116話・回想その4「ポケットの冒険」
四章は過去編から始まります。
二章、三章にあった「回想」に繋がってます。
悠人は、木の下へ歩み寄ると…
叶の家の「二階の窓」に視線をむけた。
彼女のアトリエ(作業場)は二階。
二階の窓は開いており、仕事中なのだと察しがつく。
だが、仕事中だとしても。
彼女はいつも、笑顔で出迎えてくれる。
ゆえに、いつもと異なる静寂を悟り。
悠人は胸の中に、妙な胸騒ぎを感じた
叶はずっと、仕事という「呪縛」に囚われている。
だからこそ、不安なのだ…
これまでの人生において、凡人である彼は「冒険」とは一切無縁だったが。
この静かな真夏の夜…東京の片隅で。
一人の男が、ちっぽけで壮大なる「冒険」をした。
のぼる…登った…
二階にいる、叶に会うために。
非力なその手で、一本の木にしがみついた。
枝を掴み、上を目指す。
手から血が滲み、両手がボロボロに傷つき。
それでも、止まる事なく…ひたすら木に登った。
とてもカッコ悪くて、とても惨めだけれど…
大切な人の為に奮闘する、負け犬の背中は、まさしく「ヒーロー」の姿だった。
木の頂上に着くと。
暗闇の地面から途端に遠のき。
悠人から、2~3メートルほど前方には、二階の窓が待ち受けていた。
当然、手は届きそうになく。
残された、次の手は一つ。
たとえ小さくとも、彼にとっては「大きな挑戦」。
「いくぞ…」
…ダッ…
飛んだ…
木の上から、力の限り飛んだ。
こんな惨めな男に、翼など…在りはしない。
闇夜の宙に、悠人の体が放られ。
窓に向かって、傷だらけの手をのばした。
そして…グイッ…
重力(現実)によって体が引っ張られ。
愚か者の体が、真下の暗闇(地面)にへと落ちてゆく。
「!!!ッ」
体が落ちてゆき、反射的に手を動かす。
瞬間、死の瀬戸際にて、生の崖っぷち。
寸前の所で、悠人の手が窓に届いた。
ボロボロの手で、しっかりと。
二階の窓辺を掴み…落ちるまいと、腕に力を集中させる。
そして、痺れる腕に力を入れ、その身を上げる。
コレは、きっと。
鈴木悠人にとっての…とっても小さな…ポケットの中の冒険。
だが、冒険の終着点は、残酷で。
「ゴホッ、ゲホッ!」
叶の痛々しい咳と…赤い血が、彼の到着を出迎えた。