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4話・二人の約束


偶然にも、この病室には、他の患者はいない。

そのお陰で、叶は、好きなだけ絵を描く事ができた。


 と、言っても…

彼女は、かなり衰弱していて。

もう、自分の力では、ベッドから離れられない。


悠人が来たことに気づくと、いつも通り…夫を歓迎してくれる。


 隅っこに置かれた、パイプ椅子を手に取ってから。

彼もまた、妻の隣に座った。

そして、胸の内にある悲しみを、悟られないように。

必死に、つくり笑いを張り付けた。


「や…やあ、元気かい?」


 悠人は、嘘をつくのが下手で。

その口調は、格好悪く、ぎこちなかった。


一方、叶の方は、余裕たっぷり。

旦那の可笑しな言動に、クスっと笑いながら。

やっとかっと、ベッドから起き上がった。


 その拍子に、彼女の髪が揺れる。

日差しに照らされ、わずかに輝く、薄茶色の髪…


 彼女が「病に倒れ」それからずっと、この病院にいる。

伸びきった髪は、ボサボサで、ろくに手入れもしていない。

日を跨ぐたびに、叶の姿は、ボロボロになってゆき。


 そんな妻をまえに。

悠人は「賢い行動」なんて、出来なかった。

ただ必死に、できる限り…元気に振る舞うので精一杯。


そして…


「差し入れを、持ってきたんだ…」


何ともない、普通な言葉を並べながら。

ゴソゴソ…と、紙袋の中から、絵具プレゼントを取り出す。

高価でも、貴重でもない…どこでも売っている安物の絵具。


 質素なプレゼントを、叶は目を輝かせながら受け取る。

赤、青、黄…そして「二個の緑色」


「わぁ!!」


 彼女の反応が可笑しくて、つい悠人も笑ってしまう。


「ははっ、こんなモノしか…買えなかったけどね」


同時に、こんな物しか揃えられない自分が情けなかった。


「可愛い、洋服とか。綺麗なアクセサリーとか、買ってあげたいんだけど」


 だが、しかし…自分は、低収入の工場員。

高価なプレゼントなんて、どう頑張っても買える筈がない。


それでも、彼女は、痩せた首を振ると。


「ううん、悠人から貰った…これだけで嬉しい」


いつものように、不器用な夫を、受け入れてくれた。


「それにね」

 

 叶は楽しそうに、ベッドの脇から「一枚の絵」を取り出す。


「おかげさまで、つぎの傑作が、間に合いそうだよ~」




 二個ある「緑色の絵具」を、真っ先に手に取って、彼女は作業を始める。


やはり、緑色の絵具を喜んでくれた。

緑を二個買ってよかったな…と。

悠人は陰ながらに、嬉しくなった。


「うーん、筆が違うから。タッチが難しいや」


 ちょっとだけ、眉間にシワを寄せて。

流れるように、タッチを重ねてゆく。

どうやら、今の筆は、扱いにくいようだ。


 そんな彼女の隣で、悠人は懐かしむように「思い出」を振り返った。


「あの日、愛用の筆…無くしちゃったからね」


懐かしい「思い出」の話題に。

あははっ…と笑う二人。


「また二人で。公園に遊びに行きたいな」


 柔らかな時間が、静かに流れてゆき。

悠人は何気ない質問をしてみた。


「ねえ、何の絵を描てるんだい?」


平坦で退屈な質問であっても。

彼女はいつだって…元気に応えてくれる。


「内緒!完成を、お楽しみに!」


その姿は、重病と思えないくらい輝いていて。

温かい時間が、ずっと続けば…と願った矢先。


 ケホッ、ケホッ、ケホッ


 痛々しい咳が、叶の口から吐きだされてゆく。

苦しむ妻の背中を、撫でながら…悠人は、己の無力さを噛みしめた。

 

それでも、叶は「心配しないで」と囁いてから。


「ヒント。テーマは、悠人だよ」


悠人の「絵に関する問い」に、ちょっとばかし返答した。


 小さな背中を撫でながら、悠人は、ウンウンと頷く。

絵の話は、そこまで気にしていない。

ただただ…妻の体調だけが、重要なのだから。


痛々しい咳を、目の前にしていると、ろくな思考すら出来ず。


 妻が、叶が…助かるのなら。


 この身体を、自分の全てを…

悪魔にだって、売ることができる…

沸々と昂る感情と共に。

無力なる男は、心の中で誓ってみせた。


 そんな夫の「思い」を察したのか?

叶は…ポンっと、彼の胸に頭を乗せた。


「悠人…」


「約束して…」


消えゆきそうな声で、ちっぽけな「約束」をする。


「…この絵…」


「あの公園で…受け取ってね…」


 ソレ(約束)とは。

絵を「公園」で、受け取ってほしい…という些細な願いだった。


悠人は、乾いた唇を噛みしめながら。


 精一杯、精一杯、頷いた。


「やくそく…約束するよ」


「ぜったい…絶対!受け取るからっ…」





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