――プレリュード――
昔からインドア派だった。
外で遊ぶより本を読んでいるのが好きだ。
最近では特にラノベとかアニメとか、まあそういうサブカル的なものに傾倒するようにもなった。
だからまあなんというか、異世界転生ものとかの主人公に憧れていた……というか、とんでもなく羨ましく思っていた。
しかし、現実はそんな俺の妄想なんて通り越して、はるかに無茶苦茶な世界を描きやがった。
俺が全く望んでいないフィクションの世界を……。
――そんなことを自嘲的に思いながら、仁木康大は血が流れる腕を押さえ、鉄の扉に寄りかかる。
この扉の内は天国……と呼べるほどのものではないが、少なくとも外は確実に地獄だった。
「……痛っ!」
命からがら自分の家に戻って安心したせいか、今更になって腕の傷がうずく。
この傷は中2病の人間が良く負う空想の致命傷などではなく、本物の重症だ。放っておけば出血多量か敗血症で死ぬレベルの。
(とはいえ……)
その前に人間としての一生は終えるだろうなと、康大は他人事のように思った。
我が家であるマンションの外廊下に徘徊する彼らのように。
康大は鉄扉の覗き窓から外の様子を窺う。
「ハハ、ホント日本完全にオワタ \(^o ^)/なあ」
もう何もかもどうでもよくなり、笑いながら誰ともなく言った。
現在マンションの外に限らずこの日本全土で、俗に言う――というかそうとしか言わないだろうが――ゾンビが大量発生していた。
もちろんゾンビの素材はどこにでもいるような一般市民である。康大の知らない所でパンデミックが起き、康大の知っている人間達が大勢化け物になった。
この絶望的な状況下にあって、太っているわけではないが運動能力はクラスでも下から数えた方が早い康大は、完全に乗り遅れた……というか取り残された。
ただ、初日はそれが幸いした。
学校到着が遅刻スレスレだったため、校内で大量に発生した元同級生の被害を受ける前に、帰宅することが出来たのだ。
それからスマホでパンデミックを知り、常識的に自衛隊なり警察なり救急隊の助けが来るまで籠もっていることにした。
その判断は平時においては確かに最善と呼べる選択だった。
しかし、今は誰がどう考えても有事である。
結論から言うとかなりまずかった。
彼の両親も含めた周辺の生き残った人間達は、自治体のサイレン放送に従い、危険を冒しながらも避難所に移動していた。しかし家に籠もって現実逃避するかのようにスマホをイヤホンで聴いていた康大はそれに気付けず、両親や友人から連絡が来た頃にはゾンビに囲まれていたのである。
こうなると救助を期待するしかなくなるが、早めの救助はかなりの望み薄だった。なぜなら行政は戦力を集中するため早期に避難が終わったものと公表し、残った被害者は犠牲者扱いにしたのだ。
身体と違って頭の作りはそこまでひどくない康大は、それをすぐに察する。それでも、1ヶ月も籠城すれば事態もある程度収束し、救助が来ると思っていた。食料の備蓄はそれなりにあるし、なくなればもぬけの空になったマンションの別の部屋から調達することもできる。
だが、生存者のライフライン確保のため、遺棄地域――避難が完全に終わったと見なした地区の電力と水の供給をストップすると政府が発表し、状況が変わった。
水は何とかなるが、問題は電気だ。
たとえ食料はあっても電力を介した情報の断絶は、現代社会において致命的である。突然の救助に対応できないし、最悪ゲームのような爆撃の被害者になる可能性もある。
やがてスマホの電池が切れ家族とも友人とも連絡が取れなくなり、テレビもつけられず一切の情報がシャットダウンされる。
事ここに至って康大は意を決し、せめて体力のあるうちに家から出ることにした。
康大はインドア派ではあるが陰湿でひねくれた性格でも社交性0というわけでもなく、むしろ勇気や決断力はある方だ。クラスでも別に浮いた存在ではなく、問題なく溶け込んでいる。
けれども今回はそれが災いし、彼の運動音痴も悪い方に働いた。
「ああ、やっぱ歯形ついてるな……」
傷口を直視し、康大は改めて絶望した。
マンションから出たところまでは良かった。籠城中にある程度ゾンビの行動分析をし、ゾンビがいなくなるタイミングは把握していた。
ただそれはあくまでマンション周辺だけで、それからは出たとこ勝負だと考えていた。
結局その勝負に即敗北した。
丁字路にいたゾンビに気付かず見事に捕まった康大はその時に腕を噛まれ、それでもなんとか火事場の馬鹿力で逃げ出し、這々の体で我が家に戻ってきたのだ。
力は強いがゾンビの動きは生前より緩慢なため、彼がもう少し臆病で、かつもう少し運動神経があれば避けられた事故だった。
しかし現実として噛まれ、彼のこの世界における人間としての人生は終わりを告げた。
噛まれたらゾンビに感染することは嫌と言うほどネットで言われていたし、実際に目の前でそうなった人間も見てきた。自分の特異体質に期待するのはいくら何でも虫が良すぎだ。
「ああ……だんだん目もぼやけてきた……」
視界が揺らぐ。
暑いのか寒いのかさえ分からなくなってきた。
ただ全身の血管を虫が這いずり回っているようなかゆさがあり「これ、人生で200番目ぐらいに言いたかったかゆ……うま……を言うべきシーンかな」なんてどうでもいいことを思った。
やがて睫に鉄アレイを乗せられたかのように瞼が重くなり、自然と目を瞑る。
この世界で最後に見た光景は、しばらく前にただの重しとなったスマホに反射した自分で、それはもはや人間の顔ではなかった。
享年17歳。
仁木康大ある春の日の出来事だった。