☆特別編(1の2) 禍福は糾(あざな)える縄
年が暮れようとしている。除夜の鐘が静寂を破ってグォ~~ンと撞かれる。
人間が持つ百八つの煩悩とは、いったい何なのか…小難しいことは僕には分からないが、それでも煩悩を抱く人間感情を洗い清める鐘の音だとは理解できる。ただし、明日以降に頂戴できるであろうお年玉の総額を頭の中で勘定している僕などには、遠い悟りの世界のように思えてならないのだが…。
さて、そんな馬鹿な話をしている内に、テレビが映しだす年越しの実況中継も終りが近づいている。僕の家では毎年、慣例となっているのだが、このTV中継を見ながら年越し蕎麦を食べる風景が今年も繰り広げられている。
「今年の蕎麦は、なんかグルメだな…」
と、父さんがテレビ画面を見ながら蕎麦を啜り、そう云った。すると母さんが、
「そんな訳でもないんだけど…。料理番組の受け売りよ。どう? 美味しい?」
と、恰もテニスのリターン・エースのような剛速球を打ち返した。父さんは、「ん? ああ…。まあな」と答えざるを得なかった。
「お義父さまは、どうです?」と、母さんの矛先が、今度は、じいちゃんに向けられた。
「こりゃ、知らない味だ…。なかなか美味いですよ、未知子さん」
「そうですか…」
母さんは、ニコリと笑って謙遜したのだが、どことなく、したり顔のようでもあった。後日、聞いたのだが、なんでも葱と鶏肉を胡麻油で軽くサッと炒めるのがポイントだそうで、そこへ市販の麺つゆを濃いめに入れ、砂糖で少し甘味のある出汁に纏めるのが、いいらしい。僕も確かに美味しいと思ったし、例年だと幾らか残る蕎麦が全く無くなり、母さんの残った蕎麦を啜る姿が見られなかったことを思えば、今年の蕎麦が我が家で好評を博したことは語る迄もないだろう。
年越し蕎麦を食べ、二、三十分、四人で語らった後、僕達はそれぞれ別行動をとった。僕は、いったん眠りについて、来たるべきお年玉作戦への英気を養い、母さんは後片付けで雑用を熟し、父さんは食卓に残ってテレビを見続けた。じいちゃんだけは離れに戻ったから、行動の詳細については、よく分からない。
凧揚げ、独楽回し、羽根つき、カルタ取りなどを楽しむといった世相ではなくなったけれど、それでも、お年玉を戴けるという慣習は現代も残っているから、僕達にとっては誠に有り難い。
翌朝、雑煮と、お節料理で華々しく我が家の食卓は彩られたのだが、じいちゃんは入れ歯が餅の咀嚼で不調となり、ご機嫌斜めだった。僕にこそ当たらないものの、その余波は父さんに及び、「元日ですから…」と、母さんが仲裁する一幕もあったりして、波乱の展開で一年が始まったのだが、生憎、正月ということもあり、歯医者は休業中であったから、じいちゃんは仕方なく、不調の入れ歯を口から外し、フガフガモグモグと、やっていた。だから、いつもの精悍さは、どこか影を潜めているように、僕には思えた。人間の老い…という哀愁が、どことなく漂い、少し子供の僕を切なくさせた。剣道の猛者は、すでにそこには存在せず、どこにも居そうな孤独な老人が一人、椅子に座っている…即ち、一介の人間へと回帰しているのである。元旦に…何という陰気…と、僕の気持は沈みがちだった。
悪いことがあれば、いいこともあるものだ。二日目、三日目と過ぎると、お年玉のトータル額は昨年の倍増という営業実績を示すに至り、僕としてはラッキーな結果となった。加えて、叔母さん(父さんの妹)が帰ってきたこともあり、同伴で帰った従兄弟と楽しく遊べる時間も出来たりして、今年の冬休みは例年より好調に推移していくように思われた。
ところが、である。叔母や従兄弟が一泊して慌しく帰った後、また悪いことが派生しようとしていた。じいちゃんが入れ歯の不具合によりテンションが低いのに加えて、今度は父さんが流行りのインフルエンザでダウンしたのである。幸い、休日診療所なるものがあって事無きを得たのだが、ふたたび散々な、お正月へと逆戻りしてしまった。
こうしたこともあり、今年の冬休みは結局、ローテンションで終わるのか…と、僕が諦念した矢先である。一通の手紙が賀状に混ざり配達された。母さんが封を切ると、そこにはナント! じいちゃんが応募しておいたクイズが当選し、五泊六日の海外旅行に二名様を…という豪華な通知のパンフレットが同封されていた。母さんが驚いたことは云うまでもないが、じいちゃんに至っては、充分に話せない口で、フガフガと何やら語りながら喜色満面であった。父さんも、風邪でベッドに横たわりながらも、その報に接すると、俄かに元気を取り戻したようであった。
家族全員が、ひと通り喜び終えると、次にまた、ひとつの問題が生じた。二名…、さて、誰が行くんだ? ということである。僕は学校があるから無理だとしても、父さんとじいちゃん、父さんと母さんの二通りが考えられる。まさか、じいちゃんと母さんはないだろうから、この二通りと考えたのだが、正月も五日目に入ると、食卓は何故か無言に終始するようになっていた。このままでは拙い…と、僕は一計を案じることにした。まず、じいちゃんの部屋へと行き、それとなく、
「父さんと母さん、旅行したことって余りないし…。じいちゃん、どう思う?」
と、搦め手から僕は迫った。
「フガ? フガフガ…。フガガ、フガフガフガ(ん?そうだな…。わしは、どうでもいい)」
じいちゃんは外国語を流暢に語るように云った。次に僕は、じいちゃんの意向を、父さんと母さんに伝える努力をした。その努力の結果は、すぐに現れた。冬休みも残り僅かになった頃、僕の家の食事風景は、ふたたび活況を呈しだしたのである。じいちゃんだけは相変わらずフガフガと幾分かテンションが低いけれど、それでも、入れ歯を歯医者へ持って行った結果、すぐ修理できるそうで、以前よりは明朗さを取り戻しつつあった。
こうして、今年の僕の冬休みは終わろうとしている。よく考えれば、“禍福は糾える縄のごとし”…で終始した冬休みであった。まあ、“終り良ければ、全て良し”とも云うから、某メーカー・洗剤Xの予想以上の効果、父さんと母さんが海外旅行できるようになったという素晴らしい結果などを踏まえて、良し!! として、筆を擱くことにしたい。




