第19話
「うわああああ!!!」
ついに触手の力に耐えきれず、康大はその場所から思い切り振り払われる。
後ろの2人も身体を掴み続けることが出来ず、それぞれが壁に叩き付けられた。
それでも触手から手を離さなかった康大を褒めるべきだろう。
だが、最終的には本体より触手の繊維の方が耐えきれず、「ぶちぃ!!!」と盛大な音を立てて康大の手から離れていった。
千切れたのは触手の3分の1ほどで、致命的なダメージは与えられていない。
これで終わり。
3人の誰もがそう思った。
不幸中の幸いなのは、以前ならそれでも被害を受けただろうが、全員が壁際まで吹き飛ばされた上、触手も3分の1は切ったので安全であることぐらいだ。
康大は切れた触手を投げ捨て、忌々しげに触手を睨む。
だが――。
「……なんだこれ?」
次第に康大はその異変に気づき始めた。
それまでは攻撃をしない限り、うねうねと緩やかに動いていた触手が、何もしていないのにいつまでも暴れ続けていたのだ。その動きは時が経つと共に大きくなり、まるで植物にも拘わらず頭がおかしくなったかのようであった。
そうかと思えば突然痙攣を起こして動きを止める。そしてまた暴れるという動作を数回繰り返した後、唐突に千切れた先端から腐り始めた。
やがて暴れることすら出来なくなり、ただその腐敗を受け入れるだけの存在と化した。
「えっと……」
康大は助けを求めるように2人を見る。
どうせどちらも分からないだろうとなんとなく見ただけだが、意外な人間から答えが返ってきた。
「これはコータのゾンビウイルスのせいだな」
「へ……?」
いつも通りの真剣な表情で言ったハイアサースに、対照的な間抜け顔で康大は返した。
「おそらくコータの血を触手が吸い上げ、完全にうつったのだろう。以前私がいた村で作物が罹っていた病気が家畜にうつったことがあった。その逆が起きたとしか思えん」
「そんなことが……あるのか?」
現実世界でも鳥インフルエンザウイルスが変化して、人間に感染したという話なら康大も聞いたことがあった。ただそれはあくまで動物間の感染で、動物から植物にうつったという話は聞いたことがない。
(でもまあそれは俺が聞いたことがないだけかもしれないんだよな……)
捜せば現実の世界にもそういう事例はあるかもしれない。いわんや現実世界の常識が伝わらない異世界で、何故それが起こらないと断言できる。
「じゃあもうそういうことで良いよ」
康大はいい加減考えることに疲れたので、ハイアサースの意見をそのまま受け入れることにした。
今はしばらく休んでいたい。
そのぐらいの猶予はあるはずだ。
そう思っていた。
「ところでよろしいのでござるか?」
もっとも早く回復した圭阿が、立ち上がって腐っていく薬草を見ながら呟いた。
「いいって、何が……」
「いえ、そもそも康大殿達はあの薬草が目的でここまで来たはず。それを枯れるがままに任せていいのかと」
『……いいわけないだろ!』
康大とハイアサースは声を揃えて立ち上がる。
圭阿の言う通り、このままゾンビ化を見ていたら根っこまで腐ってしまい、ここまで来た意味が全くなくなる。採取に失敗したら、さらにもう一年待たなければならない。
それを阻止するためにこんな思いまでしたのに。
「と、とにかく全員であの草を引っ張るんだ! 今なら俺達でも引き落とせるはず! 根が完全に腐らないうちに急げ!」
――そう言ってはみたものの、天井まで3メートルほどの高さがあり、この場にいる誰1人届きそうもない。
だが完全に手段が無いわけではなかった。
「然らば拙者が力の限り康大殿を天井に投げつけます。康大殿は薬草に捕まり同じく力の限り引っ張ってくだされ」
「分かった、やってくれ」
「委細承知!」
圭阿は宣言通り、康大を天井に向かって投げつけた。
単純な力は康大に劣るものの、体の使い方でそれを大きくカバーしているのか、康大はしっかりと天井の高さまで飛び上げられる。
最高点で康大は薬草に捕まり、天井に足をつけ、逆さまの状態で薬草を天井から引き抜く。
「どうっせい!!!!!!!!!!!!」
予想以上に感染していた薬草は、意外なほど容易く抜け、康大は勢い余って頭から地面に落ちそうになった。
それを寸前でハイアサースが支える。固い鎧のせいで結局強かに後頭部を打ち付けてしまったが、床に叩き落とされた場合と比べれば、はるかにダメージは少なかった。
「さ、サンキュー」
「なに、それにこれでおっぱいの件はなしだな」
「え……あ?」
康大は捕まった拍子に、ちょうどハイアサースの巨乳がある位置の鎧部分を掴んでいた。
(ああ、やってもうた……)
助けてもらった手前駄々をこねるわけにもいかず、康大は素直に失態を認める。
(――て、こんなくだらないことに構ってる場合じゃないだろ)
もっともそれは、今の康大にとってもハイアサースにとってもどうでもいいことだ。
康大は引き抜いた薬草を確認する。葉の部分はもう茶色く変色し完全に腐れ落ち、根も上の部分は溶け始めていた。康大はすぐにハイアサースに腐っている部分を切るよう指示したが、切ったそばから腐敗は進行する。
その瞬間、康大は絶望に打ちひしがれる。
これでは今までした来たことが全くの徒労ではないか。
「くそっ!」
康大は感情にまかせて地面を叩いた。その拍子に掌の傷口が開いたのか、床に血が流れる。
最低でも圭阿にかからないよう、康大は慌てて手を押さえた。
そのとき、康大は今更自分の血がどういうことをしてきたのか、ようやく思い出した。
(そもそも植物も人間と同じように感染させられるなら、逆に植物も人間と同じように治せるんじゃないか!?)
可能性を吟味している余裕はない。
康大はすぐにハイアサースに指示を飛ばす。
「ハイアサース! 今すぐこの根に圭阿に使ったような回復魔法をかけてくれ!まだ終わっていない!」
「そうか、分かった! 安心しろ、植物の病気を癒す魔法は一番得意――」
そう言いかけた時、すさまじい轟音と振動が3人を襲う。
「今度はなんだ!? 俺そんなに強く地面を叩いたか!?」
「さすがにそこまでの力ではなかったでござるよ、なにやらゴーレムが自壊を始めているようでござるな」
「じゃあ根をはっていた薬草を俺達が枯らしたからか!?」
「いや、どうもそうではないような気がするでござる。あれを見てくだされ」
圭阿は指さした方向を見れば、そこには薬草を引き抜く時に一緒に落ちてきた天井の破片があった。結構大きな破片もあり、ハイアサースにしても自分にしても良く当たらなかったなとぞっとする。
「あれがいったいどうしたんだ? 別に支柱とかじゃないだろ」
「もっとよく見て見なされ」
「もっとよく……」
康大はその白濁して濁った目をこらし、言われた通りさらに注視する。
すると、破片には文字が書かれていたことが分かった。ただ文字は破片と共にバラバラになってしまったため、今のままではどこの国の言葉だろうが読むことはできない。
「字が書いてあるな」
「康大殿は以前拙者にこう仰いましたな。このゴーレムは何らかの呪文のようなものが書かれ、それで動いているのだ、と」
「ああ、言った……あ」
「つまりそういうことでござる」
「なんで余計なところで壊れるんだよ!」
康大は頭を抱える。
「……よし、これで問題ないはずだ! 切断面付近は手遅れだったが、先端部分なら大丈夫なはずだ。……なんだ2人ともそんな顔をして?」
一方、今まで回復魔法に集中していたハイアサースは、振動にすら気付いていなかった。
その変わり、彼女1人だけが気付いたこともあった。
「まったく、訳が分からんな。ああ、訳が分からないと言えば、天井が抜けた先に何か数字らしきものが浮かんでいて、それがどんどん減っているんだが、これはいったい何だ?」
「このゴーレム作った奴絶対バ○オハザードやってただろ!」
康大はその日、最も大きな声で力一杯叫んだ……。




