第17話:管理者の論理
新聖都エーテルガルドの目抜き通りは、不気味なほど清潔だった。
塵一つない白亜の舗道。行き交う市民たちは、誰もが判で押したような穏やかな微笑みを浮かべ、規則正しいリズムで歩いている。そこには喧騒も、混乱も、そして生命特有の熱量も存在しなかった。
シルスとアリシアが広場を抜けようとした時、前方から歩いてきた一人の男性が、唐突に足を止めた。
まるで糸が切れた人形のように、彼の動きは物理法則を無視して静止した。
「ようこそ、予測外のエラー因子たち」
その男の口から発せられた声は、肉体の持ち主のものではなかった。
声帯の震えを感じさせない、平坦で、どこまでも冷徹な響き。周囲の雑踏は続いているのに、その男の周りだけ、空気が凍りついたように静寂が支配している。
「ヴァルダス・アイアンウッドか。趣味が悪いな。他人の口を借りて挨拶とは」
シルスは歩みを止めず、淡々と応じた。隣でアリシアが怯えたように身を硬くする。彼女の呪いが、目の前の男から漂う圧倒的な演算圧力を感じ取っているのだ。
「彼らは私の端末だ。個という概念は非効率であり、全ての市民はシステムの一部として統合されている。君たちもまた、私の管理下にあるリソースだ」
男の瞳が、人間にはあり得ない青白い光を帯びて明滅する。
それは個人の意思を乗っ取り、中枢のメインシステムが直接操作している証拠だった。
「リソース、か」
シルスは鼻で笑った。その表情には、恐怖ではなく、質の悪い冗談を聞かされた時のような嘲りが浮かんでいた。
「卑怯だとは思わないのか。市民は君に守られていると信じている。だが君は、彼らの同意もなく、その脳を勝手にネットワークの部品として使い潰している」
「卑怯? 心外だな。だがヴァルダス、顧客である市民の預金、つまり脳を、無断で自社ビルの建設費である演算リソースに流用する……。僕の業界では、それを業務上横領と呼ぶんだが?」
シルスは口角を僅かに上げ、相手の反応を待つ。ビジネス上の重大な背信行為を指摘するその口調は、かつての詐欺師のような滑らかさを帯びていた。
しかし、目の前の憑依体は瞬き一つせず、無感情な声を返した。
「いいえ。彼らは同意しました。飢えと恐怖からの解放という報酬に対し、思考リソースの提供という対価を支払うことに。……これは、極めて公正な取引です」
会話が成立していない。
シルスの皮肉、横領という犯罪の比喩を、ヴァルダスは単なる情報のノイズとして処理し、自身の論理的正当性だけを再出力したのだ。
「話にならないな。君にはユーモアのセンスも、倫理的な負債の概念もないらしい」
「不要な機能だ。世界に必要なのは、感情という名のバグではなく、生存という結果だけだ。さあ、その少女を渡してもらおう。彼女の持つ第4層の呪いは、私の計画における最終的な収支合わせに必要不可欠な資産だ」
男が手を伸ばす。その指先から、不可視の拘束術式が展開された。
だが、シルスは動じない。懐から黒曜石の石版を取り出し、冷ややかに告げた。
「監査権限を行使する。君の要求は却下だ。この少女は、君の杜撰な計画の穴埋めに使われるべき資産ではない。彼女は、君が切り捨てた世界のエラーそのものだ」
石版が黒い光を放ち、ヴァルダスの術式を弾き飛ばす。
男の体が大きく仰け反り、その瞳から青白い光が消えた。
意識を取り戻した市民が、何事もなかったかのように再び歩き出す。彼は自分が何をしていたのか、誰と話していたのかさえ覚えていない。
「行こう、アリシア。管理者は気づいたようだ。僕たちが、ただの迷い子ではなく、彼の帳簿を燃やしに来た監査官だとね」




