Episode2「反能力者団体組織」
◇
「はぁ……はぁ……、はぁ……」
一体、どれくらい走っただろうか……?
折り曲げた膝に両手を置いて今にも崩れそうな身体を支えながらに僕は考えていた。
かなりの距離を走った。本来の帰路を外れて、無我夢中になるほど本気で走った。
誰かに追われている感覚はなかった。なかったのだから、止まればよかったのだと思う。
けれど、「誰か」ではなく「何か」が迫ってきた気がして、僕を、多田野光吉という人間を追うものがあった気がして、止まれないどころか加速し続けた。
あれは一体何だったのだろうか? あの、しつこく付け回る天を隠す黒雲のように重たくて黒い“何か”は――。
「くそっ……!」
忌々しそうな顔で振り払うように、いや、まさに僕は振り払った。
そのドス黒い黒雲のような気分の悪い何かと、頭の片隅に残る老婆のあの助けを請う目を――。
明らかにあれはマズイ流れになっていた。相手の不良たちが痺れを切らして手を上げようとする、そんな雰囲気があの場では立ち込めていた。
老婆はより一層恐怖に憂いたに違いない。
そして、唯一その恐怖を伝えられる通行人と目があった。ようやく、不安の感情を届けられる宛先を発見できた気がしていたのだ。
それを、僕は拒否した。あそこから、僕は逃げ出したのだ。
(くそくそくそ……っ! あんな目で人を眺めるなよ……!)
ずっと頭に残るのは、あの後の老婆の姿だ。
震え、挙動する恐怖に支配された精神、針金のように細々とした脆弱なる身体。
そんな老婆が、あんな不良たちの暴行を受ければ、下手をしたら――。
そこまで考えて、また首を縦横無尽に振りなぐる。
僕は悪くない僕は悪くない僕は悪くない僕は悪くない……そう言い聞かせて、納得させる。
あれが普通なのだ。あれが日常的に行われる、厄介事に巻き込まれないための、 世の中で無事に過ごすための大事な“普通”なのだ、と。
そう言い聞かせる事で、少しは心身を落ち着かせる事が出来た。あれは僕が異常なのではなく、“普通”な行為で、普遍的に人々が行う行為なんだと考えられて、安心できる。
そんな思考に別れを告げて、前方へ視線を持ち上げた時だった。f
視界に映ったのは、ハイエナのエンブレムを纏った軍勢。
それらは道路を塞ぐようにして横に並び、誰かを待ち伏せているような、そんな雰囲気を漂わせている。
その中心に立つとある女性。僕はその女性を今朝に目撃していた。
スラリと伸びた脚線美はモデルの如き高貴さを秘め、プロの絵師が描いたかのような滑らかなSライン。そして、何よりも目立つのは衣服の上からでも確認できる素晴らしき二つの巨大な円形物。
紛れもなくそれは、今朝のモデル顔負けの大物女性であり、僕が透視を行おうとした女性だった。
見かけた事のある女性を凝視していると、僕の気配に気づいたのか女性がこちらへ向き、視線と視線が鉢合わせた。
その瞬間――――
「あいつだァァァアアアアアッッ!!!」
「えっ?」
ビシリと真っすぐに向けられた女性の人差し指と大声と共に、男の軍勢が一斉にぐるりと僕を見やり、狩人の如く駆けだした。
「えっ? ちょ、ええぇぇ!??」
困惑と恐怖に、僕は彼らに背を向け、一心不乱に逃走を開始した。
なんで? なんで僕こんな人らに追いかけられてるの? なんでかは解らないが、これだけは分かる。
「逃げんじゃねぇこのクソ変態野郎ぉぉッ!!」
「待ちやがれ、止まりやがれ、静止しやがれぇぇぇ!!!」
「飴やるから止まってくれぇぇぇ!!」
――捕まったら、殺られる!! てか、飴ぜってぇウソだろ! だって手に飴袋じゃなくて鉄パイプだもん!!
生命の危機を確かに感じた僕はその足を緩めることなどない。
全力で、全速で、出来得る限りの脚力を持って地を蹴り、街を疾走する。
だが、しばらくすると相手も頭を使ったのだろう、数の利を持って僕を追う者達と行く道に先回りする者達とで隊を作ったのだ。
逃げては先回りされ、戻っては追手が……。
「くっそ……」
そうしている内に、僕は必然的に彼らの包囲網に挟まれていた。
「手間掛けさせやがって、この変態障害者」
軍勢の中の一人がそう言う。
コキコキと戦闘前の準備運動なのか、首と手を鳴らす。この状況下ならばそれだけで威圧感といもの醸されるものだ。
「覚悟は出来てんだろうなァ?」
「ちょっ、ちょちょ待った! 僕が一体君達に何したって言う……――!」
「るせぇよ」
次には鉄の棒が僕の頭部振り下ろされた。
頭が割れたような感覚に視界は揺らぎ、一瞬暗転するが、また次の蹴り上げられた顔面への衝撃に目を覚ます。
そうして、十人は悠に超す男達の暴力が一斉に僕の身体を襲う。
不規則な呼吸と脈拍はさらに乱れ、痛覚が次々に加算され、上書きされていく。
気を失っては複数の暴力にまた目覚め、また堕ち、また目覚めの繰り返し。寝る事も許されない残酷で冷酷な仕打ち。
次第に僕の身体機能は麻痺し、死を強く意識させられる。
(ヤバイ……まじで、死ぬ……)
素直に、怖くなった。
重ねられる激痛はもはや痛みではない、衝撃だ。痛覚を感じる感覚神経が完全に麻痺し、痛みをキャッチしきれない不良を起こしているほどの損傷を負っている。
その意識の濁流のなかで、僕が思い浮かべていたのは、先刻の老婆の事であった。
あの老婆は、こんな目に遭ってしまったのだろうか? いや、そもそもにしてこれほどの恐怖を感じていたのだろうか?
軋む骨肉、広がる鉄の味覚、そして崩れ薄れる視界のラグ。
全てが身体の危険を示す警報を鳴らし、危地を報せる。
老婆はそんな中で、唯一の救いになりえたであろう者に文字通り見捨てられた。 僕という希望が、絶望への引き金と移り変わったのだ。
(自業自得……ってか?)
“普通”の波に呑まれて行なった行動が、何の因果か結局このような反動として返ってくるなど酷く世話のない話だ。本末転倒とはこの事を言うのだろうか。
(とことん今日は不幸だな……)
そんな中、ようやくの事で暴力の嵐は止み、近づいてくる足音だけが聞こえてきた。
「あ~あ~、痛かった坊やぁ? ごめんね~乱暴にしちゃって~」
声質からして、あの女性だと僕は判断できた。
腫れに腫れあがった顔面の皮膚は、もはや目というものを完全に塞ぎ、僕の視界を奪っていたことから聴覚でしか辺りの様子を判断できないのだ
そんな詫びれてる風など全くない女性の言葉に、僕は何も返さない。否、返せない。
「でもねぇ? あなたが悪いのよ? 変な能力使って女性の身体を盗み見るなんて決してやっていいことではないでしょ?」
身動きも応答もない僕のことなど関係ないように話は進行し、仰向けに倒れていた僕の髪を掴んでは無理やりに顔を上げ、
「あらあらヒドイ顔~。可哀想にぃ~。だ・け・ど」
振り下された女性の右腕が、僕の顔を捉え、口と鼻から鮮血が宙の舞う。
そんなことなどお構いなしに、女性は躊躇なく追撃は浴びせ続ける。
「あなたが悪いの! ゼンブ、ゼンブ! ヨウゴの分際で私の身体を見やがって!! ヨウゴはヨウゴらしくワケわかんねぇ言動と行動して施設行きゃいいんだよォ!? わかるかクソ障害者ァ!??」
女性の変容した狂声と共に顔面への殴打はエスカレートする。
敷かれた灰色の地面は、朱色の液体に徐々に浸食され、染められて行く。
その中、僕は女性の言葉にある事を察していた。
彼らは、無能力者なのだと。
道理で僕がこんな仕打ちに遭うわけだと合点した。
無能力者は極端に能力者を嫌う。
これは“ESP症候群”が判明される以前からそうだろうし、周知な事だと思う。
常軌を逸し、常識を学習しない、出来ない障害者。彼らの奇怪な行動の一つ一つは健常者に不快を与え、苛立ちを覚えさせる。
なぜこんな事も出来ない? と。
なぜそんな訳のわからない行動をする? と。
それらは過去の偉人達、「変人」だと謳われた者達のエピソードやストーリーを顧みればすぐにわかる。彼らは周囲の“普通”と呼ばれる健常者達に“普通”から外れた存在であると迫害され、孤独を味わったエピソードが幾つもある。
その元来より持たれる、障害者への嫌悪感は“ESP症候群”が現れてから急速的に掻き立てられることとなった。
なぜか? それは「障害者」という訳のわからない人種達が不明で強力な能力を振るうという危険予知と、そんな訳のわかない人間達がなぜ“能力”など持つのかという「妬み」からだ。
彼らは危険だと声を揃えて合唱し、騒ぎたて、そんな危険生物はこの世から消せと言う者もいるくらいだ。
能力者が危険だ、ということに関しては誰も文句は言えない。事実、危険だ。
得体の知れない力を、知能的、人格的、身体的に障害を持つ人間が保持するのだ。危惧して当然であるが、そこに妬みが含まれ、激しい嫉妬と劣等感から生物扱いを受け、殺せと言われては身も蓋もない。
だが、そんなことは彼ら無能力者には関係ない。能力を持とうが何だろうが、能力者は障害者。穢れた弱者であるという認識とレッテルは剥がされることはない。
「オラ死ねよ氏ねよッッ!! 死んで二度と生まれてくんなモルモットがッ!!」
繰り返される暴行。
痛みはない。ただ、意識と精神が分離して、脳内が不思議な浮遊感に襲われている。
(なんで、僕らはこんな扱いを受けるんだ……?)
殴られながら、血を舞わせながら、僕は疑問に思う。
ただ毎日を普通に生きたいだけなんだ。学校に行って、椎堂や三縁と戯れて、ご飯も食べて、風呂に入って寝る。
ただそういう“普通の人”と同じ生活を過ごそうと、毎日を普通に繰り返したいだけなのに……。
障害者だからか? 障害者だから、僕達は人間じゃなく、ただのそこら辺の生物と同じ研究材料として扱われて、汚らわしいと邪険にされて、こんな仕打ちを受けるのか?
もしもそうなら――――
「……僕だって……死んで……二度と生まれたくないよ……」
こんな世界、こんな不条理で歪んだ世界になんか、生まれたくない。
「その辺りにしたらどうですか?」
凛と、空間に鳴り渡った鈴の音の如き声。
その澄んだ声音に、僕を取り囲む軍勢は振り向き、女性の暴行の手は止まり、僕もその薄い視界のなかに声の主を映す。
霞んだ視界であまり明確には認識できないが、その小柄さと髪の長さ、声の心地よさから僕と同じくらいの女の子であると予測できた。
「んだぁガキぃ? 障害者同士、一緒に仲良く真っ赤になってお寝んねしてぇのかァ? アアン??」
完全に風貌と言動が狂暴化した女性が、鈴の音の主に問うた。
「その少年とわたしは全く無関係ですし、仲良く一緒に寝る気も毛頭ありません。というか、どういう状況でこうなったのかも知らないただの通行人な訳で」
それにも臆した様子など微塵も見せず、少女は逆に現状までの経緯を訊ねた。
その問いに、女性は陽気に、
「あぁ~そうだなぁ。このクソガキは能力使って私の裸を覗くっつー立派な犯罪行為を働いたわけよ? こゆのセクシャルハラスメントって言うだろ? だけど警察に突き出すのは可哀想だと思ってさ~、ほらこの年で前科が付いてもアレだしぃ? っつーわけで、百歩譲って私達が制裁を加えてあげてるってだけの話だけなんだけどぉ……」
何か問題でも? と語尾に付ける女性。
女性の身勝手な主張に、少女は「ふむ、そうですか……」と腕組みをして真面目に黙考を始め、しばらくの間を有して、
「確かに、立派な国家条例違反ですね。セクシャルハラスメントもそうですが、公共で能力を発動させて精神的危害を加える事も、障害者特別条例に触れていますし」
なんと心許無い事を言う人だと思った。
反して、女性は相手の反応に気を良くしたのか、
「だろぉ? だからさぁ、私が正しき制裁ってやつを――――!」
「ですが、貴女の行なった行為も立派な国家条例違反であり、そこの少年より明らかに重い違反を犯しています」
「は……?」
続け様に放たれた少女の言葉に、女性は意表を突かれたと言わんばかりに固まる。
「無抵抗者に行われた集団暴行罪、障害者への差別用語の多用を行った侮辱罪、そして――この街で繰り返す幾多もの集団犯罪」
少女の指摘に、女性はその顔を歪めた。
「暴力集団犯罪組織――凶荒の渇望者。主に能力を持つ障害者を手に掛ける反能力者団体組織の一つ」
この世界に生まれ落ちた、障害者であり、異能を持つ能力者達。
彼らはある人間達にはこれからの新人類としての鍵となるとされる存在として重宝され、歓迎を受ける。
が、一方で当然のことながらそのような存在を危険視して、嫌悪を抱く者たちがいるのはもはや周知の事であることはさっき語った通りだ。
その能力者達を忌み嫌い、嫉妬と憎悪と嫌悪にまみれて彼らの存在を否定する集団がいる。それが反能力者団体組織と呼ばれる集団なのだ。そのなかでも凶荒の渇望者はこの街一帯を牛耳るギャングボスのような立ち回りで、一般人でも警戒する厄介な人間達のようだ。エンブレムは――バトルナイフを咥える獰猛なハイエナ
淡々と機械的に述べられたものに、否定や反論の声は上がらなかった。
「……だったらなんだってんだよ? 私は先に精神的危害加えられてんだよ。その辺ちゃんとわかってっかクソビッチ娘が」
ただ、隠せぬ苛立ちを形相に映して抑えを利かして問う。まるで最後通告を与えるかのような口調で。
が、しかし少女は何でもなく、ただ冷静に、有り体にある事実のみを並べる。
「えぇ、それも加味して考察しましたが、そもそも貴女に他人を裁く権限や権能は与えられていません。あっ、あと今のも侮辱罪に類しますから」
「ふざけんな小娘……黙ってきいてりゃ調子こきやがって……」
女性の膨張する怒りに呼応するように、男の軍勢たちがぞろぞろと動き出し、少女を取り囲む。
「なんの真似ですか?」
「口封じでもしようかとね。お決まりの流れでしょ?」
勝ち誇ったように邪悪に口元を歪める女性に、それでも臆さずに少女は、
「なるほど。賢い選択ではないですね。おとなしく退いた方が懸命かと」
「るせぇよ障害者。人類の負け犬ロード一直線のテメェらが図に乗ってんじゃねえって」
「そうですか。学習力のない哀れなお馬鹿さんなんですね」
「図にのンなっつってんだろガキィィィ!?」
その一言が女性の怒りの引き金を引かせた。
鬼の形相と化した女性の方向を合図に、ハイエナを着飾る男達が一斉にその手の得物振りかざす。
鉄や金属で形成された物体が高速で少女を襲う。
それらの物質の雨が散々に少女を傷めつけ、鮮血を飛び散らせ、激痛に悶える悲鳴が鳴る――――はずだった。
金属の雨は一つたりとて少女に当たることはなかった。
降る脅威、振る暴風の暴力、それらは彼女に触れることなく、彼女を中心に“踊る”。
まるで人形劇のようだった。男達の無数の暴力はただの戯れにしか見えず、少女はそれらを束ねる舞姫。
縦横無尽、死角からの攻撃をもひらりと流麗に舞い、躱す。
空を通過した男達の攻撃は、取り囲む仲間に当たり、一人二人と崩れて行き、二十人近くいた軍勢も、気が付けば五人ほどしか残っていなかった。
「だから言ったじゃないですか。賢い選択ではないと」
凛然と告げる少女の声に、疲労はなかった。
むしろ、五人の男達が肩で息をし、手を休めている辺りからどちらが徒労しているかは明白だ。
「あんなに一点に人間が集中すれば、攻撃が交わされた後の流れ弾に味方が当たることなど当然です。あれならまだ一対一の方が私は不利でしたし、体力を奪えたことでしょう」
「くっ……! おいテメェら! さっさとその小娘の口黙らせろよ!!」
女性が想定外の出来ごとに焦燥に駆られ、怒鳴ると、五人の男達が少女に向け、動きを再開させた。
「まだやりますか。懲りないですね」
そう呟き、男達の追撃を難なくいなすと、
「あまり手は出したくなかったのですが、仕方無いですよね」
困ったように奏でた声音。
再び向かい来る金属を半身になることで回避すると、肘関節と手首に手を掛けて、“捻り投げた”。
推進力と運動方向を上手く利用した投技に男は宙を一回転して地面に叩きつけられる。
次に少女の背後から拳が来るが、これも最小限に首を傾ける程度で避けると、そのまま背負い投げのような形で投げられる。
次々と男達の攻撃は無効化され、投げ飛ばされ、まるで子供と大人のお遊びのような、圧倒的能力差があった。
「正当防衛、になりますよね?」
少し不安げに問う少女の周囲には、ゴミ溜めのように伏す男達の山が築かれていた。
「さて、どうしますか?」
敵意や殺意はない。ただの問い掛け。
だからこそ、女性には恐ろしく感じられたのかもしれない。どう足掻いても勝てない壁がそこにはあって、“障害者”ではなく、“能力者”としての脅威がそこに在る気がして。
一歩たじろいだところで、女性は踏みとどまった。
ここで退けば、それは自らが弱者と認定していた“障害者”の存在を自身より上と認めてしまう決定打となってしまう。
それは、この女性にとって、どんな“負け”よりも屈辱で、惨めな“敗け”なのだ。
「くっ――ソガキィィィ!!」
プライドが、女性を走らせた。
一心不乱に少女へその拳を振り上げた――が、虚しく虚空を切り、
「やっぱり、学習能力のないお馬鹿さんなんですね」
その安っぽいプライドを嘲笑うかのように、又は呆れたかのように告げ、少女は独自の関節投技によって女性を宙に放り出し、叩き伏せたのだった。
「は、ハハ……すげ、ぇ、や……」
そこで僕の映像は途切れ、暗闇の淵へ堕ちたのだった。