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聖ケモナー説

作者: 真坂野まさか

 夏。

 太陽はこれでもかという程地上を照りつけていて、大気はあまりの暑さで少し歪んでいる。空を見上げれば青と白のコントラストが視界いっぱいに広がる。セミの鳴き声は聞く者の脳内を侵食していき、頭蓋骨の中にもセミがいるのではないかと疑うほどだ。

 誰も彼もが暑さに苦しむ季節。

 それは妖怪寺である命連寺とて例外ではない。


「あ゛ー」


 畳の上でセーラー服の少女が死んでいた。その姿は灼熱のコンクリートの上に放置された魚のようだ。

 彼女の名は水蜜ムラサ。聖蓮船のキャプテンである。


「しかし今日は本当に暑いですねぇ」


 縁側に腰掛けた射命丸文が麦茶を飲みながら答える。鞄の中に新聞が溢れているところを見ると、どうやら配達途中らしい。命連寺は文々。新聞を取っていないので、麦茶を補給しに来たというところだろう。


「アンタもこんな暑い中、しょーもない新聞配るなんてご苦労なことね」


 台所の方から皮肉が飛んでくる。命連寺の古株、雲居一輪の声である。今日の食事当番は彼女のようだ。


「しょーもなくないです。これでも知的な層には人気があるんですよ。どうです、うちの新聞取ってみませんか?」


「知的な層って香霖堂とか仕事のない暇人のことでしょ? いらないわよ。新聞紙ならいるけど」


「今ならおまけでチルノさんをつけますよ」


「い、一輪っ」


 急にムラサは起き上がり、期待に満ち溢れた声で名を呼ぶ。呼ばれた方はため息混じりにあしらった。


「適当言ってるに決まってるでしょ。流しなさいよ」


 もっとも文がその気になれば雑作なくチルノを誘拐できるだろう。しかしわざわざ文に頼らずとも一輪やムラサだってその位はできる。

 そうしないのは幻想郷で恐れられる赤巫女の逆鱗に触れてしまうからだ。チルノは大体博麗神社に監禁されている、夏限定で。


「はぁ……」


 またムラサは畳の上に倒れ伏した。その様子を見て文は苦笑した。


「それじゃそろそろ私は行きますね。麦茶ありがとうございました」


「はいはい」


 彼女はいつの間にか空になった湯呑を縁側に置くと、鞄からヤツデの葉のうちわを取り出した。


「それでは失敬」

 

 縁側から少し離れてうちわを振るうと、彼女を中心に風が巻き起こった。風は彼女を包み、辺りに拡散したと思ったら新聞記者はいつの間にか消えていた。

 後には大きめのちゃぶ台の横で倒れているセーラー服の少女と料理中の尼さんが残った。セミの鳴き声だけが聞こえる。

 しばらくすると、ムラサがうめき声をあげた。


「あ゛ー」


「この程度の暑さでへこたれるなんて情けないわねぇ」


 割烹着姿の一輪はそう言ってため息をついた。

 蝉の鳴き声に交じって、一定のリズムできゅうりをきざむ音が聞こえる。


「一輪のそばには扇風機がいるじゃないの……」


 ぐでん、とムラサは倒れて大の字であおむけになる。露わになった額から汗の雫がのぞく。

 随分とぐったりしていて、放っておいたらそのまま溶けて畳に染み込んでいきそうだ。


『私を扇風機扱いするな』


 妙にエコーのかかったような声がする。一輪の相棒こと雲入道の雲山である。

 包丁を扱う一輪の横から、彼はムラサに呆れたような視線を送っていた。


『お前とて妖怪の端くれなのだから、暑さを凌ぐ術などいくらでもあろう。というか昼食の手伝い位せんのか』


「花札で私にボロ負けしたそいつがいけないのよ」


 雲山の横で露骨に下打ちする音が聞こえる。尼さんは「次の食当はアンタなんだからね……」と随分悔しそうな様子だ。


「あ゛ー」


 一応雲入道のアドバイスを船幽霊は実践することにしたようだ。

 どこからともなく現れた杓子が庭先に水を撒く。空中をひとりでに飛ぶその姿はちょっとしたポルターガイストだ。水の方は鬼のひょうたんや藤原秀郷の米俵、はたまた南総里見八犬伝の村雨と同じように勝手に湧き出ているようだ。

 打ち水が終わると杓子はドロンと消える。


「ふむ」


 一輪は包丁に引っ付いたきゅうりをヒョイパクすると満足げに頷いた。恐らく心の中で三丁目の熊吉さんに感謝していることだろう。

 

 そんなとき、虚空を見つめていたムラサがぽつりと呟いた。








「聖ってさ、ケモナーなのかな」







――――――――包丁が一輪の手から滑り落ち、彼女の足へと吸い込まれるようにして落下していった。

















けもなー【ケモナー】


ケモノと称される獣のキャラクタ、または獣的要素を含むキャラクタを好む変態紳士な方々の敬称。

多くの場合は性的な嗜好のことを指す。

人間にネコ耳がついただけのキャラクタを愛する人もいれば、完全にリアルな獣を愛する人もいる。

ケモノといった場合、その中間を示していることが多い。


例「ポケモンヲタクが全員ケモナーだと思うなよ」

 

















 一輪の足までわずか数センチのところで包丁は静止している。

 ぎりぎりのところで雲山が掴んで止めたのだ。彼が一瞬でも遅れようものなら、彼女の足に包丁が深々と突き刺さっていたことだろう。


「あぶっ……危な……危なかったぁぁぁあああ……」


 彼女はそのまま床へとへたり込んだ。空気が横隔膜によって肺から押し出され、一筋の汗が首を流れた。

 涙を湛えた瞳が鋭くムラサへと向けられる。


「いきなり何とんでもないこと言うのよ!」 


「包丁くらいでわーきゃー騒がしい……」


 実際問題、妖怪の足に包丁を突き刺したくらいでは命に別状はないだろう。だが痛いものは痛いのである。

 相変わらずムラサは大の字で寝っころがったまま、だるそうにしていた。そこから九十度ほど転がり、台所の方に顔を向ける。


「でもさ、ちょっとウチの寺の面子を考えてよ。虎、ネズミ、狸は言うまでもなく獣だし、響子ちゃんもほとんど犬みたいなもんじゃない。ぬえも合成獣と考えればまあ獣だし」


『しかし獣耳と尻尾がついている程度ではケモノとは呼べないのではなかろうか。やはりケモノと定義付けるには全身が体毛に覆われている位は最低条件だろう。かといって現実の動物と全く同じではどちらかと言えば獣姦に近くなってしまう。それはケモノではなく獣だと私は考える。よって私は人とも獣とも定めがたい仮想的な……』


「なんでアンタ妙に詳しいのよ」


 一輪が包丁を横に薙いでつっこむ。もちろん雲なので痛くもかゆくもないのだが。

 そんな下らないことを話している間に料理が出来上がったらしく、二人の手によってムラサのいる部屋へと運ばれていく。雲山はやろうと思えば何本も手を生やすことくらい訳ないので、運搬は非常に簡単である。

 ごはんの匂いにつられたのかムラサも体を起こして大きめのちゃぶ台に向かって胡坐をかく。その反対側に一輪は正座で座る。あとは他の皆が来るのを待つのみである。


「でもあんたの言うとおり姐さんが本当にケモナーだったら非ケモノの私たち立場が無いじゃない」


「はっ、私たちは聖ランドの邪魔者なのか……っ」


 ムラサが芝居がかった態度で言う。それに一輪がにやりと口角を釣り上げて答える。腹の黒そうな悪女の顔だ。


「私たち? 勘違いしないでよ。この頭巾の下にはケモノ耳が備わっているのよ」


「な、なんだってー!」


「嘘だけど」


「だろうね」


 茶番を繰り広げた後、どちらかが「不毛だ……」とつぶやく。

 暑さに我慢できなくなったのか一輪は割烹着を脱ぎ捨てて、頭巾をとってポニーテールを露わにする。


「でも雲山は一応ケモノ耳はえてるわよ、ほら」


 隣の雲山を指さすと、彼は自分の頭の上にケモノ耳をこしらえて見せた。不定形の体を持つ彼ならではの技である。


「誰が得するのよ……おっさんのケモノ耳とか……」


 ムラサが辟易した顔で言う。ケモナー界ではおっさんの需要はなくもないのだが、残念ながら彼女はノーマルな趣味しかないようだ。 


『そうか……』


「残念そうにしないでよ、何か怖いから」


 主人にドン引きされる従者の図である。もっとも幻想郷においてはそう珍しい絵面ではないのだが。  

「ともかく。うちの姐さんがケモナーなわけがないわよ」


「でもさ、最近仲の良い聖徳太子さんもケモノ耳だよ」


「……あれはケモノ耳なのか」


 一輪もあの耳に触ったことはあったが、質感は確実に髪だった。とはいえ彼女が話しているとき、喜怒哀楽に応じてあの耳が動いていたような気もする。

 誰もあの耳が何なのか確たる答えを持っていない。そのため、幻想郷七不思議の一つに数えられるほどである。ちなみに他の七不思議は河城にとりの鍵は何の鍵なのか、などだ。


「ちょくちょく交流のある地霊殿とか、まんまケモノの巣窟じゃない」


「まーあそこは普通に動物園だもんね……というか姐さんはケモナーじゃなくて動物好きなだけじゃないの? 第一私と姐さんの付き合いがどれだけ長いと思ってるのよ。流石に気付くわ」


「わかんないよー。あの緑の方の巫女に影響されたとか」


「まあ……それはありえなくもない話だけど」


 東風谷早苗の変態っぷりはあまり接点のない彼女たちに知れ渡るほどである。彼女のせいで多数の里の婦女子たちが腐女子に変えられてしまったという。またリョナ、触手プレイ、モンスター娘、ふたなりなども彼女が外の世界から持ち込んだ文化である。

 里では彼女が風祝であることは知らないが、変態ジャンルの教祖としては知っている人も多い。

 八雲紫もこの件については非常に憂いており、「ある意味での幻想郷のパワーバランスが乱れた」という趣旨の発言を残している。とんだ風祝である。


「でも何でそんな姐さんをケモナーにしたがるのよ」


 一輪がジト目でにらむと、ムラサは気まずそうに懐からあるものを取り出した。その頬はほんのりと赤く、彼女はためらいながらそれを見せた。


「こないだ聖の部屋を掃除してたらさ……こんなものが見つかったのよ」


 それは薄い本(十八禁同人誌)だった。しかし一目見ればその三十ページにも満たないないその本に、抑えきれぬほどの卑しい欲望が籠められていることは一目瞭然である。

 表紙にはピンク色の触手にチョメチョメされている、猫系の少年が描かれていた。少年の目からは光が失われていて、顔はとろけきっている。

 都合上あまり詳しく描写することはできないが、いわゆるケモショタ凌辱本というやつである。

 

「……ッ!…………ッ!!?」


 顔を真っ赤にした一輪が薄い本を指さし声にならない悲鳴を上げている。


「中、見てみる?」


 敬虔な尼は恐るべき速度で首を横に振った。後日、雲山は『人間の頭部があれほどスピーディに振れるのを初めて見た』と語っている。

 しばらく経つと彼女も落ち着いたのか、顔から大分赤みがひいていた。


「なるほどね……これを見てそう思ったわけね」


「流石に私も何の根拠もなしに聖ケモナー説を持ち出したりしないよ」


 動揺が収まったらしく、二人とも長い溜息をつく。とはいえ首筋には暑さからくるものとはまた違う汗が流れていた。


「罪深いわね……まったく」


 一輪はこくりと頷いてムラサに同意を示した後、表紙のある一点に目を留めた。どうやら何かを見つけたらしい。


「ん? ちょっと表紙のところ見せて」


 この後和気藹々とした食卓が繰り広げられるはずのちゃぶ台の上に、決して日常に介入してはいけない淫乱な書物が置かれる。

 表紙にはこう書かれていた。

 書いた人・オールドメイジ小五ロリ、と。


「…………」


「…………」


「……一輪、これってさ」


「何でもう少しわかりにくいペンネームを使おうと思わなかったのかしら……」


「罪深いわね……」


 言うまでもなく地霊殿の主、古明地さとりによって書かれたものであった。世界は、幻想郷は狭い。

 そのことを念頭に置くと、表紙の少年は火焔猫燐の男体化に見えなくもない。


「で、やっぱりこれは聖のものなのかな……」


 げっそりした顔でムラサが問う。一輪は俯いて少し悩んだ後、ためらいながら口を開いた。


「そう……なのかもしれない」


 その言葉にムラサの表情に影が指す。自分の信じた聖女がド変態だったとは思いたくないのだ。自分の母親が美青年フィギュアをぺろぺろしていたのを目撃してしまったようなものだ。

 しかし一輪は顔を上げて真っ直ぐに彼女を見据えた。 


「でもさ、ムラサ。考えてみてよ」


「な、何をさ」


 急に真剣な表情になった一輪をみて、ムラサの方も居住まいを正す。なにを言い出すのか、という緊張で手のひらがじっとりと汗でにじむ。蝉の声はどこか遠い世界から聞こえてくるようだ。


「これが姐さんのものだったとして、どうかしたって言うの?」


 ムラサは少し目を見開いて、千数百年来の友人の顔を見た。その顔には迷いやためらいといったものが感じられない。それは親もまた一人の人間であることを受け止め、大人へと近づいた子供の顔だ。


「それは……」


「答えはどうもしない、よ」


 長年聖に仕えてきた尼僧は曇り一つない目でムラサを見つめた。ムラサは耐え切れずに視線を足元へ外す。


「でも……私は聖こそが聖人であると何百年も信じてきたのに……」


「ムラサッ!」


 彼女の体がビクリと硬直する。一輪の目は決して怒気を含んでいない。あくまでそれは子を叱る親のものだった。


「勝手に理想を押し付けて、勝手に裏切られたと思い込むのは卑怯よ。本当に聖が好きなら、その程度受け止めなくちゃいけないわ」


 尼僧は自分の胸に手を当て、話を続ける。 


「たとえケモナーだったとしても私たちの姐さんを思う気持ちに何の変わりもないわ。姐さんがいかなる変態性癖でも構わない。何があっても私は聖白蓮という僧侶に一生ついていくわ……!」


「一輪……!」


 ムラサが歓喜とも感動ともつかぬ声をあげる。その様子をみて一輪は満足げに頷いた。

 二人は今までよりも深い聖への愛と、絆を手に入れたのだ。

 

 一方、雲山はケモショタ同人誌を食い入るように眺めていた。


「それじゃ私、そろそろ時間だしみんなを呼んでくるから」


 一輪が立ち上がると、ムラサがそれを制した。


「いやいや。食当やってもらったし私が行ってくるよ」


「そう……じゃあよろしく」


 船長は小走りで他の仲間たちの元へ向かった。一輪は立ったままそれを見送り、ムラサの姿が見えなくなると――――









「あぶっ……危な……危なかったぁぁぁあああ……」








――――そのまま床にへたれこんだ。


「本当、雲山がやたらケモナーについて語ったときは流石にバレるかと思ったわよ」


『だからといって包丁でつっこまなくても……にしてもお前も大した役者だな』


 雲山がからかうようにして笑う。

 聖ケモナー説など的外れもいいところだ。真のケモナーはこの二人である。

 周りには一輪が雲山を退治して仲間になったなどと吹聴しているが、その実ケモナー談義で盛り上がって意気投合してからタッグを組んだというしょーもない話が実情である。


「姐さんに隠し通せていることがムラサに隠せないわけがないじゃない。にしても同人誌を自分の部屋じゃなくてあえて姐さんの部屋に隠したのは正解だったみたいね」


 そう言って彼女は額の冷や汗を袖でぬぐう。

 露見すれば破門レベルのとんでもない策士である。彼女は決して表立って動かないが、ナンバー2の地位を使って好き勝手していた女なのだ。

 

 そもそも星を毘沙門天代理に推したのも彼女であるし、援軍を呼ぼうとしていたぬえにそれとなく佐渡の狸のことを示唆したのも彼女である。ついでに響子を入信させたのも彼女の働きによるところが多い。

 真面目キャラのようで、その実自分のケモノ帝国を着々と築きあげていたのだ。 


「しかし同人誌はもう同じ場所には隠せないわね。私が隠しているところをムラサに見つかった時の被害は洒落にならないわ」


『それは地霊殿の主の下で保管してもらえばよかろう。まあ彼女もこちら側だったとは驚いたが』


 だが本人たちも必死である。仲間を今までずっと視姦してきたことがバレたらただでは済まない。楽園の維持は容易ではないのである。


「いっそムラサをこちら側に引き込むのもありかもね」


『なるほど……さすれば今回の一件もプラスの材料として働くかもしれんな。一輪、お主も悪よのう』


「いやいや、雲山殿ほどではござらぬ」


『くくくくく』


「ふふふふふ」


 小さな笑い声が段々大きくなっていく。汗だくな二人の変態の高笑いが食卓に響いている。

 今日も幻想郷は平和だった。











 

「へぇ……これは中々おもしろい記事が書けそうですね……」


 今までずっと天井裏に潜伏していた某新聞記者が呟く。

 この後、彼女が発行した新聞によって命連寺が荒れに荒れるのだが――――それはまた別のお話。

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