☆第七話 タコづくし
蛸が凧を揚げている…と云えば、これだけでもう、読者の方々は笑って戴けると思う。更に僕は、その蛸の横で上空に高く揚がった凧を見ているという寸法だ。勿論、蛸と云やあ、某メーカーの洗剤Xで磨いた光沢を放つ、じいちゃんの禿頭である。ここ数年…とは云っても、飽く迄もこれは僕の知る限りにおいてであり、本当は僕が生まれる遥か以前から揚げられていたようだ。
さてその凧は師走も半ばとなると、じいちゃんの竹取りから始まり、ひご作り、紙貼りを経て、今日のような試し揚げとなる。そして、これが成功裏に終われば、絵の具により色彩が施され、晴れの正月を迎えて揚げられるのだ。これも、僕の家では冬の風物詩の一つになっていて、僕は大いに楽しみにしているのである。
「まあ、少し違うが、これでよかろう…」
何が少し違うのか迄は僕にも分らないが、兎も角、今年の凧は、じいちゃんに及第点を貰えたようだった。凧が蛸に…と思えば笑えるから、ここは我慢して続けたい。
正月が明けた。
「おめでとうございます」
と、父さんが云う。
「いや、おめでとう…」「おめでとうございます」「おめでとうございま~す」
と、じいちゃん、母さんが続く。そして僕も小さな声で続く。
何がおめでたいのか? と最近迄は思っていた僕だったが、唱歌♪一月一日♪の歌詞中の、♪…終~わりなき世のぉ目出たさをぉ~♪を聞いて、漸くその意味を解したところだった。その挨拶を家内で交わし、晴れてお節と雑煮になる。僕の家の雑煮は関東風のお吸いもの仕立てだ。僕は雑煮の後、好物の酢醤油蛸を軽く一膳の御飯で食べるのが至福の極みなのである。僕は酢醤油蛸も含めて、これを、━ 正月の三ダコ ━ と呼んで崇めている。勿論、残りの二ダコとは、じいちゃんの蛸頭と空に揚げる凧であることは云う迄もない。
「父さん、今年はいつ揚げるんです?」
父さんが雑煮を食べながら云った。じいちゃんはそれに、「フガフガ…」と直ぐ返した。口の動かし方からして、恐らくは、『風のある日だ!』と、云ったように僕には思えた。事実、元旦は終日、風が無く、凧にお呼びは掛からなかった。姥芸者さんのようなものであろうか(失礼! 子供の僕が語るような内容ではないが…)。部屋の片隅でその凧は寂しそうにしていた。まあ、酢蛸は僕に食べられて満足だったろう。それと、じいちゃんの蛸頭だが、これは相変わらずの照かりで、衰える気配は毛頭ない(禿頭だけに)、と云っておこう。凧も数日中には揚がるだろう。三者三様に、年の始まりをタコづくしで寿いでいる。
第七話 完