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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女王と少女と終焉と

作者: スペード味

 


 歩く、歩く、歩く。



 彼女は自身でも、どこへ向かっているのかわからなかった。ただ逃げる。足を動かす。

 少しでも休めるような、安息の地を求めて。


 お気に入りの靴や白いワンピースが汚れてしまうとしても突き進んだ。

 通ったことの無いような道、知らない森。夕暮れとあって森は薄暗かった。それでも引き返したりしない。


 自分の居場所がないから、必要ないと言われたから、また虐められるから……逃げる理由はたくさんある。そのたくさんはずっと続いていたことだった。今さら変わることではない。


 でも、


(少しくらい幸せになったって良いじゃない)


 ちょっとでもゆっくりご飯を食べさせてくれて、笑ってくれて、蹴られない殴られない時間。それくらい、くれたら良いのに。それくらい、叶えてくれたら良いのに。

 彼女はそんな想いでいっぱいになる。



(ねえ神様、少しでいいから幸せを分けてよ)



 木々を抜けて、不意に現れたのは鉄格子。

 驚いて立ち止まった彼女は鉄格子の奥を眺めた。

 まずお城が目に入る。見上げるほど大きい石造りの城。真正面ではなく横側らしい。城の奥にはジェットコースター。さらに奥は観覧車。見ただけでは何かわからない建物もあるが……。


 なるほど、遊園地に来てしまったわけだ。

 彼女は一人納得してから首を傾げる。

 こんなところに遊園地? それに——


 鉄格子に触れてみれば手が赤茶に染まる。錆びていた。

 それだけじゃない。夕暮れに色付くお城にはツタがびっしり生えているし、石畳の道には草が生えっぱなし。明かりなんてないし、近くにある自動販売機さえも光りはない。


 まるで遊び飽きて捨てられたオモチャのようで、彼女は自分と重ねて親近感を覚えた。


(あそこから入れる……)


 捨てられた場所に入っても怒られないだろう。

 鉄格子の抜けたところからスルリと入園。

 遊園地なんて初めてだった。動いてないけれど、目新しいに変わりなかった。

 目を輝かせて城へ歩き出す。まずはあの寂れたお城から。


(ふふ、お姫様になれたら面白いのにな)


 彼女はその日、自分だけの世界を見付けた。




 ——————




 これはとある国の話。

 暴君が君臨する国から始まる。


 この国では幸せを求めてはいけない。


 娯楽に身を委ねれば永遠かと思うほどの苦痛を強いられ死が訪れる。逆に楽しみや癒やしのない生活を続ければ死んだも同然の生だ。いずれ狂ってしまうだろう。


 生きるも地獄。死ぬも地獄。


 この国では幸せを求めてはいけない。


 逃げようとしても、自ら命を絶とうとも、結果は変わらない。


 この国では幸せを求めてはいけない。

 この国では凄惨な死を求める死神の加護があるのだから。

 この国では幸せを求めてはいけない。

 何度でも繰り返そう。幸せを求めて訪れるのは、死神の哄笑であると。




 ——————




 昼下がり。


 青い空、白い雲。

 小鳥が囀り、太陽はキラキラ大地に降り注ぐ。


 女は辟易していた。いくら空を仰ぎ見ても、現実からは目を背くことが出来ないと知っている。致し方無しに地上へ視線を戻した。


 絶叫が辺りに響き、赤い鮮血が舞って大地に降り注ぐ。

 いくつの血飛沫が舞ったのか、いくつの断末魔が迸ったのか。


(数えるのも飽きてきたわね)


 女が抱くその気持ちは、目の前の従者も同じだったのだろう。従者の少女は地面に吸い切れず流れる血だまりを避けるようにピョンピョン飛び跳ねる。笑ってクルクルしている様子は異様に映るだろう。

 不興を買うからやめたほうが良いのに、と思っても女は口に出さなかった。頭に痛みを覚えてはいたが。


(ほら、あのおばさん、きっと殺された人の親族か何かよ。物を投げる気ねえ——ちょっと危ないかしら)


 この国の定番行事。公開処刑は決まって城下町の大広場で執り行う。


 ここで行われる処刑は、控え目に表現しても悪魔の所業だった。

 本日は裂くことに重点を置いた処刑。

 処刑される者は磔にされる。刃物で身体の末端から徐々に削いだり、逆さに固定され股をノコギリで割いたり、鉤爪で身体を引き裂いたり、小さい鉤爪の付いたハタキ状の鞭で引き裂くのもあった。


 冷酷な女王が無表情に、また無慈悲に刑を執行する。その隣では何かを楽しそうに笑う従者が立っている。対極な表情を浮かべ目の前に佇む二人。人は二人への憎悪と、苦しみと痛みを抱いて終わりを迎える。

 当然、その様子を観ている者は哀しみや恐れを抱いた。なぜこんな酷い殺しをしたのかと。同じ末路は辿りたくない、と。まあ処刑を楽しみに生きる酔狂な輩も多数いるので一概には言えないが。


(そんな冷酷無慈悲である女王様な私は片付けの指揮を執るのでした)


 早く終わらせて部屋に戻りたい。片付けは書類だけで十分だ。なぜトップ直々にこんなことをしなくてはいけないのか。そんな思いを抑えながらテキパキと指示をする女王。

 彼女は無表情であるが故に、何を考えているのか推察するのは難しかった。よって誰もが恐れを抱きながら女王を見るのだ。考えがわからなくて気味が悪い、次は自分が処されるかもしれない……なんて誰もが敬遠した。


 いや、一人だけ例外はいる。


 片付けの始まった拷問器具と血肉の会場。その中央で似つかわしくない笑顔を漏らす少女に近付く女王。


「ビーチェ、あとは他の者に任せて帰るわよ」


 クルっともう一回転したビーチェと呼ばれた従者の少女。正式の名をベアトリーチェ。

 女王の姿を認めてさらに晴れやかな笑いを零す。


「陛下も踊りましょうよ」


「もしかしてだけれど、貴女のそれは踊っていたの?」


 踊り、だとしたらとても下手過ぎる。お披露目する機会が無いなら要らぬ才能だが、こんなところでお披露目会とは。頭痛に拍車がかかった気がする女王だった。


「祭りではないのよ?」


「えー祝福のダンスですよー次の世界へ飛び立てて良かったねーって」


(ああ、そういう捉え方もできるのね。かなり酷い殺し方をしたのに。そんな状態で祝福できるのはこの娘くらいかしら)


 恐らく『死』に良いイメージを持つ者はほとんどいない。もっと言えば他人(ひと)の手で惨たらしく殺されれば、良く思わない。

 女王はビーチェの考え方に感心すれば良いのか呆れれば良いのか、反応に困ってしまうのであった。


 その時。


 キラリと陽光を反射する何かが視界に入る。



「————っ」



「……え?」



 トスッと鈍い音が響いた。

 驚きの表情を隠せず固まるベアトリーチェ。

 氷のような無表情を浮かべて刃を手で受け止める女王。


「あの者を捕らえなさい」


 間髪入れずに一言、女王はよく通る声で命令して一点に指を向けた。兵士が異変に気付いて一斉に不敬な輩を捕まえにかかる。


(あのおばさん、そのスジの人間だったのかしら……狙いと威力の精度が恐ろしいわ)


 危なくナイフが真っ直ぐにベアトリーチェへ突き刺さるところだった。

 女王の手にはナイフが貫通していた。手の甲から生えた刃は血濡れている。彼女はそんな状態でもさして気にせずに振り向く。


「さっさと帰るわよビーチェ」


「ちょちょっと待ってください陛下! だだだだ大丈夫なんですか!?」


 あまりに平然とした女王に駆け寄り、ナイフの生えた右手を丹念に診るベアトリーチェ。怪我をした時の反応としてはこちらが正しい反応だろう。


 どんなに診てもナイフは消えたりしないのだが、必死に手をペタペタ、大丈夫なのか顔色をチラチラ、他に怪我は無いか確認してオロオロ。

 女王は従者の狼狽えようにどう反応するか困り、慌てる手を自身の無傷な手で重ねる。


「落ち着きなさい」


「あのごめんなさい、守ってくれたんです、よね?」


「手が出てしまっただけよ。大丈夫だから帰りましょう。貴女の手で治療して欲しいわ。そこらの衛生兵に任せたら毒でも塗られてしまいそうだもの」


「あんまり冗談になってないのがなんとも……いえ、かしこまりました。他にお怪我はありませんか?」


「無いわ」


 他の兵士に後を任せて立ち去る二人。

 凍結された表情の血塗れ女王と太陽の明るさで陽気に笑う従者。

 畏怖する兵士と民。


 この光景もまた、日常茶飯事だった。




 ——————




「あの踊りは控えなさい。誰が見てもアレは引くわよ」


「はーい……陛下……その」


 踊り以外に突っ込みどころはあるのだが、多くは語らないのかズレ込んだ思考なのか、恐らくどちらもだろう。女王様の発した言葉はそれだけだった。


 王城の一室。女王の部屋で二人は治療をあらかた終えていた。

 白い包帯を巻かれた右手。その手を労わるように両手で包むベアトリーチェ。そんな様子を眺める女王は、なぜそうしているのか検討が付いていなかった。


「傷は気にして無いわよ。それにほら、血も滴るイイ女って良く言うじゃない」


「言いませんよ」


 女王は真顔なので本気でそう言っているように聞こえてしまう。いや問題は本気であるところだろうか。

 本人は怪我よりも心配し過ぎる従者に困惑していた。


「まったく、陛下のお身体のほうが大切なのに私を守ったりして……本当にありがとうございます」


 少女は怒ったかと思えば照れ笑いを浮かべ感謝する。

 表情がコロコロと変わる彼女に女王は溜め息を吐いた。


「だから手が出ただけと——まあ良いわ。そこのキャンバスを用意して」


(貴女は傷付く必要ないなんて言えないものね)


 無用に彼女の感情を発露させればこちらが疲れる。女王は話題を打ち切ることにした。キャンバスを頼みつつ自分で筆を用意する。


「お怪我されてるんですよ。全部用意しますから何もしないでください。ていうか絶対安静に決まってるじゃないですか。手を貫通ですよ貫通ー」


 文句を垂らしながらも素直に言われたことをこなす従者。


(こういうところが好感持てるのよね)


 本人には言えないが、ベアトリーチェの素直さと笑顔には救われている面があった。癒されるし近くに居れば安心する。調子を狂わされる時が多々あっても悪くはない。それが女王が彼女へ抱く感情だった。


(本当なら私の側に置いておくべきではないのだけれど)


 女王専属で付きっきりな世話役。彼女を一番近くに置く理由は、ベアトリーチェでさえも知らないだろう。流れでそうなってしまったといえばそうなのだが……。

 女王が物思いに耽っていると、首尾よくセッティングを終えたらしい。少女が振り返り無言で一礼する。


 キャンバスには描きかけの絵。広がるは地獄絵図。広場で拷問をしている光景の一部分である。

 おぞましい絵に眉ひとつ動かさず、女王は左手で筆を取り描き始める。


「陛下は絵が趣味なんですか?」


「……仕事よ」


「ああ、記録を残す的なやつですね」


「ええ」


 ベアトリーチェは女王が絵を描く姿を初めて見たのか興味津々に問う。

 通常なら描きかけであってもおぞましい絵に嫌悪を抱くところだが、こちらの従者は違うらしい。むしろ興味深げに見入り瞳を輝かせていた。


「それって陛下の仕事では無いような。趣味では描かれないのですか?」


「趣味で描く時間なんて無いわ」


 女王がこなす仕事量は常軌を逸していた。先ほどの処刑も監督していたのは彼女だ。実は処刑する人を選抜するのも、処刑メニューを組むのも女王。

 本来なら臣下に任せるところだが、指揮系統はほとんど女王自ら行うのである。そんな無茶なスケジュールを組めばプライベートなんて無いも同然だった。


「で、その絵の題名はなんでしょう?」


 それはこの従者も承知の上だし、そもそもそこら辺の言及は既にしていた。無理をし過ぎだ、信用しなさ過ぎだ、何故こんなことをするのか——

 聞いても女王は受け入れない答えないの始末なので諦められているのだろう。その後、女王が追及されることはなかった。


「題名? 『拷問風景』で良いかしら」


「即物的ですねーああ記録だからそれでも良いのかあ」


「じゃあ『拷問風景〜女王と愉快な仲間たちを添えて〜』で良いわ」


「陛下が添え物になっちゃいましたね」


 苦笑いを浮かべつつ従者は女王の背後に立つ。


「描いているのを後ろで見ていても宜しいでしょうか?」


「面白くも何とも無いわよ」


 女王はこの従者が考えることはわからなかった。処刑を観て純粋に笑っている精神を取り除いたとしても、表情豊かで素直なはずの彼女は読み取れない。それは女王自身が感情に疎いこともあった。

 彼女からは悪意が無いことくらいしか理解が及んでいない。少々不安が残る関係ではあった。


「面白いか決めるのは私です」


「……まあ別に良いわ。好きにして」


「やった。ありがたき幸せー」


 しかし女王はこの関係に満足していた。恐らく従者も。

 ある意味では平和で穏やかな日々だったのだ。

 していること、周りで起きることを除けば、二人は幸せな時間を過ごしていた。


 女王はこの平穏が崩れる去る日が来ると知っていた。

 いつか、いつの日か必ず。


 それがすぐそこに来ていただなんてことは、予想だにしていなかっただろうが。




 ——————




 数日後。

 城内に差し込む光は乏しく、宵闇がせまる刻となっていた。


 太陽が昇り太陽が沈む。人々も太陽を追うように同じサイクルを刻んでいた。電気などはなく蝋燭も潤沢にある訳ではない。光源が易々と手に入らない人々は暗くなればおやすみをするのだ。


 なのでこの時間帯になれば静かになるのは当たり前。


 だが城の一画は喧騒で溢れていた。


 その喧騒の中心は——



「そうね。ここにいるビーチェ、いえ、従者ベアトリーチェは反逆罪で明日に公開処刑。決定事項よ。リストに追加しておくから確認して頂戴。はい解散」



 女王と従者とその同僚二人。それを囲むように群衆。

 問題はここから発生したようだった。


 女王の冷徹な声で途端に静まり返る。


 一番女王の近くにいたはずのベアトリーチェ。その少女の処刑宣告を淡々と行う姿は、周りの使用人や兵士たちを戦慄させた。

 例え女王のお気に入りであろうとも、ルールに反すれば罰せられる。死をもって罰を受ける。その事実は戦慄させるに十分だった。


「ビーチェは私に付いて来なさい」


「はい……」


 国民の共通認識として、反抗して逃げることや自害することなどは出来なかった。女王の前でそれが許されないのはもちろん、その行為が上手く行くことはなかったからだ。

 この状況になれば誰もが女王に従うしか道はない。

 罪人は牢屋に放り込むのが定番だが、こうして女王に連れてかれる例は少なくなかった。


 残虐な血塗れた女王に従う振りをして、勇気を持ち反抗した少女。小さなその背中をほとんどの者が同情し哀れんだ。

 同時に暴君への怒りと畏怖を強める。いくら不満が高まったところで逆らえないのだが。


 こんな時でも、女王の無表情と従者の笑顔は変わらなかった。


 なぜ無表情なのか、なぜ笑っていられるのか。


 それは本人にしか知り得ない。


 または真実を知っている者にしか知り得ない。




 ——————




「陛下は全て知っているのでは?」


「…………」


 女王の部屋で二人きり。

 優雅に紅茶を口にする女王。後ろに控える従者。


 罪人を後ろに立たせるなんて襲われたらどうするんだ、と言われそうな光景だった。全く女王は注意を払っていないように見えるが……


(この紅茶にスコーンは合うわね。やはりビーチェの淹れるお茶と焼いてくれるスコーンは半永久的に摂取してられるわ、いえ永久ね永久)


 全く注意を払っていなかった。むしろ考えることが反逆された相手に対するものではないし、毒を盛られたらどうするつもりなのか色々と問題のある状態だった。


 女王の中では先ほどの件が無かったことになってるのか、壊れてしまったのか、ズレた思考はこんな時でもズレていた。


「陛下」


(舌が肥えると後が怖いわね)


「陛下?」


(きっと何も飲んだり食べたり出来なくなるわ)


「陛下!」


「あ、何かしら? ビーチェ依存症は自覚しているわよ」


「何の話ですか!?」


 従者そっちのけで考え事をしていた女王。困惑の声を上げる彼女へ振り向かず、スコーンを頬張り紅茶で流し込む。


「えーと、そうだったわ。貴女が反逆したことは明日の処刑で水に流れるわ。でも明日は水責めではなく毒殺刑よ。上手く水と掛けられなくて残念ね」


「上手いことを言う必要は無いですよね……そうじゃなく!」


 今回起きた事件。

 ベアトリーチェが国の最重要機密を国民に横流ししたというものだった。その反逆をベアトリーチェの同僚二人が女王に報告。報告を受けた女王が処刑宣告。

 簡単に言ってしまえばそれだけ。


「今夜だけは貴女のわがままを聞くわ。自由にして貰って良い。死んでしまったら私は貴女に何もしてあげられないもの」


 報告があっただけで何の証拠も裏付けも提示されてない。

 つまり冤罪である可能性。

 女王は理解していた。本当は彼女が反逆をしていないことを。裏切るような娘ではないことを。


 そもそも機密を盗んでおいて国民に横流しするだけとか馬鹿の極みだろう。もっと上手く使える。それを同僚にバレて報告されるヘマするなんて。それに反逆者というか、嫌われ者の暴君に立ち向かう英雄サイドなのにアッサリ切り捨てられるのか。


(本当にしているかもしれないけれど、そこは問題じゃあない。都合が良いのよね)


 もちろん明日処刑。殺すのは確定だ。


 ベアトリーチェがそれを冤罪だと主張して処刑を免れたい気持ちであるのも察している。寂しいけれど死んでもらう。というより死んでほしい。これが女王のスタンスだった。


「今回の件なのですが」


(ほら、今にも私は無実なんですって言い出すわ)


 それを軽くあしらい、今夜の内に後悔無いよう好きなことをしてもらう。限度こそあるが、それが最大限彼女にしてあげられることだった。残念だが拒否権はない。



「最期は陛下に殺されたいです」



(……ん?)



 聞き間違いだろうか。思わず従者へ振り向く女王。

 対する従者の少女は冗談を言っているような態度では無かった。爽やかな微笑みを浮かべて頬を掻く。


「もう反逆罪でも何でも良いので、私への刑は陛下の手でされたいです。手を汚されたくない気持ちも分かるのですが、いやそれも興奮材料になりますけど、陛下にじわじわ殺されたいです」


(んんん?)


 今、反逆罪でも何でも良いとか言ったし、あらぬ嗜好が垣間見えた気が……。願望を言い終えて目をキラキラとさせ笑うベアトリーチェ。


 おかしい。女王は用意していた言葉の数々を消し飛ばされた。冒頭で『陛下は全て知っているのでは?』と言っていたのは何だったのだろう。あれか、言ってみただけってやつなのか。諦めるの早くないか。

 本当に従者の考えが読めず真っ白になる女王。ツッコミどころが多過ぎて言葉にならなかった。


「え、なにこの娘恐ろしいわ」


「陛下のほうが恐ろしいかと」


 どっちもどっちである。


「処刑に関するわがままはこれだけですけど、その、今夜だけのわがままは……」


 なぜか顔を赤らめて体をモジモジとし始める従者。

 女王はもう何も驚かない。嗜好品を献上、男を献上、いやもしかしたら私への罵詈雑言か。もしかしたら男ではなく女を献上か。出来るなら何でも調達しよう。あらゆる可能性を考えて心を落ち着かせる。


「陛下と一緒にいたい、です」


「私は夜の営み得意じゃないわよ?」


「いとな……ッ!?」


 総合的に考えて、女王自身が慰み者にされることも十分ありえた。ありえたので即答した。営んだことが無いので満足させられないと。

 女王は満足した。うんうんと頷く。先読みしてちゃんと答えられた。彼女を満足させられない無念さはある。でもそんなことで今夜をぶち壊したくない。女王は考えられる女なのだ。


「〜〜〜〜っ! ちちち違いますよ! 一緒にいたいと言うのは、その、エッチな意味じゃなく普通にってことで!」


 ところがベアトリーチェは動揺しながら必死に否定していた。


「え、営まないの?」


「営みません! そんなキョトンとされても困ります! 真顔で天然ボケするところが厄介ですよもう……」


 顔を真っ赤に染め上げてそっぽを向いてしまう従者。

 女王はその様子で合点がいった。つまりそういうことか、と。


(慰み者でも私となんて営みたくないわよね。それこそ私は穢れていて、人の形をした怪物なのだから)


 自分が化け物であると理解していた。化け物と行為に及ぶ酔狂な人間はいないだろう。

 この女王の見解は一般的な目線からすれば正しい。あくまで一般的な目線だが。


「どの道、私が営むことに協力出来ないから良いのだけれど」


「その、失礼ですが、純潔なのです?」


「処女に決まってるじゃない」


「いやそんな当たり前のように言われても」


 ベアトリーチェは未だ紅潮した顔のまま相槌を打っていた。

 少し口角が上がっているのは何でかしら? 不思議に思う女王。しかし今夜という時間は限られた時間である。無駄に浪費するのでは可哀想だ。そんな思いから細かいことに突っ込むのはやめたらしい。


「ビーチェは何が望みなの。営みたくないのはわかったから願いを聞かせて」


 とりあえず話を先に進める。ついでに首が疲れるのでベアトリーチェを対面する椅子に座らせる。さらについでに彼女の口にスコーンを突っ込む女王。

 やりたい放題である。これぞ暴君。


「営みたくないワケでは……求めて欲しいというか……」


 もぐもぐしながらもごもご独り言を零す従者。


「ん?」


「いえ、陛下は純潔のままでいて下さいね」


 複雑な表情のベアトリーチェ。

 まあ、別に誰かと営もうなんて考えてないからその願いは叶いそうね。なんて一人頷く女王。


「今夜は陛下と一緒に過ごしたいです。何もしなくていい。ただ側に居たいんです」


「本当にそんなので良いの? 酒池肉林なことしないの?」


「陛下の側に居ることが一番の幸せですから」


「側に居ても楽しくないわよ」


「楽しいか決めるのは私です」


 互いに顔を見合わせて笑った。

 毎回そんな問答を繰り返していたのを思い出したからだ。

 恥ずかしいこと平気で言えるわね、と女王。

 それを陛下が言っちゃいますか? と従者。

 二人はまた耐えかねたように吹き出して、女王は告げる。



「別に良いわ。貴女の好きにしなさい」



 今晩だけは特別なので、二人は寝室で一緒に寝ることになった。夜の営みではなくただ寝るだけ。ベッドの中で他愛のない世間話に花を咲かせる。


「陛下の手料理も食べてみたかったですねー」


「ビーチェほど美味しく作れないわよ?」


「どんなダークマターも食してみせます」


「ダークマター前提なのね」


 お互いにベッドで並んで寝た経験がないので、足が触れたりして落ち着かない。その内、慣れてきた女王がベアトリーチェを引き込んでくっ付いた。



 楽しい。嬉しい。幸福感でいっぱいになる。



 女王はこんな気持ちを味わうのは久し振りな気がしていた。ベアトリーチェもまた、いつもの笑顔より晴れやかな気もする。


(ビーチェは、苦しむ必要無いのにね)


 明日には死んでしまう彼女の一面がたくさん見れて女王は喜んだ。同時に世界と自身の理不尽さを呪った。


「陛下?」


「……ん、なぁに?」


 女王は眠たげに瞼を擦る。もうとっくに寝ている時間だ。無理もない。ベアトリーチェも時間の経過に気付いて、微笑んだ。


「眠そうですね。明日もありますし、そろそろ寝ましょう」


「んーでもビーチェがいなくなってしまうわ……」


「私の代わりはたくさんいますよ。大丈夫です」


「ちがう……ビーチェのかわりはいないのよ……」


「お優しいのですね」


 睡魔が襲う。抗えない。名残惜しい。意識が朦朧として、落ちてゆく。


 この時間が——終わってしまう。


 女王は掻き抱くようにベアトリーチェにしがみ付いた。逃げたりはしないのだが、全身全霊で抱き締める。冷酷無慈悲と呼ばれた暴君のあらぬ姿である。


「へ、陛下、ちかすぎです」


 もう女王には届かない。

 彼女の硬直はしばらく続いた。




 ——————




 陛下はとてもお優しい。


 初めて会ったあの日から、ずっと隣で見てきたんです。


 きっと私を殺すことも私の為なんでしょう?


 気付いてないかもしれないけど、公開処刑の時は哀しそうで、罪人をリストに上げる時なんて真剣なんですよ。

 いつも全部一人で背負ってる。誰にも悟られないようにずっと。血塗れの女王と言われても、冷酷無慈悲だと言われても、誰かに認められなくても。


 本当はやりたくないのでしょう?

 本当は苦しいんでしょう?

 本当は誰かの為に考えてるんでしょう?



 本当は、全て知っているんでしょう?



 でなければ陛下は頑張る必要ないんです。


 何も思わないふりをして、矢面に立つ必要は全くないんです。


 そんな陛下の勇姿を私だけが知っている。この優越感を独り占めしたくて誰にも教えない。私は醜いですね。


 そして醜い私を求めてくれたことがとても嬉しいんです。


 だから、優しい陛下にもっと甘えたくなる。


 今夜のわがまま、ちょっとだけ追加しますね。

 少しだけなので…………




 ——————




 昼下がり。

 いつものように大広場で行われる公開処刑。


 ここではギロチンなんかの一発で確実に死ねる刑罰は存在しない。もちろん死が刑罰となるが、拷問器具により痛めつけてから死んでもらうのが一般的だった。


 その内容は女王によって考えられ、毎回違う刑が執行される。

 水責め、火責め、虫責め、羞恥責め、刺す斬る抉る叩く引き伸ばす。あらゆるアプローチで苦痛を与えるのだ。バリエーションに富んでいるので、群衆も今度は何の処刑なのか気になっていたりする。

 女王本人は行われる内容に露ほども興味がないのだが。


 本日は毒殺。

 毒というだけでも様々。塗る、飲ませる、吸わせる。神経毒から腐食型の毒。


 当然だが、使ってから数ヶ月後や数年後に効果が出るような遅延型の毒は使わない。数時間くらい苦しんでもらい死ねるような即効性も遅延性もない毒を使用する。

 アルコールの過剰摂取、麻薬の使用でも毒だとされるがここではちゃんと毒物の用意がされていた。


 毒全般の知識が大衆に広まっていない。

 通常は暗殺などに用いられるようなものだ。それを大々的に使っての処刑とあり、国民の興味は無情なほど集まっていた。過去最高の大観衆の中である。



(物好きね、ほんと)



 それはこんな刑を考えるような、ここに立つ自分もだろう。女王は自嘲気味に笑う。

 いつもなら空を見上げて時を過ごすのだが、今日だけはそんな気分になれず大広場に展開される処刑場を眺めた。


 観衆が入らないよう木の格子をされている内側。

 真っ白なクロスの掛かった長テーブル。目が眩むくらい目立っているテーブル上に並べられる数種類の毒物。恐らくほとんどの者が用途を想像出来ない器具の数々。


 着々と準備を進める兵士たち。その様子を蒼い顔で見ているしかない手枷の嵌められた罪人たち。


(リスト通り。今日も変わらないわね。これ見てるだけでも苦しいでしょう)


 女王は表情を変えず斜め後ろを見遣って気付く。


(……ああ、そうだ。居ないのだったわ)


 今さらベアトリーチェが側に居ないことを思い出したようだ。罪人列のほうへ目線を向けた女王。ベアトリーチェは用意される様を見てニコニコしていた。そして女王に気付くと一層笑顔を深めて喜んでいるように見える。


(こんな時でも変わらないのね。貴女だけ切り取って見てると、これから死んでしまうなんて想像出来ないわ)


 もちろん、死ぬけれど。


 準備が整ったようで兵士が持ち場に戻る。そのまま無言で敬礼。いつでも行えます、の合図だ。


 その合図に応える。



「あなたたちに死神の祝福を————」



 苦痛を味わえ、そして死をもって、ここから立ち去れ。



 自他共に認める暴君は、包帯を巻いた汚れた手を振った。



 毒を塗りたくれば皮膚が溶け落ちる。

 毒を吸わせれば苦悶に満ちた表情で痙攣する。

 毒を飲ませれば喉を掻き毟り血が流れた。

 悲鳴も涙も追いつかない激痛で、のたうち回る罪人たち。


 地獄を縫うように血塗れ女王は一人の少女に近付いた。


「あはは、約束を守ってくれるんですね。陛下」


 ベアトリーチェは一人、長テーブルの誕生日席の位置で座らされていた。手枷は外されている。彼女は女王の姿を認めて朗らかに笑む。

 対する女王は皿を片手に肩を竦めた。


「というより私の手で下したいもの。それにこれも食べて欲しかったのよ」


 コトリ、とテーブルに置かれた木製の皿。その中身を見てベアトリーチェは驚いたように目を見開いた。


「シチュー? 陛下の手作りですか?」


「ええ。毒入りだけれど無味無臭の毒だから安心して、味に変化はないと思うわ」


 毒入り宣言して安心しろなどと言っている場面は、なかなか見れる光景ではない。しかも片方は頰を染め嬉しそうに、片方は気恥ずかしそうにそわそわしていた。


「ありがとうございます。まさか二つもわがまま聞いてくれるなんて」


「もう一つよ」


「え?」


 どよめきが起こる。


 刑が執行されている地獄の最中、一点に興味が集まった。当然といえば当然かもしれない。とても目立つのだから。


「んっ……ぅ」


 テーブルに手をついて屈む女王。

 ベアトリーチェには抵抗の間もなかった。


「なんでっ」


 ベアトリーチェは口許を触れて、上目に女王を窺う。窺われた女王は意に介していないように、ふわりと笑った。

 その様子に少女は目を見張る。こんな笑顔は珍しいからだろう。


「寝てる内に好き勝手言われたりされたりしたら、ちょっとくらい驚かせたいとは思うものでしょう?」


「まさか起きていて」


「未練なんて残させないわよ。冥土の土産にしなさい」


「そんなこと、しちゃダメじゃないですか……だって、ひいきになっちゃいますし、未練がなくなったら幸せのままで終わっちゃい、ます……それにもっとロマンチックで、陛下の心が私に向いてからじゃないと意味が……」


「————料理が冷めるから食べてしまいなさい」


 何も聞いていないように女王は空を見上げた。

 どよめきが広がる外野は気にも留めず。

 ベアトリーチェは耳を赤く染め、木のスプーンを手に取り口へ運ぶ。一口二口と。少しもったいないな、なんて呟いて。


「おいしいです。とても」


「お口に合って良かったわ」


 いつものように笑おうとした少女が、唐突に、動揺したように青褪める。


「へいか……なんで」


 毒は入っている。

 なら今さら動揺することもないだろう。覚悟の上なのだから。

 ベアトリーチェは焦燥に駆られたように女王の袖を握った。振り向いた女王の顔を見つめて、さらに瞠目する。


「貴女は苦しむ必要ないのよ。エラーなのだから」


「な、にを?」


 女王は自らの喉に触れて、納得して頷いた。


「ああ、話せるってことは死神の権能は無くなったのね。ということは私も——」




「あの人殺し女王を殺せッ! ヤツは差別している! 今こそ反逆の時だァァァ!」


「殺せ! 殺せ! 殺せ!」


「女王を最大の苦しみに……!」


「俺が殺す! 殺してやる、母さんの仇を!」


「死ね! 死んじまええええええっ!」




 怨嗟の声。怒号と奇声。

 今さらのように爆発する女王への負感情。

 隔てている頼りない木の柵が軋みを上げていた。観客の圧迫に耐えられないのだろう。

 今にも血塗れ女王の無表情を苦痛に染め上げたいが為に、全員が殺到しそうだった。


「へ……い……!」


 椅子から転げ落ちるベアトリーチェを女王は抱きとめた。

 眠りに落ちるかのような虚ろな瞳。必死に意識を繋ぎ止めて、声を絞り出し女王に呼び掛けている。手も億劫そうに動かして何かを訴えた。


(苦しむことなく眠るように死ねる即効性のある薬なんて、この世界ならではよね)


 包帯の巻かれた手で、彼女の訴える手を握る。

 彼女の呼吸が浅くなっていく。

 目から光が失われていく。


 でも、苦しまない薬のはずなのに、なぜ彼女は苦しそうに足掻いているのだろう。なぜ喘いで手を伸ばすのだろう。なぜ涙が流れているのだろう。


 女王は不思議な気持ちを抱く。

 そして自身の胸の中がチリッと痛みを覚えて、この感覚と関係があるのかとまた不思議な気持ちになる。



 もう知ることは出来そうにないけれど、なんて女王は呟いて少女の頬を撫でる。

 いつか知ることは出来ても、そのいつかは永遠に来ないのだから。



「心配しなくて良いわ。これが正しい姿。死神の権能を失った、ということは私もシステムを扱う側じゃなくて罰を受ける側に戻ったということよ」


 ベアトリーチェにはもう聴こえていないかもしれない。

 女王は誰にともなく、また呟く。


「やっと、殺してくれるのね」


 空はとても青くて、少し、歪んでいた。


 喉の奥が締め付けられる感触を覚えて、思わず腕の中の少女を見つめる女王。その女王の姿は、大切な人を失った悲しみに暮れる姿そのものだった。本人も逡巡の後に理解に及んだらしい。


「ビーチェの存在が私に感情を教えてくれた。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか……ビーチェが居てくれなきゃ苦しいって気持ちとか。だから殺してくれるのかしら。だとしたら貴女は私を助けてくれた恩人ね」


 女王は言葉に出して自分の気持ちを改めて理解にする。

 先ほど触れた唇を思い出して身体が温かくなった。この気持ちは何だろう。全部の感情は集められなかった。でも、大切なモノを教えてくれた。

 そんな心境を直接伝えられなかったのは女王にとって後悔の一つになってしまったが、彼女が旅立てたのは祝福するべきだろうと再び微笑む。


 そっと少女の髪を梳いた。


「ありがとうビーチェ。大好きよ」


 目を閉じて、ベアトリーチェの額とコツンと合わせる。自然と熱い雫も溢れていた。

 やはり悲しい、のだろうか? 涙の意味を頭の片隅で考える。最後に泣いたのはいつだったかなんて記憶を探っていたら、人の気配。ため息が漏れそう。漏れたかもしれない。女王はそんな億劫な心地で柳眉を歪める。


「すぐにでも後を追うわ」


 吐息混じりに一言零して渋々と顔を上げた。

 彼女の目の前には兵士が一人。

 どうやらまだ観客は柵を越えられていないし、罪人や兵士の反逆はまだ起こっていないようだ。


 目の前に立つ兵士の顔を見て、女王は合点がいった。


「貴方が扇動したのね」


「さて何のことかい? 女王陛下」


 しらばっくれる兵士は、鉛色の鎧を纏い同色の帽子みたいな兜を被っている。そこらの兵士と同じだ。

 ただ比較的若いその兵士は他の兵士とは目の色が違うと、女王には理解出来ていた。それに女王は彼をよく知っていたのだ。


「それより、もっと苦しませて殺してくれよ女王陛下? こんなブーイング当たり前じゃないか」


「はぁ……貴方はリストでも問題児だったものね。大方、自分の楽しい楽しい処刑タイムの中で安楽死が行われたことに不満爆発。てところかしら」


「——何を言っているんだ?」


 今度は本当に困惑した表情を見せる兵士。

 女王はどう説明したものか、なんて思いつつ彼を見上げた。


「貴方が次の王になるみたいだから、少し先達として説明しましょう。聞く気はあるかしら?」


「よくわからんが話してくれ」


「そうね、どこから話したら良いか。この国が普通の国ではないというところから話そうかしら」


 女王は兵士に語った。まるで子どもにおとぎ話を聴かせるかのように。




 ——————




 この国は死神の加護の下にある地獄。

 いわゆる死後の世界。いや、死後の国である。


 前世で豪遊していた苦労の知らない愚か者を、ここで罰を与えて矯正し輪廻転生に乗せる。そんなシステムなのだ。


 罰、すなわち苦痛を与える。

 苦痛を味わえば清算されてゆくが、前科が重ければ重いほど清算するべき苦痛も増えてゆく。



 そう、この国では幸せを求めてはいけない。



 なぜなら幸福になればなるほど、地獄は永遠に終わらないのだから。

 国外へ逃走? 死神の加護を失った外に出てしまえば輪廻には乗れず、永遠に彷徨うか消滅してしまうか、どちらかの本物の地獄が訪れる。

 潔く自害? 成功した者はいない。死神の加護は勝手に、それも簡単に死ぬことを許してくれない。


 断罪の為に存在するここにやって来たのは、女王も同じだった。

 裕福な家庭に育ち、好きな物を与えられ、外の世界を知らずに生きた。女王の前世はそういった箱入り娘。

 しかし女王は外の世界を知らなさ過ぎた。大切にされ過ぎた。ほとんど監禁のようにされてしまえば、感情が凍りつくのも自然な流れ。


 この死神の国に来ても心は凍て付き、さらに体は痛みを感じなくなった。

 それは苦痛で清算する国ではイレギュラーな問題。

 精神も肉体も傷付かないなど前代未聞なのだ。



 ゆえに、死神は彼女に役割を与えた。



 死神の権能——システムの一部を利用することが出来る調律の女王として生きる道。

 彼女が苦痛を知るその時まで、終わらない地獄を特等席で観れる権利。

 真実を知ってもなお、誰にも口外出来ない呪い。

 誰も決定的には女王に逆らえない加護。


 女王はシステムを再構築して処刑制度を作った。

 国を国として機能させ民を虐げた。

 暴君として君臨することになった。


 血塗れ女王として、恐れる存在となった。




 ——————




「夢みたいな話かもしれないけれど、これが真実よ」


「疑っちゃいないさ。俺は女王陛下の忠実なるシモベなんだからよ」


「白々しいわね。リストには加虐趣味で被虐趣味ってアホのオンパレード記入されてるし、貴方は本当に中々清算出来なかった問題児なのよ。まさかとは思ってたけれど、次代の王様は貴方のようね」


「リストっつーのは死神様からの恩恵か?」


「そうよ。“リスト”、つまり住民一覧を利用して清算すべき罪を洗う……どれぐらいで輪廻に乗れるかとか性癖とか個人情報諸々載ってるわ」


「プライバシーのカケラもねぇな。まーさか女王陛下の神々しいまでの処刑の数々を間近で観れる幸せから、自ら下せる幸せまで貰えるなんてな」


 兵士は下卑た笑みを浮かべた。彼が兵士としてここに立つ理由は、刑を行えることや近くで観覧することにあったらしい。

 それに対して、そんな上手く行くのかしらね、と女王は感想を述べた。


「だが、なんでそいつは安楽死なんだ?」


 嫌そうに顎で示す兵士。意図に気付いた女王は、もう冷たい少女を抱き直した。


「彼女はエラーなのよ。この国に居るべきではない存在」


「というと?」


「……彼女はこの国に迷い込んでしまっただけ。苦痛なんて与えなくても輪廻には乗れるのよ」


 女王は思い出す。彼女と出会った時のことを。


 城の地下には拷問器具を置く広大な倉庫が存在した。

 その日は面倒ながらもメンテナンスするべき器具や次に使用する器具を選定していたのだと思う。アイアンメイデンなんて血の掃除が大変なのに何であるのか、なんて考えていたら物音が響いた。

 振り向けば小さな人影。


 白いシンプルなワンピースドレスに身を包んだ少女。所々汚れていて、興味深げに辺りを窺う横顔。


 たまにいるのだ。ここに迷い込む異世界の住人は。

 毎回見付けたら迷わず殺してしまう。罪の清算は必要ないし、さっさと殺すほうが相手の為でもあった。

 恐怖に慄き、悲哀に揺れ、懇願され……様々な最期を看取ってきた。今度もまた何人目になるかわからない迷い子(エラー)を殺す。


 懐のナイフを手にすると、少女は気付いた。

 怖がられる前に済まそうと首に狙いを定める。


 少女はにっこり笑ってこう言った。「本物のお姫様に会えた」と。


 お姫様になりたかったけど、お姫様に会えたなら幸運過ぎるかも。なんてクスクス声を漏らして。


 この状況で笑う人間なんていなかった。

 狂っているというより純粋に笑っているように見える。


 殺すことを躊躇った自分に気付いて、なんで哀しそうなの? と聞く彼女に袖を掴まれることを許して、刃を振り下ろす代わりにお茶を出すなんて奇行に及んで、それからズルズルと時を過ごしてしまった。


「異世界に繋がる地下や国外から迷い込む清算いらずの“エラー”。そのエラーであるビーチェ。今まで殺さず手元に置いてたから今サックリ殺したのよ」


「エラーなんて死神とやらもマヌケなんだな」


 彼は死体と女王を苦々しそうに見遣る。一瞬だけ無表情に変わった。冷たい温度の眼光。それは彼がここで初めて見せた冷徹さだったかもしれない。


「まあ、女王陛下が単に拷問好きなサディストじゃなくお人好しだとはわかったよ」


「お人好し? 何を聞いていたのよ貴方」


「お人好しだろう。リストのチェックして処刑する者を満期ギリギリのやつに限定して苦痛を軽減。民の生活から娯楽を消し去りじわじわ消耗。公開処刑で危機感や反発を煽る。国外へ出ないよう考慮。他のやつに任せねぇと思ったら全部、女王陛下の反吐が出る悪を被った善行だ」


 イライラと頭を抱え、並べ立てる兵士。冷徹な表情から一変して怒気を含んだ表情だった。


 女王は不思議に首を傾げていた。拷問する善行などあるものかと。

 その様子を見咎めた兵士は怒りを抑えるような低音で呻く。


「全国民に嫌われた血塗れ女王で、しかも私はビーチェを振り回してしまったのよ。善行も何もないじゃない」


「……俺の憧れてこ……がれた災厄の女王様がコレか……」


 若い兵士は何かを残念がって深いため息を吐く。

 忌々しそうにベアトリーチェの亡骸を睨む。

 彼は一呼吸置いて、腰の剣を抜いた。


「憧れ……?」


「教えてくれてありがとよ。俺は俺の理想郷を造らせてもらう。テメェは退場だ」


 振りかぶる剣の刃が陽の光を照らす。


 女王は目を眇め、喧騒が遠退くのを感じた。

 あれだけ遠く感じた終わりが目の前にある。


「こちらこそありがとう。新国王様」


 何に感謝されたのか、兵士には理解出来なかった。知るすべもない。


 肉片と化したモノを一瞥して立ち去る。


 ここはうるさくて胸糞悪い。しかも頰が生温い何かで湿っていて気持ち悪い。最悪だ。


 兵士はふと空を見上げた。憎らしいほどの晴天。

 そして再び彼は歩き始めた。

 この国では幸せを求めてはいけないと、絶望を突き付ける為に。凄惨な笑顔に彩られた彼に道を譲らない者はいなかったという。


 新たな歴史の幕開け。

 または、新たな地獄の幕開けだった。




 ——————




「あれ……ゆ……め?」




 うたた寝をしていたのか、彼女は瞼を擦って周りを見渡した。

 放課後の美術室。石膏像やキャンバスが置かれ、近くのテーブルには筆と絵の具が広がっている。


(絵を描いてる途中で居眠りなんて、器用な真似をしたものね)


 幸い美術室には誰も居ない。

 今日は久し振りに美術部顧問として様子を見に来たというのに誰も居なかった。正確にいうと部員たちはサボりなどではなく、アクティブに外でスケッチをしている。

 彼女がそんなスケジュールも忘れて来れば美術室はもぬけの殻。せっかくだからと描きかけの絵を描こうとして寝てしまったのだ。


「こんな感じかしら」


 誤魔化すように、パレットを手に続きを描いた。

 絵画には異国の風景が広がり、何故か中央には真っ白なテーブルとシチューが設置されている。なぜだ。



「せんせーは絵が趣味なんですか?」



 いつの間にか、彼女の背後から覗き込む影。

 彼女は聞き覚えのある声に、寝てたのバレてないかしらと考えながら軽く振り向いた。


「……そうね。趣味よ福山さん」


 福山。美術部と料理同好会を掛け持ちして、更には運動部の助っ人までこなす神出鬼没な生徒だった。それだけに顔が広い。セーラー服に身を包んだ少女はニッコリと口角を上げる。


「ふむふむ、で、その絵のタイトルは?」


「タイトル? うーん『最後の晩餐』?」


「パクリだし! それに太陽サンサンだから晩餐じゃなさそうだけどなー」


「じゃあ『最後の昼飯』で良いわ」


「一気に雰囲気なくなった!」


 本当に笹部先生ってばテキトーなんだからーと、福山は後ろ手を組みヒョコヒョコと先生の周りを回る。落ち着きのない子ね、そう呟いて彼女は筆を進めた。


 笹部先生。この中学校の新任教師。前述したように美術部顧問だ。うたた寝するくらいには慣れて来たらしい。スーツも上着は着崩していて、スカートではなくパンツスタイルだ。彼女曰く、スカートは可動域が狭いらしい。


「——変わらないなあ」


「え?」


 福山から発せられた声に不思議な響きを感じて、完全にそちらへ振り向いた笹部。

 しかし福山は何食わぬ顔で首を傾げた。


「ささべーせんせーって料理作れるの?」


「失礼ね。少しは作れるわよ。一人暮らし長いんだから」


「うわーさみしー」


「言わせたの福山さんでしょうが」


 当の福山は悪びれもせず独身をからかってから、ねーねー今度お家に遊び行っていいー? なんて瞳を輝かせた。

 笹部は笹部で、つまらない独身女の住処にそんな行きたいのかしらとか、最近の若者のブームなのかもしれないとか、どうでも良いことを考えた。

 福山自身は特に返答を求めない戯言だったのか、笹部が答える前に手を叩く。


「そだ。描いてるの後ろで見てても良い?」


「え、面白くも何とも無いわよ?」


 その前にさっきから後ろから覗き込まれていることを笹部は失念している。

 なぜか目を丸くして福山はスカーフを弄った。

 数瞬の後に嬉しそうに微笑んだ少女はサムズアップ。


「面白いか決めるのは私ですよー」


「……まあ良いけど」


「やったー」


 今度はガッツポーズで飛び跳ねて室内を駆け回る。

 ほら走らない、と静かな声で注意した笹部に福山は大人しく従いキャンバスを覗き込んだ。


「笹部先生ん家お邪魔する時はおやついくらまでオッケー?」


「遠足じゃないのよ」


 というより冗談ではなかったらしい。


 そのまま互いに無言の時間が流れる。

 本当に福山は後ろで見ているだけで、笹部はパレットと筆を手にして描くのに集中していた。


 運動部がグラウンドで精を出している声。どこかで雑談して笑う女子の声。


 しばらくして、近付く声と複数の足音。

 美術室の扉が開かれた音。

 二人で振り向く。


「あら美術部員一同お帰りね」


「先生来てたのー?」


「福山はここでサボり?」


 数名の美術部員がわらわらと戻ってきたようだ。スケッチブックを各々がテーブルに置いて笹部と福山を取り囲むようにやって来た。


「違う違ぁーう。内緒でせんせーをスケッチしようかなって目に焼き付けてたんだってー」


「てか福山ーそれだと内緒になってないじゃん」


「福山さんそんなこと考えてたの……?」


 呆れる部員のツッコミとジト目で福山を見ている笹部。笑いが広がって、一人の部員が名案を思い付いたように手を挙げた。


「罰として福山にはヌードモデルして貰おう」


「ちょっなんだとぅ!? せんせーヘルプミー!」


「あ、私もちょうど風景画より人物画を描きたかったところなのよ。セミヌードで良いからやってみたらどうかしら」


「あくまで脱がせる気だッ! 味方いないッ!」


 セーラー服を両手で守る福山の姿に室内がドッと笑いに包まれる。笹部は苦笑して、冗談はその辺にと手をパンパン叩いた。


「部活も良いけど夏休み中の宿題も考えなさいね。多いらしいわよ。それからなら福山さんを自由にして良いわ」


「はーい」


「え、マジで多いの?」


「うへぇ宿題とか思い出させないで下さいよー」


「その前に平然と私が生贄に捧げられてることに疑問抱こ?」


 夏休みの宿題プリントが束のようにあるらしいという噂から、夏休み中の過ごし方、補講があるらしいとか話は尽きない。

 笹部は特に茶々を入れずに、ボンヤリ残ってる仕事を思い出した。教師となって初めての夏休みに思いを馳せようとして萎えた。多忙なのだ。本来ならここで絵を描いてる暇は無い。


(ま、たまには良いでしょ)


 脳裏によぎるハゲ頭をかき消し部員たちを眺めた。

 いつの間にか怪談に話は移行したらしい。

 部員の一人は怖さを表現しようと無理して低い声を出そうとしている。でも声音は全然怖くない。笹部が怖いのは平気だということもあるだろう。


「ずっと前に廃園した……呪われた遊園地と呼ばれる裏野ドリームランド。森の奥に放置されたそこには噂話がたくさん。お城の地下に拷問器具が並んでいたり、残忍な生物がいたり、自分を見失ってしまったり。踏み入れたらもう逃げられない……」


「こわっ何それやめてよー」


「あー知ってる知ってる。なんで取り壊さないんだろうね」


「お金の問題じゃない?」


「いや全然怖くないじゃんー」


 笹部は、もう怪談の季節ねーなんて微笑んでいると、側に立つ少女が一言も喋らないことに気付いた。いつもなら「よーし肝試しに行ってみよー!」とか調子良く言い出すタイプなのに。


「…………」


(まさか怖いの苦手だったりするのかしら)


 それは意外かもしれない。その様子は笹部以外気付いていない。


「まだ、あるんだ……」


 神妙な面持ちで遠い何かを見ている福山。

 笹部はざわつきを覚えて思わず袖を引いた。


「——せんせー?」


「あれ、えっと、どう言えば良いのかしら。福山さんがどこか遠くに行ってしまう気がしてつい……。変よね、こうしてここにいるのに」


「ふふ、やっぱりせんせーはせんせーですね」


「訳がわからないわ。でも怖いなら怖いって言いなさい」


「怖い、か」


 福山はしばらく考えるように額に皺を寄せて、パッと笑顔を咲かせる。そのまま笹部にダイブした。


「せんせーこわーい守ってー」


「白々しいわね」


 先生が生徒を守るのは当たり前じゃないかと笹部は微笑んだ。温かい小さな体を抱きとめて、不思議に懐かしく思いながら。


 何してるの福山。

 暑いから離れなさい。

 やーだー。

 まーた先生を困らせてるー。

 せんせーを困らせるのは私の生きがいである!

 勝手に生きがいにするんじゃありません。

 やっぱヌード決定だな。

 福山、楽しみにしてる。

 おーのーせんせーヘルプ!

 自業自得ね。

 そんなぁー。


 笑い声が弾けて学校のチャイムが鳴り響く。


 この国では梅雨が明けて本格的な夏がやってきた。


 海へ行こうか、山でも行こうか。

 川でバーベキューか、夏フェスか。

 涼を求めて肝試しでもしようかなんて。


 ああ、でもあの森の遊園地はおすすめしない。


 冒険はほどほどに、ね。

お読みいただきありがとうございます٩( 'ω' )و


夢で見た光景を脚色して書いたものです。

幸せになってほしいものである。うんうん。


もし誤字脱字等ありましたらお知らせ下さいませ。

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