1話 姫君
「ちょっと、私を雇いなさい」
上から目線で雇えといい脅してくる女を見て、俺は頭痛がした。何を言い出しやがるんですか、このお姫様は。
そう思うが、馬鹿正直にそんな言葉を吐く気はさらさらない。俺だって命が惜しいのだ。でかい図体に似合わない小心者と言われるが、ヒトは臆病だからこそここまで生き残ってこれたのだと思う。
きっと姫様は言い間違いをしたに違いない。
「生憎、私どもでは姫君を護衛するのは役不足ですので――」
「それだけ大きな頭をしてるんだから、脳みそスッカラカンな言葉吐かないでよ。私が貴方を雇うなんて一言も言っていないわ。貴方が私を雇いなさいと言っているの」
やっぱり言い間違いでも、聞き間違いじゃなかったか。
とんでもない事を言ってくれた姫様に、俺はこのまま気を失ってしまいたかった。カ弱い女性はすぐに気を失ってしまえるから羨ましい。
目の前に居る金色の御髪と琥珀色の瞳をした女は、確か昨日公演をした黄色の大地にある国の姫様のはずだ。あの時近くまで来て、俺の手をとり「ありがとう。楽しかったわ」と可憐に微笑んだのだから、まず間違いない。世の中には似た顔が3人はいるというが、獣人族と精霊族のハーフという、とんでもない出生の姫君と同じ顔がごろごろしているとは思えない。
ああ。それにしても、どうして俺の周りには、妙な経歴の人種ばかりが集まってくるのか。これが神の思し召しというならば、この世の神は鬼畜だ。
「私を雇うとお得よ。半分精霊だから、歌声は自信があるわ。客引きなんて持ってこいね。あと、半分獣人だから、舞とか得意なの。プロにも負けない自信があるけれど、もしも自称じゃ困るって言うなら、今から踊って見せるわよ。それから、半分精霊なおかげで、魔法も多少は使えるわ。ね、有能でしょう?私が居れば無敵になれるわ」
「あのですね。私どもは生憎と遊びでやっているわけではないですので――」
「あら、私も遊びじゃないわよ。今頃王宮で、私は死んだ事になっているだろうし」
とんでもない爆弾発言に、俺は血の気が引いた。
家出してきただけならまだしも、死んだ事になっているって、何が起こっているんだ?というか、俺は何に巻き込まれようとしているんだ?
俺はしがない旅芸人の団長だ。しかも団長といっても、まわりにまとめ役がいなかった為、仕方がなくやっているだけで、カリスマとかそういったものはない。むしろ向いていない方だと思う。
半分巨人族という少数民族だが、ただそれだけの普通の男だ。
そんな俺の手を、姫様は、公演後で褒めた時のように握りしめた。その手が、あの時と違いかすかに震えているのは、俺の気のせいではないだろう。
「もしも、どうしても雇えないと言うのなら……この国をでるまででいいの。匿って」
「あー……俺は名前も分からないようなヒトを雇うと団員に凄い怒られるんだが」
だから俺は団長に向いていないというのに。
頼まれたら断れない性質なのだ。それを何度も周りの団員に言っているのに、一向に聞く耳を持たない。おかげで、グリム一座は、変人奇人の集まりになってしまったじゃないか。
「ノエル。私の名前はノエルよ」
今までの名を捨てたノエルが、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
◇◆◇◆◇◆
「ノエルって……絵にかいたような不器用さね。そんなんじゃ、食べる所全然ないじゃない」
「うぅ。もういっそ、皮なんてむかずに食べられたらいいのに」
食堂を覗き込むと、がっくりと肩を落としたノエルがいた。その手には、とても小さな塊が握られている。多分、じゃが芋の成れの果てだとは思うが……何をどうしたらそうなるのか。それだけ不器用だというのに、手に傷一つ作らないのはいっそわざとだろうと言いたくなる。
「ダメよ。私達が買えるじゃが芋ないんて、そんなにいいものじゃないんだから。ちゃんと芽を取らないとお腹壊すわよ。ここは良いから、玉ねぎを剥いて頂戴」
「はーい!」
ノエルは素直に返事をすると、玉ねぎを取りに立ち上がった。そこで、ばっちり俺と目が会う。すると、シュッと顔を赤くした。
「ち、違うの。今日はたまたま。そう、たまたま、料理の神が降りてこなかっただけで」
「いや、料理は神が云々の問題じゃないと思うが……」
そんな神が降りてくるか来ないかでじゃが芋の剥き方が変わるとは思えなかった。そもそもジャガイモの皮むきは料理だろうか。
「俺は神が降りてくるか来ないかで変わるような、運だめしな料理は嫌なんだが」
「そう?スリリングで良いと思うけど。じゃなくて、えっと、玉ねぎなら大丈夫だと思うの。前も泣かずにむけたから褒められたし」
そもそも玉ねぎの皮むきを失敗するような不器用な者を俺はみた事がないのだが、いるのだろうか。少なくとも、俺の武骨な手でも、だまネギの皮むきに失敗した事はない。
「まあ、頑張れ」
「馬鹿にしてるわね。ヒトは、一つや二つ苦手なものがあるのよ。いーだ」
歯をむき出しにして、顔を歪めると、ノエルは倉庫へ走って行ってしまった。……確か俺より年上ではなかったか?あの年で、「いーだ」というヒトを俺は初めて見た。
精霊族の血がそうするのか、ノエルはどこか幼かった。見た目はそうでもないと思うので、言動が問題なのだろう。
周りの団員は、妹ができたかのようにノエルを可愛がっているから、とりあえずは問題はないが。
それにしてもノエルの能力はムラが多かった。料理などの一般家事的なものはさっぱりだし、動物の世話もダメだった。ちなみに動物の世話は、動物に嫌われるからではなく、好かれすぎて仕事にならないからである。
反対に文字は書けるし、計算もできるし、地図なども読めるので、その辺りはどの団員にも負けない。また、歌声や舞も素晴らしいので、旅芸人の芸の部分では完璧だ。
何と言うか、本当に下々の仕事というものができない女である。ただし、本人に悪気があるわけではないし、団員に聞いたりして努力はしているようだ。しかしあのじゃが芋を見ると、……前途多難である。
「ちょっと、団長。あんまりノエルを苛めないでね」
「俺がいつ虐めた」
何という被害妄想。俺はいたって普通に接しているつもりだ。
「団長って顔が怖いし」
「……俺を虐めて何が楽しいんだ」
顔の造作や体格はどうにもならないと思う。デブだから痩せろとかそういう話ではないのだから。
「ごめん、ごめん。虐めてないから。私は団長の顔に似合わない、小心者な性格のギャップが好きよ」
「虐めてるだろ」
それを褒め言葉に捉える事ができたら、たぶんそいつは、マゾだ。悪いが俺は違う。
「あはは。まあ冗談はそれぐらいにして、ノエルにあまり無理な仕事をさせないでよ。あの子、今が一番大事な時期なんだから」
「は?」
大事?
はて、それほどこき使った記憶はないが、そもそも今が大事とは何故だ?この一座に入ってから結構経つが、職業を変えようとか思い立ってしまうような時期なのだろうか?いやでも、ノエルにはそんなそぶりはない。
だとしたら、何か占い的に悪い時期が来たと言う意味だろうか。でも占いを信じて仕事を減らすような馬鹿は普通いない。
「鈍いわね。だから未だに嫁が来ないのよ」
「お前は、俺をどれだけ虐めれば気がすむんだ」
「さあ。もう少し貴方が鋭くなったらかしら。ノエルは自分から言うつもりないみたいだから、私が言っちゃうけど、あの子、お腹にいるのよ」
「何が?」
すると俺は風香に頭を叩かれた。
何故叩かれなければならないのか。でかくて頑丈だからって、痛みがないわけじゃないんだぞ。
「お腹にいるって言ったら決まっているじゃない。ここで便秘とか言ったら、今度はグーで殴るからね。赤ちゃんよ、赤ちゃん。ノエルのお腹には赤ちゃんがいるの」
「へ?」
俺は凄く間抜けな顔をしたと思う。だって、子供のお腹に、子供がいるって、なんの冗談だと思うだろう。俺より確かに年上だが、「いー」とかやってくる女だぞ?
「信じてないみたいだけど、本当よ」
「の、ノエルは知っているのか?」
「当たり前じゃない。ちゃんと知っているわ。聞いたら答えると思うわよ。聞かなければ言わないけれど、隠しているわけじゃないみたいだし」
聞いたら答えるって、言わなければ男の俺がそんな事を察するなんて、できるはずがない。
「そんな子供がいるのに寝てなくて良いのか?」
「いいに決まってるでしょうが」
「そうなのか?」
だって赤ん坊がいるんだぞ?半信半疑で聞くと、風香は至極真面目な顔をした。
「そうなの。病気じゃないんだから。私の母も、私がお腹に居る間も働いてたそうよ。でもお産が近くなったら、産婆つれてきたり、どこか安定した場所に居ないといけないけれどね」
そういうものなのか。
でも産婆って、何処に居るんだ?働いていたというが、どれぐらいのペースでだ?食事は2人分食べさせた方がいいのか?
「何考えているか凄く分かるけど、とりあえず言っておくわ。多分アンタより、私やノエルの方がよく知っているから無駄な事しないでね。団長はノエルの子の父親じゃないんだし、父親のつもりだとしても、どっしり構えてなさい」
風香はあきれ顔で言ったが、結局ノエルが倉庫から戻ってくるまで、俺はぐるぐると考え込む羽目になった。