☆第二話 氷結
冬の風物詩といえぱ、僕達の田舎では軒から垂れ下がる氷柱だ。キンコンカン! と、叩いて遊んだり、叩き折ってキャンデーよろしく齧ったりする楽しみがある。だが、これで遊ぶ場合は、突き刺して大怪我に至る危険も大いにあるから、悪ふざけは厳禁だ。
今朝もじいちゃんと半慣習的な寒稽古を済ませた後、身体を拭いていると、垂れ下った氷柱が、ふと僕の眼に止まった。じいちゃんも気づいたようで、軒をじっと眺めている。
「昨日の晩は冷えたからなあ…」
じいちゃんは夜冷えが厳しかったことを強調する。水が凍って氷柱になる訳だが、屋根の雪解け水で氷柱が出来るという自然の壮大さには、唯々、脱帽するのみである。勿論、某メーカーのツヤ出しZで磨いたように光り輝くじいちゃんの頭は、その比ではないのだが。
さて、科学を紐解けば、水は流れ動くが氷は動かない。恰も時間が閉ざされたかのようである。
「一昨年の正月は入れ歯で難儀したから、今のうちに歯医者で調整しておくか…」
「じいちゃん、それがいいよ」
じいちゃんが早くも正月の食い気に想いを馳せている。これも、よ~く考えれば、過去の失敗が氷結した記憶として残っているのである。ならば、映画やVTRなどはどうだ? と、僕は考えた。過去の作品でも、今、観ようとすれば観れるではないか。が、その疑問もすぐに判明した。要は、動いていても、その時空は限りがあるのだ。一定の時間という氷結した時空でのみ動き得るのである。ひょっとすると、僕はアインシュタインを超越するのか(と思うのは大間違いで、実のところ、そんな偉大な訳がないのだ)。それでも、担任の丘本先生も認める学才があることは紛れもない事実である。ただ、天才には及ばないようだ。
「今朝は危なかったよ。うっかりして、道で滑るとこだった…」
夕方、帰宅した父さんが、背広を脱いで母さんに渡しながら、そう云った。
「そう…、注意してね。冬は凍るから…」
母さんは云うほどは心配していないように僕には思えた。そこへ、じいちゃんが現れた。
「お前の滑り癖は小さい頃から治らん。大学も三浪だったしなあ…」
父さんは聞こえていない素振りをして押し黙り、じいちゃんを無視した。こりゃ、まずいな…と、僕は思ったが、案に相違して、じいちゃんは追撃を敢行せず、光る頭に手をやると、撫でながら消えた。母さんがいて、ばつが悪かった、ということもある。通りすがりに僕の前で、ふと見上げたのは、じいちゃんが大事にしている額縁である。その額縁には、『極上老麺』と書かれ、氷結していつも僕達家族を見下ろしているのだ。何故、額装せねばならない程の重要物なのかは、今もって僕には分からない。これは、アインシュタインでも分からない謎だと思う。
第二話 完