流されやすい女
「瞬ー、学校遅刻するわよう!!」
「はーい、ママ」
私は小学校一年になる瞬を、玄関まで見送った。
稀に見る様な子煩悩だと我ながら思う。
でも、あの天使の様な笑顔をひきだすには、去年までは不可能だった。
あの、去年の秋に全てが変わったのだ。
その言葉を受け取ったのは、何年か前の夕暮れ時のことだった。私は園児をバスに乗せて幼稚園に帰ってくると、どうやって抜け出したのか、瞬君が砂場で一人、何かをこねていた。
私は驚いて、瞬君に駆け寄った。
「瞬君どうしたの? どうしてバスに乗らなかったの? お母さん、心配するよ」
かがんで、瞬君と目線を合わせて顔を覗き込んだ。
瞬君は以外にも泣いていなかった。ただ、寂しそうに砂場にホースをもってくると、水を出して泥をつくり、こねて何かを作っていた。
「先生、結婚してる?」
唐突に瞬君は手を動かしたまま呟いた。
「はぁ?」
瞬君はもともとマセたところの強い子だったから、私は軽く「内緒よ」と話を流そうとした。
夕暮れに映る瞬君は、白い肌を泥で汚しながら、軽く日に焼けた顔も色素の薄い髪も、どこからどうみても将来楽しみな美少年になることが予想できた。だが、大人しいので人気者ではなかった。瞬君は、五歳児の割りにどこか達観した落ち着きを宿した子供だった。私はいつも瞬君の不思議なギャップに園児の授業でも困惑させられた。
「結婚したらね、男の子は女の子をまもらなきゃいけないんだよ。でも、僕はそんなの嫌だね。女の子はすぐに浮気するから」
瞬君は泥団子を丸めて、ドラエモンの顔を描きながら言った。
そうなのだ。保母さん暦一ヶ月の私には、こういった子の話題の対処方法がこうなるともうお手上げだった。
「どうして浮気するってわかるの? わかった! 瞬君好きな人いるんでしょ? 」
「そうだよ。いるよ。」
「いるなら、守ってあげなくちゃ」
「嫌だ」
こうやって会話をすれば素直に、人気者の子なら、「あったりめーじゃん、絶対守る。そして離さない!」とか威勢よくかわいく言っちゃうのに。こういう頑固な不思議系の子はどうすればいいんだろう。
「どうしてそんなに女の子を守るっていうのが嫌なの? それって男として情けないぞっ。瞬君はかっこいいしかわいいし、もうちょっと愛想があれば人気者になれるのにもったいない」
ヤケになってわざと茶々を入れてからかってみた。
すると、瞬君はぞっとする位穏やかな大人びた微笑を浮かべた。
「先生、うちのママにそっくり。ママ言ってたよ。パパのこと、男のくせに情けない、とか。もうちょっとこうだったらいいのにとかって言ってた」
ふいに園児を預かる身として恥ずかしく思った私は、言葉を失った。そして大人すぎる瞬君にぞっとした。
「ママがね、パパと離婚したんだ。僕従兄弟いないし、親戚も皆僕を預かるのは嫌だっていう。僕は無口で、不気味だからだって」
私は瞬君ちの親戚やパパやママを運動会でも、参観日でも、遠足の日でも一日たりとも行事の日は姿を見せたことがなかったことを思い出した。
でもだからってどうして私がそんなに重たい話を聞かされなきゃならないの!?と「あ」に濁点をつけて叫びたくなる気持ちを私は堪えた。
助け舟の園長先生は、もう園児が帰った後、がん検診に行くと言って帰ってしまった。
私は初めての経験に、緊張してしまった。五歳児を相手にすることにである。
「瞬君、とりあえず家に帰ろう。陽が暮れちゃうよ。今、家にいるのは?」
「だれもいない。家の電話に携帯で電話したけど出ないし」
最後のダメダシ。私は万人の女の子にありそうな労りの心溢れる、強い優しい女性ではないことは自負している。もともとこういう手の話題は苦手だったし、身近でみてもよくありそうな話なのであまり涙を感じない。それにもうすぐ彼氏と飲みに行く約束もあった……あくまで本心を言えば、だ。保母さんを選んだのは、友達に保母さんが多く、意志のかけらもない、流れでなってしまったようなものなのだ。
「それって最低。瞬君、とりあえず私の家に来る?園長先生に話してあげるから、とりあえずそうしましょう」
そうして、幼稚園の鍵を締め、瞬君を私の車に乗せると、私は自分のアパートではなく、実家の方へ車を走らせた。
「ねぇ、先生。先生がついててくれなきゃ、嫌だよ」
助手席に座る瞬君がいきなり、子供がふざけてする大人の真似を、スラリと大人の様に言ってのけたことに私はビックリし、ドキドキした。
私は黙っていた。黙っていると、今度は瞬君の言葉攻めが始まった。
「先生は幼稚園の先生でしょ。園児を見守る義務があります」
私は決めた。まず瞬君を実家に行っておろし、ご飯を食べさせているときに、トイレに立ち、そのまま彼氏との待ち合わせの居酒屋へと直行する予定を頭の中で計算した。
彼氏は一年かかってやっと振り向いて誘ってくれた、高嶺の花の大学時代の先輩だった。
ただめちゃくちゃ気まぐれで予定がドタキャンされることも多く、やはりまだ私の片思い的な要素の強い恋愛だった。
今日は誘ってくれて二日目。絶対逃すものかと必死だった。
実家に着くと、うちの母はとにかくびっくりし、これでもかという位優しい笑顔と哀れみと……とにかく構ってやろう的オーラで瞬君を迎え、瞬君は終始ニコリともせず無言だった。私は半分げんなりし、平屋の実家へとあがると、さっそくご飯の用意をするためにキッチンに立った。
すると、瞬君がいきなり私の手元を見て文句を言った。
「違います、先生。人参はそう切るんじゃありません。きちんとピーラーで皮をむいてから切らなきゃだめです。それから、味噌汁を作るとき、沸騰する前にかつおだしを入れるんですよ」
やっぱりここまできたか、と私は思った。瞬君はまるで今度は小姑の様に見えた。
「んー今日ちょっと調子悪いかなー。瞬君、向こうでおばあちゃんと遊んでた方がいいよ。包丁あって危ないよ」
ピーラーもダシコの入れ方もわかっていた。微妙な彼氏との約束に焦っているのが家族が見てたらバレバレであるが、見られたのが瞬君で良かったと半分思った。
私はこれから、瞬君のお母さんを知っている人のところを歩き回らなければならないことになっている。
だが、今夜は逃せない。どうしても逃せない。
私は予定通り、夕飯の支度をした後、車を出して彼氏の待っている居酒屋まで飛ばした。
彼氏はすでに居酒屋前で待っていた。ブーツインで、ネイバーフッドとかいうブランドのジャケットを羽織っている。どこからどう見ても目だっていた。
「ごめん、遅れて」
嬉しいことに少し待たせただけでも彼氏は不機嫌ではなかった。
「じゃ、入ろーぜ」
私達が入った居酒屋は、ツマミが少し値のはる店で、客足があまりない。来るのは財布に余裕のある者ばかり。私はこの時のために二ヶ月貯金していた甲斐があり、嬉しくて嬉しくて仕方なくなった。
彼氏との他愛もない会話をしながら、極上のチーズササミをつまみながらビールを飲む。
瞬君の話をしようかと思ったけれど、今の楽しいひと時を壊したくなかったため、あえて同僚の間抜け話や、テレビの話、色々な話を途切れることなくした。
彼氏も退屈はしていないようで、いつもより饒舌だった。
しかし、私はいきなり冷や水をかけられるような声を聞いてしまったのだった。
「ほんと、あの子どうしよう? なんていうか、もともとあいつが引き取るって話だったじゃん。私お金なんてもってないし」
ひどく剣呑な通る声が、慎みの欠片もなく、私のテーブルの奥の奥からからひそやかに聞こえてきた。
内容が内容だっただけに、私は思わず真顔でトイレに行くフリをして、左真横のテーブルを振り向いた。
それは、瞬君のママだった。見たことは数回しかないが、今は身なりがあきらかに高そうなブランド物に埋め尽くされ、そして髪は金髪で綺麗にカールされていた。
煙草を吸いながら、脚を組み話をしているのは、離婚相手だろうか。
間近に相手を見ていると、かなり瞬君のママは若いようだった。私とあまり年は変わらないとみた。
「そうだな、俺もコブつきはごめんだ。嫌でも相手の顔想像しちゃうし。二人で、新しい子供つくるか」
…コブ…私はその言葉をリアルに聴いた気がした。
じゃあ瞬君は、もう子供じゃないの?子供のことをコブと呼ぶの?
私は恐さを通り越し、頭が真っ白になるような怒りを感じた。
怒りで震えることは初めてだった。私は、瞬君をおいてこんな場所まで来てしまった自分を恥じた。
でも、私は瞬君ママのようには、絶対、絶対、なりたくなかった。
「なんだよ、なにか御用? お姐さん?」
向かいの男が、だるそうな声言う。
私は、有無を言わさず、黙って煙草を吸う瞬君ママの肩をひっつかむと、派手な音をたてて平手打ちをした。
「何すんのさ!」
「瞬君は私が預かっています。今すぐ、瞬君に会ってあげてください」
その後だった、「キャーーー」と瞬君ママは叫び声を上げたのだった。
「この女、私をいきなり叩いたのよ!」
急に店内がざわつき始める。私はもう、そんなんおかまいなしだった。
「何発でも殴ってやるわよ、最低女!」
私が手を振り上げた時だった。
「やめて!」
振り向くと、瞬君が、私の彼氏と手を繋いで立っていた。
「ママ、もういいよ。僕、パパと先生といくよ」
瞬君ママは、目がこぼれ落ちそうな勢いで、私の彼氏を見ている。
「武人……いつの間にこんな女つくったのよ!?」
私の頭の中でクエスチョンマークが飛び交う。私の恋人……武人さんが瞬君のパパ??
そもそもどうやって瞬君がここへ?
「ほら……お前、煙草吸わないから禁煙室だったろ? だから俺外の駐車場で煙草吸ってたんだよ。そしたら、お前の車に瞬がいてな。ちゃんと出納の水を飲んでたよ。びっくりしたなぁ。ああ、これ、俺の前の奥さん。ギャルだろ」
私は猛烈な勢いで切れた。
「お前らいい加減にしろ!!武人さん、あなたもあなたよ!あなた瞬君の旦那様だったの。平気で二股かけて付き合っててよく今顔が出せたわね!」
「パパは違うよ! 働くために別居してたんだよ。出張も多いって理由で。なかなか会えなくても、僕に、身内で誕生日プレゼントとかをくれるのはパパだけだもん!」
瞬君が幼いながらも武人さんをかばった。
「貴方達なんかに任せておけない!瞬君があんまりです! こんなんじゃ可哀想! 瞬君は、私が預かります!」
「いや、俺が預かろう。俺の責任だ」
瞬君パパ、武人さんは、私から奪うように瞬君を抱いた。
「ダメ!絶対ダメ!もしかしたらネグレクトまでうけてるかもしれないのにあんたなんかに預けられない!」
その時黙っていた瞬君ママが殴られた頬をさすりながら悪態をつく。
「他人のくせにえらそうに」
「ネグレクトなんてうけていないよ、僕。虐待もされてないよ。パパからは今日も連絡あったもん。今日新しいお母さんを紹介するからいい子で待ってなさいって」
瞬君がベラベラと言った。
「新しいお母さん?」
その時、武人さんは、珍しく赤い顔をして私を見た。真正面から。
「ごらんのとおり、俺は子育てが下手だ。だから、お前みたいな優しくて、子供を大事に見てくれる人が必要だ。今まで騙してて悪かった。結婚してくれないか? 」
いきなりのプロポーズにびっくりし、私は怒りと驚きと昇天のその場で気を失ってしまった。
それから、私は武人さんと結婚し、瞬君をひきとった。
思いのほか、旦那となった武人さんは、改心したのか家族でどこかによく連れてってくれるようになり、瞬君は笑顔を見せることが増えた。
なんにせよ、私の流されやすさは相当なものである。
気がついた時、武人さんの部屋のベッドで、瞬君はじっと私の顔を見て、にっこり笑ったのだった。
「先生、最初っから僕をおきざりにする予定だったんでしょ? ママそっくりだ。僕は先生の事が好きだから、ずーっとつきまとってやるんだからね!」
普段、笑わない瞬君が天使の様な笑顔を見せたのが、それが初めてだった。
私はこの五歳児相手に不覚にもときめいてしまったのは、内緒である。
なんかダラダラ書いてしまった…
どうにも短編は、書いてる途中からグダグダになってしまいますOTL
精進せねば!