第19話:仕様とバグ
警報が鳴り止まない。
新聖都エーテルガルドの裏路地。逃げ込んだ先は袋小路だった。
だが、道を塞いだのは壁ではない。無数の市民たちだ。
老若男女、服装も職業もばらばらの彼らは、一様に虚ろな瞳でシルスとアリシアを見つめ、壁のように立ちはだかっていた。
「逃走経路、封鎖完了。対象の捕捉率、99.8パーセント」
最前列にいた老婆が、機械的な声で告げる。
続いて、隣にいた少年が言葉を継ぐ。
「抵抗は推奨しません。これ以上の逃走行為は、都市の演算リソースを無駄に消費するだけです。君たちの存在は、システム全体のエネルギー効率を著しく低下させています」
声は違えど、語り手は同一人物だ。
都市の中枢に座る管理者、ヴァルダス・アイアンウッド。彼は市民の肉体を、自身の意思を伝えるスピーカーとして利用している。
「怖い……みんな、目が死んでる」
アリシアがシルスの背中に隠れる。
彼女の呪いが感知しているのは、人間としての敵意ではない。もっと冷たく、巨大なシステムの圧力だ。
「リソースの無駄、か」
シルスは包囲網を見渡しながら、わざとらしくため息をついた。
「やれやれ。自社システムの欠陥であるエネルギー不足を、ユーザーの利用方法のせいにするのかい? 『仕様です』の一言で不備を押し通すのは、三流サポートデスクの常套句だよ、管理者殿」
シルスの口調は、出来の悪い部下を叱責する上司のように慇懃無礼だった。
隣で銀糸を構えていたアリシアは、思わずシルスの横顔を見上げた。 (……戻ってきた) 窮地に追い詰められているはずなのに、シルスの言葉は、まるで歌うように滑らかで、そして猛毒を含んでいる。 感情を焼き切ったはずの彼が放つ、冷徹で楽しげな悪意。 相手が神ごとき管理者であろうと、言葉のナイフで刺すことをやめないその不遜さが、アリシアには何よりも頼もしく思えた。
しかし、ヴァルダス皮肉に含まれた侮蔑を一切理解せず、ただの音声データとして処理する。
「その比喩は論理的ではありません。現実は数字が全てです。君たちを排除すれば、都市のエネルギー収支は黒字に戻る。それが唯一の解です」
「会話が通じないな。君は計算機としては優秀かもしれないが、経営者としては無能だ。顧客満足度を無視したサービスは、いずれ破綻する」
「満足度は最適化されています。不満を持つ因子は、君たちのように排除されるからです」
老婆や少年、そして周囲の市民たちが一斉に手を伸ばした。
彼らの掌には、治安維持用の拘束術式が輝いている。個々の魔力は弱いが、数百人が同期して放つそれは、逃げ場のない檻となって二人を圧殺しようとしていた。
「来るよ、シルス!」
「焦るな、アリシア。……彼の論理には穴がある」
シルスは黒曜石の石版を取り出し、迫り来る術式の光にかざした。
「彼は市民を『リソース』と呼んだ。つまり、彼らに傷をつけるような高出力の攻撃はできない。自分の資産を自分で破壊することになるからな」
シルスの指が石版の上を滑る。
展開されたのは防御壁ではない。周囲の魔力循環を乱す、局所的なノイズだ。
「監査開始。……君の完璧な連携(同期)に、少しばかり雑音を混ぜさせてもらうよ」
石版から放たれた不協和音が、市民たちの統率された動きを狂わせる。
術式のタイミングがずれ、光の檻に隙間が生まれた。
「今だ、抜けろ!」
シルスが叫び、アリシアの手を引いて駆け出す。
市民たちは糸が絡まった人形のように動きを止め、あるいは互いにぶつかり合って転倒した。
「エラー。同期信号に干渉を確認。再接続を試行中……」
背後で機械的な音声が繰り返される中、シルスたちは包囲網を突破し、更に深く、暗い場所へとひた走る。
目指すは第9廃棄セクター。
完璧な管理者が隠蔽した、世界の掃き溜めだ。
「覚えておけ、ヴァルダス。バグはお前が作った仕様の中にこそ潜んでいる」
シルスは吐き捨て、地下へと続くダストシュートの入り口をこじ開けた。




