2話 母親
「ええ。いるわよ?」
俺が赤ん坊がいるかと尋ねれば、ノエルはあっけらかんとした様子で答えた。もしかしたら何かわけがあって話せないのではと悩んだ俺が馬鹿みたいじゃないか。
「何でもっと早く言わないんだ」
「えっ、聞かれなかったし。変な八つ当たり止めてくれない?」
いやいや、何で俺が責められるわけ?
普通報告義務とか、色々あるんじゃないか?一応俺団長だし。それに知っていれば、もう少し仕事を楽にしてやれた。
「団長はね、自分を全ての団員のパパだと思っているから、何でも聞きたがるのよ。一座って家族みたいなもんだからね」
「ふーん。家族かぁ。じゃあ、風香は私のお母さん?」
「あのね、ここは嘘でもお姉さんって言いなさいよ」
「だって、団長がパパなんでしょう?ママが居ないとおかしいじゃない?」
ノエルは家族設定が結構気に入ったようだ。先ほどのぶーたれた表情から一変して、にこにこと機嫌良くごっこ遊びを始める。
「何で私が、この熊の嫁なのよ。これじゃあ、美女と野獣じゃない」
「本当にな。俺では釣り合わない……痛っ!何でそこで叩くんだ」
「鈍い熊さんだからよ」
意味が分からない。
風香はたまに俺の事をサンドバックか何かと間違えているのではないだろうか。
「不躾だが、父親はどうしたんだ?」
「んー?青の大地のどこかで生きてるんじゃないかな?」
「かなって、お前……」
「だって知らないし。向こうも、赤ちゃんの事は知らないわよ。とりあえず、ハーフエルフだったから、オクトは絶対美人間違いなしだわ」
ねーっと言ってノエルはお腹を摩った。
相手に子供が居る事を知らせないって、一体どういう状態だったんだ?しかもハーフエルフって、結構レアな連中じゃないか。
「って、待て。ハーフエルフ?」
「うん。そうよ。青髪、青目。顔は私に負けないぐらい、凄い綺麗だったのよ。まあ顔がアレなぶん、性格が残念だったけど……」
「そうじゃなくて、ならお腹の子供は――」
ある言葉を言えなくて、俺は口ごもった。ノエルは精霊と獣人のハーフ。そして父がその種族とは全く関係のない種族という事は……。
「ええ、混ぜモノよ」
ノエルはいたって普通に答えた。
その顔は恐怖も何もない。まるで名前を尋ねられて答えるかのように、何を当たり前の事をと言った顔をしている。
もしかしたらノエルは箱入り娘だったから、多種族の血が入り混じった混ぜモノが、どういう存在か知らないのだろうか。
そう思ったが、すぐに俺はそれをうち消した。黄色の大地では混ぜモノを誰もが忌み嫌っている。それは100年ほど前に王都を一夜にして燃やしつくした存在だから。当時の生き残りは、まだごろごろいる。それをノエルが知らないはずがない。
「だから、オクトはここで産みたいの。その為に、わざわざ私を殺してきたんだし」
「えっ?殺してきたってどういう事?」
そういえば、入団した時もそんな様な事を言っていた。すでに自分は死んだ存在だと。
「混ぜモノの子供がいるって知られたら、幽閉されちゃうから、バレる前に、光稟……えと、私の侍女に手伝ってもらって逃げてきたの。でもただ逃げるだけじゃ、追いかけられるから死んだような演出してきたよ」
「演出って、誰か身代わりを置いてきたの?」
「まさか。私の変わりなんて、誰にも務まらないわ。精霊はね、死ぬ時は世界に溶けてしまうから、何も残さないの。たから私もそれっぽく演出して、逃げ出したのよ。ね、すごいでしょう?はっ?!もしかしたら、私女優の才能があるのかな?」
どんな演技だったのかは知らないが、本当にこれであの国はノエルの事を手放したのだろうか。たしか最近の新聞には、聖女が病気で倒れたという見出しがついていた。突然死んだでは、色々問題があるからかもしれないが……。しばらくは黄色の大地で仕事はできなさそうだ。
国を変えても、何処から情報が漏れるとも限らない。
「はいはい。才能はあると思うわ。才能はね。それで、どうしてウチの一座に来たの?赤ちゃんいるなら、もっと安定した所の方がいいと思わなかったの?例えば、精霊族に助けを求めるとか」
それもそうだ。
俺とノエルの面識はほとんどないと言ってもいい。たまたま公演した先の姫様だっただけで、本来なら、雲の上のヒトだ。
「私はね、オクトには自由でいてもらいたいの。国にも神様にも何にも縛られずに、オクトとして生きてくれたらいいなって思ってる。もちろん混ぜモノだからすでに制限がいっぱいなんだけど。でも旅芸人なら、どの国にも所属しないでいられるからいいなって思ったの。これにここなら住む場所にも苦労しないしね」
「ちょっと待て。何で無事に産まれる前提で話しているんだ。混ぜモノだぞ?死ぬ気か?」
俺はふわふわっとしたノエルの考えをあえて否定した。混ぜモノの子供なら最悪の事態だって考えられるのだ。むしろ可能性としては高いはず。自由でいられる前に、死んでしまったら意味がない。
「ちょっと、産まれる前から死ぬって、オクトの胎教に悪いから止めてよね。それとも、胎教を知らないとでもいうの?!だったら出直してきなさい!」
タイキョウ……そんなの、子供を産んだこともない俺に分かるはずがない。そもそも、死ぬとか殺したとか、ノエルだって言っていたじゃないか。
俺は助けを求める為、風香を見た。風香だって、ノエルが言っている事の危うさを分かっているはず。
「そっか。その子の名前はオクトって言うのね」
「うん。私の双子の妹が昔の月の名前だから、この子も同じく、昔の月の名前から貰ったの。妹と同じ、神様が集まる月の名前よ」
「風香」
「何?団長は、オクトを殺せとでも言うの?」
責めるような目で見られて俺はたじろぐ。殺せとは言っていないが……同じ事かもしれない。
「しかしだな。混ぜモノの子供は上手く産まれない事が多いし、産まれてもすぐ死んでしまうと――」
「死なないわよ」
「俺が言いたいのが願望じゃなくてだな」
「オクトは死なないわ」
ノエルはまっすぐ俺を見て言った。そこには不安も何もない。
俺はその目を見て、負けを悟った。ここでとやかく言っても、ノエルはオクトを産むのだろう。だとしたら、俺はその後を考えるべきだ。
拾ってしまった限り、最後まで面倒を見るしかない。
「……とりあえず、いつ頃産まれるんだ。その時は、どこかの町に居た方がいいだろ。それとも何か?精霊は自分一人で産めるのか?」
「う、産めないわよ。そもそも、精霊族は普通子どもなんて産まないし。……オクトはたぶん秋頃産まれるわ」
「秋って、また大雑把だな」
「仕方ないでしょう?混ぜモノはお腹の中でも成長の仕方が色々なんだもの。普通と同じとは限らないし」
だとしたら、夏の終わりから何処か町での公演を行おう。
村を渡り歩いてもいいが、場所によっては混ぜモノの知識がなさ過ぎて迫害を受ける可能性もあるので、町しか無理だろう。しばらく滞在して稼げそうな場所はあっただろうか。
仕方がない。俺は後で地図とにらめっこをするかと諦めた。
◆◇◆◇◆◇
ノエルと出会ってから、季節は春から夏へと代わり、いつしか徐々に涼しくなってきた。
最初はまったく目立たなかったお腹だが、今では風船でも入れたたかの用に膨らんだ。全体に肉がつくわけでなく、腹だけがでた姿は不思議なものである。あの中に子供が居ると思うと、もっと奇妙な気分になった。
「いい加減、落ち着きなさいよ。そのでかい図体でウロウロされたら、邪魔なんだけど」
「しかしだな……」
「貴方がうろついた所で、ノエルのお産に何か影響があるわけでもないのよ」
今日はとうとうノエルに陣痛がやってきたのだ。
急に痛がり出したノエルにおろおろとするのは男ばかりで、女性の団員達は、ノエルをベッドへ運んだり、産婆を呼んだりとてきぱき動いた。
でもあの痛がり方は尋常じゃないんだぞ。パニックになったって仕方がない……と言いたかったが、風香が怖いので黙っておく。女って凄いな。
「陣痛の間隔が狭くなってきたみたいだから、もうすぐだとは思うけれどね。後はノエルが頑張るしかないわ」
「それは分かってるんだが……」
でもじっとしていられない。
すると風香はあきれたようにため息をついた。
「本当に、どうしようもない熊さんね。もうすぐ孫が生まれるんだからしっかりしなくちゃ駄目じゃない」
「あのなぁ。言っておくが、俺はノエルより年下だからな」
いつまでその設定引きずっているんだ。おかげで最近、団員まで「お父さん」と呼ぶじゃないか。まだ結婚もしていないというのに、何故兄を通り越して父なのか。
「そんなの知っているわよ。あえて言うなら、雰囲気かしら。お父さん、枯れているから」
……枯れるとか言うな。確かに浮いた話一つないけれど。でもまだ若いつもりだ。
「俺は――」
ドンッ。
突然地面が揺れた。
俺は咄嗟に風香の頭を抱え、天井を見上げる。揺れ自体はすぐに収まったようで、頭上にひっかけてあるランプが揺れているが、先ほどのような大きな振動は感じない。地震だろうか?
「そうだ。ノエルっ」
揺れが続かないのにホッとすると同時に、ノエルの顔が頭をよぎる。今はお産中だったはずなのに、大丈夫だろうか。
俺は慌ててテントを出ると、お産中のテントへ向かって走る。しかし俺はノエルがいるテントに近づくにつれ、その異常さに足を止めてしまった。
「なんだこれは」
テントはとても風通しがよく、太陽光が入りやすい形状になっていた。まるで、テントの中で嵐でも起こったかのように、ぼろぼろになっている。
「ノエル、大丈夫なの?!」
俺の後ろをついてきていたらしい風香が、俺を追い越し、テントの中へ駆け込んだ。それを見て我に返った俺も続いてテントの中へ踏み込む。
テントの中に入った俺は、先ほど自分が思った事が間違いなかったのだと悟る。テントの中で間違いなく嵐が起こったのだろう。置いてあった小物やタオルが散乱し、まるで怪獣が暴れたかのような惨状だ。
テントの端では、産婆としてやってきた女が、体を丸めガタガタと震えている。
そんな異常な状態の中で、ノエルは寝台から上半身を起こし、慈愛のこもった笑みを手の中にあるものへ向けていた。
その目をすっと俺の方へ向けると、ノエルは今気がつきましたとばかりに目を丸くした。
「2人ともどうしたの?」
「どうかしたのじゃないわよ。そのセリフは、むしろ私の方よ。何なのこの惨状」
まるで刃物で切り裂いたかのように、ところどころ破れたテントは、もう使い物のにはならないだろう。
「オクトが怖い夢を見ていたみたいなの。だから私が怖くないよって、ぎゅっと抱きしめてあげて、悪い夢を忘れさせてあげた所よ」
「怖い夢を見たからこうなったのか?」
「うん。だけど、もう大丈夫。オクトも安心して眠っちゃったみたいだから」
やはり混ぜモノだから普通とは違うのだろう。どんな夢を見ていたのかは知らないが、そのたびにテントを壊されたら困る。しかし赤子にそんな事を言われてもな感じだろう。
「怖い夢みて怖かったね、オクト」
ノエルは金色の髪の毛をよしよしと優しく撫ぜた。どうやら髪の色はノエルに似たようだ。テントの隙間からこぼれた光で淡く輝いている。
「何と言うか……派手な寝ボケ方だな」
言った瞬間わき腹を強く叩かれた。隣を見れば、風香が俺を睨みつけている。
ふとそこで、俺も自分が出産が終わったばかりの女性に、嫌味のような事を言ってしまったのだと気がついた。もちろん、ただの感想で、咎めるつもりは全くなかったのだが……。
しかしノエルは全然気にしていないようで、俺に向かって二コリと笑った。
「うちの子大物だから。でも大丈夫よ。こんな事は、もうないはずだから」
何故そんな事が言えるのは分からなかったが、ノエルは「オクトは死なない」と言った時のような表情をしていた。