Episode0 「プロローグ」
もしも、あなたに能力があったなら、あなたはそれを何に利用しますか?
――主人公と呼ばれる物語の主役を目指し、自らの正義を振るう?
――世界を掌握し、絶対的力を持って「世界の王」となる?
――その力を隠し、ひっそりと世界の陰に潜んで平穏を過ごす?
様々な生き方、進む道が枝分かれとなって存在するだろうし、きっと、どれを選んでもその人物にとっては「正解」となり得る。
そんな数多の思考が混迷とする中、それらの中には必ずして共通点が存在する。
それは、「願望」だ。
どれだけ壮大極まりない目的を持とうが、平凡な生活を求めようが、能力を持つ者の道には「願望」が必然として生まれる。
「正義」を目指す主人公願望。
悪の王として君臨するための絶対的暴力への願望。
何事もなく漫然とした日々を過ごしたいと願う平和願望。
多種多様、ありとあらゆる分岐が許される力を持つ者達の願いが交錯し、混在する。
それを承知の上で、その“能力”の一端を背負う者である僕は答えよう。
僕は――――“覗き”ます。
「く、くはは……最高だよ全く……」
下手くそな笑声と気味悪く唇を歪める僕は、道行く人々、というか向かってくる女性一択に視線を定め、感嘆を漏らした。
女性達がスク水やブルマなどのあからさまな格好しているわけではなく、なんならパンチラというライトノベルよろしく幸福な微エロに遭遇したわけでもない。皆それぞれに違う模様とデザインが施された衣類を身につけているし、特に性欲が掻き立てられるほどの露出がされている者が多いわけでもない。
ただ、僕――多田野 光吉だけには、それらが性欲を掻き立てる不埒な対象としてしか見れない事象が起こせるのだ。
「お、おおぅ……!! アレは……!?」
感嘆が驚嘆へと移り変わり、声量が跳ね上がる。
上擦った言葉とともに発見した標的は、完全に大物であった。
スラリと伸びた脚線美はモデルの如き高貴さを秘め、プロの絵師が描いたかのような滑らかなSライン。そして、何よりも目立つのは衣服の上からでも確認できる素晴らしき二つの巨大な円形物。
言葉を失うほど神秘的なそれは、まさに神が授けし奇跡の丘。僕の目はその女性に釘付けとなり、
(アレの本体をそのまま拝めるとしたら……)
――――僕はもう、この世に未練はない……。
そこまで思考が至った後、僕の次なる行動はもはや条件的に起こされていた。
手首にはめられた機械的なリングが「ピピッ」と何かを観測した音を立てる。
目に付随する眼筋と視神経を極限にまで発達させ、光の受容率、屈折率の変換。全く新しい神経配列を構成し、組み立て、不明瞭な妄想から明瞭な想像へと確立させていく。
想像的且つ人為的に確立された視界という名の世界が創り上げられ、その世界に女性を映す。
(――――見えるっ! 見えるぞぉぉッ!??)
徐々に露になる女性の真のシルエット。
防壁のように纏われていた衣類が濾過されるように薄く、虚空へと溶け込んで行き、最終防壁であるファンデーションとご対面。
(へっ、それをもブチ破ってやるぜ!)
防壁を撃破る緊張感と期待感は、天才ハッカーのハッキングと類似するのではないだろうか? ただ、やっていることは圧倒的にこちらのほうが外道であるが。自覚しながらもやめられないのが人の性、人の欲である。
僕の集中力はさらに研ぎ澄まされ、アップギアと共に世界が変容する。
そうして再び薄れて行く最終防壁。さぁ来い、我がエデンの園――――!
「なにやっとんじゃおんどりゃァァァッ!??」
瞬間、背後から鳴る電子音と同時に訪れた頭部の衝撃に、僕の視界は“逆転した”。
縦横無尽に乱れる視界が意味しているのは、一瞬の飛行。つまりは吹き飛ばされた形となり、次に僕の身体は文字通りファミレスの窓を“突き破った”。
けたたましい破壊音の後に硝煙のような埃が舞い、ガラスが辺りを飛散し、外部から飛び込んできた人間砲弾は店内に備えられたテーブルを二つ三つ蹴散らし、四つ目に衝突したところでようやくその運動を止めた。
行き交う雑踏の足は止まり、愕然と呆然、静寂と静粛で埋め尽くされた人々の視線が力なく項垂れる僕を含めた現場に目を向ける。
「ホントぉぉに、光吉くんはなぁにをヤっちゃってるのかなぁ~? こんな公共の場で変態能力解放しちゃってからにィ~~お?」
そんな空間に響く、少女の声。
軽い声音で平静を装うとするが、完全に敵意と怒りが入り乱れている。
「わかってますかぁ? あんたのしてること犯罪よ? は・ん・ざ・い。能力あったらそれを所構わず使っていいってわけじゃないんですよぉ?」
わかってんのかよおい~、っと。少女は半分意識の吹っ飛んでいる僕の胸ぐらを乱雑に持ち上げては青筋を立てた笑顔でゆさゆさと上下に振る。
は、はは……まんまテメェに言ってやりてぇわこん畜生。所構わず“能力”使って人吹っ飛ばしといてよく言えますよねホント尊敬します。いや、しないけどさ。
「おいおい、その辺りにしておけ三縁」
少女の背後から掛けられた男性とおぼしき声とその言葉。
三縁と呼ばれた少女は「ハァ??」と漏らし、
「椎堂は黙っててよ。これは全宇宙に生息する女の怒りよ」
「スケールでけぇな。いや、まぁ制裁を加える事にはとやかく言うつもりはないんだけどな? ただ……」
椎堂という名であろう少年はそこで区切ると、次に小さなサイレン音が鳴っている事に気付き、
「やりすぎだ。さっさと退散かるぞ」
親指をクイッと上げて爽やかに告げる少年に、少女は忌々しげに舌を打ち鳴らすが、渋々と言った様子で頷き、僕の襟を乱暴に鷲掴んで、引き摺るように連行し、逃走したのであった。
後に残ったのは野次馬と遭遇者の観衆と、散々なまでに破壊されたファミレスの跡だけだった。
◇
「ったく、散々ったらありゃしないわクソめが!」
「うん、そうだね。とりあえず、それもそのまんま返してやるこのぶっ飛び女」
盛大に悪態を吐いた少女――三縁 湊に未だ不確かな意識の中で僕は言ってやった。
僕のその言葉に、三縁はこれまた機嫌を損ねた様子で、睨めつけ、
「誰のせいでこんなことになったと思ってんの?」
「いや、てめぇだよッ!!」
人を砲弾化させてファミレスにぶっ飛ばしたのは紛れもなくこの三縁湊という少女である。にも拘わらず、散々だの誰のせいだのとぼやくのはお門違いというもののはずだ。
そのはずであるのだが、
「はぁ? あんたが絶賛変態モード実行中だったから、女として正当防衛しただけよ」
「それの度合いだろ!? 別に変態モードに入ってたこと認めてるわけじゃないから。そこ間違えないでね?」
危なかった。あともうちょっとで認めるとこだった。
ここで認めてしまえば、無は有になり、無かった事実が存在する真実になってしまう。そうして警察の事情聴取や容疑者尋問というものは行われ、一度でも認めてしまえば、犯人という烙印が容赦なく押されるのだ。逆に言えば、認めなければ犯人とされる可能性はぐんと下がるのだが。
そう考えると、咄嗟に言葉を付け加えた僕は自分自身に賞賛の言葉を送りたいよ。
グッジョブ僕。
「っつかそもそも、僕はお前のことなんてこれっぽっちも見てなかったし、そういう目で見る気もない。こちらにその気もない上にそう言った事実も存在しない中で制裁だの正当防衛だのと言葉を繕うのは聊か問題があると思うんだけどその辺りどうなのでしょうか三縁湊さん?」
見たか! 完全なる正当化主張! というか僕自身のあるがままの真実と想いを告げたまでだが。
彼女の名誉のため、一応は弁明しておこう。目の前の三縁湊。その容姿は決して悪いものではない。
淡い栗色の髪は肩辺り綺麗に切った所謂、ボブヘアと呼ばれる髪型で、ワンポイントアクセサリーとして巻かれた黄色のリボンが彼女の華やかさを更に掻き立てる。
スッと伸びた切れ長の睫毛は大きな瞳とのギャップと調和を生み出し、体育会系を思わせる引き締まった表情はある者には強気に、ある者には美しいと受け取られるのかもしれない。
悪いどころか、むしろ「美少女」に類するほどの可憐な容貌であることは紛れもない事実であり、僕自身も認める。
だがしかし、神様は非情だ。同時に、誰しもに弱点を与えるのだなと合点した。
惜しいことに、この少女には胸が“ない”のだ。
そう、絶壁。まな板少女の称号を欲しいままにした天性のぬりかべ胸なのだ。
「よって、僕がお前を異性としてその感情を抱く事も、行動に移すこともない。断固として皆無。うん」
「よっての意味がイマイチだけど、あんたの視線と思考系統を推察すればある程度予想できるからまた砲弾化していい?」
「単なる憶測と被害妄想で人飛ばそうとするのやめろっ! たぶん、あながち間違ってないけど!!」
冷や汗を顔面一面に噴出させて僕は必死に訴えた。
いや、だってね? あれほんと一瞬死んだ気がするからね? まじで三途の川とやらが見える勢い。飛ばされる度に死んだお爺ちゃんと対面するもん。爺ちゃん死んだのか知らないけどさ。
「相も変わらず仲の良いことだな。普通あれだけ過激な事を起こせば真剣な喧嘩になってもおかしくないのにな」
そう横やりに入ってきたのは、霧逆 椎堂。僕の小学校からの幼馴染であり、同時に悪友である。
眉目秀麗な顔立ちはハリウッドスター顔負けのカリスマ性と端正さを見せ、身長一八○センチ超という僕の身長を一○センチ以上上回る長身。
キュッと締り切った細く、それでいて強靭な筋肉が目に浮かぶ俗に言う細マッチョ体型は我らが通う高校の制服に上手くマッチしていて、紺のスラックスとブレザーを履きこなしている。
そんな霧逆椎堂という男は憎い事に容姿のみならず、勉学、運動、そして保有する“能力”まで上位クラスのチートよろしく人間だ。
チート人間のその言葉に、僕と三縁は「「違うわッ!!」」と同時に大否定。三縁に至っては顔を真っ赤に染めて怒り心頭の様子を見せ、「まぁまぁ」と気圧され気味に椎堂は引き攣った笑みで静まれとジェスチャーを見せ、
「けどな、光吉。ぶっ飛び女なんて言葉は差別用語に当たるから、あんまし使うなよ」
「少なくとも俺達のいるこの“街”ではな」と椎堂は付け加えて言った。
そう、僕等の住むこの街、東アジアの海洋に浮かぶ海上人工研究都市「自由都市」。人口約五三万人で、その約六割が普通ではない者達が集う――否、収容された“能力者の街”だ。
今から遡って約二五年前、この世界に異端の力を持つ“能力者”が世界各国で続々と出現した。いや、“能力”というより、それは“障害”に近いモノであり、また世界的にはそのように認定された代物だった。
サヴァン症候群、というものを聞いたことがあるだろうか。
知的障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、優れた能力を発揮する者の症状を指すもので、過去に出現した天才や偉人といった人物の中でも、この障害を持っていたとされる例が多々存在する。
その障害と似たようなものだ。ただ、それの度合いや規模が異常なほど“強大”で、また“危険”なものなだけ。
神経配列やその伝導率における障害なのか、はたまた生誕する前の染色体の異常なのか、彼らは一種の覚醒を迎え、多種多様とした事象を特定の原理、論理、理論から自ら引き起こすことが出来た。
だが、人間の脳とその神経伝達には決められた許容量と制限があった。その許容量を超越してしまえば、理論上、人の身は耐え切れずに朽ちてしまう、所謂「許容越え《キャパオーバー》現象」を引き起こす事となる。
そこで、脳の自己緊急回避システムが自動的に発揮され、許容越え現象を引き起こさないために一部の神経伝達及び脳的補助を鈍らせる、又は機能停止を行い、“立て替える”という制御システムが働いたと専門家は仮説を立て、それらが「能力」と「障害」の正体であるとされる。
その障害因子を“ESP症候群”と呼び、一般的には「程度の力」と呼称されるようになった。
「そうだな、特にこの街じゃ……そうなのかもな」
椎堂の言葉に軽く相槌を打つ。
それらが“障害”として国際的には認定され、「障害者が異端の力を振るう」という考えただけでもゾッとするイメージが瞬く間に世界各国へ浸透してしまった事は言うまでもない。
だが、異端でありながらも今後の人類進化に貢献する事が目に見える素晴らしい「研究材料」であることも確かな存在であった。
そこで国連は危惧すべき“危険因子”の僕ら能力者達をある街に隔離収容し、一般世界から隔絶させた上で、街に住む能力者達の生活と動向、そして“生物的実態”を日夜研究するという計画が実行された。
それがこの海上人工研究都市「自由都市」なのだ。
「つか、差別用語つったらコイツだって僕の力のこと変態能力扱いしたじゃんよ」
「それはお前の能力の使い道が実際そうであるし、能力の中身もまんまそうだからだ」
「なにそれ凄く理不尽っ!!」
涙目ながらに僕は魂の限り叫んだ。三縁は隣で「そのとおーり!」と機嫌よさ気にグッジョブポーズを取っている。
なんだこの敗北感。僕は何に負けたんだ? あれか? やっぱ生まれながらの才能か? 能力のスペックさに敗北感を感じてるのか? だとしたら尚更理不尽だね!
「にしても、“透視が出来る程度の力”って、ホントキモイわよね」
「人の能力キモイとか言うのやめない!? これ生まれつきだし、僕より立派な差別用語使ってるよ!?」
ウムウム、と秘かに頷いている椎堂を視界に入れると、僕の心は更に傷を負った。
“透視が出来る程度の力”。それが僕の「能力」。
目に付随する視神経や動眼神経などの神経系、瞳孔括約筋や毛様体筋などの筋肉系、角膜や瞳孔、水晶体などの光学的役割を果たす組織などを自身の意思で操作、活性、活躍、発達させ、映る画質のグラフィックの明瞭化。投射される光の屈折率と受容率を変換、操作を行い、独自の視界を創り上げる事で目に映る範囲の“ある程度の実体の形態“を予想し、想像視することができる。
これはあくまで“明瞭化させた視野とそれから得られる情報”から過去から現在まで視てきた“視界の経験”を持って考察し、導き出された“ある程度の実体の形態”であるため、今まで見た事のない形態の物は“視界の経験”にないので予想は出来ないし、大きな壁などの無機質で無動作な実体を通して透視することは出来ない。
簡単に言えば、壮大さと実現率を極限に高めた想像の視界、ということだ。
「想像というより、妄想に近いわよね。そもそも、全然利用価値ないし、危険因子として危惧される程の代物でもないわけで」
「るっせぇな! そらテメェみたいに問答無用で砲弾化する危なっかしい能力とは違うんだよ!!」
聴き様によっては妬みに聞こえる(実際、妬み文句であるが)を三縁へ叩きつける僕。
三縁の能力は“吹き飛ばす程度の力”だ。
運動を与えたものにその運動量から数倍の超加速を付与することができる力で、例えば、先程のように僕の頭を蹴飛ばした時に生じる実際の衝撃力と運動量。これは本来ならばその場に倒れる程度のものであるが、そこに釣り合わない数倍の運動量を超加速的に付与することで僕の身体を吹き飛ばし、ファミレスの窓を突き破って見せた。
運動量が超加速的に付与するだけで、実質的に与えられた力、衝撃力が強まったわけではないため、三縁自身の攻撃事態は見た目ほど激しくない。
だが、吹き飛ばした後の衝撃は運動量とその衝突力に反映されるため、普通にメチャクチャ痛い。
「問答無用じゃないですぅ~。ちゃんと自分で対象を決定して制御してますぅ~。ついでに言うなら物体が動かなきゃ使えませんので」
「動く物なんだって吹き飛ばせんだろ? まさに人間砲弾用能力じゃないか」
「いや、対光吉用だけど?」
「人種差別反対っ!!」
「まぁ夫婦喧嘩もその辺にしとけ。じゃなきゃまた勘違いされるぞ?」
目の前に佇む校舎を眺めて、椎堂は注意を促した。そもそもお前の解釈が勘違いだけどね!? それを追及しても無駄だし、三縁も「なっ!?」と声を上げた後、俯き、沈黙したので、僕も黙ることにした。
目の前の校舎、表には“都立邦涼高等学校”と刻まれている場所に、僕達は辿り着いていた。
ここが紛れもなく僕達の通う学校という名の教育機関であり、同時に、この都市的には“研究機関”としての意味合いも併せ持つ。
先述している通り、この街は能力者を一般社会から隔離し、研究を行うために造られた都市だ。
そんな非人道的思考を持つ者達が設立した都市の中の学校に、「人間としての成長」といった道徳的な思考と配慮があるはずがない。
例えば、この手首にはめられた機械リング。
これは能力発動時に発せられる能力者特有の脳波をキャッチしてそれらを計測し、またその力が発生されたことを知らせる“障害者証明機”、略して“障害者証”と呼ばれる能力者を証明する小型観測機だ。
このキャッチされた特異な脳波パターンから、能力がどのような原理から発現されているのかを考察し、突き詰めていく一つの研究法として用いられ、またGPSとしての機能も併せ持つ。
この他にも、学校という区域内ではある程度の一般教養を与えると共に、各能力の調査として、五段階に段位分けされている。
第五階位が最も危険性のない能力保持者を指し、第一階位が最も強力で強大な能力を持つ能力保持者に分類される。
段位分けの決定については、教育機関での研究と私生活、つまり“障害者証”から得られた研究、そしてその能力の利用性と強力性を考察材料として、この都市を仕切る研究都市最高研究員実行部によって行なわれる。そうして、個々の待遇、扱い、研究内容の変更が取り決められ、実行される。ちなみに僕の“透視が出来る程度の力”は第四段位と国に認定され、三縁の“吹き飛ばす程度の力”は第二段位に認定されている。
だが、僕らが能力者であると共に「障害者」であることも忘れてはいけない。その人物によっては重度の知的障害や機能障害、はたまた人格破綻者が存在する僕らが共通した教育課程を過ごすはずがないのだ。
「静電気が生み出す不思議な現象の一つとしては、琥珀を摩った時に現れるちりを引きつける力で……」
教室内では、授業を行う担当教員の声が響いていた。
清潔感ある白の空間に覆われ、机や椅子も木造りではなく、横長の講義用机イスが用いられた教室は皆のイメージにある“高校”というよりは“大学”に近い設備仕様だ。
だが、この教室内には黒板やホワイトボードなどが取り付けられていなかった。
担当教員はその言葉にジェスチャーを交えて、説明に努めていたのだ。
なぜ、取り付けられていないのか? 答えは単純明快。取り付ける必要がないからだ。
突然だが、ここで僕の「障害」を述べておこう。
僕の「障害」、それは“ディレクシア”、俗に難読症、識字障害、読み書き障害と呼ばれる立派な知的障害だ。
表示された字を読むことになんら問題は無く、認識にも健常者と比べそう大して変わらない。
ただ、“書けない”のだ。
表示された文字を真似ようとしても、その字が反転していたり、グシャグシャに荒れ乱れた文字になったり、時には一本線でしか記せない時だってある。
自分の意思や思惑とは全く違う動きを、この手は実行するのだ。
よって、黒板などに記された文字もノートに書き写すことが出来ないため、“必要がない”のだ。
この教室に居座る者達は皆、それらに類する障害を持つ能力者だ。
なんらかの障害によって字が読めない、字が書けない、字を理解できない、字に対する様々な障害を持つ能力者を集めたクラスが僕の居座るクラスなのだ。
キーンコーンカーンコーン……っと、今日一日の授業を終えるチャイムが、校舎全体に響き、報せられた。
それと同時に、生徒達はそそくさと帰り仕度を始める。
「じゃあ、今日はここまで。今日の授業データは各々の端末に配布しておくので、しっかりダウンロードして復習しておくように。以上」
担当教員がそう言葉を残した後、手首にはめられたリングから能力発現時のキャッチとは異なる電子音が鳴る。
この“障害者証”は能力者である事を示す研究器具であると同時に、障害者にとって便利な補助装置としての役割も担い、端末としての機能も持つ。
今回のこの配布された授業データには、その日行われ、進められた授業の概要とまとめ、そして音声データが組み込まれていた。
字が読めない、書けないなどと言った症状を持つ僕達は、こうして授業の内容を復習する他ないのだ。
「オーイ、み、つ、よ、し~!」
ひょっこりと廊下から顔だけを覗かせる三縁と椎堂に「いま行く!」と返事を返して手提げバッグを担ぎ、彼女らの元へ向かう。
こうして、僕の生活という名の毎日は費やされ、日々移り変わっていく。
障害者であり、能力者。そんな異端な人間も、普通の人間となんら変わらない普通の生活を過ごし、普通の人生を進む。
ヒーローやら、悪の王やら、平凡を望むやら、そんなお堅い願望を持たずとも、ただただ毎日をなんでもなく過ごせば、世界は自然と平凡を築くものなのだと、僕は信じていたし、それ以上を“願ってはいけない”と弁えていた。
そう――願いを持たずして生きる事など、覚悟を持たずに生きるなど、不可能なのに――。