殺意という矛先に待ち受ける選択
久しぶりに書いていて面白いと思った作品です。
宜しければ読んで見てください。
殺意という矛先に待ち受ける選択
殺意――
人を殺そうとする意思のこと。
それが指すものは皆一概なもので一様なものだろう。
人間は生きているのならば、一度は抱くだろう意思感情であろう。
誰かと接すれば少なからず憤りや怒り、嫉妬等を覚える。それを堪え、自ら忘却の彼方へ脱却する作業を無意識のうちに行う。
しかし、それは逃避である。
人間は無意識のうちにそれらを忘れようと、自分の内に秘めた自分だけの感情を殺す。これだけでは逃避にはならない。だが、それ自体を忘れる事が真の意味で逃避なのだ。罪なのだ。
自分だけが得た、自分だけの狂おしく愛おしく葛藤する想いをも忘れようとすることは、阿呆のすること。この世で生きるという意味を失った下等な劣等人だ。
この世で人間を行動へと誘う活動源は今昔共に愛や友情ではない。しかし、それは一概には言えない。だが、それでも思う所、一番の活動源は殺意であると考察する。
己の快楽の為、知らぬ者や愛しい者を殺める然り。
己の突発とした衝動の為、理不尽に他人を殺める然り。
また、裏切りを働いた□を、■が最も信頼をよせている□を殺めたい然り。
それらの事象がこの世にある。しかし、この例えはほんの一部。広大に広がり続ける剣山の一角にすぎない。それ程までにこの世には殺意が満ち満ち溢れている。この世はどうしようもなく醜く、爛れきった耽美な世界だ。
私はこの世が嫌だ。己の貪婪な望を持ち、内の底から発せられる気色の悪い高音声、善人を装い嘲笑う利己的な偽善者、此奴らは一体いつも何を考え行動しているのだろうか。どうしてそれが軽挙妄動だと気づかないのか。その行動が他人に殺意を拡散するという迷惑に気づかないのか。畜生共のように気の向くまま行えば生は楽なのかもしれんが。
周囲がどうあれ、自分だけでも正しくあろうとすれば、畜生共はそれを見逃しはしない。あの手この手で畜生の道へ堕とそうと私の元へやって来る。
此奴らは私のような半端者を見つけ出すことに関しては、殊、目も鼻も利く。
お主の徳はなんだ、申してみなされ。と畜生共は遭えば必ず口を揃えて問うてくる。
人間の皮を被っただけの畜生が、人間に話しかけてくるとは無礼の極み。徳どころか恥すらも理解に及ばん下賤な輩に申す気概は持ち合わせてはいない。
いつもの私なら憤りを内に秘め見て見ぬふりをするのだが、今の私はどうしてこの薄汚れたボロ絹を纏った畜生の戯言に耳を貸してしまったのだろうか。
それはきっと、信頼していた友が私に裏切りを働いたことが原因だろう。
誰かにこの憤りや怒り、妬みといった混沌を吐きたい気分だったのかもしれん。
お主の徳はなんだ、申してみなされ。
その声は気色の悪い高音どころか私を甘く天の道へ誘う麗しきそれに聞こえ、皆一様に平等に救いを齎す釈迦様のような態度をとられる。
心が衰弱しているが故に邪な声が聖に聞こえ、そう魅せているのかもしれない。そう思い込ませるのが得手としているのかもしれない。
どちらにせよ、私の心に付け入ろうとしていることに変わりはない。
そして、今衰弱した心が占める感情の起伏は殺意だ。
もうどうしようもなく憎く、どうしようもなく憤り、どうしようもなく殺めてしまいたいという気が岳の如くなり、
殺めてしまったらどうなるか、露顕され罪に囚われるのか、どう行えば露顕せぬ殺害が可能なのか等の尾を引く気が深海の如くなる。
それらの起伏が成っては消えの繰り返し、その中、半端者の私をこの畜生が寄ってきたのだ。
ボロ絹を纏う釈迦様に、今抱える衰弱を嘔吐する。
私はどうやってこの気持ちと向き合えばいいのかと、どうすれば最良なのか。
堕ちた釈迦様は心に癒しを齎すかのような声色で呼応した。
“なればお主の行うべきは既に幕引きをしているではないか。何を迷う事があろう。”
私は狂いそうだった。その言の葉一つ一つに何かしらの力があり、私ではなく、私の心に直接訴えかけてくるような浮世離れした神秘、足が地に付かない浮遊感にも似た恐怖心。
総毛立ちながらも私は鍍金に解りきった事を問う。またも甘く麗しい声が頭を響かす。
“何を申しておる。それを欲し望んだのはお主自身。聞いておればお主は逃避したいらしいな。なに、口では云っておらぬとも、その想いは汲み取れる。しかし、逃避とは罪であり原罪である。そうして追われようものならば、己の為、己の望の為に生きれば良いではないか。”
私の心はもうはち切れる寸前だった。
此奴が畜生であると分かっていても、それが黄金ではなく鍍金であると理解しているつもりでも釈迦様に見えてしまう。天に住まう釈迦様に済度されている気になってしまう。
私の顔はボロボロと涙を流す寸前だった。
此奴がこれまで培ってきた私の猜疑の心を溶かし卑しさを解放しんと導こうとする、狡猾さを感じさせない率直な物言いが私の心を楽にしてくれる。
“某を釈迦だと思うか?鍍金だと思うか?良かろう。なれば、お主を救おう。さぁ、某と共に逝こうぞ。”
私は泣いた。狂った犬畜生のような奇声を張り上げ、私の内に存在していた人間性を涙と共に地べたを洗い流す。
薄ら笑いを浮かべる鍍金は
“さぁ、聞かせておくれ。お主の答えを。逝くか、否か。”
体内を駆け巡る血液は速度を増し思考を短絡なものにしていく。 “それはお主が望んだこと。”
血液が沸騰し興奮する。気性が荒くなるのを感じる。 “それもお主が望んだこと。”
何もかも、あるもの全てを壊し犯し奪いたくなってきた。 “ほう。そうか。では、それもお主が望んだこと。”
目の前の釋迦様は鍍金を剥がし狐の姿へ変わっていた。そして、今し方と変わらぬお声で狐が内に話しかけてくる。
“某は蛇になるものだと思ったが、なかなかどうして殺意が強い。その内に眠る執念深さを読んで某は蛇と踏んだが、宛が外れたか。故に、某はもう知らん。如何様にもしろ。後はあの忌々しい夜魔天に任せるよ。精々精進することだ。地獄がお主を歓迎できるようにな。”
一匹の狐は振り返ることも無く歩んでいく。
釈迦様、何処へ行かれる、私と共に逝くのではなかったのですか。
手を伸ばせども、それは届かず、狐は己の畜生の道を歩んでいく。その道は私からすれば光で照り輝いているように見える。対して私の道は赤黒く恐怖と苦痛が滲み出している。
それが私を包んでいき、私を私でなくす。私が私を亡くす。
それは一瞬だけだった。後に残った私はもう万物この目に留まるもの全てを破壊したくて疼きが全身を駆け巡るものとなっていた。
この清々しく、愛おしく狂おしい気持ちを持って、まずは我が□をこの畜生と人間の住まう道から済度せねばなるまい。これは私が葛藤し葛藤を重ねた上での決断。故にこれが英断であったと後悔せぬよう狐の申す通り精進しよう。
殺意とは、人を殺めたいという意思のこと。それ自体に罪はなく、それを忘れ、向き合わない事が罪と私は思う。
それなら私は殺意と向き合おう。忘れることなく、常に殺意を持って何事も達成しよう。
なにせ、この感情こそがまだ人間である私の活動源なのだから。
では、私はこれにて失礼させて頂きます。
さようなら、愚かな■。
さようなら、■に極上の殺意を授けた我が□よ。
嗚呼、釈迦様。どうか、この■に蜘蛛の糸を―――
個人的にはもっとぼかして書いたほうが良いのかもと思っていたのですが、書き上げた翌日に直しを兼ねて読んでみたら色々解らなくなってこの形になりました。
教えに関しては正直軽く触れた程度です。にわかです。なので、「そうはならない」「これは違う」などの事を言われるかもしれませんが、私個人としては「この方が面白い」と思ったので、こう書きましたし、先刻述べたように、にわかなので。
ご了承して頂けると幸いです。
また、そういったことも含め、悪い点良い点などの感想を頂けると、感無量です。