第11話
ダイランドの言っていた川は、康大の足でも歩いて10分もしない場所にあった。
おそらくそれを知っていたからこそ、あの盗賊達もキャンプをあの場所で張っていたのだろう。
ハイアサースはダイランドから少女を受け取ると、男達には離れるように言い、川で少女の身体を洗う。それでどうこうなるわけでもないと分かっているが、今の少女の姿はあまりに哀れすぎた。
康大も少女にならって盗賊の返り血を洗い流す。
特別な感情は無い。人を初めて殺したというのに、ただ汚らしいな、とだけしか思えなかった。むしろ自分が自分で思っていたより冷酷な人間であったことに愕然とする。出来ればこれもゾンビ化のせいにしたかった。
「ちょっと大変そうっスね」
そんなとき、ダイランドが珍しく難しそうな顔で康大に話しかけてきた。
「まあ、色々とな」
「俺や師匠はあの程度の場面で取り乱したりはしないんスけど、コータさんや姐さんには大分ショックだったんでしょ。そうなるとあの豚野郎の根城に行って平然としていられるかって話で……」
(そっちの話だったか……)
康大は自分の勘違いを心の中で恥じながら、話に付き合う。
「つまり目的地ではもっと陰惨な光景がくり広げられてるって訳か。確か出発前にも吐き気を催すようなこと言ってたな」
あの時は光景が現実を伴っていなかった。そのため言葉に対する嫌悪感しかなかった。しかし今はそれが想像……できないほど理解してしまったので、冷静どころか取り乱さない自信さえ無かった。
「まあそれもあるんスけど、あの豚クソだから効果的と分かれば絶対に人質取ると思うんっス。俺らは基本そんなの無視するんスけど、コータさんや姐さんはそういうの難しいっスよね?」
「あの光景を見るまでは、赤の他人を切り捨てる事なんてそう難しくないと思ってた。けど俺もまだそこまで人間終わってなかったみたいだ」
「はは、つまり俺や師匠は人間終わってるって事っスか。まあ否定は出来ないっスね。俺も師匠に会うまでは同じ穴のなんとかってやつでしたから。でもああいう相手は自分も同じレベルになんないと厳しいっスよ」
「そうだな……」
修羅場をくぐってきたつもりだが、まだ本当の鬼畜とやり合うには明らかな力不足だった。
やがてハイアサースが作業を終えたことを伝える。
傷だけでなく泥だらけでもあった少女は、汚物ごと全身綺麗に洗い流され、見違えるように整った素顔を見せた。長い黒髪に黒目の、この世界で初めて会った純日本人的な容姿をした美少女だった。しかし、明らかなゾンビの康大とハイアサースを見ても反応が変わらないあたり、本当に心が壊れてしまったのだろう。
「一端戻るべきか」
「いや、彼女には悪いが、そのまま進もう」
心配そうに少女を看護していたハイアサースの方が、康大の意見に反対した。
「この分だとこの子以外にも何人か捕まっている可能性が高い。だとしたらこの子1人のために戻るより、進むべきだ。それが正義だと思う」
「正義かどうかは知らないっスけど、今戻ったら師匠に何されるか分からないんで俺も戻りたくは無いっス」
「・・・・・・」
ダイランドの話はどうでもいいとして、ハイアサースの意見には確かに聞くべき点が多かった。康大は目の前の惨状にばかり気を取られ、完全に全体を通す視野を失っていた。
やはりこの世界でずっと育ってきたハイアサースの方が、生まれ持っての覚悟が違うのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
「分かった、2人の言う通りアジトへ行こう。でもこの子はどうするか。さすがに1人でフォックスバードさんの家まで行かせるわけにもいかなし……」
「可哀想だがついてきてもらうしかないな。道も分からないのだから迷うことは明らかだし、その後捕まったら元の木阿弥だ」
「どっか隠せる場所があるといいんっスけどさすがにそこまでは……。そもそも俺が隠れる必要が無いんで」
「決まり、だな。けどこの子も連れて行くとなると、さらに慎重に計画を練る必要があるな……」
「そのことなんスけど、とりあえず根城に行ってみないっスか? ぶっちゃけ俺も実際に行ったことは無いですし、話だけだとどんなところかよくわからないんスよ」
「結局最初の百聞は一見にしかずに戻る訳か。けどまあそうだな、どんなところか知らない事には計画も立てようが無いことは確かだ」
「とりあえず彼女の面倒は私が見よう。同じ女同士だし懐かれているみたいだからな」
ハイアサースの言う通り、マントを包んでいる少女はハイアサースの鎧の縁を掴んでいる。意識がなくとも、蛮族と男ゾンビよりは女ゾンビの方がまだ安心できると理解出来ているのだろうか。
しかし足手まといという事実は変わらない。
今度はダイランドを先頭に、康大、ハイアサースと少女という順番で廃墟に向かって歩く。
よほどこの山に慣れているのか、こうして脇道に逸れてもダイランドは全く迷わず目的地に向かって進む。
それだからこそ康大には不思議なことがあった。
「なあダイランド。こんだけ山に詳しい上場所も知ってるのに、何で廃墟のこと全然知らないんだ?」
――そう、ここまで詳しいなら廃墟に関してもある程度知っていないと不自然だった。用がなくとも知っておいて損はないはずだ。
「それっスか……」
ダイランドは歩きながら振り返らずに答える。
「前にアンデッドが苦手って話したじゃないっスか。その噂はここに来た時から聞いてたんで、ずっと行かないようにしてたんっスよ」
「そうだったのか。アンデッドというと……ゴーストとかスケルトンとか……そういうのかな。さすがにゾンビは――」
「実はゾンビも苦手なんです」
「マジか!?」
康大はその事実に全く気付かなかった。少なくともフォックスバード邸での対応は、それを一切感じさせないものだった。
けれど、ハイアサースは違った。
「なるほど、だからお前は私と話す時絶対に目を合わせなかったのだな」
「はい」
(全然気付かなかった……)
康大は日本の若者にありがちな、絶対に目を合わせないで話をするタイプの人間だった。そのため、相手が自分の目を見ているかどうかなど全く分からなかった。
そうなると、ハイアサースとも目を合わせて話さなかったため、ダイランドと同じようにアンデッドが苦手だと勘違いされいるかもしれない。そう思い後日本人から話を聞いたところ「ゾンビの焦点の合っていない濁って白濁した目では、目を合わせる合わせない以前の問題」と言われた。何故そんな状態で整然と同じ視力が維持できているのか、康大自身にも良く理解出来なかった。
「まあ噂だけじゃなくて、実際に見てしまってもう二度と行くもんじゃないと……。でも俺にはアンデッドより師匠の方がさらに怖いんで逆らえないっス。それに今回はコータさんと姐さんがいるからまあ大丈夫なんじゃないかと」
「そういう面で頼られていた訳か」
康大はダイランドの過剰な期待の本当の理由をようやく理解した。
「しかし噂では無く本当にアンデッドが出没するのか……。となるとどちらのパターンなんだろうな」
「パターン」
「ああ」ハイアサースは頷く。
「アンデッドには見つけ次第人間を襲うのと、テリトリーに入った人間だけ襲う2種類ある。盗賊が根城に使うぐらいだから、廃墟にいるのは後者である可能性は高いが……」
「俺がいた世界のゾンビは前者だったな。テリトリー内で行動しているというより、人間を求めて出たら目に歩いている感じだった」
「俺としても後者の方が嬉しいっス。人間ならな何人でも殺せるんすけど死体は……」
物騒なことを言い合ながら歩く3人。
そんな3人を魂ない目で見る少女。
そしてちぐはぐな一団はいよいよ問題の廃墟へと到着するのだった……。




