48話・回想その3「一本の木」
叶は、筆を走らせながら。
傍らに置かれている「一つの絵画」に視線を預けた。
この絵は、彼女のデビュー作であり。
有名画家となる、きっかけの作品。
まだ、二十歳にも満たぬ…19歳の頃。
上京する前日に、実家の田舎で描いた「似顔絵」だった。
似顔絵のモデルは、偶然出会った幼女。
とっても不思議で、とっても奇妙な…紫髪の娘。
その娘の髪は、夏の日差しを受け、虹色の光沢を帯びていた。
こんなにも、幻想的な髪の毛に、叶は感動してしまい。
ド田舎の道端で、似顔絵のモデルを頼み込んだ。
相手(紫髪の幼女)は、嫌々な様子だったが。
どうやら、付添人がいたらしく…
その人(付添人)の説得により、何とかモデルを請け負って貰えた。
結局の所、この似顔絵は、その娘に受け取って貰えず。
叶自身の作品となった…
そして、二十歳になって、東京の地を踏んだ頃。
田舎の片隅で生まれた「一枚の絵」により…叶の人生が変わる。
その幼女の絵画は、世間に一風を巻き起こし…
瞬きもしない内に、叶は人気作家。
それから秒単位で、毎日のように…絵の仕事が雪崩れてきた。
筆を止める暇など無い…黙々と仕事に励む。
窓の向こうから、ひぐらしが鳴いたような気がするが。
耳が良く聞こえず、音が遠くなっていた。
そして、このとき…
ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ
叶の口から、鈍い咳が出てきた。
「紅の絵具」が、仕事の絵画に飛び散り…
どんよりと滲んだ血が、床に飛び散る。
やせ細った手から、筆が転がり落ちてゆく。
そして、彼女の膝から、ガクリ…と力が抜けた。
幾ら扉をノックしても…叶が出てこない。
どうしてだか?悠人の心情に、不安が押し寄せてきた。
もしかして、叶の身に何か?そう思うと、じっとしてはいられず。
反射的に、悠人の体は動いていた。
はずは、開放された「二階の窓」を見る。
幾ら足掻いても、絶対に届かないだろう…
だが、窓の近く…家の隣には「一本の木」が聳え立っており
木の頂上が、窓の位置と面していた。
無力の凡人…鈴木悠人は、その木に歩み寄った。




