第13話:偽りの饗宴
インフラという名の血管を止められた王都リュミエールは、死に体の巨獣のように喘いでいた。
上層区の夜は、もはやかつてのような宝石箱をひっくり返した輝きを持たない。街灯は消え失せ、貴族たちの屋敷も沈黙し、ただ不気味な暗闇が支配している。
だが、その暗闇の中で、一箇所だけ異常なほどの光を放つ場所があった。
中央広場だ。
「さあ、集まりなさい! 迷える子羊たちよ! 今宵、教会と王家が、貴方達の不安をすべて拭い去って進ぜよう!!」
教会の枢機卿たちが、備蓄していた予備魔力の全てを注ぎ込み、広場だけを真昼のように照らし出していた。
飢えと渇き、そして見えない恐怖に震えていた市民たちは、光に群がる羽虫のように広場へと殺到する。
彼らに配られるのは、倉庫から引っ張り出された古いパンと、わずかばかりの聖水。だが、絶望の淵にいる彼らにとって、それは神の慈悲そのものに見えた。
「見よ! 我らが国王、レグルス陛下の御成である!」
ファンファーレと共に、王宮のバルコニーに一人の男が現れた。
豪奢な王衣を纏った国王レグルス。その顔は青年のように艶やかで、皺一つない。
だが、下層区の魔導モニター越しにその姿を見つめるシルスには、その「若さ」の歪さが見て取れた。
「……あれが王か。随分と厚化粧だな」
画面上の王は、笑みを浮かべて手を振っている。だが、その動作はどこかぎこちなく、時折、映像が乱れるように顔の皮膚が引きつる。
教会の「不老長寿の術式」によって細胞の壊死を無理やり巻き戻されているだけの、生ける屍。彼もまた、システムが生み出した哀れな債務者の一人だった。
「民よ! 恐れることはない! 水が濁るのも、灯りが消えるのも、すべては下層の穢れが一時的に溢れただけのこと! 我が友、勇者アルリックがその聖剣で全てを浄化するであろう!!」
王の声は魔導拡声器によって増幅され、民衆の鼓膜を震わせる。
そして、主役が登場した。
「おお……勇者様だ! アルリック様だ!」
歓声の中、白銀の鎧を纏ったアルリックが広場の中央に進み出る。
彼は聖剣を高く掲げた。その剣身からは、今の王都には不釣り合いなほどの、眩い神聖な光が溢れ出している。
「安心してくれ、みんな! 僕がいる限り、リュミエールは沈まない! この光が、全ての闇を払ってみせる!」
アルリックが剣を一閃させる。
放たれた光の波が、広場の端に滲み出ていた「黒い汚泥」を一瞬で蒸発させた。
「奇跡だ……! やっぱり、勇者様の力は本物だ!」
「教会万歳! 国王陛下万歳!」
民衆は涙を流してひれ伏し、祈りを捧げる。
汚染された水への不安も、消えた灯りへの不満も、目の前の圧倒的な「演出」によって一時的に麻痺させられていく。
これこそが、教会が数百年守り続けてきた最強の防壁――「思考停止」という名の信仰だった。
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下層区、第7施設。
熱狂する広場の映像を見つめるシルスの瞳は、氷点下の冷たさを湛えていた。
「……美しい光景だ。誰もが、その光の『燃料』が何であるかを知ろうともしない」
シルスは、手元の黒曜石でできた制御石版に指を走らせた。
石版の上には、王都全域の魔力回路図が複雑な幾何学模様となって浮かび上がっている。彼はその光る線を指先で直接書き換え、最終監査術式を構築していく。
彼の左目には見えている。
アルリックが剣を振るうたび、王が呼吸をするたび、広場に集まった民衆の背中から、そして地下の「肉の銀行」に繋がれた子供たちから、赤いラインとなって「生命力」が吸い上げられている様が。
「アリシア、準備は?」
「完了しているわ。王都全域の魔導投影機、および全市民の視覚情報への強制介入……いつでも繋げられる」
アリシアの声にも迷いはない。彼女もまた、あの偽りの光に焼かれた被害者の一人だ。だからこそ、その嘘を暴くことに躊躇はなかった。
「彼らは今、希望の頂点にいる。……突き落とすなら、一番高い場所がいい」
広場では、アルリックが再び剣を掲げ、フィナーレとなる特大の「奇跡」を放とうとしていた。民衆の熱狂が最高潮に達し、王が満足げに頷く。
その瞬間。
バチッ、と。
広場の巨大投影水晶が一斉にノイズを走らせた。
「……な、なんだ? 音響の故障か?」
枢機卿の一人が慌てて指示を出そうとした時、王都中のスピーカーから、聞き覚えのない、だが底冷えするような男の声が響き渡った。
『――監査局より通達。これより、特別会計監査を行う』
シルスが、石版の中央で赤く明滅する「起動術式」に、掌を叩きつけた。
『さあ、リュミエールの善良な市民諸君。……君たちが崇めるその美しい光の「コスト」を、一緒に確認しようか』
偽りの饗宴は終わりを告げた。
次に映し出されるのは、残酷な真実という名の請求書だ。




