第1話
康大が目を覚ますとマンションのベージュ色の天井はどこかに消え失せ、一面の青空が広がっていた。
後頭部から感じる感触も固いフローリングのそれではなく、柔らかで、また青臭さを感じさせる芝のような……
「芝?」
だった。
康大はゆっくりと上半身を起こし、辺りを見回す。
そこはどこか丘の上で、見える景色は一面の緑、そこが丘でなかったら10メートル先もよく分からないぐらいの木々生い茂る田舎だった。
本当にここはいったいどこなのか。
康大のそんな当然の質問に答えてくれたのは、外からではなく中からだった。
《起きなさい、起きなさい勇者よ……うわっ》
「うわ?」
突然脳内に声が聞こえた事より、最後の嫌悪感たっぷりの「うわっ」の方が康大は気になった。
さらに声は砕けた調子で続く。
《えー、マジで~、これちょっとヤバくない? あー、でもクーリングオフとか手間もかかるし期限も終わってるというか、もう人生終わっちゃってるというか……》
「だ、誰だ!?」
ようやく我を取り戻した康大が叫ぶ。
すると脳内の声が《目を瞑るのです》と当初聞いた威厳のある声音で答えた。
仕方なく言う通りにすると、黒一色の世界で突然目の前に康大が見たこともない美女が現れた。見たことがないというのは面識がない、というだけでなく、見たことがないほど美しいという意味も持つ。
波打つような赤い髪はあまりの美しさにCGのようで、それが白磁の肌とこれ以上ないほどに合っている。目は閉じたままだが、瞳が10個あるとかそんな無茶な体質でなければ、その稜線や顔のパーツから開けずとも絶世の美女であることは明らかだった。
スタイルも素晴らしく身長は175センチある康大より少し低いくらいで、胸、尻と出るべきどころかしっかり出、くびれのように凹むべきところはしっかり凹んでいる。その身体を纏う波のようにたゆたう白い衣は薄く中が透けて見えるようだったが、何故か大事なところは一切見られなかった。
とはいえ、たとえ見えたとしても興奮したかは分からない。あまりの美しさに気後れして、劣情がほとんどわき出なかった。まさに神が作った完璧な人間の彫像だ。
「女神様……」
思わず康大の口からその言葉がもれた。
――と同時に、彼の美女に対する印象も180度変わった。
《そう、やっぱそう見える? いやー出ちゃったかー女神オーラ出ちゃったかー。まあ、アタシぐらいの女神になるとほらこう、○モホ○○リンク○みたいに出ちゃうじゃない、女神感が! その女神感抽出作業を延々と見ているだけの拷問……じゃなくてご褒美感全開の仕事ができちゃうほど出ちゃってるじゃない! やっべ、まじやっべ、これ来月の査定に影響しちゃうわ……。影響しちゃいますよねー!?》
女神……とはもはや間違っても呼べなくなった俗っぽい何かは、後ろを振り返りながらそんなことを言い出した。そして何故か明らかにおかしい伏せ字の位置を理解することも出来た。
「あの、いったい何なんすか?」
康大もこれで完全に気後れはなくなり、今度はかなり打ち解けた……というより馴れ馴れしい口調で聞いた。すでに女神の威厳はバイト先の先輩レベルまで下がっていた。
《……こほん、人の子よ……》
「ああ、何か面倒くさそう何でもっと普通で良いっすよ」
《いや別にアタシ的にはこれが普通というか業務規定が……あ、課長が会議に行ったから今は大丈夫か。じゃあさくっと説明するわよ、アタシ自慢じゃないけど残業と超過労働と無給労働が死ぬほどきらいだから》
康大はそれ全部同じもんじゃないかなあと思いながら頷いた。
すると女は後ろ手に隠し持っていたクラッカーをいきなり鳴らす。
面食らっている康大をよそに、女はあくまで自分のペースで話を続けた。
《ぱんぱかぱーん! おめでとう! 君は幸運にも異世界移転枠に選ばれました! ちなみに年末ジャンボ宝くじで言うと一等前後賞が当たるぐらいの確率でーす! わーなんか自分で言って微妙……》
「おお!?」
康大は一瞬驚き、間を置かず喜んだ。
あのゾンビ騒動に巻き込まれ、自分どころか日本人全体のLUCK値は底をついたのかなと思っていたが、自分だけにはまだ最後の確変が残っていた。人生捨てたもんじゃない!
心の底からそう思い、「よっしゃー!!!!」と女の前で感情を爆発させた。
そんな康大に対し、女は気まずそうな顔をする。目を瞑ったままだというのに、顔を合わせようとすらしない。
康大は勘が鋭いので、普段ならそれに気付くことが出来ただろう。ただ今の康大は夢が現実になった喜びに、それこそ転げ回らんばかりに喜んでいた。
こうなると女としても、色々言いづらくなる。
彼女が女神であれなんであれ、気まずさを感じる神経は存在していた。
《ただちょっと問題があって……》
これ以上放っておくと余計言いづらくなると判断して覚悟を決め、やおら女は口を開いた。
康大もようやく「うっひょー!!うへへえええぇぇぇえl!!!!!!あばばばばばばああああ!!!!!」と狂気じみた歓喜から復帰する。
《実は予定だともう少し早く迎えに来るつもりでした。でもほらあるじゃない、急な腹痛とか急な忘れ物とか急な午後出勤による仕事の延期とか……》
「はあ」
妙に生々しいなと思いながら康大は適当に相づちを打った。
《でね、本日このミーレ様、ああ、アタシミーレッてーのよろしくね、で、アタシが早朝出勤で迎えに行ってみたら》
「早朝って俺が意識をなくしたの昼過ぎなんだけど……」
《……昨日の残務処理とか突然の任され仕事とかお茶くみとか色々あるでしょもう学生は気楽でいいわねホント! ていうか女神時間と人間時間は微妙に違うし! とにかく「おっしゃ今日は頑張るか」とランチを食べて気合いを入れてから行ってみたら死に損ないどころか半分死んでるじゃない! だからもう慌てちゃって慌てちゃって! 女神的になんかできれば良かったんだけどアタシにそこまでの権限も無いから仕方なくええいままよとこっちの世界に連れてきた訳よ! いやあ、なんというか……やっちまったぜ!》
ミーレは一気にまくし立、てサムズアップをし、舌を口の端から出し、いわゆるテヘペロの格好でミーレは言った。これが数分前なら康大も呆気にとられただろうが、今は単純に腹が立っただけだ。何かもう神々しさフィルターどころか美人フィルターまで廃棄処分されそうである。
「……それはつまりどういうことだ?」
《まあ分かりやすく言うと、かなりゾンビな状態で転送させちゃいましたテヘ》
「テヘ、じゃねーだろー!」
康大は絶叫した。
「どこの世界に現実世界でゾンビになったまま転生する現代人がいるんだよ!? 百歩譲ってこっちの世界でゾンビになるもんだろ! こういうのって普通全回復したり別人になって転生するもんだろ!? こんなことカ○コンだってゲームに採用しねーぞ!」
《べ、別にそんな常識知らないし、※加須の常識ならゾンビのままだってアリだし。そもそも転生じゃなくて転送だし……》
「意外に近いな女神世界! うちからタクシーで30分かからねーじゃねーか! 絶対もっと早く来れただろ!」
《ああもうるさい! 少なくとも殺さなかったんだから素直に喜べ! あとカフ○コンならその内やってもおかしくないし!》
「居直りやがった! そして明らかに○の位置がおかしい! けどそうだな……」
康大は今まで理不尽に殺された来て人を大勢見てきた。
そんな彼らに比べれば、同じ理不尽でもこうして命を長らえることができた自分は幸運だ。それにアホの上に超絶無能そうだが、ミーレの機嫌をあまり損なうとせっかく拾った命を無駄にするかもしれない。
釈然としない気持ちに蓋をし、康大は口をつぐむ。
そんな康大に対し勝ち誇った顔したミーレを、思わず殴りそうになった。
(あ、でもこれは瞼の裏の光景だから実際に殴ってもセーフか)
そう思い直し、康大は力任せに腕を振った。
数秒後、豪快にミーレの身体が吹っ飛んだ。
《ちょ――何するのよ!? 訴えるわよ!!!》
「脳内の光景だと思ってたけど実際に手を動かしたら当たるんだな。便利なのか余計なのか……」
《あ、ひょっとしてアタシにエロいことしようとか考えてない!? このスケベニンゲン! エロマンガ島! レマン湖!》
「……ハッ」
10分前なら慌てて否定したかもしれないが、今の康大は鼻で笑うだけだった。
《く、その勝ち誇った顔ムカつく……》
「そんなことより何かスキルとかもらえないのか? こう言っちゃなんだけど手ぶらだったら現地人の方が絶対強いと思うぞ」
《スキル……なにそれ? そっちに行ったら英検三級でももらえると思ってた?》
「その切り返しは予想外すぎなんだが……ていうかそれぐらいなら既に持ってるし……」
《そもそもあっちからこっちに転送した人間に多くは期待してないわ。最初に勇者とか言ったのもあくまでマニュアルに載ってたからだしね。こういえば、この理不尽な状況にも結構納得してくれる人間が多いのよ。これはあくまで儀式のようなもの、やっているアタシ達の方だってその意味を知っているのはごく一部なの。でも仕事だからする、それはどこの世界でも同じでしょ?》
「一高校生に異世界感0の話題を振られても……」
《とにかくアタシの仕事は転送した人間を死ぬまでサポートすることだけ。まあ直接的には無理だけどね。とはいえ今回の仕事は今まで一番長くかかりそうだわ》
「それだけ俺の才能がすごいってこと?」
《……ハッ》
今度は康大が鼻で笑われた。
この瞬間康大の中でミーレはバイトの先輩を通り過ぎ、もはやただの女のクラスメイトレベルまでランクが下がる。
《アンタなんか日本の男子高校生総合ランキング作ったらせいぜい中の上と上の下の間ぐらいよ》
「・・・・・・」
ミーレの中での自分のランクは思ったより低くなかった。
運動が出来ない分、勉強は真面目にしてきて良かったとつくづく思った。
《でもそうね、確かに今のアンタには特別な能力があるといえるかもしれない》
「実感はないな。それはいったい?」
《ほぼ不死身ってことよ》
「!?」
それは康大にとって充分すぎるほどのスキルであった。
不死身と言うことはつまり何度でもやり直せると言うこと。典型的な異世界転生ライトノベル主人公のスキルだ。トライアンドエラーが実践できる人生はそれだけで恐ろしいほど有利である。
「なんだあるじゃないか、すごいのが!」
《うーん、でもこれはアタシがどうこうしたもんじゃなくて、アンタが向こうで身につけた能力だから》
「俺が? 俺って実は不死身だったのか……」
《そうじゃなくて……ま、説明するより実際見た方が早いでしょ。今から目を開けて近くにある泉を見てみるといいわ。後これからはそっちが声をかけない限り、こっちはアンタが死ぬまでスルーし続けるんでよろしくね~》
「?」
康大は不審に思いながらも目を開け、言われた通り泉を捜す。
近くにあると言いっておきながら、泉は1時間ほど捜してようやく見つかった。
「これは……」
水面に映った自分の姿を見て、康大はミーレの言葉の意味を理解し、同時に今までにここに来るまでに起こった出来事を完全に思いだした。
「そりゃ、不死身だよな……」
そんなとき、彼の背後にあった草むらが大きく揺れ、突然1人の人間が姿を見せた――。
※埼玉県加須市 加須市は、埼玉県の北東部に位置する市。旧・武蔵国埼玉郡。 東京都市圏でありながら市内の工業団地などの産業・雇用で周辺の羽生市や旧・栗橋町などからの労働人口流入もあり、加須都市圏を形成している。 埼玉県内でも有数の米どころで中でも北川辺地域は県内一の米どころである。by ウィキペディアよりコピペ