第10話:論理の籠城
「――警告。至近距離での汚染爆発を探知」
ヴァルダス・アイアンウッドの判断は速かった。
彼はシルス・ヴァレリウスを殺すことよりも、自身の機体とシステムへの「論理汚染」を防ぐことを優先したのだ。
バッ、とヴァルダスが喉を掴んでいた手を離し、後方へ大きく跳躍して距離を取る。
ドサリと床に落ちたシルスは、激しく咳き込みながらも、その「一瞬のラグ」を見逃さなかった。
彼は逃げるのでも、反撃するのでもない。這いつくばったまま、目の前の巨大な中枢制御盤へと飛び込んだのだ。
「が、はぁっ……! まだだ……!」
シルスは、自爆のために開放したエネルギーを、攻撃ではなく「接続」へと転用した。
防御結界を張る余裕はない。彼は自らの首筋にある神経接続プラグを、施設のメインフレームへ強引に突き刺した。
「が、ぁぁぁぁっ……!!」
脳が焼けるような激痛。
数千人の被験者のデータと、施設を流れる莫大な因果の濁流が、シルスの脳髄へ直接流れ込んでくる。
だが、これで施設"肉の銀行"の全システム権限が、物理的に彼の脳と直結した。
「……警告。システムへの不正侵入を確認。……リアン、貴公、自爆すると見せかけて……」
距離を取っていたヴァルダスが、初めて不快そうに目を細めた。
シルスは血の混じった唾を吐き捨て、制御盤にしがみついたまま狂気的に笑った。
「……ハッ。賭けは僕の勝ちだ、監査官。今の僕は、この施設の『自爆シーケンス』そのものだぞ」
シルスが震える指でコンソールを叩くと、施設内の培養槽が一斉に赤く発光し、不穏な唸りを上げ始めた。
「僕をここで削除してみろ。その瞬間に神経リンクが切れ、貯蔵されている数十年分の『因果の汚泥』が、一気に上層区へ逆流・噴出する」
「……」
ヴァルダスの指が止まる。
王都の半分を汚染させるコスト。それは、彼が守るべき「教会の利益」を著しく損なう結果となる。
シルス自身の命を人質にした、最悪の脅迫。
ヴァルダスの眼鏡の奥で、高速の演算光が走る。
シルスの排除と、王都汚染のリスク(デメリット)。
完璧な計算機である彼は、感情ではなく、損益分岐点に基づいて判断を下した。
「……判断保留。現時点での強制排除は、組織への損害が許容範囲を超過すると予測される」
ヴァルダスは手を下ろし、一歩後退した。
「命拾いしましたね、リアン。……ですが、それは解決ではありません。貴公は袋のネズミだ。正規監査部隊を招集し、施設ごと『隔離・浄化』するプロセスへ移行します」
「やってみろよ。……その頃には、この施設は君たちの喉元に食らいつく『要塞』に変わっている」
ヴァルダスの姿が転移の光に包まれ、消滅する。
圧倒的な殺気が消え、静寂が戻った制御室で、シルスはその場に崩れ落ちた。
「シルス!」
駆け寄るアリシア・レインフォードに、シルスは荒い息で告げる。
「……勝ったわけじゃない。……ただ、首の皮一枚で『籠城』の権利を手に入れただけだ」
シルスの左目からは黒い血が流れ落ちていた。だが、その瞳の光は消えていない。
「アリシア、休んでいる暇はないぞ。奴らが戻ってくる前に、ここを王都を殺すための心臓に改造する……」
薄れゆく意識の中で、シルスは次なる一手――インフラ遮断の青写真をすでに描いていた。
戦いは、個人の殴り合いから、組織を巻き込んだ兵糧攻めへと移行する。




