
それが傷口を見た忌憚ない意見だった。
本来人間は傷が治れば皮膚に跡が残るだけで、ほとんど元通りになる。しかし今の康大は傷が"治った"というよりは"変質した"と呼べるような状態だった。斬られた部分は赤黒く変色した筋肉とは一線を画する組織で覆われ、肌色の皮膚は全く形成されず、なにやらねちねちと本来人体から聞こえてはいけない音までしている。血が出ていないことだけが唯一の救いだ。
ついでに噛まれた腕を見てみると、こちらは使用後と呼べるぐらい問題の再生組織が定着し、完全に人間から卒業していた。土気色で片目が眼窩に沈みかけ、片頬が溶け落ちて少し歯が見えかけているゾンビ然とした顔面の方が、元人間と分かるだけマシに覚えるレベルである。そもそもなんでこの状態で五感が正常に動いているのかが理解出来ない。
これは改めて現在の状態を確認する必要がある。
そう思った康大はそっと目を閉じた。
「おいミーレ」
暗闇の世界で康大はその名前を呼ぶ。
しばらくして薄く白いもやが眼前に現れ、それはやがてテレビを前にPS4で遊ぶジャージ姿の女神へと姿を変えた……。
《コウタ……良く来ました》
「人が死ぬ気で逃げてきたと思ったらなにやってんだよお前! 本音じゃもうしばらくほっといてくれたら良かったのにとか思ってんだろ!」
《勘違いしてはいけません、これは女神としてのサポートの一つです。ただ、あまり遊んでばかりいると本当に遊んでいると上から思われてつらいのです……。今も背中からひしひしと視線を感じます。正直声をかけてもらって助かりました》
「だから口調が最初の時のままなのか。上司だけでなく俺の目から見ても遊んでいるようにしか見えないが」
《違います、それは勘違いですコウタ! 私はこのバイオハザード○をプレーして、あなたの状況をより理解しようとしているのです!》
「そんなもんでできるかよ! あと相変わらず○の位置がおかしいぞ! ○に0から7のどの数字入っても全部アウトだ!」
《いえ、アウトブレイクでは……》
「言ってない!」
《ところで今走ってるルートがどうもしっくりこないのですが、ゾンビオタクならぬオタクゾンビのコウタは何か有益な情報を知っていますか? あれ、今私上手いこと言ってません?》
「言ってねえし知ってたとしても死んでも教えねえよ! 誰かのせいでもう死んでるけどな! それより真面目に答えてくれ! 一体俺の身体はこれからどうなるんだ!? このままだとバイオの歴代ラスボスコースになりそうな気がするんだよ!」
《そうですね、ここからは私の推測になりますが……》
そこでようやくミーレはコントローラーを置く。
テレビ画面にゲームオーバーの文字がなければ、続けながら話をしていたことだろう。
《もし完全に現実世界の状態を引き継いでいたら、貴方はこの世界に来た数分後には自我を失い、元の世界のゾンビと同じ状態になっていたでしょう》
「言われてみればそうだろうな……」
ミーレの言うことも尤もだった。向こうの世界の基準で考えれば、自我がとっくに失われていないとおかしい。身体の異常を感じながらも精神まで異常を来していないのは、良い意味で普通ではなかった。
《さりとて貴方のゾンビが完治したわけでもありません。そこで私が推察したのは、貴方の身体を攻撃していたゾンビウイルスは貴方の身体の一部でないと判断され、現実世界に残されたのではないか、ということです》
「そういう判断ってミーレがしてるんじゃないのか?」
《私はただ与えられた装置を動かし、マニュアル通りの助言をするだけのハケン……ではなく女神に過ぎません》
「なるほど……」
向こうの世界も世知辛いなと思いながら、康大は頷く。
「まあお前みたいのが正社員だったら会社も大変だろうし……」
《そこは拾わないでよ! もちろん、ウイルスがなくなったからといって、身体は傷つけられているのですから死ぬことにかわりはありません。ですがウイルス以外にもこの世界の様々な因子が合わさって、貴方のゾンビ化は小康状態を保っている、そう考えられないでしょうか。これからどう転ぶかは私にも……》
「まあ俺もそこまでミーレには期待してないさ。でもせめてこの見た目だけはどうにかできないかな?」
《前も言った通り、私が直接的に手を貸すことは出来ませんし、私はその世界に関しても貴方の世界のパンデミックに関しても※ソニックシティほども知りません。ただ今貴方が私に対してできることがあります。今から私のおに……ではなく少し厳しめの上司を説得し、せめてエンディングまでこのゲームが出来るよう説得――》
コウタは何も言わず瞼を開いた。
自分の身体はこれからどうなるか分からず、ミーレの助力は期待できそうにない。ただ、ミーレが言うようにこの世界にゾンビ化に関係する何らかの因子が本当にあるのなら、それを見つけるべきではないだろうか。少なくともいるかどうか分からない魔王云々よりはるかに重要だった。
そのために協力者が必要だ。
言葉が通じてもこの世界の常識は分からず、何よりこの外見では人と上手く接する自信が無い。
できるなら温厚かつ頭が切れ、頼りになる義理堅い人間がいい。
今目の前でへっぴり腰を構えているこの女騎士とは違った――。